(上図は第3相沢川橋梁の位置) 酒匂川を遡ると、丹沢湖に発する河内川との合流点より上流を鮎沢川と名前を変える。そのまま御殿場市内を経て富士の裾野に至る。鮎沢川は相沢川ともいい、御殿場線の橋梁名は「相沢川」をとっている。もちろん、昔は「相澤川」という表記であった。 御殿場線は鮎沢川を合計8回渡るため、おそらく橋梁も第8まであると思うが、参考資料たりうる『勾配・曲線の旅』を別の場所においているためにいまは確認できない。そのため、今回は土木学会の資料や『鉄道ピクトリアル』に記載のある第5までを対象とする。第6~8は論文にないので鈑桁あるいは開渠ではないかと推測する。第1と第2は、戦前に単線化された際に撤去された「旧上り線」の橋梁なので、現存しない。第1~第4は谷峨~駿河小山間、第5は駿河小山~足柄間にある。 1901年、複線化と同時に荷重増加対応として橋梁も架け替えられた。マレー式機関車導入のためである。といっても、最初に導入されたタンク式の4500形の軸重は12t未満。国鉄時代でいう簡易線規格である。しかし、その後に導入されたテンダー式の9020形の軸重は15tを越えている。 第1相沢川橋梁(現存せず) ●最初に敷設された線。のちの上り線。現存しない。 ・初代 1889年、200フィートダブルワーレン 鋼鉄?(←錬鋼混合桁と推測) 『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)では200フィートトラスは「天龍川ニ架セルモノと同型ナリトス」としており、また鋼鉄製としているが、『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として』(小西純一・西野保行・淵上龍雄)によれば、天龍川橋梁は錬鋼混合桁とある。上下の弦材や端柱に鋼鉄を使用し、腹材などは錬鉄を使用したものである。これと同じであれば、この初代第1相沢川橋梁も混合桁である。 ・二代 1901年、200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスE 1943年、単線化の際には上り線が撤去されたが、トラスは存置。1953年、樽見線に転用された。 ●下り線 橋梁は存在しない。 第2相沢川橋梁(現存せず) 写真は残されている橋台。 ●最初に敷設された線。のちの上り線。現存しない。 ・初代 1889年、200フィートダブルワーレン 鋼鉄?(←錬鋼混合桁と推測) 第1相沢川橋梁に同じ。 ・二代 1901年、200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスF 第1相沢川橋梁に同じ。1943年、単線化の際には上り線が撤去されたが、トラスは存置。1953年、樽見線に転用された。 ●下り線 橋梁は存在しない。 第3相沢川橋梁 現在線。かつて複線化の際に増設された「下り線」。 上写真の反対側。手前に撤去された旧上り線の橋台が見える。 ●最初に敷設された線。のちの上り線 ・初代 1889年、200フィートダブルワーレン 鋼鉄?(←錬鋼混合桁と推測) 第1相沢川橋梁に同じ。 ・二代 1901年、200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスG 第1相沢川橋梁に同じ。1943年、単線化の際には上り線が撤去されたが、トラスは存置。1953年、樽見線に転用された。 ●下り線(現在線) ・初代 1901年、200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスH ・二代 1978年(?) 200フィートワーレン。現在線。 第4相沢川橋梁 ●上下不明 ・初代 1889年、105フィート上路トレリストラス 錬鉄製 上路プラットトラスは、端部の斜材がハの字形になるが、トレリストラスはすべての斜材が逆ハの字形になる。『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)に掲載されている「図十四」がその図面である。設計は原口要。日本人設計による鉄道用トラス橋としては二番目のものであり、第5相沢川橋梁とあわせて3連が作られた。。一番目のものは幌内鉄道の入船町陸橋がその嚆矢とされ、設計は平井晴二郎。掛け替えの際に撤去されたこの橋梁の材料を利用して創られたのが、現在の磐越西線長谷川橋梁である。 長谷川橋梁。このトラス部分に第4相沢川橋梁のトレリストラス桁の部材が転用されたとのことだが、まったく原型をとどめていないらしい。 ・二代 不明 現在はプレートガーダー。 ●上下不明 ・初代 不明 上下どちらが残されたのかは不明だが、 現在は上路プレートガーダー。 第5相沢川橋梁 (土木図書館蔵。関東大地震震害調査報告掲載写真) ●上下不明 ・初代 1889年、105フィート上路トレリストラス 錬鉄製 第4相沢川橋梁と同じ。1914年に水害で撤去。 ・二代 不明 ●上下不明 ・初代 1889年、105フィート上路トレリストラス 錬鉄製 第4相沢川橋梁と同じ。1914年に水害で撤去。 ・二代 不明 上下どちらが残されたのかは不明だが、 現在は上路プレートガーダーである。 (写真の参考:『自転車放浪記』の記事) 第4、第5の経路や変遷については、後日調べるつもりではある。 PR |
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