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三河湾に面した西幡豆・鳥羽漁港。ふとコンクリート製の小屋(?)が目に入った。

 
近寄ると、クランクハンドルがついている。背面(?)には「火気厳禁」。燃料系か。


前面(?)はメッシュ。

 
 
メッシュの隙間から見えたのはメーターとホース、ホースの先には給油所でおなじみのノズル。船舶に給油するための施設のようだ。地下にはタンクが埋められているのだろう。周辺にはほかに2ヶ所あったようだ。




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岩手開発鉄道の日頃市駅にある貨物ホーム上屋。こんなふうに、(たぶん)完全な形で残っている木製の片面貨物ホーム上屋など、全国にいくつあるのだろう。

 
貨物ホーム上屋は、旅客ホームの上屋より屋根が高く、風雨から貨物を守るためか背面、そして側面(枕木方向)に壁があることが多い。もちろん島式ホームの場合は両面とも開放になる。

 
線路内に立ち入らない範囲で撮る。きちんと物置、車庫として利用されている。収納されているダンプは後輪の後ろに円盤状のものが見えるので、軌陸車のようだ。

 
日頃市駅の駅舎は閉鎖されているが、そこに屋根がつけられ、スクールバスの待合場所となっている。10年ほど前までは、右の入口の上に庇があり、そこに「日頃市駅」と掲げられていた。もっとも、「駅」として廃止されたわけではない。旅客営業をしていないだけである。

 
駅舎と貨物ホーム上屋の間にある小屋二つ。左は燃料庫、右はトイレと思われる。





 
北上川の改修…開削された「新」北上川が分流する地点に、北上川河川歴史公園がある。そこには、分流するための新旧施設のほか、北上川の歴史に関する土木構造物がいくつか保存されている。

 
北上川河川歴史公園はここ。この旧月浜第一水門は、「新」北上川の河口近く、皿貝川との合流点にあった。東日本大震災で被災し、いまは新しい水門ができている。

 
 
夜雀さんのご教示によれば、「蝶番堰」という大変珍しい形式。英語では「Hinged weir」。土木学会の選奨土木遺産にもなっているが、しかし、土木学会のサイトでも、現地説明板でも「希少な形式」としか書いておらず、「どう希少なのか」「なぜ希少なのか」「希少に価値があるのか」が書かれていない。

 
右に、橋梁の支承のような部品がある(蝶番)。ここをピボットとして、このように動く。

 
上部の水色の部分が水平のとき、その上に載っている円筒のカウンターウエイトは、本来左端にある。それが、徐々に(転がって)右に移動することで、水門の開閉が容易になる、という仕組みだ。ダメじゃん、展示の方法。(上の写真はカウンターウエイトなどを簡易的に加工しています)

 
カウンターウエイト。これがゴロゴロと転がるのだが、それはウインチを使ったらしい。ならばウインチもいっしょに展示すべきではないか。これがゴロゴロ転がる様を見たかった。

 
 
 
現地説明板。



 
宮城県登米市。北上川の支流、二股川すぐ脇の水田に、ポンプ小屋がたくさんあった。便宜上、番号をつけていく。

 
(青1)電力計があり、すぐ横に電柱がある。ポンプに繋がる管は斜めに。破風が抜けている。屋根がきれい。

 
 
(青2)青1と同じ位置に電力計。これも破風が抜けていて、木材が保管してある。

 
 
(青3)妻面に管。破風はふさがっている。電力計は取り外されているので使われていなさそう。GoogleMapsの2014年版のSVでは電力計がある。

 
 
(青4)電力計・扉側は、柱が表にでている。破風はアキ。

 
(青5)遠くてよくわからない。

 
(青6)やはり遠くてわからないが、これだけ大きいと資材庫だろうか。

 
 
(木1)電力計が取り外されているので、これも使ってなさそう。破風から塩ビ管が飛び出している。2014年版のSVには電力計も塩ビ管もあるが、周囲の灯油タンクや樽などはない。

 
(灰1)なんと電柱が屋根を貫通している。やはり破風は空いている。周囲の雑物からして、使われていないかも。

 
(灰2)ポンプ小屋にしては大きい。電力計もあるので、ポンプ小屋兼物置だろうか。

 
(灰3)これは資材庫だろうか。右側、すこし傾いているように見える。それに対して左は手づくり感がある。柱を立てて屋根をかけたが柱が傾き…。

 
(灰4)これは資材庫だろうか。

この辺一帯の小屋は、
・切妻
・破風が空いている
・屋根はトタン波板
・壁もほぼトタン波板
という造りのようだ。









 
大和郡山市の、とある一角。水田を一部住宅地とした、その境のように見えるだろう。手前が住宅地、奥が低地、と。しかし、歴史的には実は逆だ。向こう側には稗田環濠集落がある。手前は新興住宅地。

 
赤で示したラインには、実は堤がある。本来、写真手前のほうが、写真奥より標高が低い。もし大和川が氾濫した場合、奥の集落を守る必要がある。そのための堤だ。そして、この道路は、その堤を切っている。

 
 
おお、たしかに堤だ。「堤防」というと、大河川の、高さが7mも8mもある大堤防を連想するけれど、こうした数十cmの高さの堤防もとても重要だ。水害は、なにも1m以上の床上浸水だけではない。

 
 
道路の両側には、角落し(止水板)がはまる溝がつけられた石が残る。

 
中央のチェックマークが、この角落しの場所。その南の赤いマルが稗田環濠集落。北の黄緑のマルが新興住宅地。その昔は、黄緑色の部分は宅地ではなかったのだ。

夜雀さんのご教示によると、昭和57年の大和川の水害(鉄道趣味者に知られているのが、王寺駅で多数の103系が水没した件)では、ここでトラブルが起きたという。古くから住む稗田環濠集落の住人たちは、古くからここに角落しを設置することで、水害の対策としていた。それを実行したところ、南側の環濠集落は守られたが、北側がの住宅地が浸水被害を被ったのである。

当然盛り土もされているのでいまは環濠集落周辺よりも標高がわずかに高くなっているが、堤のほうがわずかに高い。大和川から溢れた水はこの角落しで止水され、北側に滞留してしまった。それが「角落しを外せ」「ならぬ」という深刻な対立を生んだ。稗田からすれば、昔からそうして自分たちを守ってきたのであり、この時もそうしたに過ぎないが、北側からすれば、そのせいで自分たちが水没したのだ。

 
 
これが稗田の環濠集落。お堀のようだ。

spl.thnx:夜雀さん 大西さん 三橋さん 皆さん





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