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掘り上げ田跡を見に行く(2) 東武動物公園は掘り上げ田だった

地図・航空写真・分水嶺

掘り上げ田跡を見に行く(1) 神扇池の続き。


 
(地理院地図空中写真1961をカシミール3Dで表示 MKT613-C5-24)


 
(地理院地図空中写真「最新」をカシミール3Dで表示 CKT20091-C21-62)

 
少し引いて、地理院地図。なんと、ジェットコースターの下の沼が描かれていない。①②は後述する写真を撮った場所。姫宮落川(ひめみやおとしかわ)、笠原沼落(かさはらぬまおとし;「川」はつかないようだ)等を図示する。


迅速測図(1880~1886)を見ると、掘り上げ田の様子が描かれている。それぞれの川の流路はも、当時から変わっていないのは意外。5万分の1地形図になると、田んぼマークになってしまう。

さて、現地の様子。

 
①から東、西を見たところ。見えている「橋」は、笠原沼落を渡っているもの。周囲が低地、東武動物公園側は田。

 
①地点から農道を西へ、ジェットコースターに向かって歩く。ジェットコースターの下は沼だ。この沼は、先に見たように地理院地図には掲載されていない。なぜだろう。

東武動物公園の東側は、カバ沼や白鳥の池になっている。「沼」であることを利用した造りになっているのだ。もしかすると、万一、周囲に水があることは、万一の動物の逃亡の際にも役立つと考えられているのかもしれない。…それはないか。









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メトロタシケント METRO Тошкент(夜長堂+大福書林)


「ウズベキスタンのタシケントの地下鉄」と言われても、タシケントはおろか、ウズベキスタンの位置もうまく思い浮かべられない。「…スタン」だから、パキスタンから北に連なるあのへんかな…。北緯41度、東経61度あたり。内陸も内陸、ウルムチとジョージアの間あたり…。


タシケントはウズベキスタンの首都。旧ソ連。いま、旧ソ連の都市への旅が増えている気がする。そういう書籍や同人誌も増えている。本書は、ウズベキスタンの、それも地下鉄駅の意匠に限った本である。


タシケントの3本の地下鉄路線。そのすべての駅を掲載している。旧ソ連独特のテイストがグッと詰まっているに違いない。


「地下鉄駅が好きだったらウズベキスタンがいいよ」こんなセリフを言えるほど、多くの都市を知りたい。


駅の野暮な解説はない。鉄道ファン向けの知識もない。ただひたすら鑑賞する。ボドムゾール駅。


こんな駅が自宅最寄り駅だったらいいな。でも、やっぱり飽きるのかな。コスモナウトラル駅。


ドームが連なる。アリシェール・ナヴォイ駅。


いろんな意匠。


駅名標も、可読性など置いてけぼり。パフタコール駅。


帯の表4側には「宝石箱のような」とある。「宝石箱」を見たことはないが、TIFFANYのネックレスが入った箱なら見たことがある(ぼくが買ったりもらったりしたものではなく)。ちょうど、コスモナウトラル駅のような色合いの、美しい小箱だった。「宝石箱のような」という形容で、思い浮かべるもの、つながる誌面は人によって異なるだろうけれど、だからこそ「宝石箱のような」なんだろうな。

オールカラー、表2・3までカラー印刷、144ページ。これで本体1800円は安すぎる。

直販ページはこちら。
https://daifukushorin.stores.jp/items/5e19eed60cc8de6062a7970c

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大学見学に使った東京ミニ周遊券と、ムーンライト

鉄道

大学受験に使った東京ミニ周遊券と、ゆうぽうとのつづき。

 
もう1組、1989年(平成元年)10月8日発行の1組がある。これは、友人Aと一緒に東京・横浜の大学の下見に来たときのもの。往復ともムーンライトだった。

 
これが当時の指定券。当時のカレンダーを見ると、10月は7(土)・8(日)・9(月)・10(火祝)だ。まだ週休2日ではなく土曜は昼間で授業があり、10月10日の祝日が固定だった時代。とはいえ、上の指定券を見ると、月曜日を挟む形だ。休みだったのだろうか。

