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国道8号

出光

 
1996年、ゴールンデンウイーク。バイクで鳥取県の大山から敦賀まで走り、そこで野宿しようと思っていたのだが、その晩から雨との予報。当時は公衆電話で天気予報を聞いていたものだ。

敦賀に着いたのは18時頃だったか。新潟の実家まで400km。夜の国道なら8時間あれば帰れるだろう。北陸道に乗るという選択肢はない。

時計の短針が真上を指す頃、26リットルの燃料タンクを過信したか、富山・新潟県境の洞門内でガス欠。スーパーテネレは、ガソリンコックが左右にあり、リザーブに切り替えるタイミングを逃してストールすると、かかりが悪くなる。大型トラックに恐れおののきながら、リザーブからガソリンを吸い始め、なんとかエンジンがかかった。

しかし、相当の数の給油所があった当時とはいえ、夜の県境で営業しているところなどない。糸魚川市内に着くと、ようやく24時間営業の給油所があった。助かった。空に近くなったタンクは25リットルほどを飲み込んだ。

満タンを抱えて走り出せば、道端の、もう営業終了している給油所など目に入らない。この、いかにも日本海側然とした光景で海を見つめるように立っている給油所も、山側に残る北陸本線旧線のサイクリングロードも、見えていなかったはずだ。

追い立てられるように、直江津、柏崎と過ぎ、国道116号に入った。新潟に着いたのは2時を回っていたが、雨は回避できた。



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架け替えられた親不知の歌高架橋

高架橋

 
飛騨山脈が日本海に落ち込む場所にして交通の難所、親不知。狭い空間を鉄道と国道8号が通り、北陸道はスペースがないために海上に張り出していることで知られる。それらの施設は波浪と煙害という過酷な環境に置かれている。

国道8号の歌高架橋が、塩害のために架け替えられたのが今年、2017年。いま、旧橋がまだ撤去されずに残っている。

 
すっぱりと切り落とされている旧橋。

 
橋脚の上面が見えている。支承があったと思われる場所。




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淡路・四国・九州のダム

ダム

2017年GWに、仕事で淡路~四国~九州と走った際、ルート横にあったダム。

●北富士ダムと成相ダム
 
北富士ダム。

 
成相ダム。両者はダム湖がつながっている。

 
成相ダムに沈んでいる旧ダムの堤体。

●平鍋ダム

 
高知県、電源開発。下の写真はローラーゲートの部分、「ダム頂駐車禁止」。「ダム頂」という言葉は初めて聞いた。

●幸野ダム
 
熊本県、球磨川。市房ダムのすぐ下流にある。ゲートの柱の上に持ち上げられた管理室がかわいい。

●市房ダム
 
熊本県。球磨川の総元締めのような存在感。

●下筌ダム
 
 
熊本県(東!)と大分県(西!)の界をなす津江川にある。蜂の巣城紛争は、ダム建設の是非をめぐる話題では必ず登場する。

●松原ダム
 
下筌ダムと同時に計画・建設された。蜂の巣城紛争はこちらにも関係する。



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坂本簡易郵便局(宮崎県)

郵便局舎

右の道路は国道503号。おもしろいところに立地している。

 
国道を向いていないのは、国道指定は1993年であり、1974~1978年に空中写真を見ると国道部分はこの先の橋もないことから、おそらく以前は、現在の国道部分はメインの道路ではなかったのだろう。

 
郵政書体が残るが、2文字外され、代わりに木製の「坂本簡易郵便局」という札が掲げられてる。削除されたのは「坂本」だろうか。








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雄別炭鉱の炭住

建築?

 
シュンクシタカラ湖という、知られた湖があった。そこを通り、かつ周回ルートになる林道があり、多くのライダーが訪れたはずだ。私も90年代に二回行ったことがある。しかし、2016年の台風で…だと思うが、そこに至る道が崩壊し、おそらくこのままになってしまうと思われる。その「入口」付近に、雄別炭鉱の炭住跡がある。

 
比較的人家が近いからか、荒らされたりはしていない。

 
何棟あったのだろうか。

 
1棟で8宅。

 
周辺には、近年、いくつか工場ができ、それが閉鎖された跡がある。そうした人たちの住まいにもなっていたりしたのだろうか。飲食店もあるし、グルメ情報サイトにも、いまのものではないと思われる情報のログがある。

