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国道439号・国道494号

記録

●国道439号
 
 
2020年に東半分を走ったので、今回は西半分を走った。

●国道494号
 
 
 


●「子どもの道」標識
 
国道439号。早明浦ダムのすぐ近くに「子どもの道」と書かれた標識があった。「スクールゾーン」みたいな存在かな。



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種子島の矢羽根型扉 2棟

木製扉の菱形・バツ形等

 
種子島の南西にある島間港。ここは屋久島の宮之浦とを結ぶフェリーが就航している。また、ロケット等が陸揚げされるところでもある。

 
比較的新しい印象。小屋の外装とも更新されているようだ。扉は開き戸で、かつては上・中・下に閂を渡せるようになっていたようだ。

 
タラップはフェリー太陽用か。ということは小屋内もフェリー太陽用のものかもしれない。

* * *

 
こちらも種子島にあった大きな倉庫。車庫だろうか。引き戸6枚分の全面に引き戸は5枚? 


側面はすべて板材なのだが、屋根上?に飛び出している部分はモルタルのよう。内側はどうなっているんだ?



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『ランプ小屋の魔力 鉄道プチ煉瓦建築がおもしろい!』(笹田昌宏著)

鉄道の本


鉄道車両保存などで知られる笹田昌宏さんの新刊、『ランプ小屋の魔力 鉄道プチ煉瓦建築がおもしろい!』。数々の鉄道の保存車、遺構等の著書、あるいは雑誌への寄稿がある笹田さんの、今度は煉瓦建築の本だ。

タイトルは「ランプ小屋」だが、実はそれは半分くらいで、もう半分は、煉瓦アーチ橋、それも暗渠のような、やはり小さな構造物が主体。それが書名にないのは、もったいなくもある。

とはいえ、土木構造物が好きなら煉瓦アーチ橋だろうけれど、とくにそうした体系知識のない一般の鉄道ファンなら駅ホームにあるランプ小屋のほうが関心が高いそうだ。そのあたりを狙ったタイトルなのかもしれない。



国内には50程度しか残っていないらしい。おそらく、そのすべてが掲載されている。こうして見てみると、その多くは説明板を備えた、「保存」といっていい状態にあるようだ。煉瓦の小屋は、誰が見ても「古い」とすぐわかるもので、旅行者にとっては、それはその駅や路線の歴史を感じさせてくれるものだろうし、あれば写真に撮ったりするものだろう。「かわいい」と形容してもいい建築だ。

一方、所有者の鉄道側からしたら、煉瓦建築は耐久性が非常に高いものなので、老朽化の度合としては低く、危険性もない。そのほとんどは、そのままそこにおいておいても問題ないものだろう。それゆえに、こうして残され、保存…存置されているのかもしれない。


こちらは後半の、煉瓦アーチ橋のページ。煉瓦アーチ橋には、有名な大規模なものも多いが、本書は小規模なものを好んで掲載している。こちらも「かわいい」といえるセレクトだ。「よくぞ、そんな水面まで降りて…」と思うような写真も多数ある。私なら面倒なので絶対に行きません…。



本書の価値は、さらに、この資料で高まる。「○○駅にランプ小屋があった」などという個別情報は回るが、それを俯瞰した情報はない。本書には、そのリストがある。集めてこそ見えてくるものがある。


鑑賞ポイントについては、「この用語だけ知っていればOK」のような語り口で、平易に説いている。


「参考文献お薦め3選」として、『鉄道ファン』1989年7月号の臼井重信氏の「アラディン建築」が載っている。「アラディン建築」とは臼井氏の造語。


見ていたら、おもしろいことに気づいた。

左が臼井氏の記事、右が笹田氏の本書。臼井氏のころ、山都駅の扉はたぶん鉄製、屋根はトタンか。馬下駅の扉はたぶんアルミ製、屋根はトタン。

しかし、左を見ればわかるとおり、山都駅は、いまは扉はバツ形の木製、屋根は瓦葺きだ。

 
馬下駅も、扉はバツ形、屋根は瓦葺き。ということは、近年、扉をわざわざ木製にし、屋根を瓦葺きに変えたのだ。これは保存目的ということだろう。それにしても、このバツ形の扉を近年作っているとは。

