この本が出たとき、もちろん手に取ってみた。しかし、ちょっと値が張ることもあり、見送っていた。
しかし、ホーム上屋について「まず、数を見るようにしよう」と思ったので、買った。自分であれこれ考えなくても、答えが出ているものであれば、それを見たほうが手っ取り早く、他の考察に時間を振り向けることができる。 改めて見ると、素晴らしい本だ。解説が緻密で、講義を受けているようだ。また、豊富な写真で「この駅のホーム上屋はこうだったのか!」と、いままで視界に入っていなかったものを見せつけられる。そして、旅行に出たときに「見に行くべき箇所」がグッと増えてしまった。 掲載されている駅などは、さすがに「すべて」ではない。おそらく「すべて」には程遠い。そのため、読者には「発見する喜び」が広く残されている。それを狙ったわけではないだろうが、大切なことだ。全部教えてしまっては、つまらない。 本書にも欠点があるとすれば、価格と製版だろう。しかし、どれも本質ではない。オール1色刷り164ページで2940円。5000部刷れるなら1680円くらいまで下げられるだろう。バカ売れするジャンルではないだけに、ごく少部数なのだろう。製版については、カバーからしてピクセル数不足である。 本書の内容の一部は、著者:岸本章氏のサイトにある。こちら。 PR
『高架鉄道と東京駅』を読み、いま整理をしているのだが、改めて興味を持った東京駅。会社の窓から、南北のドームが見える。以前の姿も記録しておくべきだった。まだ大丸があり、南北のタワーなどなかった頃の記録を。
会社からの眺望はすっかり変わった。こちら側(西側)は、イトシアができて東京タワーが見えなくなり、東京駅側はグラントウキョウ・ノース/サウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスが建った。反対側(東側)は、確か「京橋三丁目1地区」という名前で24階建ての巨大なビルを建設中で、すっかり眺望を塞がれてしまった。 とはいえ、会社は4月1日に移転するので、もはや眺望云々言っても詮ないことだ。 東京駅について、下記の記事の続きで使うべく、図版を作っている。けっこう時間がかかるので、いましばしお待ちを、 『高架鉄道と東京駅』(小野田滋)その1 東京駅の復元について
「富士/はやぶさ」お見送り動画。これを知ったときには「ふーん」くらいだったけれど、こうして動画を見ると、まったく違って見える。ホイッスルが響き渡るところで思わずこみ上げてくる。
このお見送りの企画者の一人は友人なのだけれど、その頃、ぼくは鉄道の友人知人はゼロだった。 子どもの頃はあこがれた「富士」「はやぶさ」だったけれど、なんだか日の当たる場所、つまり東海道・山陽路のものだし(子どもの頃から裏日本意識がある)、大人になってみれば勤務先のビルから見ることができるし、その気になれば徒歩10分で東京駅に行ける。そんな距離感だったので、最終日も別にどうという感情もなかった。
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一度だけ、「富士」に乗ったことがある。1994年9月のことだ。 当時は5月くらいから始まった就職活動も、第一陣の大手出版社がすべて終わり、中堅出版社の試験が夏休みに食い込んでいた。幸い、いまの勤務先から内定をもらい、まずは南アルプスを縦走し、次いで「時間があるいまのうちに、どこか遠くの山に行ってみよう、ついでに寝台特急に乗ってみよう」と思って出かけたのが九州だ。京都以西に行くのは初めてだった。 「富士」を選んだのは、たぶん、行程が組みやすかったくらいの理由でしかないと思う。まだJR化して7年、寝台特急はたくさん走っていたし、こういうものはなくならないものだと思っていた。寝台券は大分まで買ってあったのだけれど、車中で思い立ってルートを変更し、鹿児島本線~肥薩線に真っ先に乗った。それが、ぼくの「富士」の思い出だ。
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繰り返すが、ぼくはこういう「お別れ」みたいなことには興味がない。このダイヤ改正における300系や「あさぎり」も、それらが大好きで、昔も今も追っかけている人には悪いのだけれど、興味がない。300系はアルバイトでさんざん乗ったのに。 そうはいえども、この動画にちょっと感動する。それは、ここにいる人たちが、ぼくとは違って「富士」「はやぶさ」に特別な感情を持っているのが伝わってくるからだろう。学園祭みたいな懐かしさを感じるからかもしれない。では、ぼくが 同じ感情を抱くとしたらなんだろう? と考えると、200系新幹線しかない。もしかしたら、200系は何度か見に行くかもしれないし、乗りたいと思うかもしれない。 かつて小学生の頃には、それは181系だった。飽きもせず眺めていた181系がなくなるときのことはこちら。 11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~
妄想も含みつつ、一般論だと信じてを書く。
鉄道書が「売れるコンテンツ」という認識が広がって何年になるだろう。いま、書店の鉄道書コーナーは有象無象がひしめき合い、あまり目の肥えていない読者はどれを手にとっていいかわからず、適当に選んだ一冊が大ハズレだった場合、きっと二度と鉄道関連本など買ってくれることはあるまい。 たとえば、ありふれた旅行記。これにはふたつのパターンがある。(1)やり手の著者が大手版元に食い込んで撒き散らすもの。(2)嗅覚の効く人たちに断られ続けたものが、効かない人に拾われる例。こちらは、たいていの場合、マイナーな版元である。 (1)の場合、著者がやり手だからしょうがない。寝技が得意な人はいるもので、ほうぼうで悪口を聞く。でも、ひっかかる人がいるのだな、大手版元にも。そして、目の肥えた読者から評判を下げる。 (2)の場合、著者は、たぶん、真っ先に鉄道雑誌の編集部に企画として持ち込んでいるはずだ。目利き揃いだからそこで断られる。次に、自分が名前を知っている(中堅以上の)版元に持ち込む。それなりの版元はバカじゃないから、そういう本は売れないものだという嗅覚がある。版元によって社風というか得意分野はあり、それぞれ嗅覚は異なるから、いくつもの版元を回ることは否定しない。それにしても…。そして、よくわからない版元に持ち込むと、よくわからない人が企画を採用して、本にしてしまう。それが、市場を荒らす。
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「版元によって社風というか得意分野はあり…」と書いた。次のような本の版元を見ると「なるほどな」と感じてもらえるに違いない。こうした本は、版元らしさを感じるし、方向性も、内容や書き方もはっきりしている。著者が素晴らしいのはもちろんのこと、編集者が編集者らしく仕事をしていると感じる。 『鉄道技術者 白井昭』(高瀬文人著/平凡社) 『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(高橋団吉著/小学館) 『国鉄を企業にした男』(高坂盛彦著/中央公論新社) 『貨物をゆく』(イカロス出版) 『廃線跡の記録』シリーズ(三才ブックス) 続きはいずれ。 |
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