【泊浜】
海に向かって1車線の道を降りて行く。けっこうな斜度なので、石垣が多い。この石はどこから持ってきたのだろうか。 下り切ると、きれいな港に出る。上2枚の場所はここは東日本大震災の被害を免れたようだが、下2枚の場所は大きな被害を被ったところ。 ここにもバスは来る。牡鹿地区市民バス。 【新山浜】 【寄磯浜と寄磯小学校】 寄磯漁港。 にある、唐突な行き止まり。 物語の中の、架空の小学校かと思ってしまうような、素晴らしいロケーションの小学校。そんな能天気な印象を持ってしまうが、震災時は地域の避難所としての役割を果たした。震災当日からの記録は、公式サイトにある。現在、約100戸260人の住人に対して、児童は6人。震災前と比べ、人口は半分近くまで減ったそうだ。 寄磯中学校閉校記念碑。 【おしかホエールランド捕鯨船第16利丸】 残念ながら、2022年3月16日の地震でなにかあったのか、見学ができなかった。船体底部でも工事をしていた。 PR
●新宮町新宮
かつて新宮村だったところ。いまは四国中央市新宮町新宮。一番上の写真の「右奥」が村役場だったところ。 ●四国中央市岩鍋 国道319号沿い、柳瀬ダムのダム湖・金砂湖沿い。国道沿いの家屋はどこも無住になっていた。一番上の写真に右に上がる道が写っているが、地形図ではその道沿いに、そこそこの数の家形がプロットしてある。 ●久万高原町渋草 国道434号の旧道と川の間の細長い敷地に、3階建て(道路側からは2階建てに見える)の大きな木造の旅館跡があった。「大西旅館」とある。ここは、旧面河村の中心地に近いが、現在有名な観光地があるわけではない。面河渓とはかなり離れた位置にある。 これだけの規模の旅館。「面河ダム建設当時は賑わった」等の記述は散見されるが、それ以前から存在していたはずだ。 ぐるりと一周。道路を挟んで古い雑貨店(だった建物)もある。そこから年輩の方が出てきたので話しかけようとしたら、近付いているうちに出かけてしまった。 「今月の駐車方向」。これは、T字路のどの道路に対しての宣言なのか。あるいは駐車スペースのような砂利敷きについての話なのか。 毎月、この看板を持ち上げて180度回すのだろうか。 【追記】 Einshaltさんから、このような情報をいただいた。なるほど!
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