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宿毛フェリー 佐伯港

港湾


高知県宿毛港と大分県佐伯港を結んでいた宿毛フェリー。深夜航路もあって、憧れの一つだったが、2018年に運航休止。なぜか現在もWEBサイトは残っている。ドメインが失効しないのだろうか。


佐伯港のターミナル内の食堂がいまも営業中と聞いていたが、12月27日という訪問日のせいか、休業中だった。ストリートビューは2023年6月の撮影で、店内に灯りがつき、客がいるのがわかる。

 
 
ちょっと覗いてみる。改修工事をしているようで、人の出入りはある。すぐ近くに大入島(おおにゅうじま)行きの乗り場があるので、そちらの利用者もいるのかな。

 
 
ランプ。下船後、すぐ見る標識は…

 
「東九州道 佐伯」。佐伯ICは2008年の開通。

 
こちらの案内標識と合わせ、新しく見える。

 
駐車場には「フェリー利用者以外 駐車禁止 大分県」。「フェリー利用者」がいなくなったいま、効力は存在するのだろうか。

●関連記事
宿毛フェリーと宿毛湾港(宿毛港)



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マリンエキスプレス 日向港跡

港湾

 
かつてマリンエキスプレスが就航していた日向港。ターミナルビルは、現在は運送会社となっている。

 
大型車が頻繁に出入りしており、港の駐車場が存分に活かされている。

 
1万トンクラスのフェリーが着く岸壁。いま使われることはあるのだろうか。

 
ヤシの一種が沿道に植えられている。私が日向港を利用してここを走ったたことがあるか、現地では思い出せなかったが、帰宅後に確認したら、利用したことはなかった。マリンエキスプレスはのべ6回乗っていて、すべて宮崎だった。










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内海フェリー 草壁港

港湾

 
小豆島の南側、内海湾の草壁港と高松を結んでいた内海(うちのみ)フェリー。2021年3月で休航となった。国道436号沿いに「高松ゆきフェリー」の案内板が見えるが「休止」の掲示がある。


 
かつて乗船待機のクルマが並んでただろう駐車場。

 
 
その真後ろには待合室。航路休止の張り紙。

 
そこから右を見ると、ここから小豆島に入った人が潜ったゲート。

 
徒歩乗船の通路はいまも使われているかのようにきれいにある。おそらくきちんと管理されているのだろう。






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甲浦港跡

港湾


甲浦(かんのうら)といえば阿佐海岸鉄道が導入したDMV。その甲浦駅から徒歩20分くらいのところに、かつては神戸、のちに大阪に神戸に直行するフェリーの港があった。甲浦港だ。高知の最東端の玄関口だったのだ。

 
そのフェリーは西は足摺港(末期は高知港)へも脚を伸ばしていた。室戸シーラインが2001年冬に休止し、しばらくして2004年から約1年間、大阪高知特急フェリーが就航していた。撤退以後、ここに発着するフェリーはない。


 
ランプの接続位置が、船尾右側(1枚目の写真)と船尾(2枚目の写真)との2ヶ所ある。船尾右側はスターンランプを備える大阪高知特急フェリー用、船尾は高知シーライン用のようだ。

・大阪高知特急フェリー;フェリーこうちの写真:idyllicocean
・高知シーライン;フェリーむろとの写真:ふなむしの写真館

 
2枚目写真の船尾ランプウエイ用の可動橋付近には水産会社がある。可動橋も含めて周辺は水産会社のものが多く置かれ、すでに用地の払い下げを受けているのかもしれず、遠くから眺めるのみ。

 
ここにフェリーが立ち寄っていた痕跡。「関係者以外立入禁止 高知シーライン」という看板が、片隅に置かれていた。

 
 
 
岸壁は釣り人がたくさん。釣り船もいくつか。
 
 
甲浦港を訪ねた後、近くの給油所に入ったら、なんとDMVが給油しにきた。一部は鉄路を走るのに、自動車と同じ課税をされてしまうのだろうか…という問いには、下記の大町パルクさんのご指摘をご参照ください。



【関連項目】
足摺港・フェリーむろとの痕跡



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那智勝浦フェリーターミナル

港湾

 
和歌山県の那智勝浦町の北東、最寄り駅で言えば紀伊勝浦ではなく宇久井になる、そこに那智勝浦フェリーターミナルがある。営業しているかどうかでいえば「していた」。東京と高知を結ぶブルーハイウェイラインが1998年まで、その後はマリンエキスプレスが2005年まで寄港していた。2004年1月に後者に乗っているので、その時に寄港したはずだが憶えていない。

