プレートガーダーというものは、なんとも目立たないものだ。もしこれが同時代~土木学会の歴史的鋼橋集覧では1912年ではないかとされている~のトラス橋であればアメリカ式ピントラスだろうし、アーチ橋であれば、背後に見える松住町架道橋(桁の製作は本橋の28年後)に見るように、まだまだ時代がかったものになっていたであろう。 そういう、なんの変哲もなさそうなプレートガーダーでも、橋台が煉瓦であるのなら、また意味が変わってくるだろう。時代もおおよそ特定できる。 そして橋脚はこう。上の地図を「写真」に切り替えてもらえばわかるが、この写真の向こうから手前左にかけて、この橋は広がっている。旧交通博物館の屋上といおうか、旧萬世橋駅跡を利用した保線車両留置用線路といおうか、そこへの分岐があるために広がっている。詳細は読み取れないが、図面は土木学会の該当ページにある。また、4主桁であることもわかる。 この写真には、神田川橋梁のラーメン構造の橋脚が見えている。 銘板。南西側にある。実は非常に撮りづらい。 桁をガードする鉄骨のせいである。 ついでなので裏側を。私にはここから何かを読み取る能力はない。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|