それでも指定券はとりづらく、友人とは往復ともバラバラの席になったが、車内で隣席の人に頼んで席を替わってもらった。

購入駅が白山になっているのは、高校の最寄り駅だったから。ムーンライトは165系にグリーン車の座席を取り付けたものだが、めいっぱいに倒して寝ていたら腰が猛烈に痛くなり、明け方はかなり苦痛だった記憶がある。

* * *

 
もう1枚、東京ミニ周遊券が手元に残っている。昭和62年8月4日、(たしか)古町6にあった日本交通公社新潟支店発行、8月6日から有効。行き先はコミケだった。コミックマーケット32の開催は8月8日~9日。

目的は『XANADU EDITER』。XANADUのダンジョンを自由にデザインできるツールだ。そういう同人ソフトが出る、ということが、おそらく『ログイン』に出ていたと思う。

また、秋葉原でノーブランドの5インチディスクをたくさん買う目的もあった。新潟では1200円くらいだったと思う。雑誌の広告を見て、東京はすごいと思っていた。たしかメッセサンオーが最安値で10枚800円くらいだった気がする、

どうやって行ったかも、帰ってきたかもメモがない。コミケで入手したものも何も残っていない。ただ、東京ミニ周遊券だけが残っている。


 


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大学受験に使った東京ミニ周遊券と、ゆうぽうと

鉄道

 
私立大学の受験シーズンだ。といっても、ぼくが受けた時代と大きく異なり、多くの大学で学部が再編成され、複数回受験が可能になり、当時は毎年固定されていた試験日が変わったりしている。これは、ぼくが高校3年生のときに東京の私立大学を受験したときに使った東京ミニ周遊券だ。

1990年2月、記憶によれば、5回上京している。残っているミニ周遊券はその一部で、A券片だけだったりB券片だけだったりそろっていたり。B券片は、新潟駅の改札(当時はすべて友人)で、渡さずに素通りできてしまったか、無人だったか。わざわざ無人駅に行ったりはしていない。

上左右は平成2年2月18日発行。B券片の痕は池袋。付近の大学を受験した。
下右、2月10日発行のもの。痕がないのは、おそらくA券片で東京都区内に入り、そのままA券片を改札で渡さずにB券片を使用開始したのではないか。A券片が残っていないけれど。
下左、2月27日発行。これは受験シーズンの掉尾を飾る学部用。A券片は改札で渡したか。
これ以外に、2月半ばと2月下旬に2回上京があるはず。

 
 
基本的に、前日に新幹線で上京し、五反田のゆうぽうとに宿泊、翌日受験して帰宅した。当時、ホテルは素泊まり5000~6000円程度が相場。たまたま母が「受験生パック」という、夕食朝食がついて8000円くらいとちょっと高いのだが、それを見つけてきたのでそれにした。上のしおりは翌年のものと思われる。「受」は「受験生パック」の印。

帰宅は節約のために各停の乗り継ぎだったと思うが、新幹線で帰ったこともあるかもしれない。なお、試験は全部落ち、浪人した。

 
これは1991年2月のもの。A券片しか残っていない。

平成3年2月9日発行のものと2月27日発行のもの。幸い、27日の上京で受験した本命に合格した。

 
なお、なぜか同日(2月27日)発行のもう1枚がある。だれか友人と同行したのだろうか、ちょっと記憶にないが、それしか考えられない。

【関連項目】
大学見学に使った東京ミニ周遊券と、ムーンライト


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松日橋

木橋

 
「橋の原点」のような橋。といっても、よく見るとすごい。

 
 
 
橋板(床版)は、一枚の杉板。歩測で13mだったか15mだったか(歩測したのに忘れた)。大人が2人乗っても少ししなるだけ。小口には割れ止め。橋脚は、木の二股部分を逆さまに2本使い、枕木のような形の材を渡している。「クリ、クルミ」とあるが、枕木がクリだろうか。

