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最北のCALTEX

ENEOS/日本石油

稚内駅近くの市街地には、南北に平行していくつか道路が走っている。東の際は港。西の際は山裾。その西の際を走っていたら、壁があった。あの、横に二つつながったマルは…!?

日石カルテックスのマークの跡だ。いままで、壁に直接描かれたマークしか見たことはないのだが、ここにはエンブレムのようにはめこまれていたのだろうか。そのエンブレムはどこにいったのだろうか。

日石CALTEXの防火壁の下部は緑色の帯が入っているが、それも、この壁においてはタイル貼りである。さらに、コンクリート製の壁の頂部(煉瓦隧道にならって「笠」と呼ぼうか)には、石とおぼしきもので飾り立てられ、それが経年のせいか故意にか、毀たれている。

盛業時は、さぞかししゃれた給油所だったに違いない。

●関連項目
最北の丸善石油






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青赤の太い弧 共同石油の面影

JOMO/共同石油

豊富駅前で目に入った壁。共同石油の「G」マークと同じ青と赤の弧。同じ色だが、どこを見ても「G」マークもないし、共同石油の痕跡もない。

後日、別の場所で同じ模様と「G」マークを見つけ、これが共同石油の防火壁に施された意匠だということがわかった。

サービスルームやピットの大きさやいびつな形で残った敷地から、いろいろなことが去来する。

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オエ61 67 木製扉など(豊富駅)

鉄道車両廃車体

JR宗谷本線豊富駅に、オエ61 67が保存されている。非常に貴重な車両だが、状態はよくない。床下機器がまったくないのは、救援車ゆえに水タンクも蓄電池箱も撤去してしまっていたのだろう。写真右、陰になってはいるが、元空気ダメと補助空気ダメはある。

反対側(線路側)。階段がつき、ドアが開いているが、ロックされているのでこれ以上開けることも中に入ることもできない。

線路側の(かつての)荷物用引き戸。木製であること、その構造がよくわかる。板をさまざまに重ね合わせて作っている。

木製戸の表面は塗装での仕上げと思う。戸の下部は、戸車を覆うように鉄板が貼られている。
 
 
.

室内は、元が荷物車なので天井がなく、垂木が剥き出し。壁面も木製部分が剥き出し。塗装が剥離している。

もしこの車両をくれると言われても、メンテナンスする自信などない。





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雄信内駅の駅舎ディテール

駅舎

JR宗谷本線の雄信内駅。大正14年築の木造駅舎。玄関ポーチというべき駅入り口の上、二重に屋根が三角を描いているのだが、こういう様式となんというのだろうか。

向かって左の外壁とポーチの柱は更新されている。

窓は、客用スペースは木製窓枠のままで、事務スペースはサッシ化されている。


  ホーム側。一部、柱が更新されている。
待合室。出入り口は両開き戸。

向かって左はかつての切符売り場、右はかつての荷物用窓口。
ホームへの出入り口は引き違い戸。

待合室内はベンチが1列。煙突は、事務スペースから外に通じている。
 
 
ホームの光景。跨線橋はなく、構内踏切があるのみ。遮断機はない。いや、踏み板すら申し訳程度にしかない。

* * *

子供の頃、雄信内を「おのっぷない」ではなく「おのつぷない」だと思っていた。書物に掲載されるときにはルビがついているのだが、ルビに「っ」がなかったためだ。そして、そこそこ大きい駅…急行が停まる格の駅だと思っていた。しかし、いま1981年の時刻表を見ても急行は通過している。なぜそのように思ったのだろうか。いまは廃止になった「上雄信内」(当時は仮乗降場)を従えていたからだろうか。



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佐久郵便局

郵便局舎

長野県ではなく北海道の佐久郵便局。向かって右が母屋、左は車庫と倉庫だろうか。側面がオーバーハングしており、写真を撮ろうとして、にこの斜めのラインに惑わされた。

 こちらの側面の窓は、少しだけ下を向いているということだ。もちろん、室外機も。

煙突は青い。よく見ると、屋根の表面も青い。

左から見ると、高い屋根と低い屋根の接続部分はカーブを描いていることがわかる。そして、こちらから見る方が、青が見えていいアクセントになっている。かもめーるの青いのぼりとのコンビネーションは偶然の産物。

郵政書体が健在なのが嬉しい。



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国道に背を向けた計量器

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

国道どころか(おそらくその旧道の)道道にも背を向ける位置にひとつ、計量器が立っていた。この前の道を進んでも、地形図でいえば点線になり、山の中に入っていくしかない。そんな位置に、なぜ?