【参考】木製扉の菱形・バツ形等


(Hitam1200、GFDL)
Wikipediaの「ランプ小屋」の記事には、2004年に撮影された馬下駅のランプ小屋がある。こちらはなんと、扉はアルミ?のままで、屋根だけ吹き替えられている。説明板はない。ホームの嵩上げ具合も少し違う?

本書の本質ではないけれど、こういう余計なことに気づくのは、とても楽しい。


なお、その『鉄道ファン』のPOST欄に、笹田さんの投稿が載っている。まったくの偶然だが、ニヤリとしてしまった。

こうしたものに注目する人は多いけれど、俯瞰した情報はなかなかない。その点でも、大変貴重な本で、ライトに鉄道遺産を楽しむことに大いに参考になるだろう。

まったくの余談だが、本書はムックではなく書籍だ。イカロス出版の出版物は、いままで同様の体裁のものでもムックだったのに。そのあたりは出版物流業界としていろいろ推測できることもあるのだが、一般論として、書籍のほうが長く書店にもあるため、本の寿命としてはそのほうがいいのは確かだ。

【関連記事】
『車掌車』(笹田昌宏著)
『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)
『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(笹田昌宏/イカロス出版)







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滝川にあったシェルのおもしろい計量器

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

 
2011年夏、新幹線含め1日乗り放題の「JR東日本パス」と、普通列車7日間乗り放題の「北海道&東日本パス」を使って札沼線に乗り、新十津川から滝川まで歩いた。滝川駅の近くに、閉鎖されてそこそこ経っている給油所があった。角地にあり、道路の2面に、それぞれ設備があったようだ。

 
こちらの道路面は計量器の形が面白い。しかも2台とも軽油だ。

 
見ていると酔いそうな傾きで申し訳ない。びっしり並んだ計器の窓はおそらく積算計、丸いフタには数字、フタをめくるとシリンダー錠がある。お得意さんのためのツケ払い用だろうか。

 
有効期限は「66.9」に見える。昭和66年とすれば1991年までか。

 
左のほうはずっと近代的で、有効期限は「20年8月」。右のものより30年も後だ。


冒頭写真で右に見えている道路側に回ると、建物があった。「郷石油(株)式会社滝川支店」とある。玄関には「事務所移転のお知らせ」という張り紙がある。すぐ上の軽油だけの計量器は左側に直交する形で見えている。

 
社屋の右。石油貯蔵庫?と少し高い位置の計量器。

 
 
ノズルが黄色いのでハイオク? でもなぜ高い位置に?そして右の、蒸気機関車への給水器のようなものもメーターがついているので計量器のようだ。

この敷地にはいま住宅が建ち、移転した郷石油をいま検索しても、ヒットする場所にはノーブランドの給油所がある。

【同日追記】

とのことです、いつもご教示ありがとうございます。

* * *

 
 
 
その時の札沼線。2011年7月11日月曜日。まだ3往復あったころだ。1往復になったのは2016年3月、(実質の)廃止は2020年4月。1往復になったころから混雑がすごいことになっていたが、このときは乗客は鉄道趣味者数人だけだったと思う。

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上甑島の風景

集落・路地

 
(カシミール3D+地理院地図+スーパー地形セットで表示した地図に加筆)

上甑島の街並みや路上の風景。

●桑之浦
 
 

 
台風に備えているのだろう、高い石垣と、平入り・平屋の家並み。電柱・電線が高く見えてしまう。

 
空き家と思われる建物。ガスが取り外されている。窯(だよね、トイレじゃないよね)はコンクリート製。


●甑大明神
 
 
上甑島と中甑島を結ぶ、甑大明神橋。その上甑島側の、すごい位置にある。








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ツバメ印石油製品

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般


四国の、いまは合併で自治体名ではなくなってしまった漁港の倉庫に、丸善石油の「ツバメ印石油製品」の看板が掲げてあった。鉄扉を開けると隠れてしまう。扉が開いていなくてよかった。

