忍者ブログ
[329] [330] [331] [332] [333] [334] [335] [336] [337] [338] [339]
20120701_001.JPG2012年6月30日、日立電鉄の廃車体を見るついでに、鹿島鉄道の廃線跡も見ておこう…くらいの気持ちでいくつかの踏切跡などを写真に撮っていた。ここは坂戸駅の西に二つ目の踏切である。すると、なにやら重機の音がする。





20120701_000.JPG




これは!


坂戸駅の東側には取り外されたレールが山になっているのを見ていたので、これはなにかの作業をするに違いないと思い、先回りして西側一つ目の踏切で待った。














果たして。

20120701_002.JPGきた!


歩くより遅いスピードで、茂みの影から現れた。そして、道路の手前で一時停止し、頃合いを見て横切っていく。見れば、レールを引きずっている!

重機がひとりで動いている姿というのはとても怖いというか不気味というか(失礼!)。かつて、西表島の縦走コースを一人で歩いていたとき、道幅いっぱいに走る重機に追いついてしまい、やむなく走って追い越し、その後しばらく追いかけられた…いや、歩くより少し遅いくらいのスピードなのでしょうがないのだが、あれは恐ろしかった。


閑話休題。
この部分はスマホで動画を撮った。

こういう感じでズリズリと引きずっている。そして、またしても先回りして出迎える。

20120701_003.JPG20120701_004.JPGこのように、レールをまたぎつつ、引きずってきたレールをそこに安置した。

20120701_005.JPG

ひと作業終えたところで、作業していた方が降りてきたので挨拶した。次いで、「相方さん」が軽トラでやってきて、いろいろと教えてくれた。その間に、重機の方は戻っていった。

-この撤去作業は4月23日から始めた。
-事前に一人がレールの継ぎ目プレートの片方だけをはずしておく。
-もう一人が、重機でレールを枕木からはがす。それは、軌匡の下にレールを突っ込み、それを重機で持ち上げるようにして、かつ重機で枕木を踏んずけたままバックすると、レールが外れる。
-レールは8本まとめて移動する。つぎめプレートに特製のチェーンを巻き、それを重機で引っ張る。
-このやり方は自分たちで考えた。特許だ。(注:それは冗談で、動画の公開もokをいただきました)
-レールをはがすだけなら、1日1kmくらいできる。
-踏切部分は作業しない。
-撤去作業はほぼすべてその方たち(地元の方、2人? 3人?)が請け負った…

どうやら今日はここまでで終了のようなので、いったんクルマに戻って休んでいたら、また重機が来た! そして、レール撤去の準備をしている!

その前に、坂戸から鉾田方面を見たレールの現状、というか最後の姿。
20120701_006.JPGうねっているのは震災や大雨の影響か。まだこの区間には重機が入ったことはないようだ。

























20120701_007.JPGまず、枕木を1本抜く。

20120701_008.JPGそこに、短いレールを差し込み、引き上げながらバックする。

20120701_009.JPGレールはぐねぐねと躍る。

20120701_010.JPGレールを外したら、ひとまずまとめる。

これを繰り返す。

動画で。

2回目、さらに奥の2本の作業。
20120701_011.JPG…を終えて、

20120701_013.JPGレールを、「はがし用レール」とともに持ち帰ってくる図。

20120701_012.JPGレールをはがした枕木はこのようになる。

20120701_014.JPGレールはこうして引っ張ってくる。継ぎ目板の使い方がうまい。

20120701_015.JPGチェーンと板をつないだこれは自作。

このあと、犬釘は拾えるものは拾い、枕木に刺さっているものは引っこ抜いてすべて回収する。レールも含めて、すべてくず鉄として再利用される。いまはトンあたり(40kgレールなので、イコール1本あたり)2万数千円程度とのこと。北京オリンピックの頃はその倍以上だったらしい。くず鉄の相場は高下が激しい。

枕木は全部で3万7000本ほどあるらしく、木枕木は産廃として処分する。燃料として使う施設があるとのこと。割れ留め(枕木の両端にある輪っか)ははずす。鹿島鉄道の枕木は栗で、防腐剤を施していない。一部にPC枕木があり、その区間は線路がボルトで固定されているため、手作業でレールをはずすとのこと。ここに紹介した便利な方法は使えないらしい。

別の業者が少しだけ作業したところは、犬釘は手作業ではずしたそう。保線経験者が関係すると、レールを切断することすら嫌がるので、作業はとても丁寧になってしまうそうだ。

また、石岡駅では、軌匡を10mごとに切断した上で軌匡ごと重機で持ち上げ、揺さぶって枕木を落としたとのこと。いろいろなやり方があるものだ。繰り返すが、ここで紹介した方法は、作業しているお二人が考案したものである。



鹿島鉄道の廃止から5年。放置が長かったので、継ぎ目板のボルトを外すのも骨が折れたとか。

その5年間に、配線類、レールボンドのような純度の高い銅は盗難に遭い、踏切関係の部品や駅の部品、はては信号機まで盗難があったそうだ。銅はそのスジだろうが、ほかは鉄道マニアだったりするのだろうか。するのだろうな。作業を見ていた私は「レール持って帰るか?」などと冗談で言われたが、それはもちろん冗談で、記念に、比較的形がきれいな犬釘を持たせてくれた。


あと数日で、レールはほぼすべてなくなる。明日(もう今日)の朝イチで現地に行けば、撤去作業は見られるはずだ。作業している方お二人とその仲間は、しきりに「80年も走っていたんだもんなあ」と言っていた。作業していると、沿線のいろいろな人に声をかけられ、50年前のエピソードなどを聞かされるとか。沿線の人々には、かしてつの歴史が染みこんでいる。作業していたおふたるも「鹿島鉄道」とは言わず「カンテツ」(関東鉄道)と言っていた。

