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スキュートラスの自家用橋の近くにあった橋。

近くに、こんな橋もあった。

先のスキュートラスト同じ…かと思いきや、全然違う。先のはL字型のアングルを背面同士突き合わせて溶接し、上弦をつくっていたが、これはL字型のアングル1本のみである。また、格点も、先のはガセットを内側からあてているが、こちらは外側からである。

何より違うのは、床版が鉄製であること。横桁の上にC型チャンネルを渡し、その上に鉄板を張っている。また、「倒れ込み防止」の部材はない。

対岸に渡ると、その先には小径しかなさそうなので、この橋の存在意義がちょっとわからないのだが、ここで立ち止まると気づくことがある。「スキューしてたっけ?」

端柱をよく見ると、上写真左側の端柱は、角度がキツイ。右はゆるい。それだけだ。小径が左に曲がるから、こうしたのだろうか?

道路側。スキューしてないでしょ?



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津和野町の県道を走っていたら、道路脇の川にかわいいトラス橋がかかっていた。垂直材が入るポニーワーレントラスに見えるが、垂直に見えるのは「倒れ込み防止材」(正式名不明)である。

スキューしている。この規模、この長さで。床版は木製。

スキューしているのは踏み板でわかろう。わざわざ、板を平行四辺形に切っているのだ。

桁裏を見ると、左右のワーレントラスを結ぶ横桁は鉄製。縦桁は木製だ。縦桁から雨水が垂れてくるのか、横桁には疣状の錆びが多数浮き出ている。

スキューしているが、格点の対角線を鉄の棒が結んでおり、中央でリング型のバックルで結んでいる。格点とは溶接。写真左下に/方向に垂れ下がっているのは、格点との溶接部分が錆びて落ちてしまったもの。

ポニーワーレントラスの外側には、ご丁寧にもトラスが外側に倒れないように支えがある。

車が渡れる規模ではないのに、ここまで本格的なポニーワーレントラス。よほど心得がある人が作ったに違いない。


奥ヶ野峠を西へ下ると、鈴野川という集落がある。そこに木造校舎の小学校があった。しかし、人気はなかった。

正面は妻面にある。どうやら、閉校したようだった。

教室の中を外から覗いたら、「教室」は一つで、他の(確か)三つの部屋は、それぞれ理科室や音楽室などの目的別の部屋になっていた。もしかして、全校で1クラスしかなかったのだろうか。

門には銘板がある。現地で検索したら、ちゃんと萩市のサイトに載っている。ということは、まだ廃校ではない休校の状態だ。

正面に向かい合う形で、鈴野川保育所があった。いまは物置になっているようだが、とてもきれいだった。

室内には、飾りがたくさん。ひとつしかないトイレ(外から見えた)にも、きちんと「手を洗おう」といった絵のついた張り紙があった。おそらくひとりだけの保育士の先生が、おそらく一人か二人の未就学児を相手にしながら、我が家のように作っていったものだろう。私は身近に幼児教育に関わっている人がおり、そうした姿を見ているので、この場所でそうした生活が営まれていたことを想像しながら、そこにしばらく立ち続けた。園舎内を写真に撮る気持ちにはなれなかったから、撮っていない。外観もためらったが、もし取り壊されてしまったら…と思い、外観はこの2枚だけ撮った。

防長バスの通過予定時刻は、7:21と18:46である。

改めて検索したら、閉校について書かれた地元の方のブログがあったので紹介する。
2人の卒業式 鈴野川小学校
 - 弥富情報室ブログ

閉校になれば、校歌がなくなる。都会でも起こりうる話だが、それは、どこかで引き継いでいって欲しい気がする。



島根県の津和野出身の方が「山ばかりだったから、そこから出てきた」とおっしゃった。津和野は左の地図の下、「B」としたあたり。JR山口線と国道9号は/型に通っている。山口県側のほうが標高が高く、峠越えは、JR線と国道は別々のルートを取る。詳しい方にうかがうと、夜に津和野市街から峠方向(南)を見ると、まるで「銀河鉄道」のように列車が登っていくらしい。

