列車に乗ったり降りたりしながら、フレームがプラットトラスである跨線橋があると撮っていた。車内から撮ったものもあるので、その場合は半分しか写ってなかったりするが、ないよりはマシだろう。
●青森駅 ホームは南北方向に配置されている。跨線橋は南側にある。 画像右のものと、左に消えている長いものとはつながっていない。 画像左の長い跨線橋が、旅客用のもの。駅舎本屋(東口=メイン)と西口、各ホームを結ぶもの。右のは、ちょっとうろついたけれどなんだかわからなかった。おそらく、かつて小荷物輸送や郵便輸送をしていたときに使われたものかと推測する。 右の跨線橋を、反対側から。(左の跨線橋から撮っている) 荷物・郵便輸送があった時代、青森駅に入ってくる列車の最後尾に、荷物車や郵便車が連結されていた。その連結位置は、この、青森駅の荷扱い位置によるものだったのかもしれない。@golgodenkaさんのレポートによると、仙台駅も南側に荷物用エレベータがある。東北筋はそれで統一されていたのかもしれない。 北から南方向で見ると、このように、跨線橋が二重に見える。 どちらもトラスは鉄骨作りであり、プラットトラスである。 ●滝川駅(以下、北海道) これまたなんとも長い、檻のようにも見える跨線橋である。駅の西側に、かつては側線が多数あった部分を一跨ぎにする業務用跨線橋。旅客用跨線橋と連続する形で伸びている。 こんな感じでH形鋼を使用している。 旅客が通る部分との間には扉があり、このように注意書きが成されている。 ●岩見沢駅 古レールを使用した跨線橋。プラットトラス。桁裏に行っておらず、写真も撮っていないことを大きく悔やんでいる。 脚も古レールで組まれている。脚だけ最新のものに交換、という例も見るだけに、これはうれしい。 ●塩谷駅 脚は古レール。跨線橋本体はプレートガーダー。跨線橋の側面は板である。 なんというか…すてき。 (青森・北海道の駅における跨線橋 撮り散らし その2に続く) PR
秋田駅の跨線橋が、妙な形をしている。通常、跨線橋の通路の壁全体を包み込むように、トラス構造になっている。ワーレントラスのこともあるが、古レールを使ったものは、たいていプラットトラスである。
(参考) 跨線橋におけるトラス構造 しかし、この秋田駅のものは、通路の下半分しかない。 しかも、「橋台」、ではないな、跨線橋の脚といったほうが適切か)にちょこんと載っているだけ。さらに、トラスの見た目が台形ではなく長方形をしている。上弦の端部がどこかと接合されているわけでもなさそうなのに…? 内部はこう。 ポニーワーレントラス(?)の垂直材を上に延ばし、左右のそれを弧状の部材でつないでいる。弧状の部材同志は接合されていない。 これは、大石橋のような構造だと解釈していいのだろうか。 (サイト「橋の散歩道」に、そのポニーワーレントラスの写真あり) もっとわかりやすい現役のポニートラス(補強)があったと思うのだが、ど忘れしてしまった。思い出したらリンクを張る。
新潟県の柏崎駅には0番線ホームがあり、その向こうに5線、留置線がある。つまり、こちら側に6線ある。私が小学生の頃に撮った写真を見ると、ここにはレールを積んだチキやワム8、タキなどが留置されている。現在は草むしていて、使用されている気配はない。
左が0番線、右が1番線。0番線は越後線線用。 その0番線、行き止まりの部分に不思議なものがある。 櫓が、それぞれの線路に対応する形で設置されている。これはなんだろう? 荷役の設備だろうか。ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示いただきたい。 (4/10追記:架線の末端を保持する架線柱ではないかとのご指摘をいただきました。TcodeFさん、okuyamatsumiさんありがとうございました。) 0番線の向こうは更地になっている。かつては日本石油の柏崎製油所があり、その後は日本石油加工となったが、とにかく石油関連施設がここにあった。産業遺産的な話がたくさんあるが、それは割愛する。それらをふくめ、新潟県中越地震でその多くに被害が生じ、取り壊されたようだ。 振り向けば、跨線橋。 