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2019年のGPSログ

地図・航空写真・分水嶺

 
(カシミール3D+地理院地図)

2019年の長旅としては、GWの東北ツーリングと9月の夏休みの中国地方ツーリング。ほか、丸田祥三さんの取材のお供で今年もあちこち連れて行っていただいた。

今年のキモは、航路。
むつ湾フェリー フェリーかもしか(蟹田~脇野沢)
新日本海フェリー(新潟~敦賀)
なかなか乗れない、乗らない航路だ。
佐渡汽船深夜便(新潟~両津)
は、「深夜便」という、超繁忙期のみ運航するログだ。

本州は、岐阜県と和歌山県に足を踏み入れていない。北海道・四国・九州にも渡らなかった。これは2006年以来だ。ちなみに2006年の「前」となると1990年、浪人時代となる(その時点では北海道・四国・九州ともに行ったことがない)。福井県はいつ以来だろうと確認すると、若狭は2014年以来、嶺北は2011年5月以来だった。

本当は、年末に九州に渡るつもりだった。しかし、11月下旬に右膝をケガしてしまい、ちょっと無理になった。残念。

2020年はTENERE700を買う。遠出の機会を増やすぞ。


●参考
2013年


2014年


2015年

2016年


2017年
 

2018年
 
(いずれもカシミール3D+SRTM30)





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大晦日の過ごし方を振り替える

大晦日の過ごし方を振り替える

独言・日記

ふと気づいた。「実家を出てから、実家で年越しをしたのは1回しかないのでは?」と。上京したのは1991年3月末。学生時代の4年間、就職してからの4年間の計8回、一人で年末年始を過ごす機会があった。確認してみた。
 
1991年末 12/28~1/5 帰省
1992年末 バイトに明け暮れて帰省せず。高田馬場の松屋で新年
1993年末 1/2までバイト、1/2に帰省。新年はアパート
1994年末 12/31までバイトはしたけれど1/1に帰省
1995年末 八重山ツーリング。新年は石垣島の橋の下
1996年末 西表
1997年末 年末からバイク漬け。バイク友人宅で新年
1998年末 同上
1999年末 結婚してて友人たちと湘南だかの海岸で新年
2000年末 家で(以降同じ)

以下は自分の「思い出メモ」みたいなものである。書いておけば、関係した誰かの何かに触れるかもしれないので、書いておくのが大事だと思っている。


●1991年末

直前の12/27までバイトして、18きっぷで帰省。行程のメモが残っていた。富士見台→池袋→上野→小山→桐生→間藤→桐生→新前橋→大前→渋川→長岡→新潟。両毛線・わたらせ渓谷鉄道・吾妻線に乗っていた。当時、「高崎線や宇都宮線に乗るなら上野から」と決めていた。

帰路は1/5。新潟→郡山→上菅谷→常陸太田→上菅谷→水戸→日暮里→高田馬場→下井草。そして翌日からバイトしていた。

18きっぷ、「吉祥寺駅旅セ発行」。そして、この2枚しか残っていない。当時の手帳を見ても、25日はバイトをしていて、吉祥寺に行った形跡は残っていない。謎。


●1992年末

大学2年なので「いかに長く実家に帰らないか」ということを、なんとなくしていたこともあり、年末年始はバイト漬け。新幹線の車販のバイトだ。当時のことを「ジェイ・ダイナーの思い出(大阪まで1日2往復する話)」に書いている、そこから抜粋。

(12/29)夜の1往復 253A-284A
12/30 (睡眠3時間で)2往復 203A-78A-253A-284A
12/31 (睡眠3時間で)2往復 103A-108A-253A-284A
1/1 (睡眠5時間で)1往復 77A-114A
1/2 (睡眠5時間で)2往復 205A-6A-253A-284A(なぜかY編成)
1/3 (睡眠3時間で)2往復 203A-78A-253A-284A

