大月橋~新第2桂川橋梁の続きは後日。
今日、カルカルで開催された『車両基地ナイト』に行ってきた。満員イベント、新幹線の車窓ナイトの著者にして私の仕事仲間である栗原景氏と、ダムの第一人者にして写真集『車両基地』の著者、萩原雅紀氏のトークライブである。お二人とも面識があったわけではないらしい。 写真集に収録されなかった写真を大写ししながら解説し、たまに笑いのツボを刺激しながらトークが進む。 栗原氏からは、雑誌の取材で訪れた小田急の検車区を、外から眺められない点で笑いをとりつつ、中の人がなにをしているのかという、一般人が見ることができない作業をレポート。そんな感じで1部、2部。 第3部では、大阪の鳥飼車両基地ネタ。鳥飼を俯瞰できるように大阪モノレールが走っているのだが、萩原氏も栗原氏もほぼ同時にそれぞれの著書のためにそこで撮影していたらしい。萩原氏は撮影のために5往復(だっけな)したと発言したところで、栗原氏が動画を上映。なんと12往復したらしい。 この「12往復」、ただ言葉で聞いたら、ああ、すごいね、でしかない。しかし、作り込んだコミカルな動画を見れば、恐ろしいほどの笑いに昇華する。 この作り込み。膨大な労力を要するものだとは思う。しかし、見る人を意識すると作ってしまう。作りたくなってしまう。作らなくてはいけない。そんな思いなのかもしれない。そのおかげで、会場は沸き、イベントもスムーズに進行する。 私の仕事にも当てはまることだ。ただあるものを出すだけではまったくダメ。単なる解説が入るのは少しマシ。でもお金をいただけるほどではない。見ている人が共感できる解説が入るとかなり素敵。「おもしろさ」がヲタ的な観点ではないところなら、より素敵。そして、この動画ほどになると、お金を払って見る価値が十分にある。 人の興味というのは詰まるところエンタテインメントを求めることがほとんどなのだから、その本質は、手間をかけるということなのだろう。その手間の方向が正しければ、必ず開花する。 車両基地。 工場と同じで、夜景こそ、ということを改めて知った。そういえば、水銀灯で緑色になったポジは多数所有している。それを美しいとは思っても、それをメインにすることに考えは及ばなかった。そこに気づいた人が、先陣になれる。いくつかアップしようと思ったが、なぜかどれもマックからwinに持ってきた事典でファイルが破損している。破損してないのが2枚しかなかった。上は田端、下は東新潟。田端は、確か、ハイエースの屋根に登って三脚立てて撮った。もっといいカットがあるのだが、自分のPCでは見られるのにアップできない。東新潟のは跨線橋から。正月でヤードが機能を停止したときに、タイミングよく雪が降っての1枚。 PR JR中央本線の車窓からも見える、R20大月橋。この橋の知見はなかった(歴史的鋼橋集覧で見ていた程度)だが、先日、車窓を漫然と見ていたら大月橋(と梁川橋)が目に入り、改めて行ってみた。 この大月橋が渡るのは、相模川の上流、桂川である。大月橋が渡った後と言おうか、200mほど下流で笹子川を支流に分けている。JR中央本線と中央自動車道(西宮線)、国道20号は支流の笹子川を遡り、富士急行線(正式には大月線・河口湖線)と中央自動車道富士河口湖線、国道139号は本流の桂川を遡る。桂川は水源を山中湖に求める。 現代の交通体系から言えば支流的な富士急と中央道富士河口湖線、国道139号路線が本流をたどるものではあるが、河川の本流・支流の定義の基準は一応は流量や流域面積から決まるらしいが、極めて曖昧なものであり、治水の進んだ現代にあっては現状とそぐわないことがある。それを差し引いて考えても、川の流れが大きいほうが交通体系としても主となるわけではないことは、過去に北海道の鵡川等に関して書いたような気がする。 さて、大月橋に目を向ける。大月駅から約400m、国道20号沿いに歩いて行くと見えてくる。 正面(南西)に見えるのが国道20号、左(南東)に国道139号を分ける交差点 「大月橋東詰」である。ここは「富士道(ふじみち)追分)とも呼ばれる場所。国道20号は甲州街道、国道139号は「富士みち」と呼ばれ、写真中央左に写っている石碑にもその名称が見える。 右端:南無阿弥陀仏 右 甲(州)道中 #「州」とは読めないが・・・ 左 富士山道 中央:○の中に「正」の文字 右 甲州道中 左 ふじみち 左端:「向」の文字 右 甲州街道 左 富士街道 この部分が地元の方々の休憩所のようになっていて、その旨の張り紙もあった。この場所から見る大月橋はこのようになる。 手前の木が邪魔をして、撮影しづらい。枝が葉をつけたら、もっと見えなくなるだろう。また、奥の鈑桁まで見通せないのも感じていただけるだろう。 下を見ると、河川敷に道路があるのでそこに下りてみる。国道139号をしばらく行っても下りられるが、私は国道20号を横切り、2枚目の写真で言えば道の右側に渡り、大月橋の袂にあった踏み分け道を下りた。下に行く人がいるのか、踏み分け道はしっかりしている。そして、定着桁の下をくぐると、そこには大きさの割に太すぎない部材が美しくシンメトリーに並んでいる。 振り返れば支承がある。 ピン付近の塗装が剥げたように見えるのは、支承が支承の役割を果たしているからか。 この場所、即ち地面に立っていると、大型車が橋の継ぎ目を通るたびに地面に震動がある。