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800馬力除雪車

道路除雪車

 
『CURIOUS』12号の記事で知った、新潟県上越市の中郷に保存されている、史上最大規模の道路除雪車、通称「800馬力」(説明看板による)。なんとも写真に撮りづらい、そして「なんてことをしてくれるんだ」という塗装になっているが、まるで鉄道車両のような迫力のあるロータリー。説明は下記看板を見て欲しい。

 

 
キャブがふそうT900のためにトラックをベースにした車両に見えるが、そうではなく、『CURIOUS』誌の表現のように、重機、建機のようだ。車台は三菱重工、除雪機は日本車輌、sボディは呉羽とのこと。

 
 
トラックベースとはエンジンの搭載方法がまったく異なり、リヤに除雪用510馬力(V12、27.5L)と走行用330馬力(V12、19.9L)を搭載している。合計840馬力であることから、通称「800馬力」といった。エンジンは縦置きで直列になっている。

 
 
ロータリー部分は、かき寄せ車と羽根車の2軸になっているDD14などと異なり、1軸で両者を駆動するワンステージ型。国鉄では、DD14の1号機で採用し、北陸の湿った雪で投雪口が詰まり、採用しなかったタイプだ。

 
 
ロータリーヘッドには小さなタイヤが4輪ついている。蒸気機関車の従台車のような造形。ダブルタイヤをU字型のアームが二重で覆っているが、上がスイングアームのような動きをし、下がサスペンションの役割のように見える(前後に運動する。右に突き出しているのがアブソーバーか)。

 
タイヤ。キーストンマークのBS。サンセリフではないので、1974年以前のマークだ(それ以降でも陽刻にはあるのかもしれない)。サイズは16.00-25。ハブには三菱。

 
旋回窓がついている。鉄道用は軸に直接モーターがつき、それを垂直方向で支えるが(「Φ」の形)、これは旋回窓の枠にモーターがつき、ベルトで軸につないでいる。その軸は120度ずつの3本の脚で支えられている。また、旋回窓は浮かすこともできそうだ。ワイパーは4本。ある。

詳細は『CURIOUS』12号に、補足が13号にある。ぜひご覧いただきたい。
 


special thanks:丸田祥三さん







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峰谷橋

ブレーストリブアーチ

 
奥多摩湖に架かる「奥多摩5橋」の一つ、峰谷橋。中路のブレーストリブアーチ。支間123mは、1957年の架設当時は国内最長だった。この美しい橋は、近くに視点場がないのが惜しい。

 
ブレーストリブアーチ特有の、橋門構上部が軸方向に上に反っているように見えるのがかっこいい。平成初期の修景で横長の橋名版がついた。

 
その裏、ボルトが突き出した部分の塗装が剥離して、錆が…。


鋼材が縦横に張り巡らされた、篭のような印象。それでもアーチはトラスよりもずいぶんと明るい。

 
 
側面に後付けされた歩道からは、部材の中をのぞき込める。ひたすら続くリベット。

 
銘板。

1957年8月
東京都水道局建造
建示(1955)二等橋
製作株式会社東京鉄骨橋梁製作所
材質 SS41

 
歩道が部材と干渉する部分には大きな穴が開いており、鋼板でふさいである。その、リベットを避けるほどの細かさ。



橋そのものについては『東京奥多摩町・青梅街道の昭和前期における橋梁の進展に関する研究』(紅林章央・前田研 一・伊東孝/PDF)に詳しい。










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渚滑 はたの食堂跡

旅の思い出

かつて、オホーツク海沿いを北上すると、「はたの食堂 ライダー&チャリダー共和国」と書かれた看板が、かなり手前…うっすらとした記憶だけれど、サロマ湖あたりから…建てられていた。それがあったのは渚滑の駅前。



泊まったことはない。初めて北海道に行ったときだけはライダーハウスを当てにしていたので立ち寄ったのだが、のぞいた瞬間の雰囲気で退散してしまった。それは、別に宿が悪いわけではなく、泊まっている客のそぶりだった。