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下甑島の風景

集落・路地

 
(kashmir3D+地理院地図+スーパー地形に加筆)

下甑島の街並みや路上の風景。

●手打・武家屋敷通り
 

 

狭い道の両側には石垣。こういうところにも3階建ての集合住宅の需要があるのは、実家を離れるときのためだろうか。都市部と違って賃貸などはほぼないだろうから。


下甑郷土館は、残念ながら休業中。

 
手打海水浴場と、そこで待機していた薩摩川内市甑島コミュニティバス。運行は南国交通。

 
美しい砂浜と、その前にある出光の給油所。

●片野浦
 
 
片野浦。高さ2m近いブロック塀、しかもラウンドしている。

 
「林道子岳線」。

 
片野浦港。


 
片野浦。

●釣掛埼灯台
 
 
下甑島最南端。灯台に至る道は「舗装林道」という感じ。

●片野浦港の給油所跡
 
 
 
給油所跡と思えるが、建物がサービスルームぽくない。大きな木製扉がついている。「片野浦浜田」のバス停がある。

●鹿児島県道350号
 

●瀬々野浦
 


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乙次郎林道とその周辺

道路全般


福島県のいわき市北部、楢葉町、川内村周辺にはダート(未舗装路)がけっこう残っている。そのなかで、乙次郎林道(おっとじろう)は、かつては「ダートでしかいけない集落がある」「一軒家の庭に飛び込むような場所がある」ということで知られていた。1997年8月下旬に日帰りで行っているけれど、25年振りに行ってみた。

 
かつては17.3kmあった(ツーリングマップル東北2001年版による)ダートは、9.5kmになっている(ツーリングマップル関東甲信越2019年版による)。それは、乙次郎から西側が福島県道250号となり、舗装されたからだ。

 
そのせいか、東側のダートも少し荒れ気味。かつては超フラットで幅広く、舗装目前という印象だったのだが。

 
ほぼ林間。要所要所にカーブミラーがある。97年の訪問時は何台も乗用車とすれ違った。

 
一ヶ所だけ、展望が開けるところがある。

 
乙次郎の集落に出ると道は立派になる。記憶によれば、集落はけっこうな戸数があったのだけれど、谷間に数軒が点在にするのみ。とすると、その記憶は小田代か。

 

『広報ならは』2022年5月号によれば、乙次郎は2世帯3人が暮らす。

 
消防ポンプ車庫。ここに「乙次郎地区集会所」の立て看板があったので、その向こうの建物には注意を払わなかったのだけれど、帰宅後に調べると、楢葉北小学校乙次郎小学校の跡のようだ。昭和55年に校舎建て替え(出典)。

 
カシミール3D附属地図の5万図。2002年修正の5万分の1地形図「川前」を元にした数値地図50000と同じものだ。「文」マークがある。


『林道コース大全』(安西錬太郎著、1988年初版・1993年8刷)には自転車に乗る小学生の写真が掲載されているので、それを裏付けるというか。

『記憶に残る廃村旅』の浅原昭生さんから、下記のご教示をいただいた。
『全国学校総覧』を調べたところ、乙次郎と山所布はともに楢葉北小学校の分校があって、児童数は乙次郎分校が37名、山所布(所布分校)が25名、へき地等級はともに3級でした。所布分校は昭和47年に閉校になりましたが、乙次郎分校は平成17年まで存続したようです。

乙次郎分校の児童数、『全国学校総覧』で調べました。 閉校年(2005年)の3年前までの版まで調べましたが、3年とも休校でゼロでした。 「閉校年=児童がいなくなった年」ではないので、注意しているところです。