1/4を休んで1/5からまたバイトをしている。


●1993年末

1/2(日)に、バイトで新大阪を往復(103Aー108A)したあと、18きっぷで帰省。上野1727→2339新潟。たぶん父がクルマで迎えにきてくれた。

このときは、1/3に、新潟高校山岳部の創部40周年誌『ふくろう』発刊記念のOB会があったのだ。メモによれば、16時にシルバーボウル集合?、1次会は18時から「信濃川」、2次会は「天狗」、3次会はばらけて前後の世代7人でミナミボウルでボウリング。

1/4(火)は、新潟発1417、1530、1612の3パターンが手帳にメモしてあったが、どの行程をとったのか記録がない。


●1994年末

12/31にアルバイトを終え、引っ越したばかりの江戸川橋の賃貸にて彼女と新年を迎えた。翌日、初めて(!)新幹線で帰省した。元日のみの「お年玉フリーきっぷ」、別に学割を使えばあまり変わらないのだが、気安さでこれにした。

1/1、東京駅のホームにあがったところ、ドアが閉まる寸前の新幹線があったので、行き先も確認せずに飛び乗った。仮に「やまびこ」だったとしても、上野か大宮に停まるだろう。ところが、1日に(たしか)3本しかない、仙台までノンストップの「やまびこ」だったのである。しかも座れない。デッキで仙台までやりすごして大宮に戻り、新潟に向かった。誤乗だけれどフリーきっぷなのでなんの問題もない。新潟まで6時間以上かかってしまった。

このときは、
1/2 新潟高校3年5組有志飲み会
1/4 新潟高校1年8組有志飲み会
1/5 山岳部K君と会う
1/6 帰省(列車不明)

という正月だった。帰京は18きっぷと思われるが不明。


●1995年末
 
この年、就職した。1995年~1996年の年末年始 八重山への旅(3) にまとめてあるが、2週間の休みを利用して、バイクで日本最南端・最西端を目指して八重山に渡った。那覇行きのフェリーでしりあった3人とともに石垣島のサザンゲートブリッジの下にずっとテントを張っていた。詳細は上記リンクをぜひ。

12/23東京→那覇(フェリー)
1/4石垣→東京(急遽JTA。バイクは無人航走)

●1996年末

やはり2週間の休みとなり、前年行けなかった西表島へ。このときは西表だけが目当てだったので、飛行機で。西表縦走等々。

12/26 東京→石垣(サザンゲートブリッジの下でテント)
12/27 石垣→西表(以降星砂キャンプ場でテント)
1/4 西表→石垣→東京


●1997年末

バイクの友人K氏宅で大勢で年を越す。みんなでおせち料理を作ったり。


●1998年末

同じく。1/1から男3・女5で1泊2日で伊豆ツーリングに。宿泊は、冬ということもあってバンガローだったかな。


●1999年末

この年、結婚した。ミレニアムの区切りということで世間が浮かれ、windows界隈は沈んでいた年末。友人A氏夫婦と一緒に湘南だかの海岸で年越し。


●2000年末
 

2週間ほどの休み。12月のうちに家族で沖縄に5泊6日。バイクは無人航走しておいて、うち3日間、仕事の取材を兼ねて一人で走る。12/31は記憶にないけれど、家で過ごしたはず。以降、同じ。
 
●2019年末

久しぶりに一人でツーリングに行くつもりだったが、11/17に右足をケガして入院、やっと年末に退院することとなり、なにもできずおとなしく過ごす予定。


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右膝日記

独言・日記

2019年11月17日朝、バイクでツーリングに出かけようとしたら近所の交差点で後輪が滑って転倒。右膝内側が挫滅傷となり、のべ5週間の入院となってしまった。その様子をnoteに書いたので、ここにまとめてリンクしておく。

