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早明浦ダムの上流側に架かる三弦橋。「早明浦ダムにある」とは知られているが、ダム堤体からは十数kmの距離がある。活荷重と空頭確保のためだろう、背が高い。これなら箱形の通常のトラス橋のほうが、鋼材量が少ないのではないかと素人目には見えてしまう。 下弦が軸方向に回転している。そのガセット部分も、下弦の角度に対応している。 対岸側。横・斜めからきれいに見える視点場はなかった。 左岸側親柱。左は「昭和47年5月竣功」、右は「三ツ石橋」。 右岸側親柱。左は「みついしばし」。「ば」と濁っている(縁起を担いで濁らず「はし」とすることが多い)。右は「昭和47年5月竣功」。渡っているのは吉野川本流。 早明浦ダム。 PR 上路三弦橋である日高大橋をドローンで撮影してきた。この橋は視点場がなく、北側(写真右)はなんとか桁下くらいまでは降りられるのだが、真横には行けない。そこで、ドローンを飛ばした。 渓谷の真上なので、当然、風が強い。また、操作しているのは道路脇=橋の軸線上なので、本当はドローンを三弦の中に入れて軸方向に進めた動画を撮りたかったのだが、モニタできるとはいうものの、コントローラーに移る画像は広角の画像であり、本体を目視するのが難しく弦材にぶつけてしまう可能性もあって断念した。 端部の構造がよくわかる。 断面が逆三角形になっている様子も、薮越しの前回よりはマシに撮れた。 ●関連項目 日高大橋 上路三弦橋 愛知県半田市の国道247号を走っていたら、国道から異形の橋が見えた。真横からである。最初は水道橋に見えた。工事を簡略化するためか、形状が相当に単純化されることはよくある。古いほどそうだ。 ところが、斜めから見るとなんだかおかしい。近づいてみると、三弦橋ではないか! しかも、下弦の中央部が接近していて、その分、上弦部分の背が高くなっている。クルマを近づけると、歩道橋のようだ。 正面から見ると、両端はずいぶんと平べったく、中央付近は頂点が鋭角になる。徐々に断面の三角形の角度が変化する三弦橋だ。ずいぶんと凝っている。 トラスの組み方はプラットトラス。下弦の2本はそれぞれ直行する横桁で結ばれている。横下駄は端部ほど長く、中央が一番短い。その上に、歩行用の、幅の狭い床版が載っている。 断面が変化するので、歩いているととても狭く感じる。 これだけの特徴ある橋だが、検索してもとくにない。うさ★ねこサンドさんのサイトくらいしかヒットしない。あまり知られていないのか。
昨日の羽越本線 山倉川橋梁のすぐ横にある水管橋。
なんというか…太い。水管は下弦(というのだろうか、三弦橋も)であって、上弦(上側の並行する2本)は水管を保持する構造物。橋門構の造形に惚れ惚れする。 三弦橋だと、端柱に相当する部分にも斜材(というのだろうか)が入るのだな。それが、まるで映画「スクワーム」で頬に食い込んだ虫のごとく、橋門構にもぐりこんでいる。橋門構もまた、周縁部が折り返されており、かつ美しく溶接されており、さらに銀色塗装とあいまって、非常にソリッドな印象を持つ。 こんな感じで土中から水管が突き出ている。 美しい…と思っていると、銘板、ではないな、仕様が書かれた板が掲示されている。 呼び径:400A(外径φ406.4) 形式:逆三角ワーレントラス補剛形式 支間長:48.000m 使用鋼材:ステンレス(SUS304) 設計基準:「水管橋設計基準」WSP-007 雪荷重:3.0kN/m^3(積雪深1.4m) 地震荷重:Kh1=0.26 Kh2=0.54 設計内圧:静水圧時0.75MPa 水撃圧作用時1.25MPa 施工:新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村下里3610 水島鉄工株式会社 「逆三角ワーレントラス補剛形式」というのか。たしかに、メインは下弦の水管であり、それを上弦2本が補剛しているんだもんな。しかし、道路橋などは左右のトラスが床版を補剛しているのだけれど、いちいちそうは言わない。検索してみると、水管橋で使われる用語のようだ。 施工の水島鉄工を検索したら、すばらしいサイトをお持ちではないか。 施工例に、この折居川の水管橋がある。
