寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)の続き。
寄居駅のJR八高線ホームには、とても好もしい木造待合室がある。これは、秩父鉄道のホームからの撮影。 北口の構外から撮るとこう。瓦屋根の建築で、ほぼ真ん中あたりに臭突(換気扇、通称「王子様」)がある。 先に紹介した跨線橋から降りると、真正面が待合室の妻面である。それを生かす形で、H型鋼を支柱とするホーム上屋が掛けられている。 中(東側)は、思ったより狭い。興味深いのはその骨組みだ。通常の屋根の組み方とは違う。 おなじみ「建物財産標」。ここには「詰所5号 昭和7年 月 日」というタイル状のものがあるのだが、その下にも木製の同じものがある。両側が欠けているが、「(建)物財産標」となっているので、これが更新されたのだろう。
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秩父鉄道のホームの待合室には、なんと立ち食い蕎麦屋がある。 外観は、プレハブ詰所のようだった。その手前のホーム上屋の支持柱は、カーネギー製、1897年。どこを流転してここに来たのだろう?
ホーム上屋。古レールがふんだんに使われている。
長野電鉄屋代駅の駅名表示板と同じように、白い部分がほぼすべて脱落し、透明な看板になってしまっている。 こんな洗面台があった。JRなら、とっくに新しいものに更新するだろう。でも、これがいい。 PR
JR八高線、東武東上線、秩父鉄道の結節点たる寄居駅。管理は秩父鉄道で、3面あるホームのうち、秩父鉄道が発着する中央(3・4番線)のホームに最適なように駅舎がある。
この橋上駅舎から伸びる跨線橋がおもしろい。ネットの地図の衛星写真で見ると、駅の南北をつなぐ自由通路と、それとは別に駅舎部分から南(東上線)北(八高線)のホームに古い跨線橋が延びている。今回は、北側、八高線のホームに延びる跨線橋を見る。 真横から見る。左端、「寄居駅(北口)」とあるのは橋上駅舎の出入口、自由通路。そこではなく、奥の跨線橋の階段を見てほしい。 どう見ても、古い跨線橋の一部を使い、その「上」と「下」に階段を継ぎ足して橋上駅舎の高さに持ち上げている。古い部分の支柱は古レール、新しい部分は当然、鉄骨だ。 「上」の階段を中から見る。 橋上駅舎と同じ高さの新設部分から。中央に見える踊り場が、旧跨線橋の一部。 新設部分と古い部分の接合部。 古い部分の支柱は古レール。見れば、部材を剥がした跡がある。 「下」の階段(新設部分)を外から。 中央部分を支える古レール。シェフィールド、1884年。奥はウニオン、1887年。125年以上前にアメリカやドイツで造られたレールが、何度か転用されるうちに、最後のお勤めとしてこうして支柱になったのだろう。いまもこうして使われているのが嬉しい。 <関連項目> 小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋 小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪) 小川町駅の跨線橋(東上線-八高線)
松尾歴史民俗資料館というところに行ってきた。名称は「歴史民俗」であるが、事実上、松尾鉱山の資料館である。資料館前には松尾鉱山鉄道の電気機関車、ED251まで展示してある。しかし、公式サイトはなく、八幡平市観光案内データベースにも「先人が古くから使ってきた馬ソリや長持などの生活用具、周辺の縄文遺跡から出土した土器、かつて東洋一の硫黄鉱山として栄え「雲上の楽園」と呼ばれた松尾鉱山の関係資料を展示しています。」というような紹介しかなされていない。なんというか、とてもひどいと思う。
大変な資料、それも原本を自由に閲覧できるのだが、なかからふたつ。 松尾工業の社章。 それと対峙する、労働組合旗。「FML 全鉱 松尾鉱業本社労働組合」。 全鉱とは「全日本金属鉱山労働組合連合会」のこと。全鉱連ともいうようで、どちらの言い方がメジャーなのかはわからない。検索してもほとんどヒットしない。しかし、一時は総評議長をも輩出した労組の連合である。 この資料館はすごい。生の資料を直に閲覧できるだけでなく、末鉱山の経営史、労働者史が併存している。もちろん、わたしなどには労働者史がどれだけの重さ(軽さ)で扱われているのかすらわからないのだが、こうして露組合旗が飾ってあるということで、ある程度は目安となるだろう。 なお、屋外のED251についての資料も多々ある。ぜひ。
