忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


No Image

石岡橋(矢部)

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

 
福岡県の、かつて矢部村だった地域。東は大分県に接するところ。国鉄矢部線が目指すも到達しなかった村。そこに、古いイギリス製のトラス橋がある。

 
ポニープラットトラス。パテントシャフト&アクスルトゥリー製だ。

 
いかにもイギリスらしい太さだが、鉄道橋より幅が詰められているように見える。『歴史的鋼橋集覧』にも幅の記載はない。英国系100フィートポニートラスは多くの鉄道橋があり、現存するものもそこそこあるが、ほとんどはポニーワーレンで、プラットトラスは少ない。

明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)英国系トラスその2』によれば、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは、120フィートのものが関西鉄道により①木曽川と②揖斐川に1連ずつ架けられたようだ(「それ以外がない」ということにはならない)。

また、『歴史的鋼橋集覧』の石手川橋梁(愛媛県)は1893年の開通時からそこにあるので違うが、「③筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」と記載されており、ということは、①②③のどれかを改造して転用した可能性がある。地理的にいえば③と短絡したいところ。『歴史的鋼橋集覧』には「日向神ダム建設の際水没する橋を惜しんで現在地に改造移設した」との伝聞が書かれているので、二度目の転用ということになる(さらに転用されていた可能性もある)。

 
右岸側は右側だけ親柱がある。文字は読めないが「36」のように見える。

 
対岸から。「止まれ」の向こうは国道442号。

 
国道から集落に入る橋として架かったようだが、いまは上流側、下流側ともにもう少し幅の広い橋が架かっており、渡った側(写真手前)は無住の家屋ばかりに見えた。少し行くと市営住宅だろうか、きれいな建物がいくつもある。

 
 
左岸左の親柱に「石岡橋」。右は削られたか、なにもないように見える。


幅だけでなく、桁高さも長さもいじっているようだ。6パネルになっているが、もし元が100フィートまたは120フィートだとすると、元は8パネルだろう。

 
 
斜材の角度が、端柱は45度だが、それ以外はもう少し緩い。これも、高さを詰めたのではないかという推測の元だ。

類似の橋梁については、
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ
をご覧いただきたい。











PR

No Image

英国系100フィートポニーワーレントラス(番外編5)牧田川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

 
大垣ICにほど近い、養老鉄道烏江駅には、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のダブルワーレントラスの一部が保存されている。これは杭瀬川と牧田川を連続して乗り越す牧田川橋梁の、牧田川を渡る部分にかかっていた174フィート4インチのダブルワーレントラスだ。

 
作に囲われていて、触ることはできない。雑草越しに遠巻きに眺めるのみ。


製造は左沢線最上川橋梁と同じくパテントシャフト&アクスルトゥリーなのだが、横桁にレーシングが施してある。見るからに、後年の補強だろう。

 
なにしろ、ブレースが「ない」場所もあるのだ。

 
このような形で保存されている。近づけないのは残念だが、保存されているということは、
この橋梁が果たした役割が、非常に価値あるものと考えられているということだろう。


地理院地図の空中写真(1974~1978)を見ると、この桁が現役だったころの様子がわかる。右川の杭瀬川のほうが水量があるが、スパンの長いこの桁が渡っている牧瀬川はあまりない。


「今昔マップ on the WEB」中京圏編を見ると、牧田川が杭瀬川と分けられる前の地図を見ることができる。かつては両川がここで合流していたため、たびたびの氾濫があった。この烏江周辺も、輪中となっており、いまも田んぼは「堤防に囲まれている」ようになっている。


■関連項目
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ















英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考番外編(4)北恵那鉄道 木曾川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考番外編(4)北恵那鉄道 木曾川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

20121112_000.JPG岐阜県の中津川駅から徒歩15分くらいで行ける、北恵那鉄道廃線跡でもっとも有名だろうところ。奥に見えるのは玉蔵橋。

20121112_003.JPGとても美しい200フィートのダブルワーレントラス。箱根登山鉄道の早川橋梁や東海道本線揖斐川橋梁と同類なのだが、上弦と下弦の間に水平に1本、補強が入っている。