この震動を、この巨大なトラスは受け止め、その重量を支承が受けている。 橋脚の支承も示す。 水面近くまで下りると、一番上の写真ように見える。そして、構造的にはこのようになる。 このトラスの1パネルの長さは10m。そのため、定着桁の長さは橋台から第1橋脚までの35m+張り出し部分10mの計45m、吊り桁は30m、というのが一目で分かる。トラス部分が120mと長大で、両端部に大きな木がかぶさっているため、橋はそれで完結しているようにも見える。最大支間50mのゲルバートラス部分が渡るのは桂川だといこともあり、そこに気をとられるが、35m+50m+35mの橋長120mのゲルバートラス橋部分にプラスして、西側(甲府側)に剛性鈑桁3連が計77.1m、付け足されている。今回紹介するのは、ゲルバートラス部分である。 上流側から。奥に見えるのは中央本線の新第二桂川橋梁と道路今日の新大月橋で、ここでも興味深い発見があった。それは機会を改めて記述する。 中央本線は、奥の上路ワーレントラスで桂川を渡った後、国道20号大月橋の鈑桁の西端の桁の下をくぐり、甲府へと向かう。撮影中に何度となく列車が通ったが、貨物列車の重量感はすごい。 もっとも美しい、ゲルバートラスたる部分である。これは西側で、画像右側=橋脚の右側2パネル目と3パネル目の間にピンがある。このツノが、ゲルバー桁の美しさである。 その部分を真横から見ると、本当に美しい。こちらは東側の橋脚で、ピンは画像左端ギリギリで向こう側のだけが見えている。 下弦材はピンに注目するが、上弦材は定着桁と吊り桁それぞれの斜材が格点にどうつながっているかを見て欲しい。定着桁が端柱的な縦桁を受け持ち、吊り桁の端部(画像では右端)はZ字形をしていて、「フ」の角の部分が格点に吊りかけてあるように見える。吊り桁の上弦材は、定着桁の端部の横梁にボルト止めされている。 道路部分は、・・・なんとしたことか、私は大月橋を渡っていない。そのため、床版がちゃんとピンの真上で切れているのか、あるいは別の場所となっているのかがわからない。ただ、クルマが通過する音を聞いている限り、継ぎ目はありそうではある。 欄干は連続している。気温による桁の伸縮で、そのうち欄干に歪みがでてきたりしないのだろうか。 次回は奥に見えている鉄道用の新第二桂川橋梁と、その奥の道路用の新大月橋について∠もとい書く。 <参考文献>歴史的鋼橋集覧
nagajis氏の記事を又借りする。氏の記事は私の3月10日付けのエントリ(個人的にはその記事の末尾の画面はぜひクリックしてほしい)を下敷きにしておられるが、私はまたそこに重ねる。他人の褌の又借りである。跨りではない。今までの人生で、他人のパンツは履いたことがない、幸いに。
「昆虫」の「昆」を逆さまにすると顔に見える、とのことだが、ちょっといじるとより整った顔になる。ウロコ(というのは知らなかった。セリフ、で覚えていた)があるからこそ、というのはなるほど、その通りだ。 nagajis氏の記事の中で、記事を読む前にひっくり返った「昆」を見たとき、私はすぐに「習!」と思った。次に顔である。nagajis氏は逆の順で連想されたようだが、ものすごく大げさに言えば、その順序の違いに。今まで生きてきた中で習得してきたセンスの違いが凝縮されているように思う。氏のエントリから私のところに跳んでこられた さて、この「逆・昆」は、他のフォントでやってもおもしろい。明朝でも、ウエイト(太さ)の違いで随分と印象が違う。ここに例示したものは、私としては太すぎると思うが、フォントを持っていない。 今風のスマートな細めのゴシックだと「しょうゆ顔」、楷書(たくさん種類があるが)だと鳥獣戯画風、丸ゴシックだと少しコミカル。いろいろお試しあれ。 人間の目は、右下に影があることで立体を意識する。だから、陰影のある地図は、すべてありえない方角=北西から光が当たり、南東が影になる。そのため、その地図を逆さまにすると、尾根が谷に、谷が尾根に見え、把握できなくなる。漢字も同じように、逆さまにしては読めなくなるということに気づけたのは、今回の収穫である。 明日は久しぶりにちょろっと出かけてこよう。。。多分。 ついしん:「習」の顔化は、骸骨みたいで怖いです。
井上準之助の本を2冊買った。古本也。イメージだけで語られがちな戦前の日本経済をきちんと理解したい。このあたりを曖昧にしておいたままでは、鉄道の戦時買収も、昭和に入って連続するテロも、その背景にあるものも、適当な知識--そういう時代背景である、と思い込むこと。なぜそういう時代背景になったのかの考察がない--でお茶を濁したままになってしまう。
高校生の頃に得た教科書的な知識とは、言われたことをそのまま無批判に受け入れて単なる知識として習得することで終わった。そうではなく、興味の対象に対して考察したり、もっとヲタ的な関心を持って心惹かれるままにネットサーフィン的に知識を求め続けることこそ本質をつかめるのではないかと思う。 1冊だけ読んでわかった気になってもしょうがないので、もう一冊がもう少ししたら来る。しかし、これを読む前に、1200ページの大作を読み終えなければ。読める時間は1日30分くらいしかない。終わるのはいつのことやら。 |
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