上の写真は北側(左岸)、ここでブヨに7箇所食われて、いまだに足に傷跡がある…。 こちらには銘板はない。また、柵は人道橋化してから作ったもののようだ。
昭和30年(1955)
宮城縣建造 内示 昭和14年二等橋 製作 ●●所 製造所は、現地で読んだ記憶では浅野造船なのだが、この写真では読めない…。ご教示ください…。
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冒頭の写真に戻る。 肉眼では、橋脚跡付近に路面が見えたが、ちょっと全体の色味を調整してみると… 最後に。 この座主橋、銀色に塗装したら映えると思うよ! PR どの店舗も、いかにも1980年代後半からのテイストである。写っている女性は前髪を立て、眉は太く、唇は赤く、肩パットの入った上着にハイウエストのタイトスカートをはいていたりする。いまではバブル期の「バカ」みたいなニュアンスで語られることが多い。 この時代の店舗の装飾やファッションは、「いま」見るととても古くさくて垢抜けない。そりゃそうだ、風俗は変化するものだし、新しい風俗は、常に古い風俗を「古い」とバカにすることで成り立つ。でも、ここに、ちょっとちくちくするものを感じるのは私だけではないはずだ。 なにしろ、自分が十代後半の時代である。多感なその時代の自分をいまの視線で眺められているような、自分の厨二時代を暴かれているような、そんなちくちく。 でも、待てよ、と。これはこういう時代だったんだ。定規と鉛筆が大切だった時代。いまみたいに、小学生がタダでもらってきたPCですらベジェ曲線でお絵かきと色塗りができてしまうような世界など、夢のまた夢の時代。だからこそ、このロゴには価値があるし、その裏には「なんとかいいものにしよう」「愛されるロゴにしよう」という、作り手の気持ちが見えてくる。見えてくるのは「一所懸命な気持ち」だ。 この時代は、「軽いもの」「表面的なもの」がもてはやされた一方で、こうした地道なものも確かにあった。軽めなものをもてはやす人は、地道なものをばかにした。こんなことは語り尽くされているし、当時でさえ、地道な人の気持ちを描いたストーリーというものはいくつも存在した。 こうした、車両を改造した店舗の写真もたくさん載っている。 いや、こんなことは私の考えすぎで、もしかしたら当時は「ノリ」でこれらのことすべてをやってしまっていたという可能性もあるのだが、まあそれはそれで。 いわゆるバブル期に、バブルに踊ることなく「国鉄からJRへ」という周囲の期待感と内部の後押し感の中で、さまざまなことにチャレンジした人たち。本書には、その姿と成果が、たくさん記録されている。そのほとんどがほどなく失敗に帰したとしても、これはその記録である。
* * *
以上のような思いとは別に、本書には私が貴重だと思う写真がふたつある。興味深いのは、さらに「安価に効率よく高エネルギーを得られる」とあることだ。これはどうだろう? コージェネで使うエンジンは、鉄道車両用エンジンのように回転数を制御することが前提のもではなく、最大出力を発揮する回転数で定速を維持し、また熱交換機も相当に高いスペックを要求されるものだ。そう考えると「安価に効率よく」というのが書き手の知識不足ではないかと思う。そもそもDML61シリーズの効率はけっしてよくはない。
ある「ソリューション事業」を見学した。例えて言えば、インターフェースでソリューション、みたいな事業。すべて予想できる内容で、まあこういう機能を持たせたがるだろうな、というものだった。もともと、「ソリューション」という単語に虫酸が走るのは昔からで、電子書籍関係を推進する事業者にも似たような感情を持っている。
先日、Googleはどこへ行くのか、というような記事があった。ちょっと記事が見つからないので曖昧な記憶を便りに書くと、Googleが目指す未来は、例えば男が女の部屋に遊びに行ったときにまずするのはスマホをいじること、ふたりでVR眼鏡をかけて映像を見ること、みたいなことだった。そこに人間はいるのか? みたいな内容の記事。インターフェースでソリューション、みたいな事業は、これと同じ臭いがプンプンする。 = 例えば。 ある通販雑誌にスマホをかざすと、誌面にはバーコードもなにもないのに、通販雑誌のサイトがスマホに表示され、そこにモデルが踊る動画が表示される。……いや、検索画面で通販サイトを表示すればいいじゃん。 クルマのカタログにバーコードを置くと、それをPCのカメラが読み取ってPCの画面にクルマの立体画像を表示する。別のバーコードを読ませると、クルマが回転したりスケルトンになったりする。運転席からの眺めをCGで流せる。……いや、フラッシュで作れるじゃん。運転席からの眺めはCGじゃなくて実写でいいじゃん。 = 一体、誰がそんな「一手間」かけてソレを見るのだ? そして、誰がそんな「一手間」を作るのだ? コンテンツを持たないところは、こうした事項の「編集」もできないのか? できないのだろうな。「ソリューション」とは解決策を提示する手法であり、コンテンツそのものを提供するシステムではない。 なお、お金になるかどうかはいまは問わないでおく。要するに顧客サービスだから。 時々SONYとappleを比較する発言を見るけれど、SONYはこれ。appleは違った。そういうことだと、私は思う。SONYで言えば、walkmanの時代は逆だった。walkmanは「ユーザーしか見てない造り」だった。しかし、いまの音楽ダウンロードサービスは……。 これは、いまの電子書籍を取り巻く環境と軌を一にしている。「書店」が乱立するけれど、それは読者不在でもあるので売れ行きも見込めず、結局普及していない。iPadが出て何年になる? ナントカソリューションとか言う前に、電書のソリューションをまずやりなさい。「箱は造った、中身はこれから考える」じゃダメなんだよ。先に中身があって「これをどうやって入れようか」を考えるのが、商売だろうよ。きっと、箱を先に造ることは比較的簡単にできて、中身を造ることは容易でない。だって、いまある箱なんて、みんな似たり寄ったりだし、A社の箱の要素をB社に「造って」と頼めば造ってくれるような違いしかないもの。 今回の見学では、私が思っていたことを裏付けることができてホッとした。私の電子書籍の捉え方は間違っていないのだな、と。
寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)の続き。
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秩父鉄道のホームの待合室には、なんと立ち食い蕎麦屋がある。 この橋上駅舎から伸びる跨線橋がおもしろい。ネットの地図の衛星写真で見ると、駅の南北をつなぐ自由通路と、それとは別に駅舎部分から南(東上線)北(八高線)のホームに古い跨線橋が延びている。今回は、北側、八高線のホームに延びる跨線橋を見る。 どう見ても、古い跨線橋の一部を使い、その「上」と「下」に階段を継ぎ足して橋上駅舎の高さに持ち上げている。古い部分の支柱は古レール、新しい部分は当然、鉄骨だ。 「上」の階段を中から見る。 新設部分と古い部分の接合部。 <関連項目> 小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋 小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪) 小川町駅の跨線橋(東上線-八高線) |
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