川口メディアセブンが主催する「かわぐちタイポさんぽ」に行ってきた。
タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社) 『タイポさんぽ』刊行記念トークイベント「タイポがたり」 13時から17時ということで、4時間、みんなでぶらぶらと街歩きをするのかな…と思っていたらさにあらず。最初40分くらいは藤本さんのトーク。続いて参加者4人ずつ、50音順に組ませてエリアを分けて「ここを歩いて、すてきなタイポグラフィーを見つけてください」。15時15分にメディアセブンに戻って、全員の写真をスクリーンで鑑賞する…というもので、まさにワークショップだった。 川口、「ある」。上の「ディモア」はぼくのベスト2。 こういうのもあった。 マイベストはこれ。 かなりすてき。 あとは、もう羅列するしか。 講評というか鑑賞時、かなりの人が気に入ってくれたもの。 いいCup`s。 承。 「み」だけ取り出すと、たぶん読めない。 「城」だけ取り出すと、やはり読めない。 濁点の重なり具合がおかしい。 ビニールテープ文字。ちゃんと文字の大きさを鉛筆で枠書きしている。 修悦体のようなものかと思いきや、ちゃんと「書いてある」。 「口」が小さい。 スターライズ。 「ω」のような。 川口の「総合文化センター」からしてこれだ。「いいへ」じゃないか? 「掲」。これはそこかしこにあるようで、これではない「掲」を撮っている人が他のグループにも何人かいた。
* * *
こういう地図を渡されて8グループかな、に別れて西川口と蕨を歩いたのだけれど、意外に「撮ってる場所」に傾向が出てきたのが興味深かった。駐車場、ゴミ捨て場、マンションの表札。また、周辺は歓楽街でもあるので、そうした看板もなかなかすごいのがたくさんある。 とはいえ、再開発やら建て替えが進めば、失われる一方。ダイナフォントに駆逐される日は遠くない。そんな中、ひとつのタイポグラフィーが消えようとしていた。 PR
均整の取れた木造駅舎として知られた長野電鉄屋代線信濃川田駅。駅舎は木造だが、トイレは建て替えられている。
駅の外から見る。木骨モルタル造りだろうか。換気扇が悲しいことになっている。 駅ホームの側から。目隠しの横から入る。 こんな風に。L字型に囲われているのは冬期の風や雪の吹き込み対策だろうか。 個室の画像。ちょっと汚れていたのでモザイクをかけたが、勇気のある人は画像をクリックして欲しい。 男子小用もある。こちらは、たとえ洗浄後だとしてもこういう色合いなのだが、いちおうここには掲載しない。ご覧になりたい方はクリックを。 こういう形式の男子小用、もう作られることはないだろうな。
「々」踊り字(繰り返し記号)がある地名を書いていて、ゲシュタルト崩壊を起こした。
「々」が「クマ」に見えるのだ。あるいは「タ」にも「匁」にも「勺」にも見えてくる。 々 々々々々 々々々々々々 々々々々 位置によって、個数によって、ゲシュタルト崩壊しやすかったりそうでもなかったり。 そして、クマならば、こうだろう。 リラッ々 「々」は「ノマ」とも呼ばれるようだが、私はそれを耳にしたことがない。かつてはatokでも「ノマ」から変換できた記憶はある。
『敗者の国鉄改革』(秋山謙祐/情報センター出版局)の対極をなす本。国鉄をとりまく三社、すなわち国鉄改革三人組以外の国鉄学士、国鉄の労働組合(とりわけ国労)、運輸省と大蔵省の官僚、すべてを、能なしの先送り主義の自分の保身だけに汲々とするバカたち、という視点でひたすら三者のひどさを書き殴っている。
相当な割合で「○○に違いない」レベルの「決めつけ」論調で、憶測も相当に入っていそうだ。「○○は○○のせいだといわれる」というような文章も非常に多い。そして歴代の国鉄総裁をこき下ろす筆致は、いまでいう「上から目線」のいい例である。 その上、書かれている内容の、「本書ならではの暴露」的は部分の多くは『国鉄を売った官僚たち』(大野光基著/善本社)のトレースである。大野は発足直後の国鉄に入るが、国鉄の官僚主義、当事者能力のなさなどを喝破し、生産性運動を導入した人物である。「生産性運動」を成功させたのに、さまざまな理由でやがてハシゴをはずされている。屋山の磯崎総裁・山田副総裁評をはじめ、大野への取材に基づいているか、大野の書の内容をどこか別ルートから単なる話として聞いて書いたか、あるいはその逆(屋山が取材していたことを大野が自書でトレースしたか)だろう。私は屋山の他の文章を読んだことがないのでどちらかソースかはわからない。 屋山は第二次臨時行政調査会(土光臨調)で国鉄改革を進めた人物であり、国鉄の分割・民営化の立役者だ。それだけに、現実に三者のひどさに辟易し、ほうぼうで実見していたのだろうが、本書を読む際にはその「盛り方」を割り引く必要はあろう。なお、屋山は小泉内閣の頃までは政治的には本書の論調のような立ち位置だったが、いまは橋下徹大阪市長誕生を大絶賛したり、民主党シンパ的な発言をするようになった。その転向っぷりは、本書で批判した国鉄総裁と変わらないんじゃないかと私は感じている。 本書で見るべきは、「鉄道ファンの旅客局長」として知られ、JR東海の社長も務めた須田寛の名前が出てくることだろう。国鉄再建監理委員会が要求した各線の輸送量のデータを、須田(当時常務理事)が「断固反対」したのだと書かれている。須田がJR東海の社長になったのは、本人にとっても驚きであったようなことはどこかで読んだ気がするのだが…。須田が社長になった不自然さについては『須田寛の鉄道ばなし』(須田寛著)の奇妙さで書いた。 国鉄改革に関するさまざまな立場の本は、読み直すたびに発見がある。実は、職員局長や労働課長、職員課長などの年表と、彼らの相関図を作っているのだが、こうした本だけを頼りにそれを作るのは非常に難しい。どこかにまとまって「国鉄の課長史」「国鉄の局長史」のようなものはないだろうか? 本書についても企画屋 |
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