 
古い橋板と橋脚、手すりだろうか。部材が保管(?)してある。

 
橋台。コンクリート製。ワイヤーが見えているが、この橋は流れ橋で、もし流されても部材はワイヤーがついているので流失しない。




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パチンコ台のようなガイドポスト

道路全般

 
気仙沼沖の大島に「大島大橋」が起重機船により一括架設されたのは記憶に新しい。その大島大橋を渡るとトンネルが連続し、突き当たりに展開するのがこの光景。ガイドポストが、まるでパチンコ台のようだ。


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ベーハ小屋2態

建築?

 
三陸の住田町にて、てりむくりみたいな、そうでないような屋根を持つ建物があった。妻面の窓の位置も、なんかすごい。


 
1階(?)部分はコンクリートブロック。中は農業用の倉庫だろうことは見て取れる。乾燥場か。向かって左が開放されているのも気になる。

 
側面も妻面に似ている。同行者と「なんの建物だろう…」と話していると、葉山めがね橋のところであった初老の男性が通りかかった。「す、すみません!」


住宅を挟んでもう1棟。こちらは普通の切妻の屋根だ。天井に養蚕のような空気抜きがある。

 
真正面に立てかけられた、鋤のお化けみたいなもの。長さが建物の2階分くらい、つまり5mくらいある。人間が一人で扱える大きさではない。なんだろう。

この小屋は、タバコの葉を乾燥させるための「米葉小屋(ベーハ小屋;ベイハ小屋)」という。先の男性がそう言っていて、検索するとWikipediaにも項目がある。「この辺では普通だよ。専売公社が補助金を出してくれたからみんな建てたんだ。たばこの作付けも減っているので、倉庫として使っているものも多い」。

倉庫はたしかにたくさんあるとはいえ、こういう窓の付け方をした、あるいはてりむくりの屋根を持った倉庫はぱっと見では見当たらなかった。もっと周辺広く回れば、同様の建物は見つかるかもしれない。

住田町でタバコ栽培が始まったのは1938年(昭和13年)。2015年(平成27年)ではたばこ農家は10戸。とはいえ、いまはきっと小屋ではなく、機械で乾燥させるんだろうな。















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葉山めがね橋

水の流れ

 
上有住のコンクリートアーチ橋。渡るは気仙川。両岸の集落を合わせて「両向地区」と呼ぶと説明板にあるが、地形図にはない。公民館などはあるので、失われた地名だろうか。


河原に雪があるように見えるけれど、石灰質の岩。

 
 
渓谷美で知られている場所だが、この橋の見所は、併設されているこの水路。

 
水路部分。昭和6年供用らしい、骨材の粗さ。

 
左岸の高い位置を流れる水路から、水門経由で落としている。説明板によれば、22ヘクタールの水田を潤している。このときは水量なし。

ここで地元の年配者と出会い、積極的に話しかけられて、お子さんたちの勤め先まで知ってしまったのだが、後刻再会し、そこで地元ならではの話をもらった。それは別項で。




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上有住八日町頭首工魚道

水の流れ


情報量の多い写真。真正面の長方形の堰堤が頭首工、そのこから左に向かう水路、円形の魚道、向こうの岩壁には片洞門の水路。
 
サイト「のの字な道」のRasandRoadさんに連れられ、見に行った。Rasさんの記述はこちら。解説などはこちらをご覧いただきたい。
https://rasandroad.com/spiral/kamiarisu.html