右膝日記 20191117

右膝日記 20191118~20191121

右膝日記 20191122

右膝日記 20191122~24

右膝日記 20191125

右膝日記 20191126~29

右膝日記 20191129~1201

右膝日記 20191201~1204

右膝日記 20191205~1207

右膝日記 20191208~1212

右膝日記 20191213~1218

右膝日記 20191219~1223

右膝日記 20191224~1226

右膝日記 20191227


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『喜劇初詣列車』に見える新潟

独言・日記

渥美清による「喜劇列車シリーズ」が3本ある。『男はつらいよ』以前の作品で、いずれも渥美清の独演的な場面あり、歌い出すシーンあり、コメディとしてのお約束も散りばめらた、とてもしっかりした脚本による娯楽作品だ。

第3作の『喜劇初詣列車』は、1968年1月公開で、舞台は東京と湯沢と新潟。ヒロイン・美和子は古町芸妓。新潟生まれ育ちだけれどまったく訛っていない。「新潟地震で両親と兄を亡くす」という。実際の新潟地震の死者は26名。また、唯一訛り(新潟弁ではない)のあるキャラクターとして出てくる三和子(ぽん太)は青森から新潟に来たという設定だ。雪のシーンは渥美清らは登場しないので、前シーズンの撮影だろうか。本編は晩秋ぽい光景で構成されている。

ここでは、新潟の光景にまつわるメモを中心に記す。

検札で、上田新作(渥美清)が美和子(佐久間良子)と出会うシーン。この室内、何度か出てくるが、165系の座席ではないし、なにより窓が2段サッシではない。座席は80系のものと思われるが、全金車は座席の枠も金属製のはず。また、80系のアコモ改造は、Wikipediaによれば1973年からとのことで、整合性がない。しかし、セットを組むほどのものではないだろうから、80系かなにかにこうした車両があったのだろう。車窓風景は、このシーンでは動かない。他のシーンでは合成で動いている演出がなされれいると思われる。


新潟に着いた車掌一行は、借り上げ宿舎に着いたあと、ネオン街に向かう。新潟くらいになれば、借り上げ宿舎ではなく、専用の宿泊施設があったと推察するが、そこはそれ。イメージカットは西堀から古町の8~9番町あたりだろうか。


新潟駅5番線への進入シーン。左はまだ新幹線の高架がなく、新潟機関区が広がる。ホームにはターレットが引く郵袋の山。跨線橋の設置工事中かな?


続くシーンは4番線への到着。「701M」とあるので「佐渡1号」だ。なお、シーンによって701Mや709M等、いろいろ変わる。左の1番線には新潟色の70系。


これらのシーンの直前に出てくるここは、白新線との複々線化や上越新幹線の高架橋でまったく雰囲気が変わってしまった場所で、ここだと思われる。


https://maps.gsi.go.jp/#18/37.914953/139.073747/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=11&lcd=gazo1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

新潟のシーンの特定は、万代橋左岸の電電公社のマイクロ回線塔と、旧新潟市役所を目安にするとわかりやすい。


万代橋から柾谷小路を市役所方向へ。東堀を横切るところ。左手のビルはいまもそのままある。右手の新潟中央郵便局は、イメージはそのままに建て替えられている。


カトリック新潟教会。バスが走っているのは、寄居町の交差点からどっぺり坂に向かう道。「ガレージモミヂヤ」は、1962年と1974年の空中写真では確認できなかった。ここも、マイクロ回線塔が見えている。また、画面左手にはお寺の屋根が見えるので、あのあたりが西堀8番町あたりだということもわかる。


ちょっとわからないのがここ。画面中央は旧新潟市役所、その右手前にかぶさるようにあるのは小林百貨店付近と思われる。その右手にマイクロ回線塔。おそらく海側から旧新潟市役所方面を撮っていると思うが、左の大きなビルと、その右の大きな広告塔のある白いビルがわからない。




