羽衣橋と、この位置関係にある、ラティスガーダー。「あじさい橋」という。これも、羽衣橋と同様の理由で設置された橋。同じ軸線上に、同じ形の「うみてらし橋」がある。
ラティス桁といっても、大正期のようなアングル材ではなく、丸い鉄棒を溶接している。丸棒が溶接される「枠」が華奢であることは、羽衣橋のガッチリとした部材の太さと比べるとよくわかる。両者の構造の違いが「枠」によく現れている。 銘板および裏側。 桁の「枠」の華奢さにくらべて、横桁はがっしりとしている。通常の下路トラスならば、これと同じくらいか少し高さがないくらいの部材が下弦として使われると思うが、これも、構造をよく表していると思う。 この橋が誕生した経緯はこちらに詳しい。 ・フォトエッセイ 橋を巡り人を想う 長崎・水辺の森公園 -軌道修正の宿命- 周辺情報はこちら。 ・水路にかかる橋 ほかの橋もきちんと見たかったが、時間がなかった。改めて行かなければならない。 PR
竹の川橋梁は5連のガーダー橋である。そのうちの第4連(京都側=写真右から数えて四つ目)がラチスガーダー。おもしろいことに、第1連~第3連は国鉄になってからの架け替え桁(製作年不明)、第5連は鉄道省時代の桁であり、つまり3種類の桁が架かっている。
歴史的鋼橋集覧によれば、当初は第1連~第3連のみで、後年、おそらく高水敷の拡幅とともに第4連・5連が追加された。第1連~第3連は新しいので、当初の桁を取り替えているのだと思う。 第4連のラティス桁。橋脚にも注目して欲しい。第3連(右)と共用する橋脚はコンクリート製だが、第5連(左)と共用するものは煉瓦製の上にコンクリートを塗ったものだ。 ラティス桁の裏側とコンクリート製橋脚。 こちらは煉瓦製橋脚。隅石が貼られている。 第5連は、上下が補強されている。設計荷重はKS15なので、補強は活荷重増大のためではなく桁の老朽化のためだろうか。形式は「作30年式」ではあるが、補強は形式とは関係ない。おかげで下フランジ(カバープレートというべきか)の幅が広くなっている。
ラティスガーダーを見に行ったのだが、なかなか難しいシチュエーションにあるものばかりだ。近づきがたい。これは桁の東側。側面右側(益田側)には選奨土木遺産のプレートがある。
なんとか草や枝を書き分けて近くへ。L字型のアングルを両面に貼り合わせている。これだけのリベットを打つのもさぞ大変だっただろう。大きなプレートを回してもらえないからといって、これだけのことをやってしまう人海戦術っぷりに驚異を覚える。 西側には塗装銘板がある。2001年の塗装にしては完全な手書き文字。しかも薄い金属板に書き、それを針金で留めている。これは珍しいと思ったが、プレートガーダーならば桁に直接書き込めるわけで、これはこれでラティスガーダーの特徴になるのだと思った。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 |
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