 
平屋もある。

 
状況からすると、やはり無人のようだ。

 
布伏内中学校跡(ふぶしない)。ここにクルマが入っていった。見ると、校庭だったところに町営住宅が並んでいる。そのため、ちょっと入るのはやめておいた。

釧路市立阿寒中学校のサイトによれば、周辺には中徹別中学校もあったようだ。1969年に中徹別中学校が阿寒中学校に統合、2000年に布伏内中学校も阿寒中学校に統合。2009年に似々志別中学校も統合、現在の阿寒中学校は1・2年各1学級、3年2学級で74名だ。




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雄別炭鉱跡に残る三菱石油

三菱石油/日石三菱


かつては炭鉱があり、この地まで鉄道が延びていた。しかし、いまは無人の荒野となっている。行き止まりではないが、ここをクルマが通る理由もない。そんなところに、給油所だった壁と建物がある。

防火壁には、スリーダイヤモンドも二重に書かれている。こういうものは、かつてはきちんと覆い隠せていたものが、塗料の褪色とともに、見えてきてしまうのだろうか。

 
サービスルームは、残念ながら落書きがなされているが、落書きさえ色褪せつつある。こういう建物ゆえに倒壊もせず、このまま静かに、ここにあり続けるのだろう。



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白馬村の青鬼(あおに)集落と青鬼神社

記録

 
大糸線第一姫川橋梁通橋と姫川第二ダムを見た後、ふと見ると「重要伝統的建造物群保存地区 青鬼」と書いてあった。1kmちょっとだというので行ってみた。夕刻の集落内を少し歩いたところ、神社に向かう階段があった。すごい。上が、見えない。


いちばん下の一群こそコンクリートで補修されているが、次の段からは、ノミ跡も深い、そして摩耗の激しい石段。無数に落ちている栗。

 
階段に沿って、もう何十年そこにあるのかという丸太が苔に埋もれている。しかし、いくつかある石灯籠は新しい。旗を立てるポールや電柱も新しい。階段も平場も苔に覆われてはいるが、落ち葉もあまりなく、掃除が行き届いている。

 
 
中央部を持ち上げた注連縄。山梨県でも、このように中央を持ち上げる注連縄があるようだ。

 
上の平場にあがる。やはり、落ち葉もなく、清められている。左を見ると神楽殿。屋根も新しい。

 
本殿。電灯が灯っていた。2礼2拍手1礼となっていた。

 
振り返る。この杉林の密度。

こうした、地域の人たちの聖域に足を踏み入れることにはためらいもある。ましてやカメラを構えることなど。とは思いつつ、この雰囲気は、わかる人には伝えたいと思った。

 
 
青鬼集落。下の写真の右手前は、公開されている建物。







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中国山地の<<<扉

木製扉の菱形・バツ形等

 
土壁のマル通向かいに、木造倉庫がある。

 
小奴可の駅につながっていて、ホーム側に屋根が張り出している。国鉄時代の貨物倉庫だ。いま使っているのかどうかはわからない。妻面の電灯カバーに注目。

 
扉の上部左右は、鉄板が三角形につけられている。その内側に、吊り戸の戸車。扉の前にタクシーが停まっているので扉をきれいに写すことができなかったのが残念。



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土壁のマル通

農業倉庫・日通倉庫

 
超閑散区間として知られる芸備線の小奴可(おぬか)駅の駅前に、日通のマークをつけた、かなり古い木造建築があった。元は事務所だろうか、外観は板張りだが屋根の下は土壁。窓の位置からして、ちょっと床が高くなっているのか。右奥に見えているのが小奴可駅。

 
回り込むと、この建物は上から見ると三角形をしていることが分かった。トップの写真は裏で、こちらが表。

 
上2枚の写真では窓や壁が破れているが、こちら側は手が入っているようだ。「運送」の看板が掲げられているが、検索してもわからない。

こちらを見ると、建物の1階入口と思っていた部分が、実は2階だということがわかる。そして、それが建物の高さの半分ではなく、半分よりちょっと下で、床は道路面よりも高そうだ。となると、トップの写真で、窓の位置が高い理由はそれかもしれない。





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宇和島運輸フェリー おおいた

船・舟

 
八幡浜港にて「おおいた」に乗り込み。船首から。

 
車両甲板。

 
出航後は最上階へ。

 
臼杵に着く頃には日が暮れてきた。この車両甲板を使うのは、最繁忙期だろうか。

 
接岸作業は何度見ても見とれる。



 
臼杵港にて船尾から下船。








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