ただひとつのTOKICOの計量器が計り続けたのは軽油だろうか、レギュラーガソリンだろうか。計量器の有効期限は昭和55年6月となっていた。

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◇戸がふたつ

木製扉の菱形・バツ形等

宗谷本線の佐久から問寒別のあたりは、天塩川の左岸を走る国道40号とは別に、右岸の線路に沿う道道がある。そこに、平面と妻面に同じような菱形の木製戸を持つ倉庫があった。

この、戸の付近の意匠のなさ。住宅であれば、戸を配置するならば玄関として多少の意匠が凝らされるだろうが、見事なまでに実用上の屋根しかない。

窓はサッシに取り替えられている。窓の下半分が覆われているのは雪対策だろうか。



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豊富駅の跨線橋

跨線橋


 
JR宗谷本線豊富駅の跨線橋。なんとなく、不格好に見える。冒頭の裏側から見たものは水門のように見える。また、階段部ともに窓が大きいからだろうか。…いや、それもそうなのだが、よく見ると、階段部の窓の位置が不揃いだ。

橋脚は壁式のような形。跨線橋部分はコンクリート主桁。5主桁の上に張り出し部分を含めて床版がある。まさに「橋」。

階段内部。外観のとおり、踊り場はあるものの、天井は直線。

橋脚にあった銘板。

豊富駅こ線橋
設計 旭川鉄道管理局
施工 株式会社富田組
構造 桁 PC桁 全長 14M20
   階段及び脚 鉄筋コンクリート造
   きそ RC桁D=0M26 ℓ=8M0 本数40本
着手 昭和41年6月
しゅん功 昭和41年8月

 豊富駅舎。昭和41年築なので、跨線橋とほぼ同時ということだろう。当時の国鉄設計の流行に従い、腰部はタイル貼り、窓および窓上は大きなガラス張り。北海道らしく、煙突が2本抜けている。

  内部。無人化から30年近くたっているものの、駅事務室が喫茶店「きっさ ステーション」に改装されて人が常在しているためか、まるで有人駅のようなぬくもりがある。改札口の箱も、おそらく出札・集札を区切っていた人研ぎの仕切りも健在だ。







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中頓別の日本石油跡+丸屋根の木造整備工場

ENEOS/日本石油

国道275号に面して、元給油所のサービスルームがぽつんと建っている。その隣には、整備工場の倉庫(?)。

サービスルームが水色で、ピットが白。そして、冠に給油所名。左端のガラスの向こう(室内)に、白い円盤が二つ並んでいる。これは計量器についている日石CALTEXのマークをとりはずしたもの。

独特の書体ではあるが、昭和40年代などにはいろいろなところで使われている気がする。

  シチサン。

* * *

冒頭、給油所の右に移っている建物。これには「猿払運輸整備工場」とある。検索しても出てこないので、果たしていま、あるのかどうか。

  正面は木製。側面もおそらく木製、その上にトタンが貼ってあるのだろう。正面にはシャッター。

周辺は片付いているので、いまもこの敷地は使われているに違いない。










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「丸善石油」とある燃料店

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

中頓別のコスモ石油の向かいに、おそらくそのコスモがかつて営業していただろう「北砿石炭販売株式会社」と掲げられた燃料店がある。2階窓上には「灯油・プロパン・オガタン・石炭」、窓の左には縦で「丸善石油」、右には横書きで「三井石油ストーブ」「ヤマサ(屋号の書き方)ストーブ」「ガス器具各種」「TEL51」などなど。

正面こそモルタルで飾っているが、側面を見ると倉庫然としている。シャッターの上に躍る「石炭」の2文字。

こちらから見ると、樹木のおかげでそれほど倉庫っぽくは見えない。



さて、向かいにあるコスモ石油は、いまの国道275号からはちょっと引っ込んだ位置にある。サインポールはかろうじて国道から見えるが、国道に面していないのはなぜか。

現在の位置を電子国土+Kashmir3Dで見ると…
コスモを赤、この建物を黄緑で記した。ネット地図ではちょっとわかりづらいが、この地図でははっきりと、待ちの南から東を迂回する形の道が見える。これが旧道だろうかと思って1974~1978の空中写真を見てみると…
予想外に、鉄道だった。いや、ここに鉄道が走っていたのはもちろん知っているのだが、こういうルートを取っているとは考えなかった。

これから考えるに、燃料店は街中を向いているもので、コスモ(おそらく当時は丸善石油)も国道を見据えつつも客層としては街中を向いていたのではないだろうか。


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