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ELPのキーボーディストとして有名なキース・エマーソンが、ELP結成前に率いていたバンドがTHE NICE。そのアルバム、その名も「FIVE BRIDGES」のジャケットがコレだ。

ブレーストリブアーチを魚眼レンズで撮影し、その写真の下半分を組み合わせて構成したものだ。この橋の正体がふと気になったのだが、答えはwikipediaの英語版に書いてあった。なんでも検索できる時代は素晴らしい。

この橋は、イギリスのタイン川にかかるタイン橋(Tyne Bridge)。wikipedia日本語版には「タイン川」も「タイン橋」も項目はないのだが、Yahoo!辞書で「tyne」を引くと、タイン橋の解説がある。辞書、すばらしい。

上の写真では長大な径間を擁する橋に見える。実際、橋長は389m、最大スパンは161.8m、桁下高さ26m。1928年の建造時は世界最長のアーチ橋だった。しかし、現在の様子はどうだろう。

File:Tyne Bridge.jpg
(この画像の取り扱いは Creative CommonsAttribution-Share Alike 3.0 Unported ライセンスによる)

大きさは変わらないのに、周囲に高層建造物が林立しているために、小さく見える。奥のドームや高層ビルのせいもあろう。なにより、桁下を通過する客船の大きさが、タイン橋を小さく見せている。


時は移り、現在、世界最大のアーチ橋は、2009年開通の中国の朝天門長江大橋である。橋長はタイン橋の約4.5倍の1741m、最大スパンは約3.4倍の552m。と聞くと、「さすが現代の橋梁技術!」などと思うだろう。しかし、このタイン橋が開通したわずか3年後、1931年には、アメリカのベイヨーン橋(Bayonne Bridge)が、橋長1762m、最大スパン511mで開通している。この、スパン511mと552mの差、41mがどれだけの重みを持つか、私にはわからないが、受ける印象としては「ほぼその時点で現在と一緒じゃないか」となると思う。架設開始は、タイン橋の開通と同じ1928年である(月日まで調べていない)。

なお、このタイン橋の所在地はここである。
大きな地図で見る
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写真を撮るのは、早朝がいちばん楽しい。太陽が昇りきってしまうともう終了、でもいい。どうせ午後は雲が出てくるし。とはいえ廃道取材は移動も時間的制約もあるから、なかなかそんなふうにはいかない。「あそこに光があるけれど、1時間早かったらここに光が当たってたはずなのに!」という場面も少なくない。

そんななかで、美しい自然光が引き出す、廃道の表情をいくつかアップする。画像はサムネイルを拡大しているのでボケボケだが、画像をクリックすると別ウインドウでもっと大きな画像を閲覧できるのでぜひ。


20101013-01.JPG隧道周辺は、このように切通になっていることも多いため、なかなかその線形に沿って光が入ってきてくれたりはしない。だからこそ、廃道の舗装はやたら苔むして滑りそうだったりもするのだろう。

ここではやや右上からの光が路面、そして左側の壁面を照らしていた。

20101013-02.JPGその壁の一部。落石から道路交通を防護する金網の奥まで光が差し込んでいた。

20101013-03.JPG切り株が苔に覆われていた。まだエッジがあるので、それほど古い切り株ではなさそう。しかし、周囲は鬱蒼とした藪である。

20101013-05.JPG藪の向こうから我々はあるいて来た。振り返って眺めた先が、スポットライトをあてられたようになっていた。

20101013-04.JPGそして見上げて右を見るとあった木。枝は打ってあるが、はたしていつ打ったのだろうか。




3連休のいくつかを利用して、丸田祥三さんの廃道撮影の道案内をした。いずれも私は行ったことがある物件で、あとは時間があれば地図上で目星をつけておいたものや、道中、目についたものを撮影する、というスタンスで出発。往復1300kmの道程となった。

ひとつは、『廃道本』を制作する際にnagajis氏の写真に大変衝撃を受け、制作中に見に行ってしまった長野隧道。
20101011-01.JPG明治時代に掘られたもので、重厚な切石作りの坑門が見るものを圧倒する。しかも周辺の生えた、苔むした木々がこの坑門を神々しいまでに高める。…というものだったのだが、2年前に訪れたときと比べると、明らかに雰囲気が異なる。坑門が小さくなっている気がするのだ。というのも、土砂の流入が増え、以前は見えていた坑口が相当の深さまで見えなくなっている。すべて埋まることはないような気がするが、豪雨の影響というのはまったく予測できないので、今後を静かに見守りたい。

なお、この明治・長野隧道に至る道が整備されていた。また、昭和に掘られた長野隧道は、非常に残念なことになっていた。これらのことは、いずれここに記すつもりだ。


20101011-02.JPG時が止まったかに見える明治・長野隧道周辺。向かって左手の、葉っぱ一つつけていない木の枝に、若い葉が芽吹いていた。この木が生命力を絞っているのか、あるいはまったく別の種がここに芽吹いたのかはわからない。



