[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1982年頃の撮影。AŌZU。よく見れば、「あおう」は母音のみだ。それに対して、いまの駅名標の味気なさよ。このローマ字表記の妙味を、まったくわかってない。小さいうえに、小文字だ。
壁面に書かれていた「あおうづ」が消されているのはどういうことか。向かって左手はトイレ、右は事務室。ホームを階段で降り、内側一番線を横切って集札口に向かう。
ご覧の通り、すでに駅舎との間には線路はない。向こうに見えているのは粟生津の農協(JA新潟中央粟生津支店)である。
駅舎内部には、窓口や荷物窓口の跡があるのは意外だった。
国道350号の旧道である。いまも地理院地図に掲載されている。2車線道路のそれぞれ半分は土が積もり、草が侵蝕している。そのため、あたかも自転車専用道のように見える。
少し上まで行って振り返って。一通り走ったが、このあたりがいちばん、旧道らしさを感じた。
(Kashmir3D+5mメッシュ標高データ+数値地図25000にて描いた十日町駅の西)
これが十日町トンネルの直江津方坑口。きちんと坑門はあるが、その手前をスノーシェッド(おそらく、兼緩衝工)が覆っている。その上に道路橋がある。画面右奥は十日町駅側。列車は、右奥から左下に向かってくる。
振り返ると、右下がさっきのスノーシェッドの出口、左上が直江津方になる。冒頭に「信濃川に飛び出すところの築堤は描いてある」と書いたが、その築堤が見える。
スノーシェッドをまたいで。別角度から。ここに保守用車両の横取り線と変電所があった。
十日町変電所。さらに一段上の、築堤果つるところに立っている雰囲気がある。
線路幅くらいのPC桁の上にスラブ軌道が載り、架線柱や歩み板の支えはそこから飛び出す形になっている。
左が高架橋。橋脚と接する部分にはハンチがついている。右の「載っている」ものは、道路をまたぐPC桁だ。歩み板の支えを見ていると、ここまで頑丈な張り出しが必要なのかなあ、と思わないでもないが、必要ないものを大げさに作るわけがないのでこれでいいのだろう。もしかしたら積雪対策かもしれない。
空頭標
高架橋部分を下から。冒頭の動画で見ると、スラブの間の隙間(金網)は面積としては小さいように感じるが、こうして下から見るとむしろ「これだけ肉抜きしているのか!」と大きく感じる。この隙間は重量減とともに積雪対策にもなっていると思われる。
高架橋は3スパン4脚を1組として作られている。その接合部はこのように壁式橋脚が並んでいる。
そこを下から。
夕方、国道17号で三国峠を越え、新潟県の湯沢に入った。西へ一つ山を越えて信濃川の谷へ。さらにいくつかの南北に横たわる峰を越えて、以前は大島村といった集落に入る。時刻はすでに18時を回っている。日は長い。
佐渡の宿根木の「上」に、千石船展示館がある。北前船を復元し、「白山丸」と名づけ、収蔵している。その保管庫が、この木造建築だ。この扉の大きさに驚き、立ち寄った。
扉を内側から撮りたい、と思って入ったのだが、それよりも千石船の大きさと、建物にも圧倒された。船の大きさは、鉄道車両を地面から見上げるようなもので、普通は吃水面より上から、いやさらに上の、岸壁の高さからしか見ないため、相当大きく見える。もちろん千石船が浮かんでるところなど見たことはないが。
白山丸はこの大きさだ。中にも入ることができる。イベントの際は引き出され、帆が上がる。下にはレールの役割をする鉄骨があるが、レールではなかったのはちょっと残念。