(上記地図は酒匂川第3橋梁) 御殿場線には、開通当時としては長大であった橋梁が多数架けられた。酒匂川に三つ、鮎沢川(相沢川)に五つ。 これらの橋梁は、まだ東海道本線ルートが御殿場経由だった頃に複線化され、丹那トンネル開通後に単線化され、1970年代に水害に見舞われ、などするうちにそれぞれが複雑な経緯をたどっている。各種文献には、「その橋」についてのみ書かれているので、なかなか全貌を把握できない。 今回は、山北-谷峨間の酒匂川の3橋梁について書く。 この区間の開通は1889年(明治22年)、複線化は12年後の1901年(明治34年)である。 以下は、混乱を避けるために橋桁製造年ではなく、開通年である。 現在の状態をアニメ化したサイトがあった。すごい。 第1酒匂川橋梁 (左が国府津方) ●のちの下り線 ・初代 1889年 200フィートダブルワーレン ・二代 1901年 200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスA ・三代 1984年 200フィート平行弦ワーレン (小西純一・西野保行・淵上龍雄氏による『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)』では二代を1983年撤去としているので要調査) ●上り線。のち撤去、転用 ・初代 1901年 200フィート曲弦プラット(シュウェドラー) A&Pロバーツ製…トラスB 1944年廃止。そのまま放置。のち樽見線揖斐川橋梁に転用し、1953年開通。こちらを参照。 第2酒匂川橋梁 (右が国府津方) ●下り線。のち撤去。 ・初代 1901年 100フィートポニーワーレンの3連。鋼鉄 ・二代 1915年 1944年廃止。 1875年ハミルトン製の二代六郷川橋梁の複線桁を単線化して3連を転用。『関東大震災と鉄道』(内田宗治著)によれば、戦時中に下り線を単線化した際、うち2連をクワイ川橋梁に転用したとある。 ●のちの上り線 ・初代 1889年 100フィートポニーワーレンの3連。錬鉄 ・二代 1915年? 1875年ハミルトン製の二代六郷川橋梁(100フィート6連)の複線桁を単線化して1連をここに転用。また、この二代目の撤去後の桁のうち1連がJR東海三島研修センターに、1連が明治村に保存されている。 ・三代 1965年 100フィート3連上路プレートガーダー。 橋脚は複線用である。 第3酒匂川橋梁 (手前が国府津方) 有為転変の第3である。 ●下り線。のち移設。便宜的に、沼津方を(1)、国府津方を(2)とする。 ・初代 1889年 ←沼津100フィートポニーワーレン(1)+200フィートダブルワーレン(2)国府津→ ・二代(2) 1901年、200フィートダブルワーレンを200フィート曲弦プラット(A&Pロバーツ)に架け替え…トラスC ・二代(1) 1916年、100フィートポニーワーレンを98フィート平行弦プラット(川崎造船)に架け替え ・三代(1)(2) 1967年 旧上り線の線形を利用して、腹付で架け替え。98フィート平行弦プラットは流用。200フィートは平行弦ワーレンに架け替え。旧200フィート曲弦プラットは存置。両者を並べた写真が鉄道ピクトリアル1971年5月号にある。二代、三代の桁ともに1972年7月12日に水害で流失。 ・四代(2) 流失した三代の(2)を引き上げ、補修して使用。 ・四代(1)天竜川橋梁で廃橋となっていた1914年横河橋梁製205フィート10インチ曲弦プラットを剛結合に改造して流用。 ●上り線。のち撤去 ・初代 1901年、100フィート(川崎造船)+200フィート曲弦プラット(A&Pロバーツ)…トラスD 1944年廃止。1953年に2連とも樽見線に転用。 PR |
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