 
フェリー基地埠頭
昭和四十八年六月
三井建設株式会社

Wikipediaによれば、フェリーの寄港は名古屋便が昭和47年10月、東京便が昭和48年3月。そのときには完成していなかったということか。

 
路面に残るトレーラーの待機位置。

 
「オートバイ駐車位置」の看板が落ちていた。

 
ランプ近くには「単車駐」の枠線。5台分。



ターミナルの中は、当時のままだ。ガラス越しに覗くと、熊野交通のバスの案内がある。

ここにフェリーが寄港してくれたら、ツーリングにはとても便利なのだけれど、伊勢道・いせ湾岸道が直結してしまった、たぶんそれがフェリー廃止の理由の一つと思う、それだけに現在となっては無理だろうな。


【関連項目】
東京フェリーターミナルに生き残っていたブルーハイウェイライン


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徳島港今昔とフェリーしまんと

港湾

 
 
フェリーしまんと。徳島港・沖洲(おきのす)。このターミナルは2015年に完成した。それまでは、対岸にあった。

 
徳島港のサイドのランプウェイ。フェリーしまんとで自由に出歩ける甲板は後部にしかない。

 
これは1996年GWに撮影したランプウェイ。私はこの時は新門司まで行ったので、徳島で下船する同行したバイク仲間を見送っていた。船名は「おーしゃんいーすと」か「おーしゃんうえすと」だと思う。

2枚の写真を見比べると、ランプウェイの造りも形も異なる。また、視点場も、一見1996年のほうは船体の前方から後ろを見ているようにも見えるが、それは錯覚。現在は右舷を接岸して右舷と船尾からクルマが出入りするが、かつては左舷を接岸して左舷と船首から出入りしていた。

まずは現在。GoogleMapsより。


次に1996年。地理院地図の「最新」。2009年の撮影。


オーシャン東九フェリーは2016年に4隻とも更新しているが、先述したように接岸が左右で異なる。古い「おーしゃんうえすと」などはランプを船首・船尾・左舷・右舷ともに備えるので、新ターミナルでは新型船と同じく船尾と右舷で荷役していたのだろうか。

* * *
さて、フェリーしまんと。
 

東京フェリーターミナルに生き残っていたブルーハイウェイラインに書いた通り、GPSログを取るために窓が必要だったので、2名個室をとった。ベッドは壁に折り畳むタイプで、それが2段になっている。ベッドを広げても床は通路になるくらいの幅は残る。ビジネスホテルの1室くらいの大きさだ。

 
食事はすべて自販機+レンジ。この広い食堂でゆったりと友人たちとダラダラ過ごしたいなあ。

 
以前はレンチンする「握り寿司」があったらしいが、いまはなかった。

 
天ぷらそば。

 
ガパオライス。

 
乗船券。名前が間違っている。電話予約なので仕方なし。










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東京フェリーターミナルに生き残っていたブルーハイウェイライン

港湾

 
オーシャン東九フェリーに22年ぶりに乗った。1995年GWに徳島、1996年GWに新門司、1999年に徳島まで、それぞれ行きで乗っている。その3回ともバイクでの乗船だが、今回は徒歩乗船。

 
19時30分の出港に対して、19時ころに徒歩乗船の案内があった。てくてくと歩いていくと、そこには「苫小牧・那智勝浦・高知」の表記があった。ブルーハイウェイラインだ! 

 
苫小牧便は1999年まで、高知便は2001年まで運航していた。それぞれ、1995年夏と1996年夏の行き、1999年GWの帰りに乗っている。この表記は徒歩乗船でないと見つけられない。徒歩乗船してよかった。

 
ボーディングブリッジ。徒歩客は10人ほどだった。

 
東京港を出るときのハイライトが、東京ゲートブリッジをくぐるところだ。これはくぐったあと。くぐるときのは動画でどうぞ。






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足摺港・フェリーむろとの痕跡

港湾


東京からバイクで四国に行く際は、徳島と高知があったので、わざわざ神戸経由で室戸汽船に乗ることはない。でも、甲浦といい足摺・土佐清水港といい、とても気にはなっていた航路。写真は交通新聞社『JR時刻表』1991年8月号。その、足摺港(正式には「あしずり港」)を訪ねた。


広い埠頭。ここに「フェリーむろと」が横付けされていたはずだ。いまは、小さなポンツーンが一つ。

 
埠頭の端面。

 
逆から。架道橋も、操作室?も、いまも残っている。

 
別の角度から。

 
もう二度と動くことはないと思われる架道橋の油圧装置。「あしずり港 架道橋」の銘板。

 
メッキ部分も錆が進行している。

 
操作室?は室内にまで緑が侵入している。

 
「フェリーむろと」の痕跡があった。これしかないようだ。




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宿毛フェリーと宿毛湾港(宿毛港)

