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中央本線須原駅のポーナル桁の続き。

2010年1月、中央西線に乗った際に見つけた須原駅の予備桁。

20090113.jpg(そのとき、列車内から撮影)

それを間近で見てみた。
20110519_004.JPG駅前から見ると、こんな感じ。
プレートガーダーとしては小さなものだけれど、手前の軽自動車と比べればかなり長い、大型トラックに1本、載るかどうかという大きさではないだろうか。

奥に保線用車両が見えることから、ここ須原はそうしたベースなのだろう。

20110519_003.JPG別角度。桁は、古くなったPC枕木に載せられている。

20110519_000.JPGプレートガーダーのシチサン写真なんて、なかなか撮れるもんじゃない。とはいえ、桁は高い位置に置いてあるので、見上げたような形になってしまう。

20110519_001.JPG断面。左右の主桁をつないでいるのは□型のブラケット! これは小野田滋氏の『鉄道構造物探見』で見たことがある方も多いのではなかろうか(掲載されているのは別の橋梁)。

同書によれば、これは作錬式というもので、日本で初めての標準桁(当時は「定規」と言った)である。材料は錬鉄。

この□型ブラケットのコーナーを拡大する。
20110519-999.jpg水平部分と垂直部分、そしてそれを結ぶコーナー部は、一枚の鉄板をくりぬいたものではなく、帯材を溶接したものに見える。そして、主桁内側は、□型ブラケットと、垂直の補剛材(スティッフナー)が交互に設置されている。

外側もそれに近い。
20110519-998.jpgスティッフナー両側にリベットがあるものと、片側にしかないものが交互にある。

このスティッフナーは、ポーナル桁の特徴である〔型をしている。

20110519_002.JPG塗装標記。真正面から撮っていないのは、敷地に入ってしまうから。

(右側)
1.記号番号 名災-10
2.所在 木曽福島工務区
3.支間 12M8
4.強度 KS-11.4
5.重量 7t555

記号番号から、こうした桁が名古屋の管理下で最低でも10本、あることになる。また、強度(活荷重だろう)がKS-11.4と、国鉄制式からはずれているのが、おそらくヤード・ポンド法の時代の名残と見え、年代を感じさせる。

(左側)
塗装年月 2004年8月
塗装回数 3回塗
塗装種別 下塗 シアナミド鉛さび止めペイント
及び塗料名 中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカー 大日本塗料株式会社
施工者 株式会社 鈴木塗装工務店

こうした桁も、塗装をして維持しているということに、まあ考えてみれば当然なのだが、驚いた。


この桁の「向こう側」は駅の敷地内、というよりも業務用エリアなため、立ち入っていない。そのため、銘板がついているかどうかは不明であるが、前回の記事の写真を見る限り、銘板はなさそうだ。

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20110517_000.JPG『東京ぶらり暗渠探検』を刊行した洋泉社から刊行された『川跡からたどる江戸・東京案内』。編著者は菅原健二氏、『川の地図辞典』の著者だ。クレジットを見ると、もう一人長田ゆき氏という著者がいて、ともに東京都中央区立京橋図書館に勤務している。会社の近くだ、というか何度も利用している。

私は大きな勘違いをしていた。この本は、埋め立てられてしまった河川を土木的な観点で解説するものではない。ここにこう水路があって、それがいまはこうなって…というものではない。タイトル通り、「江戸・東京案内」なのである。内容は、何年に誰が何をした、何年にはこうなった、当時の様子はこうだった、と文章で書き連ねてある。


私の勘違いは勘違いとして、私の観点で書く。

この本、明治時代の地図が適当に載ってて、すでに埋め立てられてしまった河川について載ってそうだから買ったのだが…あまりに図版が少なすぎる。著者は地図を見ながら文章を書いているのだろうが、その地図を読者にも見せてよ。

一体、この本に書かれている内容を、地図を見ずに位置関係を把握できる人間が何人いるのだろう? 現存していない地名を羅列するのであれば、図版としては、「現在の地図」と「現存しない地名が書かれた地図」を併載し、さらにそこに川の跡をプロットするのが筋だろう。そういう地図がないわけではないが、それがあまりにいい加減な地図なのである。明治13年測量の地図などもあるのだが、縮小しすぎて読めない。現在の道路や地名との比較がないので、それとわからない。地図はほぼすべて「京橋図書館蔵」なので、そうやってコストを節約したのではないか。