20121112_002.JPG20121112_001.JPG電線を吊っていた碍子が残る。

20121112_006.JPG築堤に上がると、柵がしてあり、そこには「北恵那鉄道」の文字があった。廃止が1978年、wikipediaによれば社名変更は翌年とあるから、以来30年以上、この看板はここにある。

20121112_004.JPGここでひとまず横桁について。

横桁は直線形。横桁の端部のカバープレートは、][という形をすべて覆ってはおらず、太い「I」型になっている。

そして、縦桁が横桁同士を結んでいる。この構造は揖斐川橋梁と同じだ。150フィート桁だが、山形鉄道最上川橋梁とも同じ。これはパテントシャフト&アクスルトゥリーのひとつの型、と考えていいのかもしれない。

20121112_005.JPG鈑桁のアップ。枕木が載っていた部分が変色している。その部分、リベットはそのままなので、枕木側で削るなどして避けていたのだろうか。

20121112_007.JPG振り返る。築堤は道路で寸断されている。


20121112_008.JPG少し下流から、全体を。対岸(左岸)、採石場だろうか。

20121112_011.JPG築堤を養生しつつ、その周辺のスペースを利用しているようだ。どこかで、築堤ごとこの企業のものだと読んだ気がするが、ソースを思い出せない。また、話をすれば築堤部分などの撮影もさせてくれると聞いたような気もするが、やはりソースを思い出せない。

20121112_010.JPGダブルワーレンを真横から。

.

錆びに覆われているから「美しい姿」とは言えないかもしれないけれど、この木曽川橋梁は、その形が美しい。200フィートは単線形のピントラスがもっとも美しいと信じているが、高さがなく、棒のように見えるダブルワーレンにはそれに次ぐ魅力がある。


 

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考番外編(3)東海道本線揖斐川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考番外編(3)東海道本線揖斐川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

20121101_001.JPG東海道本線が岐阜県の揖斐川を渡るとき、上流側にこの橋が見えるはずだ。200フィートダブルワーレントラスの揖斐川橋梁。いまは大垣市の市道となっており、歩行者用の橋として使われている。クルマは、少し下流の国道21号岐大バイパスを使う。

20121101_002.JPGイギリス由来の100フィートダブルワーレントラスはそこここに残っているが、ここではまとめて5連が残っている。しかも現役である。

20121101_005.JPG銘板が残っているのもうれしい。こういうものがイタズラされないことを切に祈る。

20121101_004.JPG美しい斜材の繰り返し。鉄道だからハンドル操作の必要もないのでストレスはないだろうが、もしクルマで、この道幅に歩行者などがいたら、相当疲れるに違いない。

20121101_003.JPG橋門構。

20121101_008.JPGさて、横桁である。100フィートポニーワーレントラスは、横桁の上に縦桁を置き、その上に縦枕木、そしてレール…というのがセオリーである。しかし、この揖斐川橋梁は、横桁と縦桁が連結している。しかも横桁は直線状だ。この横桁は、造りからして当時のものに見える。縦桁は、リベットで横桁と接合されている。

これは、山形鉄道最上川橋梁と同じ形式だ。ただし、縦桁の幅が違う。あちらは線路幅より広いが、こちらは…測っていないが、ほぼ同等に見える。となると、かつてはこの上に縦枕木があったのか…? 今度、現地に行ったら採寸してこよう。


20121101_009.JPG橋脚はレンガ積みの重力式。

* * *

この橋は初代で、供用開始は1887年(明治20年)。1908年にはアメリカンブリッジ製の二代目に取って代わられる。二代目も1961年(昭和36年)には現橋に代わる。二代目はちょっと写真の記憶がないが、鉄道写真で撮られているものがきっとあるだろうから、探しておくことにする。

ccb-75-27_c14_25.jpg国土画像情報より転載・トリミング)
上の写真は、二代目がまだあったころの1980年の空中写真である。上(上流側)から初代(ここで紹介しているダブルワーレン)、二代目(撤去済、複線桁)、三代目(現役、複線桁)である。