港湾

 
夜行便含めて1日3往復していた宿毛フェリー。大分県の佐伯と高知県の宿毛を結んでいた。鉄道ファンの友人たちが何人か利用していたのは見ていて、いつか乗らないと…と思っていた。2016年と2017年に四国~九州をそれぞれ往復したのだけれど、利便性の高い八幡浜と、スオーナダフェリーを使ってしまった。そんなことをしているうちに、2018年10月、休航になった。

公式サイトはまたいきているが、船舶は売却済みだ。
http://www.sukumoferry.com/

 
宿毛湾港は、宿毛の市街地から西にちょっとだけ離れている。このフェリー埠頭があるのは片島地区。

 
事務所がきれいに残されている。フォークリフトもそのままだ。

 
閉鎖されている事務所を窓越しに。とてもきれいなままだ。

 
トラックが休んでいた。

 
かつてフェリーに架けられていた可動橋。駐車場の位置からして、待機していたクルマはいったん公道に出てここに回り込まねばならなそうだ。使い勝手が悪い…。

 
右が可動橋、左が公道。










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川崎近海汽船 室蘭~八戸~宮古航路 室蘭港・八戸港・宮古港の記録

港湾

川崎近海汽船 宮古~室蘭航路 宮古港の記録の続き。




今回、1等洋室に3人で乗船した。室内に備え付けられている案内も、当然だが、宮古~室蘭のものとなっている。

 
徒歩乗船の客はぼくら3人。ドライバーがそれなりに…おそらく10~20人くらいはいると思うが、ニチレイの自販機が並ぶ食堂は誰もいない。まあ、慣れてる人は弁当買い込んで来るし、ドライバールームならそこで食べるだろうしね。。

 
 
ほぼ徹夜だったので、昼すぎまで寝て、うろうろしていたら夜になり、もう暗くなった室蘭へ。白鳥大橋の下をくぐる。白鳥大橋は2005年に渡ったきりだ、今度、改めて室蘭も訪ねよう。


室蘭港ではボーディングブリッジから下船。長い通路を渡り、新装なったターミナルへ。かつて東日本フェリーが建てたものだ。室蘭港といえば、かつては直江津へ、大洗へ、青森、八戸、大畑へとフェリーが出ていた。それらの航路がなくなって10年。

【関連項目】
大畑港のいま


 
 
ひっそりとしたターミナルから、登別行きのバスが、無人で出発していった。

 
 
広々とした清潔な室蘭フェリーターミナル。売店のお土産は、賞味期限が近いものがたくさん半額で売っていた。みやげを買う人はほとんどいなかったのかな…。

20時には乗船開始とのこと、それでも20時20分くらいまでに戻ってくればいいというので、室蘭駅近くのスーパーへ買い出しに。閉店が近かったためか、「やきとり」は3パックしか買えず。でも半額だったし、ちょうどよかったかも。

早めに待合室に戻り、ボケッとしていたら、あわや乗り遅れるところだった。「徒歩乗船の方はお急ぎください」みたいな放送はまったく入らず。

 
 
 
「宮古行」

 
反対側は「ようこそ室蘭へ 安全運転」

 
 
 
室蘭出港。



 
 
3時30分すぎ、キャプスタンが動く音で目が覚めた。八戸港だ。ランプはスターボードサイド。箱のトラックが8台ほど降り、次いで牛を積んだトラックが6台だったか8台だったか降りた。ランプが上がる前に部屋に戻り、寝た。

【関連項目】
宮蘭フェリー活牛トラック  貨物利用における現状把握(PDF)


 
 
7時過ぎに目が覚めた。もう宮古の港内だ。八戸着は少し遅れたようだったのに、宮古着は早着になる。あわてて支度して、ギリギリ。

下船も、バスによる下船となった。徒歩客は我々以外に3人いたようだ。いずれも乗るのが目的に見えた。


宮古で下船すると、雲を浮かべた青空が広がっていた。


ターミナルの2階で宮古ラーメンを食べていると、朝日が出てきた。


赤いファンネルに「K」のマークが美しい。

* * *

2月11日、横浜港でのコロナウイルス対策に関連して、防衛省の要請でこのシルバークイーンが自衛隊支援に行くこととなり、翌12日の宮古発便から29日の室蘭発便までを運休とすることが発表された。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が寄港していることに対しての処置と思われ、「はくおう」と同等の役割を果たすのかもしれない。




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