では、と自分で記載事項を頼りに地形図に川跡をプロットしようとしても、現在の地形や地名とは大きくことなっているので、どこにプロットしていいかわからない。やはり、当時の地形図が掲載されていることが重要なのである。本書は、東京の消えた地名まで完璧に把握した人物を読者として想定している本になってしまっている。

単価が数百円あがってもいいから、きちんと図版を入れて欲しかった。それにつきる。


また、明治時代の地図に付された注記が解せない。
「明治13年測量の…」とあるのだが、そこには、当時開通していないはずの鉄道や駅があり、当時はないはずの市街地がある。測量と編集は、完全に分けなければならない。測量など、とくに古い時代はしょっちゅうするものではない。一度測量した結果を延々何十年も使って、そこに「編集」として資料や現地調査から地図を作り上げていく。だから、昭和も50年代になっても、山間部などは明治時代に測量したものをベースにした地図しかなかったりするのだ。ここは「測量年」ではなく「編集年」を記載すべきだ。



一方、先日、白水社から刊行された今尾恵介氏の『地図で読む戦争の時代』を入手した。今尾氏の著作は主観で自分の意見を述べるものもあるのであまり期待していなかったのだが、さにあらず。いま読んでいるのだが、地図の本ではなく、地図を見続けた人ゆえの思想を語る本のような気がしている。レポートはいずれ。
先日、土砂降りの中、クルマで北陸道福井北ICから国道416号を東へと走っていた。目的地はえちぜん鉄道永平寺口駅。ふと、左手に廃ガソリンスタンドがあった。

といっても計量器はすでになく、防火壁があるのみ。しかも、一面だけ。

20110516_000.JPG
場所は記憶にないが、タイムスタンプからすると、えちぜん鉄道小舟渡駅よりも5分ほど西側のはずだ。背後は川ではなく泥田。

この壁。モザイクがすてきだ。そこに紅一点、日本石油のライジングサン。

逆から。
20110516_001.JPGこの、唐突に壊されたような印象の壁が雨に濡れそぼっており、重みがあった。壁にものが掛けてあった跡や壁の前にものを置いていた跡に、この壁が重ねた年月を感じる。

振り向くと、こんなだ。
20110516_002.JPGこの温室のようなものはなんだろう。そういえば、給油所には、こうした温室があるなあ。

この写真でいう温室の左側、おそらくそこにもかつては防火壁があったのだろう。ここから先は推測だが、営業中は窓を開けても防火壁の裏側しか見えなかった隣家が、給油所が休業するにあたり、懸案事項であった日当たりを解決するために、この部分の防火壁のみ、取り払ったのではなかろうか。そして、壁の断面をよく見ると、コンクリートブロックが覗いている…。

その手前の三和土のような部分はなんだろう? 以前はサービスルームがあったのだろうか。いずれにしろ、いまはすべて過去の形となっている。入口にロープを張ったりしてないので、じっくりと観察できる。これがいちばんの魅力かもしれない。


20110515-999.JPG気になっていた、大木茂氏の写真集『汽罐車』を買った。本の詳細はこちら

この写真集を知ったのはどこだったか。どなたかのツイートだったと思う。まだ刊行前の頃だ。この写真を見て、吸い込まれた。買う!


ビニールにくるまれていた本を、深夜、心してテーブルの上で開封する。まずはカバー回りをなめるように見る。美しい。帯には、多くの作品を共にした、俳優・香川照之氏の言葉がある。まず、その帯を外してみる。
20110515_001.JPG.

