10月4日(月)、休みだったので池袋から田端まで線路沿いに歩いた。いろいろ書きたいことはあるので、そのために写真を見返していたところ、気づいた。線路は山手線、向こうが駒込、手前は田端である。
古い航空写真を見ると、なんとなくこの部分に道路があるように見えるのだが、それ以外、手がかりがつかめない。こんな場所の写真など、もしからしたらあるかもしれないが、「ここに載ってたな」と思って見つけ出せるようなものではない。 場所はここである。後日、改めて周辺を見てみようと思う。 より大きな地図で 田端付近(富士見橋)謎の坑門 を表示 (追記) こちらのサイトに回答があった。すばらしい。 山手線が渡る橋・くぐる橋 PR
◆ご指摘から始まる机上の遊び
先の記事を書いた後、@fuzzy_studioさん(阿房列車ピクトリアル)から 「もともと単線の臨港貨物線用鉄橋でしたが、将来環状線として使用する為複線仕様にしていたのは素晴らしいと思います。」 とのコメントをいただいた。そんな経緯はつゆ知らず、まあ、乗ったことも一回しかないのに橋梁そのものへの興味で現地に行ったわけだが、改めてwikipediaの年表を見るとたしかにそのとおり。以下、そこから私が興味の赴くままに見たり調べたり検索したりして、自分の糧としたことを書く。 大阪環状線の大阪-天王寺間の経緯を簡単に記す。 ・1898.4.5 西成鉄道として、大阪-西九条-安治川口間開通(単線) ・1900.12.1 国有化 ・1909.10.12 「西成線」の名称制定 ・1912.7.17 複線化 ・1941.5.1 電化 ・1928.12.1 関西本線の貨物支線として、今宮-大正-浪速-大阪港間開通(単線、非電化) ・1961.4.25 西九条-境川信号場(大正-浪速間)間開通、大阪環状線全通。 大正-今宮間の旅客営業開始。 #境川信号場-大阪港間は、廃止まで単線・非電化 ・1984.2.1 浪速-大阪港間廃止 ・2004.11.9 境川信号場-浪速間休止 ・2006.4.1 境川信号場-浪速間廃止 境川信号場から先は廃止からそれほどたっていないので、航空写真でも痕跡がある。 大きな地図で見る 右上に境川信号場の痕跡、そこから左下に向かって延びているのが、この大阪臨港線である。別ウインドウでぜひ全線を目で追ってみてほしい。 ◆文献での検証 西日本は馴染みがないので資料もほとんど持っていないが、『鉄道ピクトリアル』2002年3月号「鉄道と港-臨港線回顧」に「地形図に見る関西地方の臨港線」(高山礼蔵)という記事があった。そこに「国有鉄道 今宮-大阪港」という一節があり、たしかにこうあった。 「1928(昭和3)年、関西本線今宮から分岐して市街南西部を木津川、尻無川まで複線高架構造で建設…」(下線は筆者) 「途中の木津川、岩崎運河(現在は尻無川)の巨大な箱形の下路トラス橋は、大正区の玄関口として異彩を放っているが、これら高架線、橋梁が後年、大阪環状線の施工に大いに役立った」 旅客線への転用を前提として建設したのかどうか、そこまで明確に記してはいないが、複線電化を基準にしていることは間違いなかろう。 ◆大阪臨港線 先に掲示したGoogleマップを追っていけばわかるのだが、大阪臨港線は複線化を前提にしている部分がいくつかある。たとえばここだ。 大きな地図で見る なぜか、下路プレートガーダーが複線分用意されている。写真はnoafactoryさんのサイトに写真があった。ほかにも、橋台や用地の一部が複線を前提としていることが、Googleマップからでもよくわかる。また、先のRPの記事によれば、大阪臨港線には三つの可動橋があったという。それらはnoafactoryさんのサイト末尾にある航空写真でわかる。 ◆大阪臨港線の実際の様子 ここまでに至るヒントを教えてくださった@fuzzy_studioさん(阿房列車ピクトリアル)がまとめられたページはぜひご覧いただきたい。 ・「在りし日の大阪臨港線~港のスイッチャー」 ・「昭和50年代の大阪港・大阪臨港線(浪速貨物線)風景」 ◆まとめ あのばかでかいダブルワーレンが、のちのちの複線化を前提に作られていたとは驚きだった。正確に言えば、雑誌の記事を読んでいたのに、土地勘もなにもないためにスルーしてしまっていた。なんともったいないことか。でもきっと、それに気づかないだけで、そんなことはしょちゅう起きているのだろうとも思う。 同時に、1928年という時代に、将来を見越した計画をした当事者の計画性にも驚く。道路も鉄道も、そこに存在するに至る理由が必ずある。橋梁もそれらの一部であるし、橋梁単体としても由来があるはずだ。この経緯は、できるだけ正確に把握しておきたい。今回、タイトルの橋梁について、架けられてからの変遷は自分で辿ることができたが、大阪環状線の経緯を知らなかったために、架けられるまでの経緯に考えが及ばなかった。大変勉強になった。ご教示いただいた@fuzzy_studioさんに感謝申し上げます。
