北海道の占冠村に鬼峠という場所がある。名前からして、あまりにも魅力的ではないか。占冠に初めて興味を持ったのは小学生の時だ。鬼峠に興味を持ったのがいつかは忘れたが、2000年代前半に、鬼峠さんのサイトを見つけたときにはむさぼるように読んだ。このサイトはとにかくすべてを読んでほしい。「鬼峠フォーラム開催報告」すべてに至るまで、ぜひ。(サイト名は「北海道観光節」、ニニウの節は「ニニウのこれから」というタイトルだが、当時は「ニニウへ急げ」という節であったし、調べ、思い、書いているのは鬼峠氏であるということに敬意を表し、以下「鬼峠さんのサイト」と記載する。リンク先はそれぞれ異なる)
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占冠はおもしろい場所で、ほぼ石狩川・空知川水系である上川総合振興局(上川支庁、といったほうが馴染みがあるかもしれない)にもかかわらず、この占冠村だけは鵡川水系で、村内を流れる川をたどると太平洋に出る。しかし、この村への道は鵡川を遡るのではなく、空知川水系である富良野盆地から山を越えて入ってこなければならなかった。鬼峠は、占冠の西、ニニウに至るために越える、さらにもうひとつの峠である。 (Kashmir3D+数値地図20万分の1+50mメッシュ標高データを使用) 付近にはJR石勝線が走る。鉄道が通ると言われてニニウ入植した人が80年待って、ようやく開通した石勝線。しかし、ニニウには駅はできなかった。いまの清風山信号場のあたりである。写真は2005年。まだ道東道が工事中だ。 鬼峠の直下には、鬼峠トンネルがある。写真は東側坑口。保線の方がトンネル点検を終えて待避している。この「(上り)とかち」の前に下りの貨物列車が通過して行ったのだが、列車が坑口から飛び出す直前、霧の塊が吹き出してきた。山が持つ精気のようにも感じられ、はっきりいえば怖かった。 列車内から撮った、待避設備跡(下り=東向き方向)。石勝線開通時、このトンネル内には鬼峠信号場が設けられ、待避設備があった。しかし、通常のダイヤで使用されたことがあったのかはわからない。いまは廃止され、交換設備は撤去されている。 この部分、トンネルの幅が右側(南側)に広い。保線の方にうかがった話では、ここに休憩所があるという。鬼峠トンネルの点検は、歩いて往復8時間とのことだ。 西側坑口。 * * *
さてこの、占冠市街(「中央」と呼ぶ)とニニウを結ぶ鬼峠は、地図上では2回、移転している。大正8年測図、昭和33年測量、平成3年修正の50000地形図を重ねると下記のようになる。1、2、3は、それぞれの時代の「鬼峠」だ。1は徒歩道、2は馬車道、3は車道だった。ニニウに中央からの車道がついたのは昭和35年だ。 (クリックするとFlickrの大きな画像が表示されます。青=T8、緑=S33、茶=H3。3図とも等高線等がかなり異なるのは、仕様です) 鬼峠さんのサイトによれば、1以前に草分け道があり、1は明治44年から大正初期、2は昭和3~4年、3は昭和35年に開通している。いまは3の道を途中までたどれるのみ。代わりに、鵡川に沿った道道136号夕張・新得線が整備されている。この道はいまだに全通していないのだが(両側とも行き止まりまで、1990年代末に行っている)、道東道開通に伴い、この部分は驚くほどに整備されたが、それは後述する。 (続く) 鬼峠・ニニウ・占冠のこと(2) 鬼峠・ニニウ・占冠のこと(3) 新入小学校と『シリーズ北海道の女』(宮内令子著) PR |
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