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)の続き。 この写真の、左側に少しだけ見えている跨線橋。右の白い3主桁の跨線橋とは明らかに様子が異なる。 東上線3・4番線から八高線5・6番線を見る。階段部分、踊り場より下は改良されたことが見て取れる。 5・6番線から見る。 反対側。 トラスはなかなか複雑に組まれていて、上弦と脚が古レールで下弦と斜材はアングル材。しかし… 桁の下部には3本の古レールが縦桁として使われている。下弦同士を結ぶ横桁も古レールだ。床版は木製。 跨線橋内部。狭い。屋根の△もアングル材で組まれている。 さて、脚。 なんとか細い! これで大丈夫なのかと心配になってしまう。脚の間を対角線状につなぐ部材は、上は古レール、下はナシ。古レールは小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)で触れたのと同じように突き合わせて溶接されている。下部がないのは、3・4番線のものは後年の補強が入っていることを考えると、利用者の数の差だろう。 振り向いて階段を向く。踊り場の下に新しい橋脚。 階段部分の下部、横桁に古レール。その古レールは、階段部分の縦桁(というのか?)に突き合わせて溶接されている。 脚、他の部分もこんな溶接。ほんとうに大丈夫なのか、と思ってしまう。
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小川町駅は会社の上司が利用しているのだが、3主桁の跨線橋についても中央の手すりのようなものが古レールであることすら知らなかったそうだ。まあ、普通の人はそうだよな…。
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋の続き。再訪した。
どうですか、この3・4番線の跨線橋の脚。 ここ東上線小川町駅の跨線橋は、1・2番線から3・4番線に渡るものが古レールで組まれたプラットトラスで、なんと3主桁なのである。3・4番線から5・6番線への跨線橋はまた別の機会に紹介する。 さて、その3主桁。今回はたくさん写真を撮ってきた。 1・2番線から裏側を見る。トラスの下弦にあたる古レールは横倒しに使われている。即ち底面と頭頂部がレール方向、側面が天地方向になっている。見た目だけで書くと、割と適当にガセット当ててリベット留めしてあるように見える…。床版はコンクリート。 3主桁になった理由は現時点ではまったく不明だが、おそらく右側(東=池袋方)の幅で造られた跨線橋に、左側(西=寄居方)を添接したのだと推測する。よく見ると、横桁(画像で横方向=線路方向の部材)と下弦(写真で手前→奥行き方向=枕木方向の部材)の付け方が、明らかに右と左と出異なっているからだ。 下記に掲載するが、当初の姿をそのように推測すると、「1・2番線ホームから5・6番線ホームまでの跨線橋が一直線になる。脚も、中央右のもののほうがより古く見える。また、中央の下弦のレールと右の下弦のレールが底面同士で向き合っている。なお、右の箱状の脚はエレベーターである。 角度を変えて。ホームの屋根を切り欠いている。3・4番線のホーム上屋(向こう側)は古レール支柱だが、こちら1・2番線のものは鉄骨を使った新しいもの。 中。1・2番線側から3・4番線側を見る。画像右側の通路が「最初に造られた跨線橋」、左側は添接されたものと推測する。屋根を後から掛けたものとすると、頭上の横桁は、右側の通路の上で基本的に完結していて、トラス桁との接合部も対照的になっている。左側の頭上の横桁は、いかにも継ぎましたという感じで、事実、中央のトラス桁の上ですべて継ぎ目板を当てて接合されている。当初から3主桁で造られたのであれば、頭上の横桁は1本のレールにしたほうが手間が少なく強度としてもあるはずだ。 添接されたと推測する側。中央のトラス桁の上弦と頭上の横桁との関係が、おかしい。 3・4番線に降りる階段。こちらは鉄骨で組まれている。 3・4番線の脚。東から西を見る。なんというバラバラ加減。 西から東を見る。 奥の脚、対角線を結ぶ部材は… なんだか不安定だなあ…。 いや、曲がらなければ理にかなってはいるとおもう。 横から見るとこんな。奥が4・5・6番線。脚は3本のレールから成っているが、1本、太さが異なるレールが使われている。 説明しづらいが、線路方向の面の上部の「□の中に×」と下部のソレ、部材が異なる。上は前日したとおり、一つの対角線を1本のレールが、もう一つの対角線は中央で切断された2本のレールが使われている。一方、下部の「□の中に×」の部材は、I型鋼やL字アングルである。下部のほうはあとから補強したのだろう。 ながくなるので続く。 |
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