![]() 1999年、ガルル編集部に入ってすぐ、鶴岡で開催される日本海ビーチエンデューロの取材に行かせてもらった。走ってレポートすることと、出場ライダーにいろいろ話を聞く取材。先輩のヤマザキさんとカンノさんと3人で、ハイエースで新潟回りで入った。写真担当は伊勢ひかるさん、ここの写真は全部伊勢さん撮影のものです。 ![]() マシンは編集部の93年型CRM。ところが現地でバイクを下ろすと、チェーンが切れていて、ハンドル回りもバラされている! どうやら、スプロケの撮影でいろいろやった人がそのままにしておいたらしい。出発前にチェックしろよという話ですが。 伊勢さんに相談すると、伊勢さんが会場に来ていた有名ライダーさんたちに予備部品をかけあってくださった。なんと、チェーンまで手に入った。予備チェーンを持って来ている方がいるなんて…。もちろん、後日、新品でお返しした。いろいろな方々に頭を下げて部品を譲って戴いている写真も撮ってもらった。 ぼくはその様子を誌面にしたかったのだけれど、NGになった。考えてみれば、「参加者が準備不足で他の参加者に迷惑をかけ、しかも頭を下げている。そして現地で応急修理をしている」なんていう写真が並ぶのは、レースに出るという心構えがなさすぎだ。浅はかすぎた。 ![]() それはそれとして、砂浜でのレースはとてもおもしろかった。サンド路面、慣れてくるとおもしろい。あまりフロントに荷重をかけず、高めのギヤでなるべくアクセルをあけずに、レールに逆らわずに走る。雪の上を走る操作感に似ている。タイトコーナーは力業、2ストが頼もしい。 ![]() 波打ち際は締まっているのでスピードが出せた。乗っているぼくはフォームからして下手くそだけれど。 いろいろなバイクが走っていた。KX500を見たのはその時が最初で最後かも。ATVが波打ち際で片輪走行で魅せていた。このとき、トップにいたのが内山裕太郎選手で、まだ10代、すごく目立っていた。後日、誌面でも大変お世話になった。 この時ご協力いただいた皆さん、そして伊勢さん、ありがとうございました。 * 神栖でビーチレースやってたんだな、今年も。出てみたいな。 http://winsasano.c.ooco.jp/beachrace.html PR ![]() 諫早湾の潮受け堤防を撮ったあと、急いで南下するはずが、方向音痴なので「右」を「左」に行ってしまったので、フェリーに乗り遅れた。おかげで天草をただ走り抜けるだけになってしまった。 それはともかく、口之津港。とてもきれいな建物。まだ移転したばかり。フェリーあまくさⅡは、着岸して搭載車両を下ろすと、いったんランプウェイが閉鎖された。 ![]() 左に視線をやると、旧口之津港に、フェリーくちのつが係留されていた。 ![]() 乗船。バイクの固定はこれだけ。早崎瀬戸がいかに凪いでいるかの証拠。 ![]() 左舷にしかないファンネル。 ![]() 船内の案内。 ![]() 鬼池港に近付く。 ![]() 鬼池港下船後。 ![]() 鬼池港のフェリーターミナル。 * * *
![]() GoogleMapsで口之津港を見ると、海上に妙な道路が見えている。というか新ターミナルがない。 ![]() 衛星画像を見るとターミナルは埋め立て後に建設中。つまり、地図のほうは「地面」が反映されていないのだ。 ![]() (PD) 仕事で、1935年(昭和10年)の土讃線全通記念・南国土佐大博覧会のことを調べていて、パンフに描かれた蒸気機関車が気になった。明らかにアメリカ式のものだ。それはさておき、では当時、高知にはどんな機関車がいたのか。これが難しい。
twitterにてそんな疑問を書いたところ、彩葉さんから下記のレスをいただいた。
高知は、46都道府県の中でも中央(ここでは高松方面)と鉄道が直結したのがもっとも遅い県庁所在地。土讃線で高松方面と繋がったのが1935年であり、それを記念したのが冒頭の博覧会である。 高知周辺だけ孤立して営業していた頃から全通後にかけてはB6と2800がいたとのこと。RM付録の『機関車表』を見ても、たしかに1933年現在、4両のB6と6両の2800がいる。抜き出すとこうだ。 2240 1933高知 2281 1933高知→1954軽井沢 2287 1933高知→1955廃車酒田 2288 1933高知→1950廃車秋田 2801 1933高知→1948廃車 2802 1933高知→廃車 2803 1933高知→廃車 2804 1933高知→1946加古川 2805 1933高知→1937播但鉄道 2806 1933高知→1946加古川 「1933」は「1933年現在」のことであり、1933年に配置になったという意味ではない。1927年に須崎~日下がまず開業し、同年のうちに高知まで東進している。徐々に建設が進められ、それまで高知側で独立していたものが高松側まで一続きになったのが1935年だ。 ![]() (のちの2802:PD) その全通後はどうなんだろう。折しも国鉄の近代制式機が続々と誕生していた時代だ。四国といえばC11と8620。C11は後年、高知に配置されている。また、1955年時点では8620も多数配置されている。 C1185 1936製配置不明 ?高知→1949浜川崎 C11105 1937製広島局→?高知→1949浜川崎 C11106 1937製広島局→?高知→1949浜川崎 C11273 1944製配置不明→?高知→1949浜川崎 C11339 1946製門司局→?高知→1949浜川崎 C11381 1947製美濃太田→?高知→1949浜川崎 では「後年」ではなく「全通時」はどうなのか。そこが一番知りたいのだけれど、確証がない。ただ、8620形の最若番・8620をはじめ、多くの機が1933年時点で高松にいて、1955年時点で他区にいる。四国の機関区は、高松・松山・高知くらいなので、ということは、高松の8620が高知まで来ていたということか。 まったく土地勘というか「運用感」がないので、ひどい憶測になっているかもしれない。1935年時点で高知を走っていた機関車をご存じの方はご教示いただきたい。 ※機関車の同行はすべて『機関車表』(沖田祐作著;レイルマガジン2008年9月号付録)からの抜粋 【追記】公開後、きーぼーさんとしばしげをさんより下記の情報をいただきました。ありがとうございます。
![]() 五川分水のつづき。五川分水の「手前」にある分水。「小田」と書いて「やないだ」と読む。姉川からの水が、ものすごい水量で流れている。「マイ橋」のある民家には、敷地内に分水を取り込む口がある。この水を利用する権利があるんだな。このとき、けっこうな雨が降っていたので慌ててレンズフードがかぶっている…。 ![]() 水は↑の方向に流れている。右岸で分水する。 ![]() 本流は、プールのような大きな区画へ。深さもあり、恐ろしい質感。右の分流はそれを迂回していく。 ![]() ![]() 写真左のものは手前で分流した水路。それを別として3方向に分ける。①が一番大きいのだが、②もまたすごい量だ。 ![]() 分流と②。一部暗渠となって西に向かう。 ![]() ①は道路を横切り、さらに二つに分かれて北に向かうようだ。 ![]() ③は南に向かう(写真は北向き)。これが五川分水に続いている。 |
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