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おもしろいことに…… 三弦橋と並行して、道路橋の橋脚を利用したパイプビーム式の水管橋がある。それなら、わざわざ三弦橋を架設しなくても、ここに並行して架ければいいじゃないか…などと思うが、きっと、施工の手順やなにかで抗せざるを得ない事情があったのだろう。 こちらはこんな感じで土中から突き出ている。カエシがすてきだ。
2011年12月16日。ふたつのできごとがあった。
ひとつは、北海道の国道452号線の、大夕張ダム工事に伴うルート切り替え。これによって、三弦橋が間近で見られなくなる。そして、三弦橋はやがてダムに沈む。 もうひとつは、急行「きたぐに」の廃止だ。 まずは三弦橋から。 あまりにも有名なので、この橋についてかくことはない。個人的な思い出だけだ。 この夏、10年ぶりの北海道キャンプツーリングにどうしても行きたかったのは、三弦橋を見ておきたかったからだ。かつて、なんどもこの横は通ったし、いまは通行止めになっている林道から俯瞰したりもした。『廃線跡の記憶2』の表紙になっている地点にも、行こうと思えば行けた(が、行っていない)。当時は、とくに強い関心もなく、「ああ、三弦橋だ」くらいにしか思っていなかったからだ。これが見納めになるか、大夕張ダム完成後もなんらかの形で見ることができるのかは、まったくわからない。 自分としては、餞のつもりでこの写真をアップする。 ルート切り替えについては、サイト道道資料北海道が詳しい。 「きたぐに」は、新潟に住んでいた子供の頃、よく見ていた。だが、乗ったのは一度だけ。1987年8月、高校1年のとき、妙高山縦走の帰り、直江津駅で1泊して翌朝の「きたぐに」で帰ってきたときだけだ。既にその当時、鉄道趣味から離れていた。 この春、友人たちと「きたぐに」に乗ってきた。人と鉄道旅をするのは初めてに近い。新潟駅集合、大阪駅解散。不思議な旅だった。その時の写真が上のもの。 乗車1ヶ月前の同日、窓口に行くと「下段は全部埋まっている」。本当かよ、どうせ団体枠だろ…と思いつつ、上段2枚と中段2枚を取った。当日、私は上段へ。 この狭さ。身体が硬いので、狭いところは嫌いなのだ。でも仕方がない。硬直したまま眠った。 さて、ここから約30年前に戻る。 14系時代の「きたぐに」の写真があった。新潟駅で撮ったもの。アルバムに収録してある前後の写真からして、越後線電化(1984年4月)前後らしい。 テールマークは「急行」である。今日、@shangri_la_19_oさんに教えていただいたのだが、かつて『鉄道ファン』誌にイラストのトレインマークが掲載されていた(ペンギンモデルのシールとして存在する)。それは、どうやら実在の物ではなかったらしいのだ。しかし、小学校高学年の私は、嬉々としてそのトレインマークを描いていた。まさか、「ウソマーク」だったとは。証拠に(なるかはわからないが)ここに写っているのは「急行」の2文字である。 1982年11月14日まで、「きたぐに」は10系寝台車と12系座席車だった。新潟駅8時55分着ということもあり、明るい日差しの元で何度も見たことがある。柏崎に親戚がいた私は9時13分発の「赤倉」に乗ることが多く、これに乗ろうとすると「きたぐに」が見られるのである。そうした写真も撮っていたはずだが、ちょっと出てこない。 上の写真は、おそらく運転最終日、1982年11月14日のものである。おそらく、というのは、前後に、11月14日21時新潟着の181系「とき23号」の写真が写っているためだ。新潟発の上りは21時23分発なので、時間的にもつじつまが合う。 「きたぐに」は、1985年3月改正で583系になった。そのニュースを聞いたとき…『鉄道ファン』で読んだ時の衝撃のほうが、今日「廃止」と聞いたときよりも、ずっと大きい。それは、歳とともに鈍感になっていくから、というよりも、「廃止」は後ろ向きの話だが、583系化は前向き、グレードアップの話だからかもしれない。 思わぬところで29年前を思い出した。もう「きたぐに」に乗ることもないだろう…と思いながら2月あたりの平日に座席車に乗ってみたいものだ。 |
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