20121101_006.JPG二代目は、橋台のみが残っている。

20121101_007.JPG現役の三代目は、どうも形が気に入らない。上弦端部が端柱と接合する部分で飛び出しているのがどうにも不格好に感じる。これがなければスッキリとした印象になるのだが…。


<関連項目>
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ
アメリカン・ブリッジの痕跡/東海道本線揖斐川橋梁
A&Pロバーツ探訪/揖斐川橋梁(岐阜県)


 

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(たぶん9) 見沼代用水橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(たぶん9) 見沼代用水橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)




20110611_002.JPGひさびさに「英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考」を書く。秩父鉄道の見沼代用水橋梁だ。現地は引いて撮れる場所に恵まれず、いささか苦しい写真ばかりになってしまった。

見沼代用水についてはwikipediaをご参照いただきたい。

歴史的鋼橋集覧によれば、この桁はパテントシャフト&アクスルトゥリー製らしい。「縦桁に陽刻がある」とあったが、それを見たのは帰宅後だ。もちろん、写真を撮っていないどこか実見もしていない。情けない。先にその縦桁を見る。

20110611_006.JPG英国系100フィートポニーワーレントラスは、左右のポニートラス間に横桁を1パネルにつき2本載せ、その上に縦桁を置き、その上に縦枕木を置いた上でレールを敷いた、というのはさんざん書いてきた。だから、縦桁とレールが同一面になる。上の写真で縦桁の間にあるのはレールではなく護輪軌条、中央は歩行用の桟である。

20110611_001.JPG横桁は、このとおり1パネル間に2本。

20110611_003.JPG横桁は曲線型である。

20110611_005.JPGいままで見てきた中で、同じパテントシャフト&アクスルトゥリー製の同型トラス橋では、横桁が「落とし込み型」だったが、この桁では曲線型となっており、横桁の形状は異なる。

(参照)
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁

一方、製造メーカー不明の伊達橋(福島県、まだ記事化していない)の横桁が、これと同タイプである。
20110611_008.jpgひとつの定規(基本設計)でいくつものメーカーが製造した英国系100フィートポニーワーレントラスは、簡単に「横桁が同じ形だから、メーカーも同じだろう」ということができないのは過去に見てきた。だから、伊達橋がパテントシャフト&アクスルトゥリー製だという断定はしない。なお、伊達橋については『日本の廃道』47号にTUKAさんの詳しい記事が掲載されている(だから私はまだ記事を書いていない。書く必要がない)。

20110611_004.JPG橋台。煉瓦製。縦桁が載る部分は床石となっている。

20110611_007.jpg塗装標記。

塗装年月日 1991年3月20日
下塗 SDシアナミドサビナイトJIS-K-5625-2種
中塗 橋梁用SDマリンペイント中塗JIS-K-5625-2種
上塗 橋梁用SDマリンペイント上塗JIS-K-5625-2種
施工者 内藤塗装工業(株)

塗装後20年。ややくたびれている。

それぞれのトラス橋で異なる英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁の形状がバラバラである…という謎は、相変わらず謎のままだ。


(追記)
前面展望を動画で撮ってきた。東行田→武州荒木。e-p1で手持ち。


英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-1)山形鉄道最上川橋梁というポストの続きを書いていて、うっかりブラウザを閉じちゃって書いた文章が無に帰したことがあった(こちら参照、するほどでもない)。そのことをすっかり忘れ、別件でこの山形鉄道のダブルワーレントラスについて触れようとしたら、記事そのものを実はまだ書いてないことに気づいた。まあ、あと20橋くらいネタたまってるんだけれど。

さて、その文章を消してしまったときに何を書こうとしたのかはまったく憶えていないので、ここではディテールを紹介する程度にする。この橋の経緯等、詳細説明は、上記「番外1-1」のリンク先をご覧いただきたい。

