僉
剱岳の正字の篇、すなわち「検」の旁である。 なんだか歩き出しそうである。 しかも、左の「人」は左へ、右の「人」は右へ。 インベーダーの一番上のキャラにも見える。 文字のゲシュタルト崩壊とは異なるが、単語もそれと同じような作用を起こすことがある。 この「つるぎ」である。 かつて、大阪と郷里・新潟とを結んでいた夜行列車の名称であった。 時刻表に慣れ親しんでいた身として、「つるぎ」は常に意識していた。 小学生のとき、初めて東京の交通博物館に行った際、 かつて存在していた「つるぎ」のヘッドマークのピンバッジを買ったほどである。 そのデザインは秀逸であった。 しかし、「つるぎ」? ふといまになって疑問に思う。 新潟県人に馴染みのある山名ではない。 剱岳の位置を言える新潟県人など、どれほどの数がいるものか。 その名称を当然のものとして受け入れていた小学生の自分に、 強烈な違和感を感じる。 私の中では、ゲシュタルト崩壊と同カテゴリの精神作用である。 なお、列車名が「つるぎ」となったのは、元々は富山までの列車であったのが、 新潟まで延長された際に、そのまま踏襲されたものである。 最初から新潟行の列車に「つるぎ」と名付けたわけではない。 PR
文章中に見えていた
上越新幹線 という文字を見ていたら、突然、「上」が右に傾いて見え始めた。 右につんのめっているように見えるのである。 やがて、カセットビジョンの「きこりの与作」のようにも見えてきた。 「越新幹線」がそれなりに画数があるのに、「上」はわずか3画。 これが、ゲシュタルト崩壊の原因かもしれない。 その証拠に 上下(←これはこれで「圷」(あくつ)にも見える) 上部(←同、卜部) 上腕 上質 上等 ・・・などにはあまり違和感を感じない。
部と陪。
ヘンとツクリが入れ替わっただけに見えるが、もちろんまったく意味が異なる。 左の「おおざと」は「むら(邑)」の変形である。 大和朝廷のころから「○○部」という技能集団があるが、 そういうニュアンスである。 右の「こざとヘン」には元々「さと(里)」の意味はなく、 「阜」の変形であるが、「おおざと」があるから「こざと」である。 なんといい加減な命名であろうか。 もちろん日本でしか通じない。 古墳時代の「陪塚」、そういうニュアンスである。 これら、おおざととこざとヘンを篆書に遡ると、 その成り立ちがよくわかる。 ちゃんと「邑」になっている。 本題はここからである。 こざとヘンである。 現代の感覚からしたら漢字らしからぬ形態である。 示すのは「隧道」の「隧」である。 なぜ印影のようになっているかはここでは意味を持たない。 篆書においては「しんにょう」と「こざとヘン」の位置は、左右どちらでもいい。 ご覧いただければわかるとおり、「阝」の袋状の部分が三つある。 これが元の形である。 これが一種異様な雰囲気を醸し出す(と私には思える)。 並べてみよう。 とても漢字の構成要素を並べたようには見えない。 ジョージ秋山が描くお経に、こんな文字があった気がする。 なお、上で何事もなかったかのように「しんにょう」などと書いたが、 辶と廴の差異も興味深い。 漢字にしろ英語にしろ和語にしろ、ニュアンスによって 単語が使い分けられる言語を持つ幸せを感じるとともに、 ちゃんと使い分けねばならぬ、とも思う。 |
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