待望の本だ。小野田滋氏の記事のためだけに『鉄道ファン』を買っているくらいだ。小野田氏の頭脳にある膨大な蓄積と考察を、講義のような形で我々後世に与えてはくれまいかといつも思っている。
本書の捉え方はいろいろあろう。個人的には、交通新聞社新書の帯のキャッチ「軽~く読んで、長~く本棚へ」は嫌いだ。もし私が著者なら、怒る。なにが「軽く読んで」だ。著者の、途方もない研究の成果を馬鹿にしているのか、と一人憤っている。 私の捉え方は、こうだ。 「東京駅が完成するまで、計画から実に20年もかかっていることを認識させる本」
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20年という時間の長さ。勤務先が銀座なので、よくビルが建つ。あるいは改築される。それらは、せいぜい3年もあれば、数十階建てのビルが建つ。ごく普通の人にとっては、それが「ビル建設」の実感だと思う。しかし、もちろん、その3年というのは着工から竣工であり、それ以前から、綿密に建築計画を練り、設計士、施工業者や資材を調達する準備期間が年の単位でかかる。そういうことに、改めて目を向けさせてくれる。それが、公共交通機関であれば、国家的な観点からさらに多岐に渡る調整を要するので、さらに時間がかかる。JR東海がリニアを東京から名古屋まで開通させるのに、発表から開業まで19年と発表したのを聞いて、気が遠くなる思いがしたが、それでも「発表から」である。これだけの長い期間にわたるプロジェクトは、土木事業以外には、そうないのではないだろうか。 東京駅には、20年という長きにわたる人の思いと時代の空気、そして国家の意図が込められている。
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過去、何度かツイッターで書いたが、私は東京駅の復元工事には懐疑的だった。なぜならば、「3階建て・円形ドーム」の姿を憶えている人はごく少数であり、大部分の人にとって「2階建て・直線上の屋根」の姿こそ、慣れ親しんだ東京駅であり、それをわざわざお金をかけて変更することに意義を感じなかった。「3階建て・円形ドーム」の駅舎は、1914年(大正3年)から1945年(昭和20年)まで31年間、対して「2階建て・直線上の屋根」は1945年から現在まで66年もその姿であったのだ。 しかし、のちにフォロワーさんに教えていただいたのが次の2点。ものごとには理由があるものだとつくづく思う。 ・屋根の傷みは相当なもので、復元せずとも補修費用は同じくらいかかる ・復元後の上部空間を他のビルに貸与(譲渡?)することによって生じる売却代金でその費用が捻出できる
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東京駅のあるべき姿については、本書を読んで変わった。むしろ、積極的に「3階建て・円形ドーム」にしてくれ、と願うようになった。 前述の私の理屈に対して、こういう反論ができることに気がついた。例えば、あるカラー写真作品が雑誌にはモノクロ/トリミングありで掲載され、しかも大人気を博し、その写真家の代表作になってしまったとする。ほとんどの人は、原版がカラーであること、トリミングされていることを知らない。しかし、原版すなわち写真家が意図していたのはカラーであり、ノートリミングのものだ。モノクロを愛でるというのは、作者の意図を完全に汲み取らずに鑑賞していることになるから、機会があれば、カラー/ノートリミングで見せるべきだ。「作品の鑑賞方法は、鑑賞者に委ねられるものだ」という反論があるかもしれないが、それは、正しい場所で、正しく鑑賞したことを前提とすべきだろう。 ただ、せっかくの超良書なのに、不満がある。年表などの図版がないのである。仕方ないので、自分で作ることにした。後日、アップする。 PR
しなの鉄道と長野電鉄屋代線が共同で使用する屋代駅。駅本屋と直接つながる1番線(しなの鉄道)、島式ホームの2・3番線(しなの鉄道)、1本の通過線を挟んで長野電鉄の5・6番線島式ホームを、1本の跨線橋が結んでいる。
その跨線橋、途中で全くの別物になる。元はJR/国鉄であるしなの鉄道側は幅も広く近代的に改装されているのに対し、長野電鉄側は、幅は狭く、木製なのである。 木製ゆえに、ハウトラス。何度もこの駅を通っているが、まったく知らなかった。 跨線橋の上屋だけでなく、梁も、脚も木製。いまとなってはかなり希少なものだ。 階段を昇ってみようか。窓などないから、風が通る。 跨線橋に上がったところから、駅本屋方向を見る。ハウトラスとして、圧縮力がかかる斜材は木材だが、引張力がかかる垂直材は鉄の棒だ。 その場で振り返ると、端部はこうなっている。階段部分は下に脚があるので、トラス構造のフレームにはなっていない。 後ろ向きのまま後退して、長電方向を見る。 さらに後退し、しなの鉄道2・3番線の上あたりで、長電方向を見る。長電側が木造で幅も狭いのに対し、しなの鉄道側(繰り返すが、元JR/国鉄)は鉄骨構造だ。もう、すべての規格が異なっている。 少し角度を変える。