ソ80形81である。古くからTOMYTECからNゲージの鉄道模型が発売されている。 赤い丸の部分はそれぞれの可動部分が不意に動かないようにロックするためのピンが刺さっている。 右側のピンを抜くとアウトリガを下げることができるようになる。ハンドル(棒)を回転させると、ジャッキの要領でアウトリガが地面のほうに伸びていく。また、アウトリガ自体は線路の外側に開く構造。写真には写っていないが、確か、勝手に外側に開かないようにロック機構があった気がする。 左側のピンを抜くと、レールをつかむクランプを動かすことができる。写真ではペンチのようなクランプ先端が上を向いているが、これを180度回転させて地面に向け、上部に飛び出したハンドルを回転してクランプをレール面に落とす。そこから引き上げると、自然にクランプがレールをつかみ、転動防止となる。これは前後左右の四ヶ所にある。 ほか、ブレーキパイプの取り回しと連結器部分のブレーキホースへの接続、軸バネ(板バネ)とその固定、それらの破損防止ガードなど、ひとつひとつの部品が必ず役割を持って存在している。過剰と思えるほど他の部品を守っていたりするのだが、これは、こうした労働環境では必須のものなのだろう。 * * *
事業用車は趣味的にかなり厳しい部分だが、とりわけ貨車、なかでも操重車の暗黒っぷりは一番かもしれない。趣味誌に諸元などが載ったことはほとんどなく、ディーゼルエンジンがどういう形で載っているのか、その制御板はどうなっているのか、走り装置はどうなっているのか、そういったことは一切わからない。ましてや蒸気機関を積んでいた時代のことなど知る由もない。RMライブラリーで、操重車を特集してもらえないだろうか。 PR まった同じ「窓/ドア」の配置が左右に並ぶ。左の上下隅にはRがあり、右にはないのがおもしろい。ドアが規格品だからだろうか。 東明から西へ、道道美135号美唄富良野線が延びている。といっても富良野に抜けているわけではなく、美唄ダムを遡ったところで道路は途切れている。一般交通はその手前で遮断されているかもしれない。 道道に沿って、美唄鉄道の廃線跡がサイクリングロードとなって伸びている。美唄川の右岸にある。盤の沢という集落で支流をふたつ渡り、やがて美唄川を渡り、すぐに渡り返す。最初に美唄川を渡るのがこの橋である。橋梁名は不明。 この場所にかかる鉄道橋。 プレートガーダーなのだけれど、下部が補強されている。そして、本来は1スパンであるべきところ、補強の下に橋脚をあてがっている。ということは、この桁はどこかからの転用であろう。 床版は自転車道路にふさわしく舗装されたものに張り替えられている。
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そのまま進むと、我路の集落。あまりの雰囲気に、写真は1枚も撮れなかった。廃屋が並ぶ中、焼き鳥屋があった。まさかと思ったが、中で人が動いていた。住民の気配がしないこの我路で商売が成り立つのだろうか、などと思っていたが、名物店らしく、わざわざ買いに来る人がいるようだ。美唄のモツ焼き鳥についても、今回初めて知った。 その我路の小学校跡地に我路ファミリー公園がある。無人だった。そこに、奇妙な橋があった。
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隣接する三菱美唄記念館は、本来ならば営業中のはずだし、クルマの跡もあったのだが、開いていなかった。残念。 さて、本機で興味を引かれたのはブレーキロッド(制動引棒)である。 ひとつ疑問なのだが、ブレーキシューの上に伸びてきてる細い管は、冬期にシュー凍結防止用のために蒸気を噴き出す管だろうか? 砂撒き管(E)は、前進用としては第2動輪の前に、後進用としては第3動輪の後ろにある。
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鉄道模型では、4110形または美唄4号機(この項で紹介したものではない)がトレインハウスからブラスが、マイクロエースからプラ製品が数回でている。どちらもリアルタイムで見ていた。マイクロエースの蒸機はプロポーションが破綻したものが多いのに、これらはスマートだった。買おうか迷ったけれど、買っていない。 いま改めてNゲージの蒸気機関車の加工をされている方のサイトで模型を見ると、実物では目につく場所だと思うのだけれど、マイクロエースは論外、トレインショップもちょっとディテールに埋もれている。残念。 ・N蒸機の世界 ・Nゲージ蒸気機関車
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このあと、我路に向かった。我路は、とても印象深いところだった。我路については後日。 |
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