かつて、柏崎に住む叔母が「新潟は道がおかしいからクルマで走りにくい」と言っていた。それを聞いたのは小学生の時で、4車線の一方通行である東堀通を走っているときだった。自分が免許を持ってる歳でなし、そんなものなのか、と聞き流していたが、いまでもその言葉を覚えているということは、そのときから「新潟の道路は異様なのだ」と思い始めたに違いない。
●東堀と西堀 もっとも知られていたのは、東堀通が西向き、西堀通が東向きの一方通行だったことだ。どちらの通りも、1964年の新潟国体にあわせて堀が埋められ、片側4車線の一方通行になった。それが、2008年に大転換し、対面通行になった。初めて、対面通行になった西堀通を走ったときは、相当に面食らった。 ●信濃川左岸の1本入った道 左岸ギリギリの道は対面通行。 ●東港線バイパス これはかなり驚く。やはり4車線の一方通行なのだが、中央分離帯のように見えるものがあり、なおかつ陸橋なのである。 場所はここ。 カーナビでここを案内されたら、初めての人は絶対に戸惑うはずだ。 ●バスセンター南口から流作場(りゅうさくば)交差点 ここがおもしろいのは、流作場交差点の自転車用横断歩道。 ●インターチェンジ出口の車線交錯 場所はここ。 大きな地図で見る 80~90で流れているR49亀田バイパスを新潟方向(北)に向かい、姥ヶ山ICで降りると面食らう。まるで高速道路のようなバイパスを降りると、正面衝突しかねない位置を対向車が走ってくるのだ。 こうなる。 ●饒舌な道路 最後に、饒舌な標識。 PR
栗原景氏JR完乗の日に水郡線が倒木と衝撃、常磐線ダイヤ大混乱のとき、先に現地に行ってた私は水郡線瓜連駅から静駅まで歩こうとしていた。たいした距離ではない。空はまだ明るさがあった。
瓜連の駅は橋上で非常に立派で、駅前にはロータリーまであるが、その横には広大な砂利敷きの駐車場があり、さらにすでに強風が吹き荒れていることもあって、もの悲しい風景に見えた。 その駐車場に、なにか資材のようなものがかたまっておかれていた。 ただ単にバス停が交換されただけかもしれないが、そういうものが一塊にゴミのように置かれているのを見ると、それが「この地域の福祉」そのものを表しているようにも見えてきた。 銀座ニコンサロンで、吉野正起さんの道路写真展が開催されている。今回のタイトルは『道路2011 -岩手・宮城・福島-』。震災で被害にあった地域の道路だ。 吉野さんとは、2010年9月に銀座ニコンサロンで開催された写真展『道路』で初めてお会いした。道路を尋ね歩き、写真に収める。作品にする。誰の記憶にもでてきそうな道路の光景を切り取った、すてきな写真展だった。 私がいちばん強く印象に残ったのは、人の気配のしない山間部の道路である。上の写真でいうと、柱の2面、その右の3点。コントラストをつけずに、でも明るくプリントされたその画面には、ありふれた、だれの記憶にもある道路が写っている。ただし、廃道でもないのに草が路面に這い出し始め、周辺の民家には人の気配がない…。 おそらくこうした会場にいれば、否が応でも観客は震災の話を始めるだろう。その都度、そういう話につきあわねばならないご苦労は大変なことと思う。 吉野さんと話していて、気がついた。私は、被災した道路には趣味的な興味が湧かないのだが、それは、「まだ使えるのに、新しい道路に代替された悲しみ」を宿していないからだ。それは、向き合ってもこちらは悲しくならないし、むしろ積極的にそれを写真なり文章なりで描き出すことに力を注げる対象だ。 一方、災害で破壊されたり立ち入りを禁止された道路は、単なる地域の悲しみしかない。本当の悲しみだ。それを、自分の思考をまとめるために眺めたり、あるいはエンタテイメントとして解釈することは、私には不可能だ。只見川の橋梁を撮りにいったことがあるが、それは、親しみのある場所だったからだ。 吉野さんの作品は、鑑賞者が災害の写真をどう捉えているかを浮かび上がらせる。私は、前述の通りだ。みなさんは、どういう印象を受けるだろうか。 ニコンサロン連続企画展 Remembrance 3.11 吉野 正起 3/21 (水) ~3/27 (火) 10:30~18:30(最終日は15:00まで) 会期中無休 <関連記事> 吉野正起氏 写真展『道路』 |
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