長電側の屋根には垂木はなく、左右のトラス上弦をつなぐ上横桁から天方向に束を突き出し、束を結ぶ形で棟木が上げられ、その棟木から上弦に向けて屋根板が張られている。 斜材の存在感は、こんな。 裏側はこんな。やはり、下弦材の上に床板が通されている。 参考までに、しなの鉄道側の跨線橋。なんて立派なんだ…とは感じるけれど、古レールを利用したものだ。しなの鉄道側の跨線橋は外観含めてまったく撮っていないという間抜けさ。古レールはワーレントラスに組まれている。 この貴重なハウトラスは、屋代線廃止とともに解体されてしまうのだろうか。それならそれでしょうがないけれど、秋の蒼空の下で撮ってみたい。 手元に、国鉄時代の屋代駅の入場券があった。前後の経緯からして、18きっぷで新潟→郡山→三郷(親戚宅)/つくば万博/?(鶴見線など?)/信越線→新潟、という旅をしたようだ。懐かしい。
屋代駅にある、長野電鉄屋代線の跨線橋を見に行ったのだが、ついでに見た、しなの鉄道屋代駅のホーム上屋。
1番線から、島式ホームの2・3番線を見る。その向こうはホームのない4番線を挟んで長野電鉄の5番線。 上屋はこう。屋根を支える垂木(枕木方向の/\形の部材)はトラス構造。また、支柱の側面は板材で囲われている。これは補強だろうか、美化だろうか。根本を見る限り、補強かなあ。 支柱は、母屋(線路方向)、梁と垂木(枕木方向)を支えている。…いやそれより、「どっちが」なのかわからないが、オフセットされている。写真左の支柱は外側に、右の支柱は内側に。 支柱の上部…と思っていま気づいたのだが、母屋が段違いになっており、腕が1本ない。 さらにさらに。 他の写真に偶然写っていたのだが(だから色は飛ばしてある)、篠ノ井側の支柱はY字形の古レールだった。ちゃんと見ておけばよかった。 ここで定型句、「また行こうっと」。
長野電鉄の小布施駅には、英国系100フィートポニーワーレントラスが保存されている。よくぞ保存してくれたものだ。
真横。 左(西側)から。 右(東側)から。 『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行・小西純一・渕上龍男)によれば、この桁は松本電鉄の前身のひとつ、河東鉄道として開通した1923年(大正12年)から架けられたいたものだ。現地の説明看板では、製作年代を1885年~1890年と推定しているが、私のメモには日本鉄道の烏川橋梁(現・高崎線、6連)または荒川橋梁(現・東北本線、4連)または田川橋梁(現・東北本線、1連)からの転用ではないか、と書いてある。ソースがなければそんなことは書かないと思うのだが、ソースがわからなくなってしまった。1990年(平成2年)に現在の桁と交代している。 西側。説明板がある。 東側。横桁は曲線形である。上に、ごく短いIビーム桁も保存してある。 横桁をアップ。 横桁。下弦材の上に3枚の(おそらく)錬鉄の板を重ね、その上に載せている。3枚も重ねているのは初めて見た。 興味深いのは、斜材の補修。英国系100フィートポニー輪連トラスは、圧縮力がかかる斜材は左右の部材をX字形の帯板で補強しているが、この松川橋梁では、左右ともに中央寄りの4本の斜材はアングル材で補強され、部材をレーシングで結んでいる(ジグザグに見えるもの)。後年の修復と考えられるが、河東電鉄に架けられた当時からなのか、それともずっと後年のものなのかはわからない。 端柱部分。英国系100フィートポニーワーレントラスは、この端柱上部の鈍角部分と下部の鋭角部分の形状がいちばん美しいと思う。 「横桁考」と見出しに書きながら、何一つ考察はない。この、曲線形の横桁がどのメーカーのものか、それを調べるのが頓挫しているからだ。 前述論文によれば約150連が存在した、単線の英国系100フィートポニーワーレントラス。いまも現役である桁もあるのに、これを保存してくれた意義は大きい。説明看板には「永久保存」と書いてある。世の中の同系トラスのすべてが現役でなくなったとしても、このトラスだけは残っていたらいいな、と思っている。
五稜星の先端を切り落としたようなこのロゴは、今はなき大協石油のマーク。いまのコスモ石油につながる元売り会社だ。
といってもいわゆるガソリンスタンドではない。防火壁には「大協ホーム灯油」と書いてある。そして、現役である。ただし、軽トラのタンクにも石油会社のロゴはないので、現在取り扱っているのがどのブランドなのか、あるいはノーブランドなのか、それはわからない。 計量機はカバーがかけられている。仕入れた灯油は地下のタンクに保管し、それを計量機で軽トラのタンク(430kl)に移して各家庭を回るのだろうか。軽トラのタンクの計量機には「2012年9月」のステッカーが貼ってある。 防火壁の裏側。 防火壁をもう一度。 この灯油店は、まもなく廃止となる長野電鉄屋代線の松代駅の近くにある。
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こちらのサイトに、昭和29年の大協石油のタンクローリーの写真がある。もちろんボンネットだ。 |
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