また、この神社。これはセットだろうか。「階段を上った先の神社で、鳥居がたくさん」「街を見下ろす神社」という神社は周辺にはない。なにしろ新潟は砂丘以外は平べったいのだ。「豊川荷大明神」とあり、「(稲)荷」を書き損じるとは考えづらい。鳥居にある「新潟東建設」「大東石油新潟」「新潟新金属」「新潟相生本舗」等々はいかにも架空の名称ぽい。


終盤のシーン。駅名標には「にいがたそうしゃじょうまえ」。いまの東新潟駅が「新潟操車場前仮乗降場」だった時代のものだ。この時代の駅名標は初めて見た。

* * *


まったく別の話。これは『喜劇急行列車』の1シーン。イメージカットだ。列車は20系だが、もちろんこれは20系の台車ではない。

この台車はなんだろう? 軸箱を囲む馬蹄形(Π型)風の部品からDT19かと思うもΠの上の部分がなく、軸箱上のゴム?が見えている。また、見えているステップ、気動車ではここまで大きくないので、機関車か貨車か。ボギー貨車の緩急車にこんな台車はないし、機関車にしても、ちょっと思い当たらない…などと思いつつ、下記の写真(これはDT18)を見ると、この映像ではΠの上部の凹みが上手く?見えない角度となり、またステップも低い位置まで降りているように見えるだけなのかもしれない。よって、キハ10系のDT19ではないかと推察する。






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道路のこういうスペースが好きだ2

道路全般

 
佐渡の、小木港から赤泊港までてくてくと歩いた。その途中、いい木陰があった。クルマやバイクならば、人心地つきたいところ。

■関連項目
道路のこういうスペースが好きだ






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鬼ヶ城水道(有峰林道)と前後の洞門

隧道・廃隧道

有峰林道の旧道探索。索道平隧道(有峰林道) 信号機の転がる覆道を抜けると、次は鬼ヶ城隧道だ。

 

 
索道平隧道を出て旧道を行く。谷側は駒止のみ。路上には水流が砂礫を集め、そこに草が生えてはいるが、まだまだ「道」の姿をしている。

 
鬼ヶ城隧道の西側坑口は少し高台にある感じ。坑口から洞門が伸びる。


 
H型鋼にコンクリートの屋根が載る短い洞門の奥に、隧道。

 
通り抜けて、東側から。

 
東側坑口と、それに続く洞門。やはり、一段高い印象。


この先は藪であり、新道には取り付けないことがわかっている。



進めるだけ進んでみるが、7分ほどで藪は目の高さを超える。突き進んでもしょうがないので戻る。

 
あらためて新鬼ヶ城トンネルで迂回。写真左に旧道が見える。藪を突破すればそこに至るはずだが、そこからここに地面が繋がっていない。新道との切り替えはどうしたのだろうか。





(2009年)

●関連項目
索道平隧道(有峰林道) 信号機の転がる覆道
・埋められた大萩隧道(有峰林道)
・イタドリ隧道(有峰林道)
・信号があった真谷トンネル(有峰林道)と和田川第一発電所
・ニンニク隧道

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『ターミネーター2』のXR100Rの音

独言・日記

 
『ターミネーター2』で、ジョン・コナーが乗るバイク。これはカラーリングからして1990年式のXR100Rだ。しかし、しかし。排気音が、すべて2ストなのだ! 「『ランボー』に登場するハウトラス」でもXT250が2ストの音を響かせていたが、わかりやすいからだろうか。

 
しかし、ショッピングセンターから逃げ出すとき、なかなかエンジンがかからない最初の場面だけは、4ストのキック始動(でかからない)音がしている。まもなくT-1000が同じ画面に入ると、2ストの始動音とともにエンジンがかかる。以降、カミソリ護岸の内側を走るシーンまで延々と2ストサウンドが響く。

せいぜい時速100kmくらいしか出ないし加速も悪いのに、よくここまで逃げられるものだ…というのも、モトクロスタイヤを履いているのにスキール音がするのもご愛敬。ダートでもスキール音がしたりするし、よくあることだ。