平成17年は2005年。であれば、2002年刊行の地形図に載っていて当然だ。

さらに後日、国会図書館で『全国学校総覧』で乙次郎分校の児童数の推移を調べてくださり
昭和58年=6名
昭和59年=4名
昭和60年=4名
昭和61年=2名
昭和62年=1名
昭和63年=1名
平成元年=0名
ということから「平成元年(1989年)が休校年ではないか」との推測をいただいた。浅原さんのコメントとして「乙次郎分校の閉校年=平成17年(2005年)と比べると、違う印象を受けるのではないでしょうか」とのこと。休校年数は、このように十数年の場合もあれば、40年以上という実例もあると、浅原さんから教えていただいた。

 
乙次郎集落から西は、どうやら舗装されてしまったようだ。ここはまだマシで、普通は「酷道「険道」などといっても1.5車線くらいはるものだが、この先は完全に1車線の、とても狭い印象の道。曲線の勾配やそのアップダウンなど、林道そのもの。

 
さて、冒頭に書いた「一軒家の庭に飛び込むような場所がある」というのが、ここ川内村大字下川内字篠平。Yahoo!などほとんどのデータベースでは「しのだいら」、マピオンでは「ひのたたいら」とフリガナが振ってある。大字下川内字篠平、ということのようだ。字名は読み方がわからなかったが、浅原さんが『角川地名大辞典 福島県』で調べてくださり、「しのだいら」だと教えてくださった。

25年前、「ここ通るの!?」と思いながら通り、一眼レフを持っていたくせに写真を撮っていない。ここがダートだったころの写真は、こちらのサイトにある。2006年走破とのことなので、舗装されたのはそれ以降か。

また、このお宅を取材した、毎日新聞の2017年の記事はこちらのサイトにある。



Wikipediaによれば、冒頭の地図のように、県道250号は、かつて北側に分断された形で設定されており、それが2007年に木戸ダムが竣工したころにこちらに切り替えられ、旧県道250号の部分は、村道になったようだ。そこにはヘキサの村道標識があるようだ。

なお、冒頭の地図の左上の県道部分は、福島第一原発の事故により居住制限区域から避難指示解除準備区域となったが、すでに解除されている。

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下甑島 子岳小学校・西山小学校

学校の建物

 
(kashmir3D+地理院地図+スーパー地形に加筆)

●子岳小学校
 
 
 
 
 
子岳小学校。2012年3月末で閉校。閉校時には3名の児童が在籍していた。校舎も体育館もきれいに保たれている。門柱にも「子岳小学校」と掲げられたままだ。

 

閉校記念碑。

●西山小学校
 
ナポレオン岩の展望所から。左に西川小学校。

 
 
こちらが正門。

 
谷側の入口。「裏口」のように見えるけれど、実際はこちらからなんだろうな。

 
 
閉校記念碑。2013年3月末閉校。

 
 
最後の学期の掲示物がそのまま残されている。

閉校となった校舎は、たいていそうなっていて、下駄箱の氏名札などもそのままだ。こういうのは、教師たちが片付けをしたりしないのだろうか。そういう片付けは、教師の役割ではなく、別の職種の人(例えば役所の別の係とか)がすべきことなのだろうか。

理由はわからないけれど、こうして、最後の児童・生徒の氏名札や最後の掲示物が放置されているのは、そこに学校があったとき記憶を留めるというよりも、逆効果な気がする。






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旧種子島空港

土木一般

 
旧種子島空港。2006年3月まで使われていた。滑走路は見えない。滑走路は、標高50~90mくらいのところを盛り土していた。

 
使われていないにしてはきれい。

 
このように閉鎖されているけれど、隙がありすぎる。いえ、立ち入りませんが。ここは駐車場だったところ。

 
駐車場の出口だったところ(たぶん)。ゲートが開いていた。

 
バス停のように見えるが、『秒速』などのロケ地案内。

 
旧空港は、中種子町の中心部にある。役場から徒歩10分くらいか。空港前の道路は、住宅地への路地。







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