上越線利根川シリーズの途中だが、平成23年新潟・福島豪雨で被災した橋梁を見てきたので、その報告を先にする。只見線の橋梁が三つ流失したのはよく知られているが、それ以外にもいくつも被害はある。そのうちのひとつがこれ、金山町の西部橋(にしぶはし)だ。
国道252号を走っていて、偶然見つけた。目に飛び込んできたのだ。 画面奥が上流。右が左岸、左が右岸。 …只見川の真ん中に、風で飛ばされた鯉のぼりのように、それにしてはあまりに巨大なものがペシャッとなっている…。これが西部橋。 川の中に橋脚を建てない、一跨ぎするランガー橋。それすら流してしまった。この川幅いっぱいに、いま立っている道路まで水があったという事実。道路脇のフェンスには、発泡スチロールや流木が絡みついている。そこまで水が来た証拠だ。 流される前の姿が、金山町のサイトに掲載されているので転載する。 (金山町のサイトより転載) この状態になっても大丈夫なように、1スパンで跨いでいた西部橋。これよりさらに水が来た、ということだ。 床版が桁から剥がれている。水深10m近くなった川に沈み、常に水流を受けているのだからな。 いや、それより周辺の民家は大丈夫だったのか。(別の場所で、民家のすぐ横まで崖崩れになっていて、かろうじて民家が残ったのだな…と思ったら、そうではなくて、すでに4件が崩れていた、ということがあった)。 右岸側の取り付け部分。本当は、この先に橋があった。 支承が残っていた。意外な部分でちぎれていた。 対岸(左岸)の橋台。 このまましばらくあるのだろうな。 対岸(左岸)へ回った。 ここに、橋があった。 対岸(右岸)を見る。流されたのは10mほどだろうか。崖の、水が来た跡も見て欲しい。 こちらも支承が残っていた。引きちぎられた部位が異なる。鏡面の部品と鏡面を持ったローラーが転がっていた。支承の部品らしきものが近くにあるということは、このコンクリート橋台の上には水が来なかった…? パイプは、桁下を通していたケーブル等だろう。 こんなものが、曲がるのだなあ…。 この西部橋は、只見川右岸と、左岸の西部集落(行き止まり)を結ぶ役割があった。しかも、ひとつ上流の国道252号二本木橋も流失。さらに上流の四季彩橋まで遠回りしなければならない。 左岸で眺めているとき、西から現れた手押し車に寄りかかったおばあさんが、この橋のたもとで手押し車に座って休んでから西部の集落に向かっていったのが、とても印象に残っている。 スパン100mは越えてる(だろう)西部橋。復活するのだろうか。 ●平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 PR 上越線 第一利根川橋梁(群馬県)の続き。 夏場だと、全然見えない。右が上り線で開通当時からの橋梁、左が下り線で複線化時の増設橋梁。 まずは上り線から。 近づいてもこんな感じになってしまう。これは冬に撮り直さねばなるまい。 右端手前方向が高崎方、左オクが水上方。高崎方の第1連が19.2m(63フィート)のプレートガーダー、第2連・第3連が47m(154フィート)のプラットトラス、第4連・第5連が19.2mのプレートガーダー。桁の長さは第一利根川橋梁と同じだ。橋脚は石積であるのがかろうじてわかる程度。 第1連の銘板と、第2連(トラス)の縦桁にある塗装標記。そうか、上路トラスはここに塗装標記があることもあるのか。 銘板は280mmでもこのくらい。「鉄道省」という文字はわかる。製作者は読めず。こういうときのために、KDX4でも買っておくべきか…。 下り線。この区間が開業したのは、1963年(昭和38年)12月20日だ。 