左右の脚をつなぐ斜材を裏から見るとこのように。 UNION 07 工 とある。「工」は官設鉄道が発注した印。ほかには CARNEGIE 1907 0 1 |||||||||||(0 1 は正確か不明) くらいか。上記の写真(A)はASCEの陽刻が見えている。 PR サービスルームの正面は大きな1枚ガラスの窓が連続し、まるでクルマのディーラーのようだ。 このENEOSも、以前はJOMOだった店舗だ。それが、ENEOS化で塗装を一変され、美しくなった。 では、JOMO時代を。 ![]() これもまた「近隣の方々、落ち着いた色になってよかったですね」と申し上げたい事例だ。 【関連リンク】 ENEOSへの華麗な変身 画像左が現道で、曲線鈑桁でなめらかに川を横切っているが、かつては画像右の旧橋のように、右岸の道路から直角に曲がる形で榛原川橋(旧橋)を渡り、こちら側に来ていた。 コンクリート製の橋脚に、コンクリート製の桁。まるで鉄建公団規格の鉄道用桁のようだった。 大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡) 越後交通与板駅跡の日通倉庫 の記事でも書いたが、4月末に付近を原付で訪問した際の写真を一部、アップする。もっと多くの写真をFlickrにアップしているので、ぜひそちらもご覧いただきたい。すべて、意図的にコントラストを高め、色調を触っている。 レポートなど、既にすばらしいものが山とあるので、私などが出る幕はない。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|