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20120525_004.JPG与板の街中には、いまだ越後交通の廃線跡が堂々と残っている。ホーム跡も容易にわかる。関係建築物を解体したものと思しき残骸もある。更地化したところは、運送会社の駐車場になっている。

もっとも、駅(跡)は街の中心ではなく、住宅地が尽きてそろそろ他の用途、たとえば田畑や山になろうかというあたりにあるので、残っているのもむべなるかなと思う。西に向かう廃線跡は遊歩道になっている。

さて、上の写真の写っているのは、日通の倉庫である。

20120525_000.JPG倉庫内は無人のようだったので(撮影は祝日の土曜日)、前に停まっているクルマは近所の人のものだろうか。

この建物は、「鉄道の駅舎だ」と言っても信じてもらえそうな形をしている。

20120525_002.JPG角度を変えて。妻面に掲げられている「日本通運」。中央の円形はもう読めないが、「通」のロゴマークと推察できる。

サッシはすべてアルミ(?)化しているが、その外枠は木製のまま。そして、波板(トタン?)や細い凹型が入った板を巻いたこういう外装は、新潟ではよく見るのだけれど、他の地域ではどうなのだろう?

20120525_003.JPG反対側の妻面。道路に面しているためか、3枚の戸。この、おそらく木製フレームに金属板を打ち付けた戸も、新潟ではよく見る。冒頭の写真を見ると、その戸袋がおかしな形で飛び出している。そこに、興亜火災の行灯がある。

いま気づいたのだが、ここに見える鬼瓦の下の瓦は三つ巴だ(反対側は無地)。五十公野の農業倉庫も三つ巴だった。

20120525_001.JPG一周して正面。正面玄関…と思しきところは実は玄関ではなく、その左隣りが玄関なのだが、その「思しきところ」にはこんな標識があった。上から

「電話一一七番」(縦長。時報じゃないのか?)
「電話 44」(楕円/電電公社マーク)
「電話117」)楕円/電電公社マーク)
電話番号2桁ということは、相当に古い建物で、かつ公共性が高い建物だったということだろう。


この日通倉庫は現役で使われている。撮影した日はたまたま休業だったらしいので、近寄ったり撮影したりできたら、もし関係者が仕事中の場合はご配慮を。
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1984年(昭和59年)夏、自転車で新潟から柏崎まで走った際、発見して驚いたのが越後交通の廃線跡。そんなものがあるとはまったく知らず、偶然出くわしたその驚きは、いまも記憶している。PCはおろか携帯電話で検索すればすぐに情報が得られる今日、そんな出会いはなかなかなくなった。その越後鉄道長岡線の廃線跡を、この4月の連休にきちんと訪ねた。部分部分はかつて訪ねたこともあるが、多くの区間をたどろうとしたのは初めてだ。

槙原駅跡。
20120524_001.JPG「駅だったもの」がひとまとめにされ、虚しく朽ちるのを待っていた。しばらく前までは、ここにホームやレールもあったらしいが、整地されて間もないような雰囲気の砂利敷きになっており、ほぼすべてこの一塊に集約されていた。

ところで、背景の倉庫。いかにも鉄道駅の裏手にあった倉庫だ。

20120524_000.JPG右書きで「(大津)大津農業倉庫」とある。最初の「大津」を左に移したのだろうか。ここは現在「JA越後さんとう大津」との表示がある。合従連衡でいまのJA大津ができあがったが、1978年(昭和53年)まで、ここだけでJA大津を名乗っていた。以後、三度の改組を経て、いまは「JA越後さんとう」である。

こうして見ているのは、裏口。鉄道貨車に積み込むほうだ。なぜか、この農業倉庫の正面(写真で言うと「向こう側」)の写真を撮っていない。なんと迂闊な。

* * *
 
冒頭の写真のガレキの中には。
20120524_002.jpg油入地絡過負荷しゃ断器。
形式 H6-AE7-T
定格電圧 7200V
定格電流 100A
変圧器 6600V/110V
定格しゃ断容量 50MVA
極数 3P
周波数 50.60~
ZCT.NO B2394
はずし電圧 AC110V
引はずし電流 1.0/0.8A
○量 74L
総重量 175kg
製作 昭和44年5月
製番 B108926
○○(たぶん日立)製作所


二枚目の写真、左に見えるのは、吉岡材木店という製材所である。その左、緑の部分が、かつての鉄道の敷地。
20120524_003.jpgそこは、このように木材の乾燥のための場所になっていた。ところどころ、枕木が見えている。

ここから振り返ると…
20120524_004.jpgこんな形で路盤が残っている。


20120524_005.jpg製材所前の地面に突き立てられたレール。まるで、墓碑銘のようだ。



 
20120523_03.JPGかつて、駅の周辺には倉庫があった。正面の横には日通の倉庫、裏手には農協の倉庫。いま、駅が無人化され、貨物列車も走らなくなって久しくても、あるいは鉄道路線が廃止されても、倉庫だけ残っている場合がある。それが、とても愛おしい。

上の写真は、1984年3月末に廃止された国鉄赤谷線意義美濃駅跡の農業倉庫。手前の道路はかつての線路跡、五十公野駅跡だ。

20120523_05.JPGなんとすてきな文字。右書きで「農業倉庫五十公野支庫」。「農」の中に「民」があり、「野」の中に星がある。

20120523_04.JPG横(南側)から。倉庫そのものは前後対称なのだが、付帯する屋根およびその下の空間が異なる。

20120523_06.JPG正面側(道路側)。この車寄せのような庇の内側、梁は曲がった木材を加工したもの。

20120523_11.JPGその「向こう側」から。新たに設置された車寄せの屋根。

20120523_09.JPG正面玄関向かって左に掲げられた看板。

(新発田)支第43号
新潟食糧事務所
昭和五十九年三月一日設定
国内農産物(米)検査場所

云々。

向かって右にはこんなものが。
政府指定倉庫
(他の文字は読めない)

20120523_08.JPG正面玄関の鬼瓦。「が」にマル、はなんだろう?