 
2018年8月、ふと看板を見かけたので、向かってみた。これは北側、興部の国道の丁字路の東側にある。

 
ところが、地図を頼りに現地に行ったら、跡形もなかった。どうやら2017年に閉店したらしい。ライダーが激減した現代まで続けていたのはほんとうにすごいことだ。今後はストリートビューのアーカイブが貴重な記録として残っていく。

●関連項目
えさしYOUの思い出




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東秋留橋

コンクリートアーチ橋

 
秋川にかかる東秋留橋。あきる野ICの下流にある。昭和14年のコンクリート開腹アーチで、当時の構造物が、親柱や高欄に至るまで改変されずに残っている。戦前らしく、人手をかけた(=部材より安い)構造で、並行する2本のアーチに並行して支柱を建て、床版を載せている。

当時は鋼材の節約のために、同じスパンならばコンクリートアーチが架けられていたというのも、架設された時代の背景として留めておきたい。

 
アーチの裏を覗く。型枠の板の木目がアーチと直行する方向でびっしりと並ぶ。河川敷には、事実上3基の橋脚があるが、洗掘対策として、付近はコンクリートブロックがびっしりと敷き詰められている。

 
 
支柱の薄さ、床版は見えないが高欄がそれを軽快な印象に見せる、美しい橋だ。高欄は、その色や表面の印象、張り出した形から、後付けのようにも見えるが、本体と同時に架設されている。

 
親柱にある「東秋留橋」の、「秋」「橋」ともに異体字だ。特に「秋」は、偏と旁が入れ替わった「秌」になっている。「東秌留槗」。

 
この東秋留橋は人道橋である。こちらは秋川と直交するが、下流に架けられた新橋は、秋川を斜めに横断する形だ。その新橋の線形は非常に凝っていて、左岸から来ると、まず左に頭を振ってから右カーブで新橋に入り、橋の上い至ると左カーブになる。急ではないので運転者はとくに気にも留めないだろうが、本来ならば避ける線形だろう。そうしてでもこの橋があるのは、文化的価値があって保存されているからにほかならない。

 
右岸側。写真左端が新橋方向。


●参考
関東の土木遺産 東秋留橋











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苫小牧東港コンテナ埠頭

コンテナ

 
苫小牧東港の中央埠頭、国際コンテナターミナル。苫東厚真火力発電所に隣接している。ここを訪ねた翌週に、地震で大規模停電となるなど、このときは思いも寄らなかった。

 
マースク。

 
TRANSYS。

 
 
次々とトレーラーが到着し、ナラサキスタックスのリーチスタッカーが手早くコンテナを引き上げ、積んでいく。ロジスネクストユニキャリアのMR45。

 
日立物流の45U6型コンテナ。側面総開き。twitter上には「オープントップコンテナ」と書いてあったけれど、トップは見えないので不明。

 
コンテナ埠頭に向かう道路。なんとかっこいいのだろう。

 





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上幌内郵便局跡

郵便局舎

 
オホーツク海に面する雄武から、中雄武、上雄武と山を越えて西にある、幌内川の支流が集まる少し開けた場所にある上幌内。人家も多かったのだろうが、いまは人の姿が見えない。とはいえ、周囲の畑は営まれているので、人の出入りはある。かつての北隆鉱山の近くと言えば近く。

上幌内という地名は、ここ雄武と、十勝の鹿追にある。

 
道道60号と道道49号の交差点近くに、上幌内郵便局だった建物がある。

 
 
道路とはこんな位置関係にある。道路が高くなっているのは、すぐ橋を渡るために嵩上げされたのだろう。

 
裏に回る。窓の面積が大きい。

 
自分が映り込んでいてまったくアレだが、公衆電話室。地域の個人宅に電話は引かれていたのか。映り込んでいてすみません…(加工して消そうとしたのですが、うまくいかないのでやめました…)

 
事務室はそのままに。カレンダーは「20日」で止まっている。何年何月か。サイト『学舎の風景』によれば、すぐ近くの上幌内小学校の閉校が平成2年3月末。それから間もない頃かと思ったら、こちらのサイトによれば、廃止は1982年7月1日(=6月末限り?)とのこと。ということは、それから別の施設に転用されるなどしたのだろうな。

