小坂鉄道の立地は、一見、不思議に見える。
なぜ、小坂からわざわざ峠を越えて茂内に出てから大館に向かうのか? 現在の鉄道路線図を見ると、そのまま小坂川(米代川の支流)を下って 十和田南駅につなぐのが自然に見える。 十和田南駅から大館駅へは、やはり米代川沿いなので極端な勾配もない。 と思う。(あとで調べてみよう) 遠回りでも、勾配の少ないほうを選ぶのがセオリーである。 北海道の、函館から札幌を見よ。 鳥瞰図にすると、こうなる。 #カシミール3Dで作製。高度2万4000mより北を見る。レンズ50mm。 しかし、花輪線が、大館から毛馬内(現・十和田南)に延伸したのは大正4(1915)年。 小坂鉄道が大館まで通じたのは明治41(1908)年。しかも762mm。 現在から見れば、最初から1067mmで毛馬内に向けておいて ちょっと我慢すればよかったのに。と思う。 当時の大館~毛馬内を開通した秋田鉄道と、なにか因縁でもあったのだろうか? PR
小坂製錬小坂鉄道。
昨年(2008年)3月で鉄道輸送が休止された。 小坂の精錬所で複雑硫化鉱を製錬し、その副産物として精製される 濃硫酸を秋田港に向けて輸送していたものが、 たしか新炉を建設してリサイクル事業に特化したため、 硫酸輸送がなくなった・・・と記憶している。 定番撮影地だった一号隧道付近。 小坂駅を出たDD130形3重連が牽引する濃硫酸列車は 大きな唸りをあげ、黒煙を噴き上げながら左に180度方向を変え、 この杉木立の向こうから向かってきたものだった。 踏切は、こうまでしなくてはならないのだろうか。 一号隧道。 左のピラスター上部をアップしてみる。 木が生えている・・・。 いつも不思議に思うのだ。 隧道や橋梁の、わずかな隙間の土に種が根付き、 かなり大きな木となってしまっていることがある。 管理者は、それが小さなうちに枯らすことをしないのだろうか? 植物が伸びる力というのは、岩をも穿つことはよく知られている。 もしこの木が煉瓦の内側に根を張っていけば、 次第に煉瓦の構造物に悪い影響を与え、 ピラスターを破壊し、ということは地山からの圧力が坑門側に抜け、 坑門が倒壊してしまうことすらあるだろう。 かつての光景。 山一印のタキ29300。 ほかにもitochu、DOWAといったロゴが見られた。 昭和50年の航空写真。 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c1b/cto-75-22_c1b_59.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c2b/cto-75-22_c2b_57.jpg
なんというか、雨だったために写真をあまり撮らなかった。
なんの変哲もない道と言えばそうだったからかもしれない。 以前、オフロードバイク雑誌に関わっていたとき、 林道の写真はどこで撮っても変わらんよ、というのが常識だったが、 それに近いかもしれない。 とにかく石垣がきれいだった。 堅固だった。 石垣のあるところでは路肩が崩れているところはほとんどなかった。 一部、石垣ごと谷側に押し流されているところがあり、 そこは道の上にも土砂が堆積していた。 馬頭観音。 想定していたよりも小さかった。 『山さ行がねが』でのプチレポでは、とんでもないところを歩いているように見える。 実際は、トラバースする部分でも足下はしっかりしていた。 斜面を写真で表現するのは難しいが、 安全を表現するのも難しい。
ひょっとこは現れませんでした(謎
行ってきました、黒川通り。 参加者たちは私より若い人が多いようで 初対面同士、廃道話で盛り上がっているようだった。 生憎の天気が予想されたが、多少ぱらつく程度、 いっとき、日が差すことすらあった。 そんな天気と相まって、とにかく「気持ちいい」道である。 ただ、とにかく露出があがらない。 雨天その他を考えてキスデジにしたが、 いまピントの合いがよくないので・・・。 バスで泉水谷・三条橋まで乗り付け、すぐに廃道に入る。 ちょっと荒れた林道、という程度で 人が入っている様子がある。 新・黒川橋。 向こうに見えるのは旧道の橋台と橋脚だが主桁はない。 橋台から橋脚の間、木橋の桁らしきものが残る。 ゆうれい草(銀竜草)。 別の場所にもいた。 正面から写真を撮らなかったことを悔やむ。 危険が生じる可能性がある場所には 主催者がロープを用意。 使用後、すぐに回収する。 オブザーバーの方がサポートしてくださる。 このあたりから雨脚が強くなってきたので カッパの下を着用。 そんなこんなで藤川橋へ。 そこからR411を上り、SK落合キャンプ場からバスに乗り、一路都内へ。 参加された皆さん、お疲れさまでした。 主催者およびヨッキれんさん+白仮面さん、ありがとうございました。
位置関係は、こうである。
それを鳥瞰図で見ると、こうなる。 紀ノ川沿いの平野部から大阪方面に出る際には、 和泉山脈と金剛山地の鞍部たる紀見峠が そのルートとして選ばれたのがよくわかる。 柱本の手掘り隧道付近を拡大すると、こうである。 林間田園都市の住宅街は山を切り開いたものであって、 かつてはそんなところに道などなかったのだろうが、 橋本から向かうのであれば、 芋谷川の谷沿いにあがってもいいじゃないか・・・ #これらの地図画像と鳥瞰図は、DAN杉本氏作製のカシミール3Dを使用した。 |
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