* * *

五十公野駅、現役の姿。wikipediaにある写真と同じなのだけれど、私がアップしたものなのだ。

20120523_01.jpg20120523_02.jpg『赤谷線賛歌』など、他の本も探したが、現役時代の農業倉庫の写真はなかった。




 
かつて、柏崎に住む叔母が「新潟は道がおかしいからクルマで走りにくい」と言っていた。それを聞いたのは小学生の時で、4車線の一方通行である東堀通を走っているときだった。自分が免許を持ってる歳でなし、そんなものなのか、と聞き流していたが、いまでもその言葉を覚えているということは、そのときから「新潟の道路は異様なのだ」と思い始めたに違いない。

●東堀と西堀

もっとも知られていたのは、東堀通が西向き、西堀通が東向きの一方通行だったことだ。どちらの通りも、1964年の新潟国体にあわせて堀が埋められ、片側4車線の一方通行になった。それが、2008年に大転換し、対面通行になった。初めて、対面通行になった西堀通を走ったときは、相当に面食らった。

20120522_005.JPG西堀通。右に見えるクリーム色の建物はイタリア軒。4車線の一方通行だったが、それほどの交通量はなかった。

●信濃川左岸の1本入った道

20120522_010.JPGその道が万代橋の橋詰に突き当たるところ。この道も2車線の一方通行。なぜこうなっているのだろう?

左岸ギリギリの道は対面通行。

●東港線バイパス

これはかなり驚く。やはり4車線の一方通行なのだが、中央分離帯のように見えるものがあり、なおかつ陸橋なのである。

20120522_001.JPG信号待ち。

20120522_002.JPG右側の2車線に入る。

20120522_003.JPG陸橋の上。

20120522_004.JPG2車線が1車線に収斂するが、あわせて断絶している車線もある。(撮影時に立っている場所は安全地帯の中)

場所はここ。



カーナビでここを案内されたら、初めての人は絶対に戸惑うはずだ。

●バスセンター南口から流作場(りゅうさくば)交差点

20120522_007.JPG対面通行可と思いきや…

20120522_008.JPGバスも通る、2車線の一方通行。

ここがおもしろいのは、流作場交差点の自転車用横断歩道。

20120522_009.JPG大きな交差点を、まるでクルマのように横断することができる。専用の信号機もある。ここを渡るのが好きだった。

●インターチェンジ出口の車線交錯

場所はここ。

大きな地図で見る


80~90で流れているR49亀田バイパスを新潟方向(北)に向かい、姥ヶ山ICで降りると面食らう。まるで高速道路のようなバイパスを降りると、正面衝突しかねない位置を対向車が走ってくるのだ。

こうなる。
20120522_011.JPGふつう、このようにICから降りてきたら、そこは一方通行で、右(対向車線)は右折レーンだよね? ここで対向車と交錯するので、うっかりすると対向車線を塞ぐことになる。

●饒舌な道路

最後に、饒舌な標識。

20120522_000.JPGマリンピア日本海の近く。じっくりとご覧いただきたい。

とくに「閉鎖された給油所」ばかりを探したり眺めたりしているわけではないのだが、比較的目につく上に写真を自由に撮れるので、自然とそういうものが多くなる。たいていは、キャノピーのない「露天」給油所で、壁は一面白く塗られてブランドが消されている。そして、おもしろいことに、比較的整頓されていて、ゴミ捨て場みたいになっていることはあまりない。この昭和シェル石油の給油所もそのひとつ。新潟市街北部の旧街道沿いにある。

20120519_000.JPGまず目に飛び込んでくるのは、給油所ではなくゼブラパターンの安全地帯…というか防護壁。よく見たら給油所跡だった。

20120519_010.JPGきれいだ。別の用途に転用されていたのかのようだ。

20120519_002.JPGかなり広い。大型車でも余裕で入れる。三角形の敷地の2辺が道路なので、残る1辺にのみ防火壁がある。

20120519_012.JPG防火壁を見ると、昭和シェル石油の色。「Showa Shell」のロゴを白く塗りつぶしてあるので、ロゴが剥げると逆に抜き文字になって現れる。

20120519_004.JPG20120519_003.JPG.

20120519_007.JPGサービスルーム前に立つと、このように見える。ポンプアイランドひとつに計量機ふたつだけ?

20120519_008.JPG拡大。

20120519_005.JPG防火壁とサービスルームのコーナーにあった台。なにがあったのだろう。灯油用?

20120519_006.JPGサービスルーム前に残っていた重し。「昭和石油」とある。ロゴも健在。

20120519_011.JPGあまり見ることもない裏手。


写真は掲載市内が、サービスルームの室内には、まだ先週まで営業していたかのようにジャケットがかけてあり、部品が置いてある。しかし、そこにある日付は10年前のものだ。それだけ長い時間が経っているにも関わらず、敷地内ともどもきれいなことが、なんとなくうれしい。


 


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