『鉄道ピクトリアル』1971年5~7月号において、
淵上龍雄氏「トラス橋のいろいろ」という連載があった。 およそ基本的な事項とともに、当時ならではの、 つまり当時は残っていた廃橋の写真なども使って解説してある。 さらに同誌1984年8~10月号においては、 淵上氏に小西純一氏、西野保行氏の共同執筆で 「トラス橋の魅力」と題した連載があった。 これらをまとめて古書店で購入したとき、 それぞれにそれぞれの記事があることは確認した。 1971年7月号を除いて。 ところが、帰宅して順番に読み始め、1971年7月号を開いたところ、 おかしな見開きがあった。 蒸気機関車の後ろ半分が橋梁に乗っている写真なのだ。 それはそれとして、記事をさがした。 ない。 目次を見る。該当のページが・・・ない。 切り取られている・・・。 そういえば、古書の中、1冊だけ80円という価格のものがあった気がする。 それがコイツか。 よりによって、目的の記事だけが切り取られているとは。 さらにさらに、土木図書館内の、氏の論文のPDFが、404。 なんということだ・・・。 もっとも、これはさっきみつけたもの。 イギリス系とドイツ系の橋梁桁については過去に英文とドイツ語のサイトから 苦労してひっぱってきたことがあり、そもそもそれらの会社は現存しなかったりするから なかなか資料も出てこないのだが、こんな立派な論文があるのならぜひ拝見したい。 土木学会にメールしてみようと思う。 PR せっかくの上路プラットトラスが、、、美しい上路プラットが、、、 上路トラスを美しいと思うには、多少の桁下高さも演出として必要なんだと思った。 この長谷川橋梁は、鉄道院の設計によるもの。 他のアメリカ製長支間トラスと同時期ではあるが、 日本人の設計で、日本人が作ったもの。新橋工場製だ。 だが、「ただし」がつく。 トラスの部材は、それ以前に作られたものだ。 東海道本線(現御殿場線区間)の第4相沢川橋梁の転用で、 開通は1889年開通、105ftの上路プラットトラス(ピン結合)であった。 こいつを換骨奪胎して新橋工場が作ったのが長谷川橋梁である。 果たして部材の製造はどこだったのか。 第4相沢川橋梁と開通時期も撤去時期も同じ第1~第3相沢川橋梁は200ftの単線ダブルワーレン、 これの製造はパテント・シャフト&アクスルトゥリーである。 これらは1901年の複線化の際に、A&Pロバーツ製の200ft曲弦プラットに架け替えられた。 参宮鉄道(現参宮線)には同じ105ftの単線上路プラットトラスが架けられたが、 製造所不明、1897年製である。 橋脚は切石積み。 といっても旧長野隧道ほどの感動はないので、言われるまで気づかないほどだった。 「すごくいいもの」、すなわち旧長野隧道のことだが、それを最初に見てしまうと それより「普通」のものに感動できなくなる、ということに改めて気づいた。 (20091114一部修正) |
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