第一利根川橋梁と同じように、上り線ではトラスを架けるようなスパンをプレートガーダーで処理している。橋脚はもちろん鉄筋(鉄骨?)コンクリート製。 短い鈑桁。第1連。 長い第2連についている銘板。こちらはなんとか読める。 日本国有鉄道 1963(38-24) KS-18DG895(2)-1 ○○229.0T 2725m^2 ○○9.4T 360m^2 東京鉄骨橋梁製作所 銘板の手前にある円筒状の枠は、橋梁点検用のハシゴである。 橋台の銘板。 第2利根川橋梁 設計 日本国有鉄道○○工事局 施工 株式会社間組 設計荷重 KS18 基礎工 鉄筋コンクリート ○○根入 天端から12M50 着手 昭和36年12月28日 しゅん工 昭和38年3月31日 いやほんと、冬にクル! 上越線は、新前橋付近から利根川の右岸(西側)を遡行する。そして、上越国境を越えるまでに8回、利根川を渡る。湯檜曽以北で渡るのは、支流の湯檜曽川だ。その八つの橋梁のうち、七つまでが歴史的鋼橋集覧に掲載さsれている。なぜ「第五」がそうでないのかは不明。 この第一利根川橋梁は鉄道写真の撮影地としても有名で、多くの画像がweb上に出回っている。 手前側が上り線、その奥が下り線。現・上り線が最初に建設され、複線化時に下り線が建設された。 まず上り線。第1~4連と第8連は支間19.2m(63フィート)のプレートガーダー、中央の3径間が47m(154フィート)の上路プラットトラスとなっている。上路プラットトラスは、桁下高さが十分な場合に採用されるのだが、ここでは上路プラットトラスの下端が堤防の上端とほぼ同じ高さとなっている。どちらが先かはわからないが、堤防の形状を見ると、どうもトラス桁の下端に合わせているように見える。 プラットトラス部分。今後紹介していく第○利根川橋梁の上り線に154フィート上路トラスがある場合、すべてこの形状である。 こちらは鈑桁。 鈑桁とトラス桁の接続部分がおもしろい。 写真右のように、トラス桁の高さに合わせるように、鳥居型(なんと言えばいいのだろう)の鋼製橋脚が、鈑桁の下部まで延びている。 この橋脚は、橋脚との間と、桁との間双方に支承を持っている。どちらもピン支承で、おそらくスライドするのは他端だろうと思うが、そこまで見えない。 右写真、鈑桁のこちら側に、通路を保持するフ型の支柱がある。 (角度は違うけれど) 古レール! よく見るとUNIONと見える。ドイツ製の古レールがこんなところに。 別角度と、架線柱の入り込み具合。 以上、上り線。以下、下り線。 こちらの複線化開業は1964年(昭和39年)3月18日。その間に、154フィート程度なら鈑桁で可能となっており、同じ支間でトラス橋から鈑桁への転換が図られている。鈑桁のほうが、桁も、橋脚も安価になるのだろう。 銘板。 日本国有鉄道 1962(36-79) KS-18 DG819-1 DG 21.3T 335○ ○(852)19 2(.?)1T 72○ ○○鉄○株式会社 下り線(左)と上り線(右) 画像右上、短い鈑桁と長い鈑桁が組み合わされている部分の橋脚も興味深い。 上越線の下り列車で、土樽駅を出るとすぐに渡るのが、この毛渡沢橋梁(けどさわ)である。下り列車の場合、上り線が見える。その上り線は、美しい緑色のプレートガーダーと、石積の円柱橋脚である。 奥の上り線が鈑桁+石積橋脚、手前の下り線がPC桁+PC橋脚という、見るからに建設年代の差がわかるつくりが興味深い。画面右が土樽方向、画面左が越後中里方向。 下から見ることもできる。 土樽側の橋台に登れば上れると思うが、私は冬期の積雪期にしか登ったことがない。高さがあるので、もっと登らないときれいな写真は撮れない。 ゆるやかなカーブを描いているが、鈑桁それぞれは直線だ。