プラットトラスタイプだ。裏に回れば補強もされている。 青い部材が当初のもの。それを、T字型に受ける柱を付加している。 目を上げると、なんか古そう。 いや、ほんとに古い。鋳鉄製だろうか、こうした鉄製橋脚は、東京都内の鉄製橋脚の年代から考えると1920年代くらいのものだと思いたいのだが、いかがだろうか。 参考までに、愛知県の武豊線半田駅の跨線橋の橋脚の写真をリンクしておく。出典はwikipediaである。半田駅の跨線橋は1910年設置であるとも記載がある。そこから大きくは離れないうちに設置されたと見てよかろう。 ●2013.9.26追記 写真を追加する。 階段部分は、古い桁をベースに、踊り場から下を別の部材で新設している。また、踊り場より上、腰板は木製のままだ。こういうところに「残ってしまった」部材が愛おしい。 内部は木製ということがわかる。 この跨線橋も、古いものを利用しながらエレベーターを後付けしている。 桁裏。汚れているので木製にも見えるが、波板である。 2013年7月に訪れたとき、柏崎駅は更新作業に入っていた。このスタイルとこの色が失われませんように。
上:『日本国有鉄道百年写真史』(著作権については後述)、下:『鉄道ファン』2011年3月号(複写:大西友三郎、所蔵:西尾克三郎)
去る21日に発売された『鉄道ファン』(下段の写真)を見て驚いた。開業当時の大阪駅の写真が掲載されており、なんとその跨線橋がクイーンポストトラスなのだ。掲載されている記事は古い給水塔の図面の解説で、実はこの写真との関連性が私にはわからないのだが…。 上の写真は『日本国有鉄道百年史』の別冊『~写真史』。両者の写真はよく似ているが、もちろん別物。上の写真には蒸気機関車がいない。そして、より多く跨線橋が写っているという点で、いま現在書店に売っている『鉄道ファン』をぜひご覧いただきたい。 ふと思い立って土木学会のサイトにある『日本鐵道史』を見たら…あった! (『日本鐵道史』第二章「鐵道の創始」59ページ目より) 写真などほとんど掲載されていないこのアーカイブに、正面からのものがあるとは! 冒頭の写真でもわかるが、端柱がずいぶんと鈍角である。そういうものなのだろうか。そういえばキングポストトラスもクイーンポストトラスも、端柱が鋭角であるものを見たことがない気がする。発想として方杖(棒を突き合わせるもの)だからだろうか。 『日本国有鉄道百年写真史』について、以前も書いたような気もするが、土木構造物の写真がたくさん掲載されている。それも、開業に向けての工事中のものや開業直後のものが多いので、既に架け替えられてしまった大多数の橋梁の姿が拝める。現存数の少ないボルチモアトラスもいくつかある。室蘭や手宮の、石炭船に積むための2階建ての桟橋の俯瞰写真もある。 いまオークションを見たら1000円以下でいくつも出ている。ぜひ。(出品者は私ではありませんよ) なお『日本国有鉄道百年写真史』の著作権について。これは国が出版したものと見なしていいのだと私は考えている。奥付には、不思議なことに「(C)1997」とある。これは、表記としてはまったく「なっていない」。(C)=マルCはcopyright、複製権を持つ者を記すマークであるから、これでは「1997」という人格が著作権を持っていることになる。復刻版の発行年が1997年であるので、おそらくそれを書いたのだと思うが、明確な誤りであり、この本には著作権表記がない、というのが実際のところであろう。表記がない=パブリックドメイン、ではないので念のため。
8月22日(日)・23日(月)と、東京から高崎・六日町・犀潟・富山・岐阜・天竜二俣・東京、というルートでぐるりと一周してきた。22日の朝、高崎駅のトイレを出たところでふと窓の外を見ると、そこには古い跨線橋があり、その骨組みはプラットトラスの構造ではないか。