地図の左上「A」には「奥ヶ野」という地区がある。とある方がここのご出身とのことで、地名からして「奥」。その先には峠、そして一気に標高が下がる。果たしてこの「奥ヶ野」はどん詰まりの雰囲気なのかどうか、それを見に行って来た。

まず、津和野。
この鳥瞰図は津和野市街。うっすらと見える国道9号(左下から右上に抜ける黄色い道)は山の中腹をバイパスしている。そこから津和野の町はこう見える。

(北を見たもの)

市街のほぼすべてが見える。そして、市街の幅の狭さも強く感じる。町を貫く津和野川の上流側の「右」、上写真だと「奥の右」が開けて見える。ここから15kmくらい遡ったところ、津和野川の源流部に、「奥ヶ野」がある。対して、下流はかなり大きく深いS字カーブを描いており、どん詰まり感がある。

そして、奥ヶ野。
右下が津和野川の上流部。真ん中の緑色の部分が「奥ヶ野」。鳥瞰図で見ると、東(右)からの入口が門のように閉ざされているようにも見えるが、実際はそんなことはない。「え? ここ?」と驚くくらい、境界がない。北(上)へ向かってクルマで走っていると、普通に左手に開けた土地が見える、それが「奥ヶ野」だった。

左折して、すぐに道はぐるりと山裾をループして戻ってくるような、そんな奥にクルマを止めると、そこが最奥部だった。なんだ、開けてるじゃないか、という印象だった。歩いて一回りできそうだ。道に囲まれた田んぼには、農作業の方々が働いていた。関東郊外にもありそうな、そんな、明るい光景だった。

その地点から「入口」を見る。左に見えるのはバス停。「津和野町営バス 月・木運行 8:11 14:54」と書かれている。

佇んでいたら、手押し車にもたれたおばあさんが家から出てきたので挨拶すると、いろいろなお話を聞かせてくれた。御年93歳。おひとりで暮らしているという。家は少し高いところにあり、土台の草むしりがとても大変だったという。

ここから津和野市街までは、バスが周に2回くるだけ。津和野市街への時間を考えると、峠を越えて益田に出た方がいい。食材は移動販売車が来る。自分は大阪の出で、連れ合いがここの出身だったからここに住んだが、子供たちも町へ出て行き、もう自分だけになってしまった。この地区は、ほとんどが70歳以上で、90歳以上はふたり。これからはこのまま高齢化するだけだろう…。記憶で書いているので違ってる可能性もあるが、そんなことを話してくれた。その間、ずっとおばあさんは立っていたので、なんだか申し訳なくなった。

ひとまわりし、奥ヶ野を西へ。写真の少し先が奥ヶ野峠。この先はいまは萩市、そこも不思議なところだった。


※この項目の地図は、数値地図50000、50mメッシュ標高、10mメッシュ標高を使用し、DAN杉本氏作成のカシミール3Dを用いて画像化して表示した。

(あ、傾いてた…)

奈良県大塔地区の国道168号にかかる巨大なニールセンローゼ橋。左に見えるのが日帰り温泉施設だ。この前後は宇井バイパスと呼ばれ、トンネルと橋で貫いているが、並行して旧道もある。

写真によって広角ズームの焦点距離が違うのでなんともお恥ずかしいのだが、これは南側。右側にある★は「大塔復興の灯火」といって、暗くなるとキラキラ光る。

南側・右親柱には「小原川」。地形図を見ると、この下の川は「舟ノ川」とあるのだが…? なお、天ノ川の支流であり、このすぐ近くで合流している。

南側・左親柱は「宇井大橋」。

北側。

北側・右の親柱は「おはらかわ」。

北側・左は「ういおおはし」。

径間198mもある、非常に大きな橋。アーチの中央付近で見上げると、アーチの高さに目も眩む。

上の写真を撮ったイチで左を向くと、平成23年水害の跡がくっきりと残っている。写真中央、縦に伸びるちゃいろは樹木が倒れて流れた跡だ。

前夜、バルブした。横着して超広角で撮ったので、カメラの影が映ってしまった。

いままで最近の作のアーチ橋は見ないようにしてきたのだけれど、ここまで巨大だと見惚れてしまう。

北側のすぐ北にある「ふれあいトンネル」。ふれあうか…。





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