 
後半、T-1000がKZ1000で階段を上ってくる。ここではフロントタイヤがブロックパターンになっている。この後、ヘリに飛び込む場面での急加速の音は、パラツインの音のような気がする。







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『ランボー』に登場するハウトラス

ハウトラス/アラントラス


映画『ランボー』の序盤、ランボーが街を追い出される「街の境界」がこの川で、この橋だ。ハウトラスだ! 一見、鉄橋に見えるが…


当然のように、木製のトラス橋だ。こんな構造物が、2000年以降もあるアメリカ。

場所はここ。

カナダのホープという街。このハウトラスは架け替えられていまはないが、ストリートビューに名残がある。ハウトラスを通っている部分がないのが残念だが。


序盤でランボーは道行くバイクを奪って逃走する。マシンはXT250。ぼくが初めて乗ったバイクと同じだ。

で、このバイクは空冷4ストロークなんだけれど、映画の中では2ストロークの音になっている。そのほうが、効果音としては「わかりやすい」のだろうけれど、よくないね。





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中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(2)

旅の思い出

中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(1)のつづき。

●浜田運動公園キャンプ場

北海道や東北と違って、中国地方でテントを張ったことは1回しかなく、キャンプ場の「アタリ」もわからない。今晩の寝床が決まらないというのは相当なストレスである。とはいえ、行ってみないとその日、どこまで行けるかわからない。難しい。


ここ浜田運動公園は、きちんと管理されているのに無料というとても素晴らしいキャンプ場だった。温泉までバイクで5分。バイクの乗り入れはできない。平日ということもあり、キャンプは私のほか2組のみだった。

 
海まですぐ。

●角島

これは確かに道路の真ん中で写真を撮りたくなるわ。

二十数年前、会社に離島巡りが好きでトカラの本を出しているような年配者がいたが(相当な人で、仕事を一切しない、できない、そういう人なので以下略)、その人が「特牛から船で角島に渡ったことがある」と言っていた。橋が架かったのはその話を聞いてから数年後である。


●大津島

中国地方ツーリングに来たかったのは、山陰の海沿いを走りたかったのと、大津島に来たかったからだ。

 
「人間魚雷」回天の訓練場があった島。トンネル内には、当時、トロッコの線路があった。いまは地面が整備され、なんとなく線路があったように見える。少し広くなったここは複線部分。分岐器の位置もなんとなくわかる。

 
トンネルを抜けると訓練基地。

 
訓練基地跡は、いまは釣り場に。

 
きれいに保存されている。

 
回天を吊り下ろしたクレーンの土台の跡。

 
これが回天(レプリカ)。

 
 
内部模型。映画『出口のない海』で使われたもので、主演の体格に合わせて少し大きめに作られている。

●周防大島

思っていたよりもはるかに大きかった。ぐるりと一周したが、特に南側は海岸線を丹念にトレースする細いルートで時間がかかった。ここで、海辺の駐車場でキャンプしようと思ったが、入った食堂で天気予報をみると今晩から雨。もうここで切り上げて東京に一気帰りしようか本気で迷い、一時はそう決断したものの、やっぱり雨の中を走ることにした。結果、翌日夜まで大丈夫だった。


陸奥記念館の屋外展示。館内展示は見なくてもよかったかな…。

●ホテル泊

本来、すべてテント泊のつもりだった。しかし、中国地方のキャンプ場の少なさに加え、ルートの都合上、あるいは大津島に行きたいなどというと、もうキャンプや野宿などできない。しかも天気予報は雨。