大阪環状線の弁天町-大正-芦原橋間には、巨大なダブルワーレントラス斜橋がふたつある。スペックを見る限りまったく仕様は同じなので、兄弟橋と言っていいのだと思う。そのうちのひとつ、大正駅の北西にかかる岩崎運河橋梁と、その弁天町寄りにある尻無川橋梁を紹介する。場所はここ。
大きな地図で見る 南側から北側を見ると、このように見える。 左側のドームは京セラ大阪ドーム、その右下にある3格間のワーレントラス橋が尻無川橋梁。右に並ぶガスタンクは大阪ガス岩崎供給所。それに伍する巨大な直方体が岩崎運河橋梁だ。この岩崎運河を遡る(画面奥に向かう)と大正橋、そこは木津川と、道頓堀川~岩崎運河~尻無川の、川の交差点のようになっている。 尻無川にかかるように見える橋が岩崎運河橋梁だったり、尻無川の名前を冠した尻無川橋梁の下には川がなかったり、尻無川の上流部が岩崎運河だったり、と、なにやらいわくがありそうなのだがネット上にわかりやすい解説はなかった。ところが1948年9月撮影の航空写真を見たら氷解した。便利な時代になった。 (国土変遷アーカイブから転載) 上の航空写真の、赤くマークした部分が尻無川で、いまは埋め立てられている。黄色くした部分が境川運河で、こちらもいまは埋め立て済。こうした経緯があるため、尻無川橋梁は陸地に架かっている。大阪環状線が境川運河を渡っていた部分はプレートガーダー橋だ。 ついでに大阪ガス岩崎供給所の名称で検索したら、こんなテレビ番組サイトに行き当たった。「美人なのにガスタンク好きって…」という切り口がテレビらしくてとってもむかつきますよ。「ダメ度」の採点コーナーがあるのが最悪。こんなふうにしか人を評価できないお前らは作られた流行にのっかって生きていってくださいな。 ◆尻無川橋梁 複線のワーレントラスなので幅が広い。しかも約100フィートと短いのに62度もの角度を持って渡っているため、非常に不格好な、ひしゃげた印象になっている。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 この写真にある赤い保護枠の右側に道路橋があったようだがそれについてはまた別途書く。 ◆境川橋梁 境川の跡は水道道路のようになっていて、橋全体は見渡せない。というか、現地に行ったときには上記の経緯を知らなかったため、尻無川橋梁の延長かと思い、全体像を撮らなかったのが悔やまれる。塗装標記と銘板。 日本国有鉄道 1958 KS-16 DGC619-1
22.7T 346HZ(?) (32○○124) KK.駒井鉄工所製 駒井鉄工所は、今の駒井ハルテックである。
◆岩崎運河橋梁 西側から撮影。走っている電車(103系…)と比べればわかるとおり、その巨大さゆえの存在感。高さは20mほどもありそうだ。 径間94.945m、つまり300フィートクラスだ。こんなものが住宅地というか、街中にある。 東側に渡り、こんな存在感。 あるいはこう(収差のひどさに呆れるが仕方あるまい、いまの16-35-2はどうなんだろう?)。 こんなばかでかいものが背後にあると、近隣の方々は気圧されるのではないだろうか。余計なお世話か。 これも東側。斜橋であるため、上から見ると平行四辺形になっている。 架線をつり下げるビームが、樽部ワーレントラスのX字型の格点に接続されている。ということは、このトラスの高さは、通常の架線柱の高さの倍ほどもあるということだ。 ビームと格点の接合部分。ビームはトラス桁の構成メンバーではないため(たぶん)、取り付け部分は簡素。 ん? 上横構部分に、なにかありますよ。これ、クリーニング屋の針金ハンガーじゃないか? カラスかなにかのしわざ? ダブルワーレンたる、斜材の公差部。がっつり剛結。 その真下はこう。 X字形に公差する格点からは、「Ж」字形に天地方向に補助的に縦材が伸びている。それが下弦に接する部分。 対して、正式な(?)縦材が下弦に接する部分はこう。 斜材も剛結するので、ガセットプレートが大きくなっている。縦材の結合の方法そのものは、リベットの配置からして同じだ。 これを撮りながら、ふと下の岩崎運河を見ると、亀がたくさんいた。 ある部分をみたら、ドブ川にしか見えない岩崎運河。陸上と異なり、本来の用途が終了したからといって、そのまま何かに改変されてしまうわけでもなく放置されてしまいがちなのが運河。ここもそうした運河のひとつなんだろうなあ。 以上、写真の左上に黒い点が写っているものは撮像素子に付着した汚れです。消してからアップしようとしましたが、うっかりアップしてしまい、もういいやという気持ちに。すみません。
10月2日(土曜)、丸田祥三さんの取材に同行。案内人としてトリ氏も同行。秋雨の合間の晴れの日、おそらく丸田さんは朝4時出くらいで取材に出撃されたようだ。