20101018-11.JPGさて、この最上川橋梁は、非常にいい立地にある橋である。県道の荒砥橋から、このように見える。背景は、出羽山地の一部、葉山などである。写真に見える山の向こう側方向に稜線が延び、その稜線は朝日連峰に連なっている。

寄ってみるとこうだ。
20101018-01.JPGこの、3連のダブルワーレントラスの存在感が大きいが、この最上川橋梁は対岸に向けて溢流部に12連のプレートガーダーがかかっている。そして、こちら側、つまり北側の下弦に、連番号がペイントしてある。ここに見えているダブルワーレンは、右から順に13、14、15と書いてある。

20101018-03.JPG上流側から。戦後すぐの、といっても62年前の航空写真を見る限り、本流部と溢流部の割合はほとんど変化がないようだ。最上川は、当時すでに手が入っていたのか、それともいまだに手が入っていないのか。きっと前者だとは思う。

真横から。
20101018-07.JPG美しい、9パネルのダブルワーレン。私はこれをトリミングにしてスクリーンセーバーにしている。

20101018-08.JPG20101018-09.JPG上弦と下弦のピンはこんな感じだ。


ここまで写真をご覧になった方は、この橋はきれいだと感じることだろう。昔のワムハチの色、すなわちとび色2号に似た色合いの塗料が塗られたばかりのようだった。このときの撮影行では、塗り替えしたばかりの橋に出会うことが多々あった。ラッキー。

肝心の横桁。
20101018-06.JPG
このように、直線的な横桁が格間に2本ずつ渡され、その横桁を繋ぐように縦桁が2本、設置されている。岐阜県の初代東海道本線揖斐川橋梁もパテントシャフト製で、このような横桁を持っているので、これがパテント・シャフトの流儀なのかもしれない。

また、この写真では橋台付近をご覧いただきたい。ダブルワーレンの端柱部、つまり∠となる部分の先端、横桁のようなものがリベット留めされている。そして、その横桁のようなものと橋台の間に、レールが4本、まるで端を支えるかのように配置されている。なぜなのかは不明。

20101018-04.JPG支承。ピン支承をローラーが受けている。

20101018-05.JPG横桁の断面。どういう過程で横桁が作られていくのかを知りたくなってきた。


20101018-02.JPG正面。

20101018-10.JPG右岸には、このような説明板があったが、もうこれでは意味を成さないだろう…。


以上、一切、新発見とかナシ。繰り返すが、このポスト上部の「番外編1-1」をご覧いただきたい。


ポニープラットトラス/石手川橋梁(愛媛県)

ポニープラットトラス/石手川橋梁(愛媛県)

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。

20100830-01.JPG松山市内を西へ流れる石手川に架かる103フィートの橋。写真は下流側から見たもので、いままで紹介してきた英国系ポニーワーレントラスとは形態が大きく異なることがわかる。製造は、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリーだが、標準設計の「英国系」ではない。

(アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳)


20100830-02.JPG
北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。

この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。だから、本来必要とされる幅以上の広さを持つといっていい。ただし、橋の部分にまでホームが延長されたのは後年だとどこかで読んだ気がする。開業2年後の1974年の航空写真でも、ホームはないように見える。レールは橋梁の中央部分に敷かれているので、ホームがあるからと言ってトラス側に寄ったりしているわけではない。

20100830-03.JPGプラットホームから見ると、トラス部分はこのようになっている。ホームに鎮座するトラスの部材間にはロープが張ってあり、通り抜けできないようになっている。

画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。

20100830-05.JPG横桁は英国系100フィートポニーワーレントラスとは架け方も本数も異なる。かけ方は、垂直材と斜材をピン結合してあるその上に架けてある。英国系100フィートポニーワーレントラスのように1パネルの間に2本の横桁が乗る、というようなことはない。

20100830-04.JPGピン。

20100830-06.JPG横桁の形状は、直線基調である。縦桁をくわえ込んでおり、縦桁の上に横枕木とレールが載っている。その縦桁は、橋梁の中央に位置している。「英国系」は、横桁の上に縦桁が乗るので、明確に構造が異なる。

20100830-07.JPG
これは上流側から見た橋の側面だ。



この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。

歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



IMG_3759_R.JPG関西本線木津川橋梁である。3連のこの橋は、西側の沈下今日から撮影したもので、画面左が大河原・名古屋、右が笠置・木津方面となる。

全体がミリ60度の斜橋となっており、それは中央径間のワーレントラス桁を見ればわかるが、この橋を特徴付けているのは側径間である。

IMG_3762_R.JPGご覧のように、8パネルのポニーワーレントラスの上に、補強する部材を取り付けている。

このアーチ型の補強剤はランガー桁(アーチには軸力のみ、補剛桁には曲げモーメントとともに軸力がかかる)と同じ作用がある。つまり、荷重がかかったときに桁がしなるが、その力の一部をアーチが受け止め、それに抵抗する形になる。

この木津川橋梁は1897年(明治30年)に架けられており、この補強工事は1925年(大正14年)に行われている。おもしろいのは、日本初のランガー桁が架けられたのは、この補強工事より後の1932年(昭和7年)であるという点である。それは、かの田中豊設計による総武本線隅田川橋梁で、隅田川の記事でも橋梁の記事でも名前のあがる有名な橋である。

なお、ランガー桁とは、オーストリアのジョセフ・ランガー(Josepf Langer、1816-?)が考案し、1881年にフェルディナンズ橋に使用したのが世界初である(『[広さ][高さ][長さ]の工業デザイン』坪井善昭・小堀徹・大泉楯著)。「ランガー桁」が比較的人口に膾炙した用語であるのに対し、ジョセフ・ランガーの名前は検索しても出てこず、wikipediaの英語版にもドイツ語版にも項目がない。ググっても、グーグル・ブックにこの本くらいが関の山であり、没年すらはっきりしない。

その他、このあたりが参考になるかもしれない。私もよく読み込んでいないので、読めば何か新たな発見があるかもしれない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Self-anchored_suspension_bridge
http://gilbert.aq.upm.es/sedhc/biblioteca_digital/Congresos/CIHC1/CIHC1_151.pdfの1621ページ
 

もうひとつの特徴は、横桁にある。愛知川橋梁のポストでも書いたが、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスとは横桁と縦桁の関係が異なる。
IMG_3711_R.JPG愛知川橋梁のポストをご覧いただいた方にはわかるだろうが、パッと見ても気づかないかもしれない。別の角度で寄ってみる。
IMG_3751_R.JPG横桁が2種類ある。

また、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスの横桁は各パネル間に均等に2本置かれていたが、こちらは高さの異なる横桁が、それぞれオフセットされている。

背の高い横桁同士を縦桁がつなぎ、背の低い横桁がそれを下から支える、というようになっている。わかりやすくイラスト化してみた。
20100526keta.jpg
パースがおかしい感じがするのは遠近感の処理をしていないため。浮世絵と同じである。また、各横桁の間隔がずれていたりするのはお目こぼし願いたい。

『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行、小西純一、渕上龍雄、1986年6月)では、「その6」までのパターン(9パネル、横桁同一)、を「100ft単線ポニートラス」の一群として捕らえており、この木津川橋梁と先の愛知川橋梁(8パネル、横桁と縦桁の関係がそれぞれ異なる)は「その他の英国系トラス桁」としている。どちらも、白石直治と那波光雄が設計者として記録されている。そしてこの100フィートポニーワーレントラスは1897年、パテントシャフト&アクスルトゥリー製である。

IMG_3754.jpg枕木は縦桁に載るが、「その6」までのパターンでは自由に配置していたのに対し、「その他」である木津川橋梁は、縦桁と剛結された横桁の上には枕木はなく、縦桁を載せている横桁の真上には枕木がある。これで統一されているようだ。

こちらの写真で見た方がわかりやすいかもしれない。
IMG_3686.jpg
「通常の」横桁に寄ってみる。
IMG_3688_R.JPG

ついでに支承。
IMG_3687_R.JPG
これは「その6」までのタイプと同じ、平面支承である。単純に前後する。

そして、アーチ部分。
IMG_3699_R.JPG



中央径間。
IMG_3716_R.JPGIMG_3765_R.JPG

この中央径間は、1926年横川橋梁製の2代目以降である。初代は200フィートの単線下路プラットトラス桁で、しかもピン結合だった。先に見てきた100フィートポニーワーレントラスと同じく白石直治と那波光雄が設計した桁で、製造も同じパテントシャフト&アクスルトゥリーであった。その桁は1926年まで使用され、1929年に京福電鉄永平寺線の十郷用水橋梁(鳴鹿-東古市間)に転用され、1969年に廃止された。国土変遷アーカイブには写っているが、200フィートクラスがふたつあるようであり、どちらが該当するのかはわからない。(→周辺全体を撮影したものはこちら
map.png

































横桁と縦桁の関係を考えると、ますますこの形式にはまってくる。すべてを再訪してすべてを採寸したい。でも、アレしたりコレしたりしないとかなわないよな・・・。




英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-2)左沢線最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-2)左沢線最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

(続き)
20100512-1.jpgさて、肝心の横桁である。撮影は午後6時前後のため、かなり慌てている。フレームが傾いているのが恥ずかしい。

横桁は直線状である。この写真では、横桁と縦桁の関係がわかる。この橋梁においては、縦桁は長い部材ではなく、短い部材が横桁のフランジ(I形材の「=」という位置にある部分)の上にはさまるような形式になっている。正確に言うと、横桁のフランジの上にスペーサー的に鉄材を挟み、その上に乗っかっている。

縦桁はI形材ではないかもしれない。上の写真で見ると、フランジの長手方向センターに溝がある。これをみるに、縦桁は|状の部材に、L字型の部材を4つリベット結合しているのではないか。

で、これが横桁の寸法である。
IMG_2747_R.JPGI形材のウエブ(|部分)の高さは48センチ。この横桁がどういう断面になっているかは、こちらと同じ構造だ。





IMG_2743_R.JPG沓。トラス下弦が橋台に重量を伝えているとして、橋門構下横材をもコンクリートの台が支えている。しかも、レールを間にカマして。

IMG_2741_R.JPGその、橋門構下部の横材。ごく短いレールが並列して置かれている。

IMG_2721_R.JPG沓の下にはローラーが隠れている。


IMG_2725_R.JPGこんな看板があった。長井線にはなかったのに・・・。


さて、ぼちぼち寝ますかね。またまた眠すぎるです。



英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-1)左沢線最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-1)左沢線最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



こちらは左沢線の最上川橋梁である。先の山形鉄道のが1923年開通、こちらは1920年開通とほぼ同時期で、どちらも東海道本線木曽川橋梁(200フィート)を156フィートに短縮し、この地に転用したものである。

1920年とは、既に9600形が大量に増備されて各地に配置されており(製造は1913=大正2年から。D50形の製造開始は1923=大正12年、丹那トンネル開通は1934=昭和9年)、東海道本線も輸送力を強化するために、設計活荷重の小さな古い橋は次々に架け換えを進めていた。しかし、いくつかのトラス橋は幸運にも他路線に転用され、残されることになった。

ここ左沢線が最上川を渡る部分には、その木曽川橋梁から転用されたと推測する156フィートのダブルワーレントラスが5連と、遠く九州の筑豊本線遠賀川橋梁から転用された100フィートのプラットトラスが3連架けられている。

IMG_2713_R.JPG失敗した。プラットトラス部分も、真横から写真を撮っておくべきだった。


さて、またも異常な睡魔が襲ってきたのでso much for today.


[PR]