そこで、ついに宿に泊まってしまった。乾燥がイマイチだったテント等も乾かせる。5000~6000円で、この快適さを入手してしまうのは危険だ…。


結局、船中1泊・野宿1泊・テント1泊・ホテル3泊・実家1泊、となった。


こんなことならキャンプ道具を持ってこなければ、もっと軽い装備になったのに…。

●GPSログ

帰路、福井県や新潟県の海岸部を走りたかったので、となると勢い新潟の実家まで行ったほうが便利だ。なにより、福井から東京に向かうとすべてが「帰り道」となるが、新潟まで行くならそこまでは「ツーリング」であり、「帰り道」は300kmになる。気分的には全然違う。

というわけで、中国地方ツーリングなのに新潟出入りという奇妙なことになった。総走行距離約3000kmだった。







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中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(1)

旅の思い出

遅い夏休みで中国地方ツーリングに行ってきた。その様子は下記にまとめたが、それでももう少し書きたいことがあるのでここに。

中国地方ツーリング2019晩夏+新日本海フェリー新潟~敦賀


●新日本海フェリー 新潟~敦賀航路


 
新潟~秋田~苫小牧東の航路が、週一だけ敦賀を往復する。日曜新潟発、月曜敦賀発だ。なかなか乗る機会がない航路だが、西に向かうのに東名高速じゃあな…と思っていたところ、この航路を思い出した。GPSログをとるために、あえて2等の雑魚寝部屋に。寝台の部屋は船の内側になってしまう…と思ってそうしのただけれど、よく見たら違った…。

16時30分出港で、規定では「1時間前には乗船手続き済ませておくこと」。余裕を持って15時すぎに行くと、「乗船開始は16時15分ころからです」。それはそうだ、苫小牧東から来る便の新潟着は15時30分。それから荷役、つまりほとんどの車両を下ろして、それからの積み込みだ。

16時15分ころから乗船し、荷物まとめて部屋に入り、甲板に出たらもう出港していた。早い!


新潟沖を西へ。この光景は初めてだ! と思ったのだけれど、佐渡航路も、もう少し沖合からだけれど、こう見えることをGPSログを見て気がついた。


天気はよろしくない。乗船するころから降り始めた。甲板に出るとゴンゴンゴンゴン……と大型フェリー特有の振動。こんな天気だが、揺れることはなく、ぐっすり眠れた。


敦賀港、5時30分着。敦賀港はタグボートがつくんだな。

●ドライブイン日本海

越野弘之さん(@jihankimania)さんの『懐かしの昭和ドライブイン』で知ってメモっておいた自販機のドライブイン。


先客がお一人いたけれど、ぼくと入れ替わるように食べ終わり、貸し切り状態に。




天ぷらうどんを食べたのだけれど、せっかくなので肉そばも。

●神子畑鋳鉄橋と選鉱場と明延の「一円電車」






見てみたかった神子畑の鋳鉄橋。そしてその本体というべき選鉱場。周辺は1日では見学しきれないくらいなのだけれど、慌ただしく見学。選鉱場の模型がとても精巧。制作は1958年。

●美保関
 
境港から島根半島に渡り、そのまま西へ向かおうと思っていたが、境水道大橋から見下ろす海沿いの道が美しく、美保関まで行くことにした。すばらしかった。上の写真は美保関漁港。干満差がないのか、海面と陸地はわずか50cmの差。

 
長浜の港。

 
海崎港の舟屋。

●雲津


北側の雲津に回った。下の写真が雲津の集落。こうした行き止まりの集落に行くのが好きだ。道路の末端を見るのが好きだ。上の写真は雲津大橋から見下ろす集落。

●島根半島

江島、大根島と、海の上の道路(一部を除いて橋ではない)を走る。意外に「両側が海」と感じられる場所は少ないが、陸地と海面の高さがあまり変わらない。境は大潮でも干満差が20cmくらいしかない。

●海に突き当たる道路
 
海に突き当たる道路が好きだ。これは島根半島を西に向かってきた国道431号が、半島が尽きて左に曲がるところ。

 
太田市の近く、久手。この盛り上がりは砂丘。この向こうは海。


●関連項目
中国地方ツーリング2019晩夏 落ち穂拾い(2)




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