とある国道の橋。走行中に「?」と思い、裏側に回ってみた。
20101011-03.JPG道路面は、「2車線+歩道」だが、裏側を見ると、明らかに架けた年代の異なる鈑桁(プレートガーダー)が並行して架けられている。

向かって左はカンチレバー・プレートガーダー。リベット結合なので、昭和30年代よりは古いと思う。銘板がないので諸元不明。向かって右は単純鈑桁で、I型鋼+ボルト留め(一部リベット)。1968年駒井鉄工所製。道路面は<写真集>をお楽しみに。



とある橋。個人的には昨夏に一度、訪ねている。
20101011-04.JPG奥の緑色の橋は、東海道本線。手前のクリーム色のが、今回の対象だ。ダブルワーレントラスという、本邦鉄道橋黎明期の形式を今に伝える。1886年、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリー製。この製作会社についてはこちらを参照。現存しない企業だが、日本には多数の橋梁が残されている(右カラムのカテゴリ参照;すべてではありません)。また、東海道本線の橋梁の変遷についてはこちらを参照。

いまは歩道橋となったこの橋に「幅員3.4m/重さ3.0t」という標識が立っている。かつては蒸気機関車が走っていたこの橋梁の重量制限が3tか…。





これも橋。とある国道の旧道で、廃道ではないが、立ち寄った。廃道・旧道、現役・廃止問わない。
20101011-07.JPGポニー
・ボーストリングトラスという形式で、現存するものは多くない。8パネルのプラットトラスだ。

1953年、横河橋梁製。鉄道橋としては列車荷重の増加に対応できないため早々に撤去されてしまったこの形式だが、戦後の一時期、道路橋としていくつか製造された。そのうちのひとつである。
(新潟県の例:ボーストリングトラス(ワーレントラス)で上路という、おそらく本邦唯一の例はこちら



これは、とある廃道。
20101011-05.JPGそこそこに整備されており、私のハイエースならばここに乗り入れることができるが、今回は丸田さんのクルマだったのでここは徒歩。とある尾根の突き出し部分の岩石を削り取って道をつけ、ぐるりと回り込んでいる。左端が丸田さん。


20101011-06.JPGその先の、とある石垣を撮影中。もう深い藪の中。

この先にあるものがあまりに美しく、結局、そこに1時間以上滞在した。


ほかにもいくつか回ったが、それは<写真集>あるいは丸田さんのブログでの発表をお待ちください。
10月8日(金)、丸田祥三さんによる都内近郊の廃道取材をナビゲート。今回は丸田さんのクルマで移動。座席のゆったりした大きなクルマのため、とても快適でした、ありがとうございました。

IMG_8413_R.JPGとある廃道で撮影中です。午前中は曇りだったので、こういうシチュエーションではフラットな光で、しっとしとした絵になります。最初の1本で相当じっくり撮影しました。

そのまま歩き、ゆるい右カーブを過ぎると空がこんな形になってます。森の袋小路。
IMG_8476_R.JPG地形としては、「谷の行き止まり」のような場所。だから、樹木が「両脇」から」「真正面」をつないでいます。

こういう、「もうこれ以上、坂道では登れない」という場所まで登り切って初めて、隧道(トンネル)が穿たれます。この写真の「下」にはもちろん隧道があります。埼玉県においては珍しい遺構として有名な物件です。

でも、向かって左手の斜面を見れば、あと2回折り返して真正面をトラバースすれば、隧道を掘らなくてもいい線形が見えているような気もします……。


そして、次の廃道に移動。

IMG_8537_R.JPGいろいろ思うところのある方も多いだろう、ふたつの廃道がある道に来た。この取材については「そうだ、遠くにイコウ!」あづさ2号さんのレポートを参考にさせていただいた。多謝。

次いで、別の廃道で撮影し、さらにここへ。

IMG_8732_R.JPG先日、ふと思い出した廃道だ。この道が廃道になる過程を、私はしばしば目にしていた。いまは路面の舗装も取り払われ、砂利道となっている。

この場所では、なかなかフォトジェニックな、とあるものに集中した。本が完成するのをお楽しみに!


なお、丸田祥三さんがブログを開設しました。こちらです。



10月4日(月)、休みだったので池袋から田端まで線路沿いに歩いた。いろいろ書きたいことはあるので、そのために写真を見返していたところ、気づいた。線路は山手線、向こうが駒込、手前は田端である。
20101007-1.jpg

なんぞこれ。

20101007-2.JPG
古い航空写真を見ると、なんとなくこの部分に道路があるように見えるのだが、それ以外、手がかりがつかめない。こんな場所の写真など、もしからしたらあるかもしれないが、「ここに載ってたな」と思って見つけ出せるようなものではない。

場所はここである。後日、改めて周辺を見てみようと思う。


より大きな地図で 田端付近(富士見橋)謎の坑門 を表示


(追記)
こちらのサイトに回答があった。すばらしい。

山手線が渡る橋・くぐる橋



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