場所は…たぶん赤谷湖の南のどこかだったと思う。出光が、のぞいていた。
民家の家庭菜園の1コーナーが、出光。アポロは左向きと右向きがある。防火壁の断面も白く塗ってあるので、元々このサイズなのだろう。「出光」という字は褪色していて、筆の運びがよくわかる。 出光の「光」に重なっているのは計量器だろうか。確認するには、少しためらわれた。他人の敷地であることがわかるからである。その左、計量器乗っていたとおぼしき場所は、すでにゴミ置き場と化していた。 このドラム缶の中身は何だろう? いや、普通の民家にドラム缶などはきっとない。やはり商売がてら持っていて、それがそのまま放置してあるのだろう。 それにしてもこの狭さ。一般向けではないと思うし、どういう商売だったのだろう? PR
第一湯檜曽川橋梁の余録。情報は@yugao823さんからいただいた。この場所は何度も行っていたけれど、その頃は橋には興味などなかった。
この、立派な鉄道橋の下にちょこんとある吊橋。この程度の水管、わざわざ別に橋など作らなくても、道路橋(湯檜曽橋)の桁下にでも這わせればいいじゃないか…。とはいえ、きっとなにか理由があるのだろう。 立派な、リベット組みの鋼製の主塔がある。そこにワイヤーが2本、並行に通され、そこから水管を吊っている。主塔のアンカー側には、水管の橋脚の役割をする小さな櫓があり、その櫓もなぜか背が高く、ワイヤーを通している。ワイヤーを通す意味は…わからない。 謎しかない吊橋の水管橋である。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の次の橋 上越線 第八利根川橋梁(群馬県)の続き。 利根川に沿って遡ってきた上越線は、湯桧曽駅の手前で上下線が別れ、上り線は利根川の支流、湯檜曽川に沿ってさらに遡る。ここと、土合の先で2回、湯檜曽川を渡る。 上越線開通時は単線だったので、いまは上り線となっているそのふたつの橋も、高崎方から第一、第二と名称がつけられている。第一湯檜曽川橋梁は3連のプレートガーダーで、ご覧の通りの石積の円柱橋脚がすてきな橋だ。 上の写真は、一度橋をくぐってから振り返って撮っているが、水上から国道291号を登っていったときに目にするのはこんな光景だ。 左下(手前)が水上駅・湯桧曽駅方、橋を渡って対岸が土合方。この角度では、湯檜曽のループ線の「上」も見えている。 手前に見えるかわいい吊橋は稿を改める。 ご覧のような、立派な石積円柱橋脚。対岸の基部を見るとわかりやすいのだが、基部はコンクリートで補強されていて、そこが赤く塗られている。 架線柱は橋脚に取り付けられている。まるでUFOキャッチャーのアームがプレートガーダーごしに橋脚をつかんでいるかのようだ。 桁を完全にくぐって、角度を変えて。 架線柱と橋脚の関係。 真横から。これは第2連。上流側に塗装標記と銘板。それを見ると、「第一」という橋梁名も、3連の数え方も、建設時の基準(高崎方から数える)を踏襲しているのに、「位置」は土合湯檜曽間137K895M61」とある。銘板は鉄道省規格だろう。 高崎方の橋台。コンクリート製。翼壁は石垣。 さて、この湯檜曽川を渡る国道291号の橋。一見、なんの変哲もない橋。しかし、そこに刻まれる「縣界へ十六粁四」の文字。これは、清水国道の名残だ。詳細は「山さ行がねが」の清水国道の項目を熟読されたい(湯檜曽橋の記述は『廃道本』にもある)。廃道ファンや国道ファンにはよく知られた道なのである。 渡りながら、対岸の橋台。こちらもコンクリート製…の大部分は見えず、その手前が整備されて化粧板が張られている。 対岸。親柱の銘板とともに振り返る。「ゆびそはし」。ここから支線を上げたのが、この記事冒頭の写真。だ
* * *
