由良半島のどん詰まり:本網代・西泊・魚神山
由良半島のどん詰まり:後・後トンネル・須下・曲烏 の続き。 ![]() 由良半島の中央部に「船越」という地名がある。船越というのは、船が越えた場所につけられる。由良半島は海上に細長く突き出しており、動力船のない時代、沿岸を航行する船にとっては大きな迂回を強いられた。少しでも海路を短くするために、標高10m程度と思われる地峡部分で船を山越えさせた。直線距離で200mほどだ。 ![]() その区間に運河が開通したのは昭和41年(1966年)。どれくらいの通行量があるのかはわからないが、由良半島は沿岸が真珠等の養殖場となっており、船舶の通行には大きな利便性があるのだろう。写真は北側から南を見た空撮。 ![]() こちらは南側から北側を見た空撮。歩けば5分とかからない距離も、船にとっては憎き陸地だったろう。 ここの空撮動画を下記にアップした。 この北にある細木運河と奥南運河も訪ねたい。 PR
由良半島のどん詰まり:本網代・西泊・魚神山のつづき。
![]() 由良半島には「道路のどん詰まり」が大きく3点ある。本網代は前記事のとおりで、ここは後(うしろ)。 ![]() ![]() ![]() 後集落に行くには、後隧道(後トンネル)を通る。コンクリートの巻き立てだが、一部は鋼板で補修されている。 ![]() 車道の終端部。集落としては、わずかな戸数しかないようだが、クルマが何台も停まっている。釣り人だろうか。SVを見ると、写真左には「矢羽根型」の木製扉を持った小屋があったようだが、現地では気づかなかった。 ![]() ![]() ![]() こちらは須下(すげ)の終端部。小さな桟橋がある。そこにはモノレールホイストがあり、そこに電線が伸びている。こういうの、好き。 ![]() 須下の湾では真珠養殖が行われている。私には真珠養殖と魚介類の設備の差がわからないが、網や浮きはある。 ![]() 養殖筏の上で作業をする方々。そこに小さな船がやってきて、なにやら作業していた。 ![]() コスモ石油の給油所。ブランドが塗りつぶされているので閉鎖されたものだ。これもSVで見ると、別の面の防火壁の塗装が剥げ、丸善石油のペイントが見えている。現地は気が付かなかった。 そこから由良半島の北部を、船越運河(別項にします)を越えて付け根に戻る ![]() ここは曲烏(まがらす)。船がいる場所は人がいて、生活がある。生業を海に持つ人たちは、山に持つ人たちよりも持続的、あるいは持続しやすいのかもしれない。人口密集地から相当に離れたこうした地にこうした規模の集落があることは「海の恵み」に他ならないといっていいだろう。 【関連項目】 船越運河(由良半島)空撮動画 ![]() 2021年末のツーリング、東京から和歌山まで行き、その日のうちにフェリーで徳島に渡るつもりだったが、思わぬ降雪のため途中の四日市でホテルに避難したので、2日がかりで和歌山港に着いた。南海フェリーには2010年に乗ったがそのときは写真を撮っていない。 ![]() 乗船待ち。夕陽が落ちてくる。 ![]() ![]() バイクが先に乗船する。進行方向に対して斜めに固定する。 ![]() 西日に向かって海上を走る。 ![]() 徳島港。下船後、近くに留まれないので少し離れて見ていたら、船を積んだトレーラーが下りてきた。 * * *
![]() 帰路も利用した。徳島港はこのようにドライブスルー型で乗船券を購入、そのまま待機場に入る。 ![]() 12月30日の夜。港の冷たい空気は、旅の記憶を振り返るとまたそこに佇みたいと思うけれど、現実にそこで待機している間は、ひたすらかじかんでいた。 ![]() 徳島港の出港を眺めていたが、係留索を外す人がいない。…と思ったら、ポンッという音とともに索が弾かれた。 ![]() 四国の西部に突き出す細長い半島…といっても、佐田岬半島ではない。そのずっと南にある、ずっと細い由良半島。そのどん詰まりまで行ってきた。 ![]() ![]() 本網代(ほんあじろ)。 ![]() バイクが停まっているのは港の敷地内。バス停の位置が道路の終端。ここまでバスが来ている、というのも驚く。 ![]() ![]() 運行しているのはあいなんバス。1日4便、柏まで。由良半島の付け根から南にいったところだ。 ![]() そこから少し戻った西泊の漁港。1区画ごとにモノレールホイストが海上に突き出す。 ![]() 網が畳まれ、浮きが固められ。 ![]() そこに干してあったイカ。 ![]() さらに少しだけ付け根のほうに戻った魚神山(ながみやま)。ある種の舟屋か。西泊のように水揚げをする設備ではなさそうだが、海上に突き出したレールはホイスト用だろう。「妻入り集落」ならく「妻入り漁港」とでもいうべき景観。 【関連項目】 由良半島のどん詰まり:後・後トンネル・須下・曲烏 船越運河(由良半島)空撮動画 ![]() 松山市南部、砥部町との界となる重信川に架かる橋。3連1組、かつ橋脚上に突き出す三角形からカンチレバートラスかと思いきや、3連の真ん中の桁を見ても吊り桁ではない。 吊り桁というのは、この写真でいう黄色い部分。これは京都の泉大橋(国道24号/木津川)。碇着桁から張り出した(カンチレバー)部分に「吊り掛けられている」のがカンチレバートラスだが、重信橋はそういう構造には見えない。 ![]() 真横からは撮れなかったが、普通のカンチレバートラスでは、ここが吊り桁になるはず。しかし、分離できるようには見えない。 ![]() 桁裏を見ても、やはり分離できるようには見えない。ということは、これは見た目としてはカンチレバートラスだが、実際は連続ワーレントラスだと思われる。 ![]() 右岸(北側)の親柱。左の親柱が隠されている。親柱をないがしろにするな…! 右は「重信橋」。 ![]() 側面には「昭和二十五年七月竣功」。 ![]() 銘板がある。 昭和二十四年 愛媛県建造 内示(昭和十四年) 松尾橋梁株式会社 東京工場製作 ![]() 上流側には歩道が別途設けられている。 さてこの重信橋。「日本の長大トラス橋」(藤井郁夫)によれば、「下路連続トラス3連の下路連続トラス橋」であり、新田原飛行場の旧日本軍の格納庫の解体材を前提に設計されたらしい。橋梁のデータベースの元を作成していた藤井郁夫氏が「カンチレバー」と書いていないということは、この橋がカンチレバーではない、ということの証拠となろう。 この重信橋が架けられたのは、多径間のトラス橋が、カンチレバーから連続トラスに変わる節目の時期だった。「カンチレバーの見た目で連続トラス」であるいうのは、もしかしたらそれをふまえているのかもしれない。妄想ですが。 |
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