 
魚道。この落差からして、見えない部分でも360度、つまり合計720度回転しているようだ。

 
水量が少なかったので、渡って登ってみた。魚道の最上部には枝が堆積していて、せっかく魚が登ってきても、上がることはできなさそう…。


魚道の造形もそうだが、強く惹かれたのはこちらの片洞門の水路。

 
どうやって掘ったのか。桟橋を取り付けて穿っていったのか、狸掘りのように欠いていったのか。

 
下流側から回り込んでみた。片洞門のところはコルゲートパイプが渡してある。水は流れていないが溜まっている。かといってそこに踏み込んで這っていく勇気もなし。

 
手前に引いていくとこうなる。水路はコンクリート製だ。

 
写真中ほどに見える水路は堰堤から伸びる下段のもの。片洞門はその一段上だ。

 
ずっと追うべきか…。どこで取水し、どこに流しているかはわからない。

 
上段の水路の途中にある余水吐き。塩ビパイプが下に向かっているが、上から何本もの鎖で吊されているのがおもしろい。

spl.thnx. @RasandRoad

 

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川崎近海汽船 室蘭~八戸~宮古航路 室蘭港・八戸港・宮古港の記録

港湾

川崎近海汽船 宮古~室蘭航路 宮古港の記録の続き。




今回、1等洋室に3人で乗船した。室内に備え付けられている案内も、当然だが、宮古~室蘭のものとなっている。

 
徒歩乗船の客はぼくら3人。ドライバーがそれなりに…おそらく10~20人くらいはいると思うが、ニチレイの自販機が並ぶ食堂は誰もいない。まあ、慣れてる人は弁当買い込んで来るし、ドライバールームならそこで食べるだろうしね。。

 
 
ほぼ徹夜だったので、昼すぎまで寝て、うろうろしていたら夜になり、もう暗くなった室蘭へ。白鳥大橋の下をくぐる。白鳥大橋は2005年に渡ったきりだ、今度、改めて室蘭も訪ねよう。


室蘭港ではボーディングブリッジから下船。長い通路を渡り、新装なったターミナルへ。かつて東日本フェリーが建てたものだ。室蘭港といえば、かつては直江津へ、大洗へ、青森、八戸、大畑へとフェリーが出ていた。それらの航路がなくなって10年。

【関連項目】
大畑港のいま


 
 
ひっそりとしたターミナルから、登別行きのバスが、無人で出発していった。

 
 
広々とした清潔な室蘭フェリーターミナル。売店のお土産は、賞味期限が近いものがたくさん半額で売っていた。みやげを買う人はほとんどいなかったのかな…。

20時には乗船開始とのこと、それでも20時20分くらいまでに戻ってくればいいというので、室蘭駅近くのスーパーへ買い出しに。閉店が近かったためか、「やきとり」は3パックしか買えず。でも半額だったし、ちょうどよかったかも。

早めに待合室に戻り、ボケッとしていたら、あわや乗り遅れるところだった。「徒歩乗船の方はお急ぎください」みたいな放送はまったく入らず。

 
 
 
「宮古行」

 
反対側は「ようこそ室蘭へ 安全運転」

 
 
 
室蘭出港。



 
 
3時30分すぎ、キャプスタンが動く音で目が覚めた。八戸港だ。ランプはスターボードサイド。箱のトラックが8台ほど降り、次いで牛を積んだトラックが6台だったか8台だったか降りた。ランプが上がる前に部屋に戻り、寝た。

【関連項目】
宮蘭フェリー活牛トラック  貨物利用における現状把握(PDF)


 
 
7時過ぎに目が覚めた。もう宮古の港内だ。八戸着は少し遅れたようだったのに、宮古着は早着になる。あわてて支度して、ギリギリ。

下船も、バスによる下船となった。徒歩客は我々以外に3人いたようだ。いずれも乗るのが目的に見えた。


宮古で下船すると、雲を浮かべた青空が広がっていた。


ターミナルの2階で宮古ラーメンを食べていると、朝日が出てきた。


赤いファンネルに「K」のマークが美しい。

* * *

2月11日、横浜港でのコロナウイルス対策に関連して、防衛省の要請でこのシルバークイーンが自衛隊支援に行くこととなり、翌12日の宮古発便から29日の室蘭発便までを運休とすることが発表された。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が寄港していることに対しての処置と思われ、「はくおう」と同等の役割を果たすのかもしれない。




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