[1]
[2]
山口県萩市から国道490号を南下していると、とってもかわいいコンクリートアートが目に入った。なにしろ、欄干がアーチ型をしている。しかも、たったこれだけのスパンを渡すのに、スキューしている。 親柱はあるが、銘板等はない。「全国Q地図」の「2018年度全国橋梁マップ」によれば、名を「堂々橋」というようだ。こんな橋まで網羅しているQ地図すごい。国道ではありますが。 国道ですよ。この、ガードレールより低い欄干。よくぞ「より内側にもっと高い手すり」が設置されないものだ。黄色いガードレールが山口県であることを主張する。 欄干は、橋の構造そのものではないし、規格型というか既製品を使われることも多いのであまりバリエーション的関心がないのだけれど、こうした、手の込んだ意匠には心惹かれる。欄干のアーチは7。奇数であることも、凝っているというか、なんらかの意志を感じる。トラス橋が水平方向に奇数で分割されるのとは異なり、この欄干の「7」には構造の意味はない。普通に考えれば、全長から偶数で割って数値を決めるのが自然に思える。 Q地図によれば完工は1964年。もっと昔かと思った。それは、コンクリートの登場で比較的自由に造形できる喜びがこの欄干にも表れているのかと思ったからである。 国道490号の一光景。 PR 秋川にかかる東秋留橋。あきる野ICの下流にある。昭和14年のコンクリート開腹アーチで、当時の構造物が、親柱や高欄に至るまで改変されずに残っている。戦前らしく、人手をかけた(=部材より安い)構造で、並行する2本のアーチに並行して支柱を建て、床版を載せている。 当時は鋼材の節約のために、同じスパンならばコンクリートアーチが架けられていたというのも、架設された時代の背景として留めておきたい。 アーチの裏を覗く。型枠の板の木目がアーチと直行する方向でびっしりと並ぶ。河川敷には、事実上3基の橋脚があるが、洗掘対策として、付近はコンクリートブロックがびっしりと敷き詰められている。 支柱の薄さ、床版は見えないが高欄がそれを軽快な印象に見せる、美しい橋だ。高欄は、その色や表面の印象、張り出した形から、後付けのようにも見えるが、本体と同時に架設されている。 親柱にある「東秋留橋」の、「秋」「橋」ともに異体字だ。特に「秋」は、偏と旁が入れ替わった「秌」になっている。「東秌留槗」。 この東秋留橋は人道橋である。こちらは秋川と直交するが、下流に架けられた新橋は、秋川を斜めに横断する形だ。その新橋の線形は非常に凝っていて、左岸から来ると、まず左に頭を振ってから右カーブで新橋に入り、橋の上い至ると左カーブになる。急ではないので運転者はとくに気にも留めないだろうが、本来ならば避ける線形だろう。そうしてでもこの橋があるのは、文化的価値があって保存されているからにほかならない。 右岸側。写真左端が新橋方向。 ●参考 関東の土木遺産 東秋留橋 国道152号については後日、項を改めるが、20年ぶりくらいに大鹿村を走った。かつては隔週で走りに行っていた地域だが、そのころは特に土木構造物の知識もなく、このコンクリートローゼ・小渋橋を通ってもなにも「見ていなかった」。 2006年に、少し下流に新小渋橋が架けられ、国道の線形改良も含めて移設された。いまこの橋は、国登録有形文化財として、実用ではあるが、余生となった。 小ぶりで、実にスマートなランガー。支間34.4m、高さ7.05m。 幅員5.5(幅6.5m)。 右岸の親柱、左は「小渋橋」、右は「昭和三十一年三月しゅん工」。ただし、説明板によれば、大鹿村の橋梁台帳には昭和32年4月1日竣工とあり、5月13・14日に渡り初めをしたというので、架設されてから供用まで1年強かかったことになる。 コンクリートローゼは、左右のアーチを結ぶ天井のブレースのハンチが、すごくコンクリートの構造物ぽくて好き。 コンクリートローゼは、内側にくぼみを造り(というよりも「リブを出っ張らせ」かもしれない)、アクセント(かつ構造上の強度確保)しているものが多い。 左岸側。 親柱左には「小渋橋」、右には「こしぶばし」。 左岸・下流側より。 |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|