とある隧道内分岐。まあ、有名な場所。分岐部分は巻きたてが5cm厚くなっていることがわかった。また、この日は廃道部分の測量に作業者が3人入っていた。「写真撮りにきました~」とご挨拶。廃道部分、紅葉時にはさぞきれいだろう。 とある物件を求めて右往左往。GPSが、予想と異なる場所を示し続けたのであきらめて別の場所(確実にここからは行けるが、少し歩くのが長くなる場所)から目的地へ向かう。 この場所についたとき、とてもいい感じに日が差していた。しかし、すぐに日が動き、影になってしまった。その間に丸田さんがシャッターを切った写真をプレビューすると、パラパラ漫画のように日が蔭るのがわかる。この場所は、後日再訪してもいいと思った。 目的地付近では、エンジンチェーンソーの音がすぐ近くに聞こえていた。撮影中、作業の方々が3名+2名降りてきてここを通った。「少なくとも40年前にはあったね」(謎)。その後、私たちが最初に断念したルートとおぼしき方向へ歩いて行った。道あったのか!? みな、ビニール袋いっぱいにキノコを持っていた。浦山! この日は廃道でさまざまなキノコを見た。後刻、きのこ屋さんで見たナントカシメジと同じもの(だと思う)もあった。とっておけばよかった!! 本日の案内に、トリ氏。このあと2ヶ所を案内していただいた。うっかりオーバー。 銘板の読み方と、標識の読み方が異なるんですけど…。 次はいつだろう? またツイートします。
ふと書名を目にした『横河橋梁八十年史』をポチリ。中身もなにもわからずに、送料込み4000えん以上の買い物をしてしまった。二居渓谷の境橋のことが載ってないかな…というのが動機で、もし想定外のものなら売ればいいや、と思って注文した。あとで古書店サイトで検索したら、もっと安いのがあって残念だったのは、まあ仕方がない。それが今日届いた。
銀箔の函の中に、紫色の布張りハードカバーの本書。ピカピカなので写真に撮れない。 タイトルロゴの「板」のデザインを見て思った。これって…? 装丁=杉浦康平! 装丁に関心を持つ人なら知らない人はないと思う。また、氏の名前を知らなくとも、角川文庫の本体表紙(カバーではない)や、講談社現代新書の以前のカバー、あるいは『噂の真相』の表紙、といえば、ああ、あのテイストか、とおわかりいただけるに違いない。太い明朝体と太いゴシック体を組み合わせ、図版をシンボリックに使用する。そのデザインのフォロワーは今も跡を絶たない大御所だ。 もちろん中身も氏のテイストが炸裂している。 境橋が建造された昭和27年の年表部分。残念ながら記述はない。それに、実は横河橋梁が製作した桁の図面でも載ってないかと期待していたが、そういったものは一切なかった。 しかし、ページを繰ると、ちょっとこれはものすごいものを手に入れたぞ…と感じた。目次をちょっとだけ。 . 記事の例も挙げる。下記は 東海道本線富士川橋梁の桁を貨車で運ぶ記事。使用したのはシキ60という大物車。2-2の複式ボギー台車2組を装備するこの形式は、ポールトレーラーのように、積荷を荷受け梁そのものとして設定ができる。写真をご覧いただければおわかりになると思う。上の写真で、一見プレートガーダーそのものに見えるのは専用に製作した荷受け梁で、その間に挟むように積荷(主桁)を積んでいる。『大物車のすべて(下)』(吉岡新平著、ネコ・パブリッシングン)にシキ60の解説があり、「橋梁などの輸送に活用された」とある。 また、こんなのもある。 「KKT(軽構桁鉄道橋)は日本最初の可搬橋」「異彩を放ったTG装置とJKT(重構桁鉄道橋)」。 本書にはこれらについて、非常に多くの記述がある。最大支間が32メートルであること、軍用桁は最初、石川島造船所がリベット構造のものを開発したが重かったので横河橋梁が溶接桁で製作して採用されたこと、これが日本最古の溶接橋といえること、戦争中(ママ)の横河橋梁で最も多くつくられ活躍したのはJKTであろうと推測されていること…。 また、戦時中、中国側は鉄道橋梁を多く爆破して退去した。それを修復するために鉄道省の技術者を中心に現地に派遣されたのだが、そのうちの一人が羽幌線の天塩川橋梁を架け、新幹線に反対し、のちに国鉄総裁になった藤井松太郎であり、さらにそのボスが足立貞嘉で、淮河の修復がその代表的なものであった。その作業員として大量に横河橋梁の社員が派遣されていたというのだ。作業内容、手がけた橋梁などが記載されている。 さりげなく、こんなことが書いてあった。 軽構桁道路橋(KKD)…陸軍一般車両用。KKTに準じ部材の一部を転換して編成する。 重構桁道路橋(JKD)…陸軍重車両用。JKTに準じ部材の一部を転換して編成する。 軍用桁に、道路用があった! これ以上は、私も興奮して読めない。 全692ページ。古書店で安価に買えるのは数冊のみ。早い者勝ちです。 |
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