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岡山県岡山市水門町。地図で見ると、千町川の河口に中洲のようなものがあり、そこには家が建っている。その両側は橋と表現されている。

 
現地で空撮するとこうだ(もっと高く上げればよかったのだが、現地が制限区域だと勘違いして上げなかった)。中洲のようなところには家がいくつか建ち、その両側には水門がある。ここの地名は水門町。

ここに建つお宅は、かつては(?)水門を管理する役割を担っていたらしい。

 
左岸川の水門を下流から。

 
ゲートの柱に銘板がいくつもある。上から

千町川大水門

しゅん功 昭和47年3月
施工 大本組

千町川水門
扉体形式 鋼製ローラーゲート…
製造年月 昭和46年12月
製造者名 三井造船株式会社

一級河川千町川
千町川大水門
岡山県岡山地方振興局建設部

 
右岸側の水門を下流側から。

 
こちらの銘板は、上から

千町大水門

千町大水門
純径間×扉高 16.00m×4.60m…
製作年月 昭和59年12月
製作 三井造船株式会社

一級河川千町川
千町大水門
岡山県岡山地方振興局建設部

となっている。

ということは、左岸は「千町川大水門」または「千町川水門」、右岸は「千町大水門」という、微妙に異なる名称なのだろうか。それとも単純に誤記なのだろうか。




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鳥取県の大山(だいせん)の北、赤碕の海岸沿いの高台を走っていたら、眼下の海側に広大な墓地が見えた。その規模がすごい。

 
説明板によれば、東西約349m、南北約19~79m、面積2万平米。この写真では見えないが、見下ろすと、そこには、古い墓石をまとめた場所があった。

 
 
 
 
 
嘉永や天保といった元号が彫られた墓石と、きれいな墓石が混ざる。古いものも彫られた文字がクッキリを見える。新潟の私の生家の建て替える前の墓は明治以降のものだったけれど、風化で文字はほとんど見えなくなっていた。周辺の墓もそんな感じだった。同じ海沿いにも拘わらず、かなり違う気がする。石が異なるのだろうか。

 
この墓地には「赤碕塔」がある。鎌倉時代末期に作られた、宝篋印塔と宝塔の様式を合わせもつ石塔だ。

 
このような置き場所がいくつかある。

 
「しぶ」とはヒサカキのことらしい。

 
説明板。



 
兵庫県養父市に「天滝」という大きな滝がある。クルマでは行けず、駐車場から1.2kmほど歩く。一般に、この手の場所は歩きやすい遊歩道なのだが、ここは登山道といっていいくらいの道。しかも標高差が200mほどもある。実際、ハイキングの格好をした人が多い。その登山道の橋として、近年、ボーストリングトラスが架けられたと聞いたので行ってみた。

 
こちらのレポート(PDF)に詳細があるのだが、旧橋は2017年に積雪により落橋、仮橋が架けられたものの人気観光地でもあるために2018年に架け替えた。その際の条件はこうだ。

・支間長10m
・積雪に耐える
・「鼓ヶ滝」の前にあるため、景観が考慮される
・2018年の水害からの復旧のためにヘリが払底しており、資材を人力で運ぶ必要がある。部材は20kg以下とする
・維持管理の都合上、部材を養父市内で完結できる

これらの条件から、部材が小さく、景観にも優れる(!)ピン結合のボーストリングトラスとなった。これは、ボーストリングトラスの上限がアーチ状であることも、この形式を採用する理由となった。

「(アーチ橋が)景観にも優れる/トラス橋は醜い」というのは関東大震災後の復興橋梁の頃にすでにあった意識であり、ここではトラス橋ながら上限がアーチに見えるボーストリングトラスにそれがあてはめられた。アーチ橋にしなかったのは、資材搬入の都合と部材調達が養父市内で完結しないという理由である。

 
直前まで通り雨が降っていたこともあいまって、滝の前に佇む小さなボーストリングトラスの美しい赤は、緑と焦げ茶を背景として美しく光っていた。見た目は、2本の鋼材をガセットを介して弦材としていることもあり、ブロックで作った多関節の玩具のような印象だ。

 
最大で20kg、合計で8.8トンとなる資材は、神戸大学山岳部・山岳会とそのOBがボッカとして運び上げた。

 
 
ピン結合はアイバーが弱点と言われるが、現代においてはどうなのだろう。おそらく、採用すると維持管理の人件費のほうが高くなるのだろうが。

この橋は通常の下路だが、奥多摩橋や和賀仙人橋の側径間のような上下反転した逆ボーストリングトラスは力のかかり方からしても理想的なのだが、架橋の費用…つまり人権費や細かな足場の組み方等が通常の平行弦よりもかなりかかるため、採用されることがないようだ。


 
 
対岸から。ここから天滝までは、まだ少しある。

 
天滝。「滝なんて、別に…」と思っていたのだけれど、想像の何倍もの高さがあり(落差98m)、その迫力に圧倒された。

繰り返しになるが、こちらのレポートに詳細がある。






尾道と今治を結ぶ「しまなみ海道」は有名だが、周辺には橋で結ばれた島がたくさんある。向島の南東にある田島は本土と内海大橋で結ばれ、横島が田島と睦橋で結ばれている。

 
内海大橋(うつみ)。周辺は「内海」と書いて「うつみ」「うちのうみ」「うちうみ」といろいろな読み方をするので、難しい。

普通、最短距離を一直線に架橋するが、ここでは中間地点に岩礁があったこと、海峡を大型の船舶が通航することから、岩礁を利用して二つのニールセンローゼを架けた。ここをバイクで走ったとき、何も持たずに歩いている年輩の男性がいた。日常的な買い物などだろうか。歩いてこの距離…。写真は田島から対岸の本土を見る。

 
こちらは、その田島と横島を結ぶ睦橋。陸続きにしか見えないが、ここには「坊地ノ瀬戸」がある。両島から伸びた砂嘴に道路と橋が乗っかっている。

 
前方の軽自動車が突っ込んでいるところが田島の端部。こちらに腹を見せている防波堤は横島。その間の海は、田島側からは見えない。

 
今昔マップ(1895-1898)より、まだ橋が架かる前の坊地瀬戸(「ノ」の表記がない)。



 
静岡県の浜岡原発のすぐ西、浜岡砂丘にある、日本陸軍の施設の跡。1940年に作られた、陸軍の射場(大砲の試射場)に関連する施設だ。西に3kmほどいった浜野が発射地点で、着弾するこのあたりでそれを確認した。こちらは海側。

 
コチラが内陸側。銃眼のような窓がある。


内部にも入れる。

 
この板は当時のものdろうか。この穴が、開閉する窓のピボットになっていた?などと想像する。

 
かまどがある。

 
解説。












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