この第一湯檜曽川橋梁は、道路とのクリアランスが比較的少なく、かつ真横から見ることができるため、ここを列車が通過する際の迫力はすさまじい。深夜にEF64重連の貨物列車が通過するのを見たことがあるが、ありえないくらいの騒音と迫力だった。これはぜひ体感してほしいと思う。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の次の橋の続き。 プラットトラスと、コンクリートラーメンが並行するのが第八橋梁。ラーメンのほうが、撮影地として知られているかもしれない。ラーメンの側(下流側)には遊歩道があり、そこにある橋からなんとか眺めることができる。右が水上方、左が湯檜曽方。 場所はここ。 上り線が既設線でプラットトラス+鈑桁、下り線がラーメンだ。歴史的鋼橋集覧はこちら。 上り線から見る。 上路トラスには近づけない。 水上方は鈑桁2本で上路プラットトラスにつないでいる。鈑桁と上路トラスの接続部分の橋脚はトラス下端までで、鈑桁の高さまでは鋼製の脚で延長している。これは第一利根川橋梁以来、同じ形。橋脚は長円形。 遊歩道が橋の下をくぐっている。その場所には、屋根がある。だれも歩かないような草むした遊歩道…と思っていたら、かつてはちゃんとした遊歩道だったのかもしれない。 鈑桁よりも橋脚に注目。第七までは円柱橋脚だったが、この上面を見ると方形だ。 遊歩道から樹林ごしに上り線のプラットトラスを見る。こう見ると、橋脚に段ツキがある。上部が太いというか。耐震補強か何かだろうか? 順序がおかしくなるが、その逆側(下り線側)に、塗装標記と銘板がある。距離が大宮起点で書かれている。上越線のキロポストは、高崎起点ではなく、すべて大宮起点だが、こうした施設も当然それを反映している。銘板は「鉄道省」という文字くらいしか読めない(レンズの長さが足りなかった)。 つづいて下り線のコンクリートラーメン。 ラーメンたる部分とでも言おうか。右側の橋脚の上部に点検用の通路がある。これは… このように、レール面からアプローチする。あわせてラーメンへのアプローチも見える。 遊歩道は、下り線の東側に出て終わる。 ここから利根川の右岸を登り、湯桧曽駅手前まで支流の湯檜曽川に沿うようになる。そして土合まで遡り、清水トンネルに潜る。 「利根川」と名がつく橋梁はここまで。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の続き。 第七から踏切を挟んですぐの橋梁。名称は第七だったような記憶があるのだけれど、歴史的鋼橋集覧では第七は踏切より西のものがそれと定義されているし、他の資料を見てもそうだった。 川は渡らない。地形的な他にを跨ぐのみ。その下は、もしかしたら藤原ダム建設以前は河原だったのかもしれない。第七との境の踏切は、水上駅から国道291号に至る道。その道が利根川を渡る橋の竣功年を見ておくべきだった。そうすれば、その築堤がいつ築かれたのか推測できたのに。 橋梁名すらはっきりしないけれど、書く。 南側から。手前が上り線(最初に開通したルート)、奥が下り線(増設線)。右が湯檜曽方、左が水上・第七橋梁方。 踏切から東を見る。写真右が上り線、鈑桁+円柱PC橋脚。左が下り線。PC桁+T字型PC橋脚。第七と同じ組み合わせだ。 上り線。やはり架線柱は門型。こう見ると、脱線防止ガードは継ぎ目の段差が大きいので、わりと適当に接合されているということか。犬釘も枕木2本に1本。 下り線。PC桁なので、こちらはバラストがある。架線柱は片持ち。 この橋は、対岸の桁下に道があるのでそこも行っておくべきだった。再訪しなければならない橋が、この名称すら不詳の橋だ。 踏切。 架線と接触することを防止するガードが架線柱に見える。なんというトリック。 |
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