貴重な瞬間に立ち会えて、幸運だった。
偶然出くわした私に作業を見学させていただいたMさんKさん、ありがとうございました。




 
PR
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1 の続き。

20120630_001.JPG東新潟港駅から南へ行くと、国道113号があり、そこに踏切跡がある。そこから逃がし新潟公益側を見ると、こんな木が育っていた。



20120630_004.JPG冒頭の写真右側の敷地内は、近所の家の物置になっていた。…と、おばちゃんが線路を横切っていった。

20120630_000.JPG冒頭の写真の左側は、このようにレールが途絶していた。なんとも中途半端な撤去状況。

20120630_006.JPGたぶん出発信号機。

国道を挟んで反対側を見る。
20120630_099.jpg右に詰所。国道を渡った2組の線路は、ここでひとつに重なる。…と、左のポイント、トングレールがない。撤去されたか盗難か。

20120630_010.JPG詰所手前には勾配標。

20120630_008.JPG詰所の中。平成10年(1998年)12月8日改訂の時刻表、1999年1月のカレンダー。右奥には昭和50年代半ばっぽい木目調のクーラーが見えている。時が止まった。

20120630_012.JPG詰所の横あたりから北を見て、国道113号。

20120630_003.JPGポイント付近のケーブル。このように溝をきちんと作り、そこに収めたいる。全国の線路脇には、恐ろしい数の、こうした細かい函がある。

20120630_007.JPGあわれ、警報機。身をすべて取られ、頭と背骨だけになった魚のようだ。


(続く)
東新潟港駅付近の廃線跡(夜)の続き。改めて、午前中に行った。

20120629_002.JPG重油を運ぶ水管橋 東北電力新潟火力発電所で書いたワーレントラスのすぐ近くに、東新潟港駅の廃線跡がある。この距離だ。

20120629_003.JPGここは、実家からたぶん2kmもない。しかし「みなとトンネル」が開通するまでは、ここに来るには大廻りしなくては来れなかったし、そもそも新潟にいた頃にはここらへんには興味がなかった。いま思えば、自転車で駆け回っていた小中学校の頃に、ここに来ようという発想がなかったのは、実にもったいない。

20120629_005.JPG何度か書いたが、その頃には越後交通の廃線跡や信越本線の青海川付近の廃線跡から、そうしたものに関心は持っていた。ただし、それを「よく考える」ことをしなかった。考えれば、手持ちの地図を見れば、ここに貨物駅があるのはわかったはずなのに。

20120629_006.JPGなんともったいない。かつて、ここにワムが蝟集していた時代を、みすみす見過ごすなんて。

20120629_001.JPG現地には原付で行ったが、みなとトンネルは原付通行禁止なので、結局大廻りをした。

20120629_000.JPG東新潟港駅跡に残る「安全の塔」。近くに寮のようなアパートもあるが、関係あるのかないのか…。

20120629_004.JPGまだ当分、このまま放置されていることだろう。なかなか港らしい、荒涼とした風景だと思っている。


 
20120628_001.JPG新潟県自然科学館の屋外展示、29622。長らく新潟県の坂町機関区で米坂線の仕業に従事していたが、のち岩見沢機関区に転属、昭和51年1月17日廃車。

給水温め器ナシ。化粧煙突だがクルクルパー付き。エアタンクは左が前、右が中央。切り詰めデフ。もっとも、米坂線時代のデフは通常の形なので、岩見沢に転属後に切り詰められたものだろう。デッキの手すりもそのときか。(※…などと考えていたのだが、驚愕の事実が。文末参照)

20120628_000.JPG白い差し色が余計な化粧だ。主連棒の赤もいらない。

20120628_002.JPGテンダの後ろ姿ってかっこいいよね。



ライターの草町義和さんより指摘があり、こちらのサイトを紹介されました。なんということでしょう。ぜひご覧ください。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~makoto_w/SL/29622/29622_1.htm
 
20120627_000.JPG小学生の頃、よく遊んだ柏崎市の海岸沿いには、デンカセメントのテトラポッド製造現場があった。そこには整然と並んだ各種の消波ブロックが並び、そこでよじ登ったり抱きついたりして遊んでいた。もちろんテトラポッドもあり、真新しい、ツヤツヤしたテトラポッドを撫でては手が白くなった。そこらには型枠が転がっており、型枠の継ぎ目と思しき場所にはコンクリートのバリがあった。羽根つき餃子の羽根のように。そして、子どもながらに、テトラポッドは同じ形の4枚の型枠を組み合わせていることを理解し、深い感慨を抱いたものだった。

20120627_001.JPG

20120627_001.JPG新潟市内でたまたま製造現場を見た。建築現場のようにシートで覆われた中は、おそらく型枠が組み合わされたテトラポッドだろう。おそらく上面が空いており、そこにバケツ状の容器からコンクリートを投入するのだろう。

20120627_003.JPG上面とおそらく同じ、脚の頂部。いや、脚も頭もないのだけれど。



20120627_100.jpg別の場所では、こんな形で整列していた。…よく見ると、形がおかしい?

20120627_101.jpgいちおう、4本脚。横から見ると犬のようだ。どこ製で名称はなんというのかはわからない。ご教示乞う。

【追記】
@fusamofuさんからの情報で、これは三省水工「シーロック」標準型であることがわかった。採寸していないので、南号かはわからない。




 


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 6 7 8 9
10 12 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア