只見線の橋梁を舞台に撮影された鉄道写真は多い。画像検索すれば、蒸気機関車時代の写真からつい最近のものまで、たくさんの画像がアップされている。その橋が流された。ここより上流の第六、第七只見川橋梁とともに。

画面右が会津川口、左が只見。右端、第1連のプレートガーダーが流失している。後述するように、橋台付近にダメージを受けている。写真のとおり、第1連側がカーブのアウト側になっており、先の豪雨のようなときにはここ(とイン側の川底)に力が集中する。
歴史的鋼橋集覧によれば、第1連と第5連の鈑桁が25.4m、第2連のワーレントラスが只見線共通の77.5m、第3連と第4連の鈑桁が31.5m。設計活荷重はワーレントラスのみKS15、他はKS-12だ。とはいえ、DD15の入線実績はある(最近では中越地震の際にあった。
ほくほく博士参照)。もともとは電源開発の専用鉄道として開業し、その後、国鉄路線として転用されたものだ。
アップしてみる。

このような状態になっている。レールはそのままに、鈑桁だけがもっていかれた。枕木は鈑桁とボルトで固定されているはずだが、それはおそらく簡易な固定だと思うので、こうなったのだろうか(→
参考画像)。また、この弛んだ分、前後のレールが引っ張られていると思うのだが、それはどうなのだろう?
ワーレントラス部。

こちらは異常なさそうだが、橋脚等もすべて点検するのだろうな。
ワーレントラスの向こうに、何か見える…。

流失した鈑桁だ!
ところどころフランジが凹んでいる。流れてきた石に洗われたか。
重さが数十トンはある31mの鈑桁。橋台が水流になぎ倒されたあと、水流に押されてあの位置まで流されたのか。いずれ、この桁も解体されるのだろうが…。
第3連から第5連。

こちらは無事のようだ。第5連は見えていない。
第1連に近づこうとして、築堤に上がった。

(会津川口方向)
2ヶ月でこれだ。廃線跡のようだ。線路は錆び、枕木は乾ききっている。場所によっては線路も枕木も見えないほどの緑に覆われている。いつもは除草しているからか、ここまでになることはない。
橋梁側。

橋梁の手前には鉄杭が打ってあり、ガードロープで立ち入り禁止のような処理がなされていた。
写真に見えている「落ち込んだ場所」は、川の水にえぐられたままであり、いつ崩れるともわからない、。近づかないほうがいい。

横から見るとこんな感じ。右岸(写真手前側)の護岸は軒並み破壊されている。

望遠で見てみる。橋脚の、天端から1mほど下以下が黒くなっている。あそこまで水が来たのだろうか。レールがつながっている様子を見ると、この桁だけが、引っこ抜かれたように流失したのかな…と思えてくる。

橋台。おそらく、もともとあった位置からずれている。その裏に込められていた土というか護岸がなくなっている。支承ももぎとられているが、支承を単純に取っ払ったのではなく、くっついているものをむりやり剥がしたかのように、支承(の下側)がズレてしまっている。
足下が崩れる可能性もあるので、これ以上は身体を乗り出せなかったし、周囲を撮り用がなかった。
言えるのは、右岸側は、相当に破壊されているということ。テトラポッドはみなバラバラの方向を向いている。そんな中で、この鈑桁が流失したのだ。
豪雨当日に、第五只見川橋梁がこうなった、という画像をtwitpicかどこかで見かけたが、川の水があそこまで来ているときに、この場所に立った人がいるのか。無謀すぎる気がしてきた。
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