その上に、曲線の線路が乗っている形になる(半径はいくつだっけな…会社には資料があるんだけれど)。 この堂々っぷりは、このように下から見上げないと実感できないかもしれない。例えて言うなら、北海道の牧場にある(けれどもいまはほとんど使われていない)サイロ。あるいは、カントリーエレベーターのサイロ。あるいは丸山ダムのバッチャープラント跡。 なお、数字がペイントしてあるが、これは高さではなく、天端から数えた石積の段の数。最下段が「50」なので、この橋脚は50段の石積よりなる。 上越線には、このような石積円柱橋脚を持つ橋梁がいくつもある。適宜、紹介していきたい。 天竜浜名湖鉄道の車窓から見つけたカンチレバートラス。渡っているのは天竜川。国道152号と362号の重複区間だ。歴史的鋼橋集覧の記事はこちら。 こちらは上流側。 下流側には歩道橋が併設されている。まず先に歩道橋を。 柵の外に、さらに柵あり。 主塔からリンクでスチールの望が前後に延びている斜張橋。吊橋ではない。 銘板。 1968年3月 静岡県建造 歩道橋指針(1965) 製作 株式会社横河橋梁製作所 材質 SS41 塗装標記。 塗装年月 1998年2月 塗料名 下塗 鉛系錆止ペイントJIS-K-5625 1種 中塗 本体 フタル酸樹脂中塗 R40-837(淡) 高欄 JIS-K-5516-2種 R29-335(淡) 上塗 本体 フタル酸樹脂上塗 R40-837 高欄 JIS-K-5516-2種 R29-335 塗料会社 関西ペイント(株) 塗装会社 磯部塗装(株)静岡支店 塗装面積 1990m^2 磯部塗装…。 さて、本体の鹿島橋。「かじまばし」と濁る。遠くから見ると、碇着桁のツノはそれほど大きく見えないのだけれど、路面から見ると、床版より下の部分が見えないので、ツノが大きく見える。 左岸(西側)。目立つのは、交通標語…。 左岸は、「安全は自らうち(家庭)から地域から」。この標語のせいで、ツノが見えない! なお、右岸側は「パパやめて脇見携帯飛ばし過ぎ」だ。このエリアでは父親しかクルマを運転しないのか。右岸が亜も「家庭」とあるし、けっこうひどいな。 この位置の信号機、いい。 上弦のピン結合部のピン。 横から。 裏側。 下弦。 右岸側・下流側にある塗装標記。 塗装記録表 塗装年月日 2010年1月 塗装会社名 下塗・中塗・上塗 株式会社 構造社 塗装材料名 下塗 エスコNBセーフティ(K)2回塗 中塗 セラテクトマイルド中塗 N-6.5 上塗 セラテクトUマイルドシルバー2回塗 塗料製造 下塗・中塗・上塗 関西ペイント株式会社 塗装面積 3,410m^2 こちらは左岸・上流側にある銘板と塗装標記。なぜ塗装標記が下流側と異なるんだ…? 銘板。 昭和十一年 株式会社浅野造船所製作 材料 ICL 八幡製鉄所 鈑 浅野造船所 鋲 浅野小倉製鋼所 塗装標記。 塗装年月 2009年2月 塗料名 下塗2回 エポオールスマイル(赤錆色・グレー) 中塗 VトップHスマイル中塗(DN-70) 上塗2回 VトップHスマイル上塗(シルバー) 塗料会社名 大日本塗料株式会社 施工者 株式会社高岡塗装 施工面積 3450m^2 橋脚。 水位が書いてある。…よくみると、なぜ桁が青い? 桁裏は青! 冒頭の写真を見ていても、下弦以下が青いのだが、実際には全然気づかなかった。桁下に回って、「あれ? 銀色じゃなかったっけ?」と思った程度の観察力。ということは、あまり違和感なく銀色と青色がつながっているわけだ。でも、なぜ裏側だけ青なのだろう? |
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