そして、カバーをはずし、本体表紙。
20110515_003.JPG本体表紙は、もっとも自由奔放なページだ。商業的なもくろみもなく、デザイナーがいちばん遊べるページ。本体表紙については、かつてこちらに書いた。→丸田祥三『棄景V』『棄景origin』


カバーを戻し、表紙をめくる。そこには見返し。見返しは手触りを楽しむ。本扉は…前述のリンク先。この本扉だけでもうお腹いっぱいになる。氏、23歳のときの作品。

ページをめくる。いちいち、次のページに行くのに躊躇する。なんというか、次々にページを繰ることが、作品を消費してしまうような気がしてためらうのだ。次にどんなすごい作品が来るのか、どう裏切られるのか。

写真は144ページ、153点。私が見入る作品の傾向は、黒が美しいもの。撮影した時代が感じられるもの。これを、香川氏は「匂う」と表現している。的確だと思う。なので、C62重連ニセコの銀山峠などは、失礼ながら、あまり興味をそそられない。


もっとも美しいと思った作品は、128番浜小清水の流氷の朝。これは、本文(モノクロ20ページ)で大木氏自身の印象も強いそうで、私の、作品を見る目もそう変な方向を向いているわけではないと思う。

もっとも匂いを感じた作品は、49番野辺山。C56が未舗装の道路をバックで横切る作品(←リンク先の3枚目)。未舗装の道路が若い時代の光景のひとつだった私にとっては、こうした作品にグッと来る。なにより、夏の匂いを感じる。広田尚敬氏の作品にも、9600が北海道の未舗装路(遮断機なし)を横切る作品があるが、それも好きだ。

もっとも旅情を書き立てられた作品は、67番の抜海。

明るさと広さを感じた作品は、82番の香月と、133番沼ノ端。

人物を主題とした作品も多いが、あまりに完成されすぎていて、別の言い方をすれば本当に映画のスチル写真なんじゃないかと思うほど完璧なので、私の「引き込まれる度」でいえば上の作品たちに一歩譲る。



いま、「映画のスチル写真なんじゃないか」と書いたが、大木氏はスチル写真家である。とはいえ、大木氏のお名前はほうぼうで目にしてはいたが、映画のキャメラマン・木村大作氏と組むスチル・キャメラマンだとは知らなかった。目にしていたのは、こうした写真だ。
20110515_000.JPG(RailMagazine1991年6月号表紙)

大木氏といえば、この「ズーム流し」。露光中にズーミングする手法で、大木氏オリジナルとのこと。被写体が止まっているものに対する露光間ズームとは違い、走行中の列車に対してズーミングすることで流し撮りに見せるわけだ。もっとも、偶然にも広田尚敬氏も、広田泉氏も、それぞれ独自にその手法を使っていたというから、機材に対する研究心の塊のような人ならば到達する技術なのかもしれない。

また、この写真集に収録された作品は、1963年から1972年の間に撮影されたもの。大木氏は1947年生まれなので、16歳から25歳の間に撮影されたものだ。その撮影行は本文に詳しく紹介されているが、若くしてこの作品はほんとうにすごいと思う。



これだけの写真集が、3990円。鑑賞後、感じたのは「安い」。買うべし。
約1年前にオーバーホールしてから、結局1000マイルも乗ってない。やっと今日、オイル交換をした。ついでに、懸案事項だった、ゆがんだままのシフトペダルを交換した。

ペダルの交換は、以前もしてみたことがある。しかし、新品のペダルはアンダーガードに干渉してしまう。これは、アンダーガードをワンオフで作ってもらうとき、ゆがんだペダルをつけたままバイク本体を預けたためで、ゆがんだものを基準に完成してしまったからだ。

作ってもらったのは千歳烏山の清水工業所。オーナーの清水さんもバイク好きで、バイク雑誌に関わっていたときに随分とお世話になった方だ。そこで、個人的に作っていただいたのがアンダーガードだ。製品サンプルのページにある。4mm厚のステンレス製だ。



かれこれ7~8年、ゆがんだペダルのままでバイクに乗っていたのだが、シフトチェンジもしづらいので交換することにした。純正のアンダーガードは、シフトペダルとクランクケースの間には入っていないのだが、このワンオフものは入っている。
20110513.jpg対処としては、アンダーガードを削ればなんとかなると思っていた。いろいろ削ってみた。しかし、まったく埒があかない。そのため、アンダーガードを切り取ることにした。

297982012.jpgアンダーガードを取り外して改めて気がついたのだが、ノーマルのアンダーガードはペダルとクランクケースとの間には入り込まない。忘れていた。その証拠として、ペダルがクランクケースと擦れた跡が無数にある。

297995757.jpg297980696.jpg下2枚の写真のように切り取った。これでストレスなくシフトチェンジができるようになった。勝手に切り取ってごめんなさい、清水さん。




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