小豆島で、墓地にピラミッド状に墓石が積まれている場面をいくつか見た。墓地だしそこを見学するのはなあ…と思いつつ通り過ぎていたが、特異な光景なので、バイクを停めて近付くと、それは、無縁となった墓を会葬した供養塔だった。 海に面している墓地。それぞれの区画はけっこうな広さがあるが、それには理由があった。 「墓地完成記念碑 一九七八年」という碑がある。その裏の碑文を書く。漢文調なので一部の漢字表記やカナカナやは平仮名に直し、分かち書きにする。 昭和五十一年一月部落総会において中島墓地を埋立整地区画して各個人に譲渡すことを議決 九月墓地委員会を結成 十月中島地区狭小のため新発意造成を計画 十一月西地区一括工費千五百十一万余円で坂本工業と請負契約定結 翌年一月着工 五月岡南地区完工 六月中島地区の工事に着手 あわせて無縁如来塔森重雄氏により着工 まず大松堀取基礎工築十一米四面塔台七月完成 八月部落総動員奉仕の旧塔解体石塔洗浄塔上配列 九月完了 墓地埋立区画焼香場完成 十一月一日無縁如来塔の開眼供養墓地落成の式典を誉行 以上のごとく着手以来一年余総工費地代共三千三百九十七万円余 思うになせばなるの譬えのごとく部落民渾然一体となり完遂を得たものである 工事監督松本杢治氏 右墓地委員会(以下顧問・委員・部落委員・組長の氏名略) 「埋立」と書かれているが、1974~1978年の空中写真を見ても周辺は埋め立て・拡張されたようには見えない。砂浜に面していたが、護岸工事をして防波堤を築いた際に整地した、という意味だろうか。いずれにしろ、墓地を整理し、新たな世代に受け渡そうということだろう。 墓地北西に、校舎に見える建物があるが、建て替え前の神社か。ここ伊喜末地区の小学校は1913年(大正2年)には四海小学校(しかい)に統合され、2015年には小豆島本島部の小学校すべてが統合された土庄小学校1校となっている。もっとも、人口の多い町でもあるので、児童数は470名余の規模だ。 四海小学校は、いまなお閉校当時のWEBサイトが存在している。それを見ると児童数は54。いずれ役所の誰かが気づいて削除されてしまうだろう。 無縁如来塔に話を戻す。墓石がほぼ同じ大きさ、同じ形をしているのが興味深い。私の生家の墓がある寺は、まったくバラバラだ。 この塔は設置から40年を経ているにもかかわらず、塔を構成する墓石はいずれもきれいだ。いまもなお定期的に清掃されているのだろう。比較的新しめだと思われる墓石もある。この事業は昭和50年代前半のものだが、それから40年以上が経ったいま、同様のことはできるだろうか。相当に困難なのではないか。とすると、こうした供養塔が作られた年代というのは極めて短い期間だということになる。 ●関連項目 花見潟墓地 砂浜にある国内最大級の自然発生墓地 PR 鳥取県の大山(だいせん)の北、赤碕の海岸沿いの高台を走っていたら、眼下の海側に広大な墓地が見えた。その規模がすごい。 説明板によれば、東西約349m、南北約19~79m、面積2万平米。この写真では見えないが、見下ろすと、そこには、古い墓石をまとめた場所があった。 嘉永や天保といった元号が彫られた墓石と、きれいな墓石が混ざる。古いものも彫られた文字がクッキリを見える。新潟の私の生家の建て替える前の墓は明治以降のものだったけれど、風化で文字はほとんど見えなくなっていた。周辺の墓もそんな感じだった。同じ海沿いにも拘わらず、かなり違う気がする。石が異なるのだろうか。 この墓地には「赤碕塔」がある。鎌倉時代末期に作られた、宝篋印塔と宝塔の様式を合わせもつ石塔だ。 このような置き場所がいくつかある。 「しぶ」とはヒサカキのことらしい。 説明板。 (kashmir3D+地理院地図+スーパー地形に加筆) 下甑島の街並みや路上の風景。 ●手打・武家屋敷通り 狭い道の両側には石垣。こういうところにも3階建ての集合住宅の需要があるのは、実家を離れるときのためだろうか。都市部と違って賃貸などはほぼないだろうから。 下甑郷土館は、残念ながら休業中。 手打海水浴場と、そこで待機していた薩摩川内市甑島コミュニティバス。運行は南国交通。 美しい砂浜と、その前にある出光の給油所。 ●片野浦 片野浦。高さ2m近いブロック塀、しかもラウンドしている。 「林道子岳線」。 片野浦港。 片野浦。 ●釣掛埼灯台 下甑島最南端。灯台に至る道は「舗装林道」という感じ。 ●片野浦港の給油所跡 給油所跡と思えるが、建物がサービスルームぽくない。大きな木製扉がついている。「片野浦浜田」のバス停がある。 ●鹿児島県道350号 ●瀬々野浦 四国最東端・蒲生田岬の北側に、海を挟んで東に延びる椿泊の半島。半島から突き出す岬、岬の藍田の入江ごとに集落や港がある。 漁業が盛んな地域は、「都会の交通」の感覚からするといろいろと大変そうだけれど、多くの人が生活し、個人で、あるいは共同で仕事をしているため、とても活気があるように感じる。ここは谷ノ浦。 ここは小吹川原。 先端、椿泊には、椿泊小学校がある。 道路が尽きるところ。 |
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