跨線橋、とくに古レールを使ったものは当然、トラス構造であることくらい、誰もがわかっていることだろうが、そのトラスの組み方が突然、目に入ってきた。 跨線橋とて「橋」である。人が歩く部分の桁をどう支えるか、という観点で見ると、トラス桁のものとビーム桁のものがある。もしかすると最近は張殻構造なんてのもあるかもしれない(妄想)。また、横桁がどこにあるのかも意識するとおもしろい。 ここでプラットトラスになっているのはなぜなんだろう。活荷重は小さいので、構造計算しやすいとか。あるいは、レールみたいな軟らかい部材を使うから、斜材に引張力のみが働くプラットトラスになっているとか(ワーレントラスは、斜材にかかる力は引張力/圧縮力/引張力…と交互になる。レールは、5mもあれば、私が乗るだけでぐにゃりと曲がるくらい軟らかい)。そちら方面はまったくわからないので、なぜプラットトラスなのか、正確な理由は分からない。 そういう目で見ると、この高崎の跨線橋は、7パネルなのに、向かって左にズレて、中央パネル部分の斜材がクロスしている。ということは、向かって左側の向こうになおもう1パネル分、あったのかもしれな。この跨線橋は上弦材と斜材がレールで組まれ、下弦材は断面が形鋼(C型チャンネル?)に見える。なお、横桁がどこにあるか、写真からはわからなかった。 さて、高崎で突如目覚め、できる範囲でトラス桁の跨線橋の写真を撮ってみた。また、帰宅後、過去に撮った写真で跨線橋が写っているものをいくつか抜き出してみた。 高山本線中川辺駅な6パネルのプラとトラス。見事。屋根や側壁は、単なる雨よけで、構造物になっていない。 よく見ると、横桁は下部のガセットで結合されてはおらず、1パネルあたり2本の横桁が、なんらかの構造で下弦とくっついているようだ。 高山本線笹津駅。こちらは2連の構造となっていて、向かって右が4パネル、左が7パネル。左の方の中央格間の斜材はレールではなく帯板だ。たしかに、もっとも大きな力がかかるのは端部の斜材である。横桁は、下部のガセット部分に結合されているようだ。 橋脚は端柱を兼ねている、ということはこれはラーメン構造の要素もあるというのか? そういう分類をしていいかどうかは、私にはわからない。 この、すばらしく「まもなく消失する雰囲気」を醸し出しているのは富山駅の跨線橋。いま、富山駅は新幹線開通に向けての工事がたけなわであり、遠からずこの跨線橋も姿を消すだろう。 見事に古レールを大活用して作られた、8パネルの跨線橋。1パネルにつき2本、横桁(レール)が乗っていて、その上にコンクリートで床版が打ってある。木造の側壁は完全に雨よけに過ぎない。 水戸線下館駅。全体は写っていないが、ほぼわかろう。6パネルである。注目したいのは、斜材が対角線を通っていないように見えること。いや、正確には正方形に近い形で連続していて、垂直材が天方向に突き出してそれが屋根を支えている。これも、横桁は下部のガセット部分にはなく、下弦に1パネルあたり2本、レールを使った横桁が載っているという、100フィート英国系ポニーワーレンかのような構造をしている。 高山本線越中八尾駅。5パネルのプラットトラス。横桁はきちんと格点間をつないでいる。 これは、外見の写真がないが、北海道の石北本線遠軽駅の跨線橋の内部。プラットトラスだ。きちんと上横構もある。 いまはなき、北海道のちほく高原鉄道の本別駅にあったもの。これはワーレントラスだ。下弦は帯材、それほどの荷重負担は課せられてないようだ。横桁は下部のガセットに結合されている。 根室本線の落合駅の跨線橋内部。これはワーレントラスである。上横構がない。 信越本線犀潟駅。形鋼を利用して桁をつくり、その上にプレハブのような通路がかぶさっている。 高山本線下呂駅。高山本線の跨線橋は大きく分けて3タイプあるようだった。先に紹介したプラットトラスのもの。近年設置されたらしい、このような形鋼を利用した者。もうひとつは、屋根もない、道路の歩道橋みたいなタイプである。 また、内部をご覧いただければわかるとおり、こちらも上横構がない、といっていい。曲線を描くのは、単に屋根を支えているだけではないか。 高山本線角川駅。こちらも形鋼で桁を作っているので、よく似ている。 以上、手持ちの写真でつらつらと考えてみた。これからは跨線橋の写真を「きちんと」撮ってみようかと思う。膨大な数が、まだまだ間に合うはずだ。 |
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