●同日追記



 
住み込みだったのか、通いなのか。業務量はどれだけあったのか。室内の様子は、数年前までは何かしらの出入りがあった感じだ。

 
向かいには、上幌内山の里PA。その奥に、上幌内小中学校の跡。校門と教員住宅が残っている。







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笠島函渠

コンクリート桁

 
新潟県の信越本線笠島駅の西にある、線路下の狭い通路。名称は「笠島函きょ」。

 
これは海側からみたもの。

 
銘板は錆が進行している。陽刻は保たれているが、時間の問題か。

笠島函きょ
設計 日本国有鉄道信濃川工事事務局
施工 清水建設株式会社
設計荷重 KS-18
着手 昭和39年9月10日
しゅん功 昭和40年9月30日

 
梁を見ると、小さなレールが埋め込まれている。時期的に、信越本線複線化工事でこの函渠が作られたのだと思うが、その時に作業に使われていたトロッコかなにかだろうか。

米山までの複線化は昭和43年9月11日。青海川までは1年早く昭和42年6月19日。この函渠の竣功からいささか空くが、そういうものだろうとも思う。

 
こちらは山側から。複線化開通時期とはあわないながら、この函渠は複線の路盤造成と同時だということがわかるだろう。梁に飛び出しているのはレールではなくボルトの軸(ネジ山側)。

 
銘板は海側と同じと思われるが、錆による劣化がひどい。

 
1965-9の銘板。


spl.tx 丸田祥三さん


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鴨沢橋

鋼アーチ橋全般

 
小河内ダム建設に伴う「奥多摩5橋」の一つ、鴨沢橋。ソリッドリブアーチの中路橋だ。溶接で組み立てられたアーチリブが非常に印象的。ゴツくもなく軽くもなく、塗装を終えた直後のピカピカなグレーの塗装とあいまって、「無表情」とでも形容しようか。

 
アーチリブの補剛材の下部には、水抜き穴がある。

 
左右のアーチを結ぶ横構に施された肉抜きも、リブが立っているために、のっぺりとして見える。

 
銘板と塗装標記。

1957年4月
東京都水道局建造
建示(1955)二等橋
製作 高田機工株式会社
材質 SS41

 
正面ぎみに。橋は歩道橋部分を含めて幅が広いので、道路上部を狭く覆う印象となる。


 
西側の左の親柱には「昭和32年4月竣功」、右は「かもざわはし」。


橋そのものについては『東京奥多摩町・青梅街道の昭和前期における橋梁の進展に関する研究』(紅林章央・前田研 一・伊東孝/PDF)に詳しい。



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十勝平野に入るゲート

道路全般

 
一度しか通っていなくても、強く印象に残る道がある。2回目に通るとき、「あ、ここ!」と思う。北海道の国道38号、狩勝峠から延々2車線で下ってきた道路の空が広くなると、芽室の手前で4車線となり、壮大なスケールの下り坂が現れる。ここに来ると「十勝平野に入った」と感じる。
 
 
(カシミール3D+スーパー地形+地理院地図)

地形を見ると、扇状地に切り残されたローム台地の上を狩勝峠方面から走ってきた国道38号が、堀割で高度を下げて十勝平野に下っているのがわかる。「スーパー地形」で標高を読み取ると、台地上は標高112m、平野部は72m。実に40mも下っている。

対して鉄道は、御影から、芽室川に沿って徐々に高度を下げている。道路はまったくこのルートをとった形跡がなく、最初から、定規で引いたようにいまのルートを通っているように見える。これはまったくのあてずっぽうだが、帯広へのルートとしての狩勝峠は鉄道とともに開拓されたもので、元々は十勝川の舟運だった(初期の20万分の1地勢図の地図名は「帯広」でなく、河口の「大津」である)。狩勝峠からの道路は後から敷かれたため、当初からこのように直線的で大規模なものとなったのではないか。

 
(20万分の1地勢図「夕張嶽」昭和2年製版)

昭和初期でも、狩勝峠を越える道路はない。






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西達布郵便局

郵便局舎

 
富良野市から南富良野町へと向かう国道38号沿いにある西達布郵便局。看板を掲げたくなるような、ひどいオデコ。


 
手前から奥に向かう片流れの屋根。局名は、残念ながら旧郵政書体ではない。







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