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門司港にある、歩行者用の跳開橋(可動橋)。写真左に見えるのは関門橋。手前(南)が親橋、対岸(北)が子橋で、持ち上がる仕組みは異なる。

 
親橋の桁は片持ちで、主塔から吊っている。主塔の根本をピボットとして、ケーブルを巻くと主塔ごと傾き、桁を持ち上げる。門司港のクルーズ船が出入りすることがあるようだが、この橋がなくても船溜まりを数百メートルほど迂回すればいいだけなので、役割としては観光用、現地のシンボルだろう。

 
写真左が、陸地側(ウインチ側)で、2本のケーブルは主塔内の動滑車に繋がる。右が桁側で、こちらのケーブルは桁を吊っている。

対岸に渡る。
 
こちらは子橋(降りている状態)の可動部分。桁下を油圧で押し上げる。

 
青焼きにも見える色使いの説明板があるが、けっこう褪せている。
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山口市北部の国道315号を走っていると、塊感のあるプレートガーダーがあった。まるで鉄道の上路橋のように桁高さがあり、相当な強度がありそうだ。


近付くと道幅はなく、歩道橋。この幅だとますます鉄道用に見えるが、鉄道用の上路橋は内部に多くの対傾構(筋交い)が入っているので、これは違う。

 
この塊感。

 
対岸より。もっと長いスパンでもっと華奢な歩道橋は無数にありそう。道路橋の転用だろうか。

 
対岸より。





小豆島で、墓地にピラミッド状に墓石が積まれている場面をいくつか見た。墓地だしそこを見学するのはなあ…と思いつつ通り過ぎていたが、特異な光景なので、バイクを停めて近付くと、それは、無縁となった墓を会葬した供養塔だった。

 
海に面している墓地。それぞれの区画はけっこうな広さがあるが、それには理由があった。

 
 
 
「墓地完成記念碑 一九七八年」という碑がある。その裏の碑文を書く。漢文調なので一部の漢字表記やカナカナやは平仮名に直し、分かち書きにする。

昭和五十一年一月部落総会において中島墓地を埋立整地区画して各個人に譲渡すことを議決 九月墓地委員会を結成 十月中島地区狭小のため新発意造成を計画 十一月西地区一括工費千五百十一万余円で坂本工業と請負契約定結 翌年一月着工 五月岡南地区完工 六月中島地区の工事に着手 あわせて無縁如来塔森重雄氏により着工 まず大松堀取基礎工築十一米四面塔台七月完成 八月部落総動員奉仕の旧塔解体石塔洗浄塔上配列 九月完了 墓地埋立区画焼香場完成 十一月一日無縁如来塔の開眼供養墓地落成の式典を誉行 以上のごとく着手以来一年余総工費地代共三千三百九十七万円余 思うになせばなるの譬えのごとく部落民渾然一体となり完遂を得たものである 工事監督松本杢治氏 右墓地委員会(以下顧問・委員・部落委員・組長の氏名略)


「埋立」と書かれているが、1974~1978年の空中写真を見ても周辺は埋め立て・拡張されたようには見えない。砂浜に面していたが、護岸工事をして防波堤を築いた際に整地した、という意味だろうか。いずれにしろ、墓地を整理し、新たな世代に受け渡そうということだろう。

墓地北西に、校舎に見える建物があるが、建て替え前の神社か。ここ伊喜末地区の小学校は1913年(大正2年)には四海小学校(しかい)に統合され、2015年には小豆島本島部の小学校すべてが統合された土庄小学校1校となっている。もっとも、人口の多い町でもあるので、児童数は470名余の規模だ。

四海小学校は、いまなお閉校当時のWEBサイトが存在している。それを見ると児童数は54。いずれ役所の誰かが気づいて削除されてしまうだろう。

 
無縁如来塔に話を戻す。墓石がほぼ同じ大きさ、同じ形をしているのが興味深い。私の生家の墓がある寺は、まったくバラバラだ。

この塔は設置から40年を経ているにもかかわらず、塔を構成する墓石はいずれもきれいだ。いまもなお定期的に清掃されているのだろう。比較的新しめだと思われる墓石もある。この事業は昭和50年代前半のものだが、それから40年以上が経ったいま、同様のことはできるだろうか。相当に困難なのではないか。とすると、こうした供養塔が作られた年代というのは極めて短い期間だということになる。

●関連項目
花見潟墓地 砂浜にある国内最大級の自然発生墓地




 
山口県萩市から国道490号を南下していると、とってもかわいいコンクリートアートが目に入った。なにしろ、欄干がアーチ型をしている。しかも、たったこれだけのスパンを渡すのに、スキューしている。

 
親柱はあるが、銘板等はない。「全国Q地図」の「2018年度全国橋梁マップ」によれば、名を「堂々橋」というようだ。こんな橋まで網羅しているQ地図すごい。国道ではありますが。

 
国道ですよ。この、ガードレールより低い欄干。よくぞ「より内側にもっと高い手すり」が設置されないものだ。黄色いガードレールが山口県であることを主張する。

 
欄干は、橋の構造そのものではないし、規格型というか既製品を使われることも多いのであまりバリエーション的関心がないのだけれど、こうした、手の込んだ意匠には心惹かれる。欄干のアーチは7。奇数であることも、凝っているというか、なんらかの意志を感じる。トラス橋が水平方向に奇数で分割されるのとは異なり、この欄干の「7」には構造の意味はない。普通に考えれば、全長から偶数で割って数値を決めるのが自然に思える。

Q地図によれば完工は1964年。もっと昔かと思った。それは、コンクリートの登場で比較的自由に造形できる喜びがこの欄干にも表れているのかと思ったからである。

 
国道490号の一光景。

●菱形扉
 

大きな木造建築。1階部分は全部倉庫で2階部分が居住区画か。一見、4枚戸、あるいは6枚戸に見えなくもないが、左から1、2、…6とすると、中央の3・4、板が菱形に貼られた2枚の戸のみが左右に開き、2・5はその戸袋的スペース、1・6はそれに合わせた意匠のようだ。

●大きな木造バス車庫
 
小豆島のバス路線の終点の一つ、坂手東。そのバス停脇にある大きな木造車庫。開口部は鉄製の柱と梁が組まれている。

●弧を描く木製窓枠
 
 
とある場所で見かけた、おそらく無住の住宅。2階の属面の明かり取り窓の上部が弧を描いている。煉瓦建築物の縦長の窓で上部をアーチにしているものがあるが、その意匠をまねたのだろうか。

●児島の鋸屋根
 
 
学生服の街・児島の田ノ口。カンコー、フジヨット、サクラの3メーカーがいまも拠点を構える。そこで見かけた鋸屋根。浮き輪さんのご教示によると、縫製工場の所有とのこと。もしかしたら、建てられた当時は紡績や織物工場だった可能性もある。そうした工場でも採光はとても重要だったんだな。

 
背面(?)には引き戸。この堀にかつて橋がかかっていたのだろう。









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