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美唄ダム。河川と一直線に直交するタイプが多い重力式コンクリートダムながら、右岸側が曲がっている。そこに注目すべき構造物がある。

 
右岸側から。写真左、ダム湖側(写真では見えない)に横越流式流入部があり、写真右から放流する(天端側水路式は、これが天端と並行になったもの)。現在の美唄ダムの洪水吐はゲートレスである。

 
iPhoneのパノラマ機能でもう少し広めに撮影。歪みはパノラマのせい。写真左の横流入水路と写真右の堤趾導流壁の位置関係がわかりやすい。

 
これが横越流式流入部の水路。洪水時にはここを越流して向きを直角に変えた水流が天端を潜り、

 

さらに直角に折れて堤趾導流壁内の減勢工を下っていく。

 
常用洪水吐からの放流と合流し、減勢工を経てすぐ左に曲がっていく。

 
 
このダムのすぐ下流には、道路の上下線がそれぞれ1車線の一方通行になった部分がある。





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北海道・道北の日本海側、初山別村と遠別町の間を流れるオタコシベツ川にかかる歌越別橋。国道232号の旧橋にあたる。「歌越」はオタコシの当て字と思われるが、行政地名としての「歌越」は「ウタコエ」と読む。かつて近くにあった国鉄羽幌線歌越駅は「ウタコシ」だった。

この3径間の、一見コンクリート桁に見える橋は、実に不思議な構造をしている。

 
近づけないのでドローンを飛ばす。中央径間を見ると、側面から見て逆凹型をしたコンクリート床版下に木材の桁が見える。さらに下、中央部分に添桁がある。コンクリートと木材を組み合わせた複合桁、「木コンクリート橋(もくコンクリート橋)」だ。

 
ドローンのカメラが上を向いてくれればいいのだが…。木材部分は7本が並行している。

寒地土木研究所月報にある「北海道で普及した「木コンクリート橋」の歴史的価値について」を見ると、この構造は戦前の鉄の節約の流れで生まれたもので、1938年に北海道庁土木部試験室の高橋敏五郎により開発されたもの。「圧縮応力に強いコンクリート床版と、引張応力に強い木桁が高いに協力し一体となって…」とある。

一般に、コンクリートと木材を軸方向で考えると、圧縮に強くて鉄は引張に強いとされ、トラスを組む場合、部材がコンクリートと木の場合はハウトラス、鉄ならばプラットトラスに組む。この複合桁の場合はコンクリートが上部にあって圧縮力を、木材が下部にあって引張力に抵抗するようだ。かつ、それに適した(剪断強さが大きい種類の)木材を使うということだろうか。

「高橋敏五郎と木コンクリート橋」(2010年)ほかによれば、木コンクリート橋は戦前から昭和43年代までに350橋以上が架けられ、国道には246橋あった。それも昭和60年代に更新完了となったが、それでも旧橋として現存するものが6橋ある。写真では見えないが、コンクリート床版と木桁は単に上下にくっついているわけではなく、木桁上面に歯型(矩形波のような形)をつけ、さらに両端部各2割ずつを鋸型(ノコギリ波(刃ではなく)のような形)とし、接触面の剪断を伝達するキーとなっているらしい。

木桁と添桁の間も歯形となっている。これも同じ目的なのだろうか。

 
 
歌越川橋は、現在、通行止めとなっている。













三菱美唄炭鉱があった場所のほど近く、美唄川に変わった橋が架かっている。橋の名称は不明。こんな状況なので、全貌は見えない。こんなときこそドローン。

 
両岸から枝が四方八方に伸びている中、Cモード(ゆっくり)で目視で慎重に操作する。橋のシルエットは、アーチ橋を逆さまにしたように見える。ここに行くまでは、日本に3例しか現存しない逆ボーストリングトラスかと思っていたが、よく見ればトラス構造ではない。上面(水平面)をランガー補強している構造だ。

 
本来は道路橋だったが、いまは併設された水道管のための存在となっているようだが、この水道管も生きているのかは不明。この先に人家等はない。

 
国土地理院の航空写真MHO632X-C12-18より。美唄川の右岸にはかつて三菱美唄炭鉱の炭住が広がっていた。そこへの出入りに使われていた橋だと思われる。現在上面に残っている木材は、道路橋の床版として使用されていたものだろうか。なお、三菱美唄炭鉱は市街地に近い三井美唄炭鉱とはまったく別。

 
道路から見た橋。「美唄市水道部」と書かれた板が、倒れた単管パイプゲートとともに地面に落ちている。


 
 
すぐ近くの炭鉱メモリアル公園の竪坑櫓、原炭ポケット、開閉所。現役時代の写真は「炭鉄港」サイトにある。

 
その下流に架かる橋。いまではまったく無人となっているが、この橋を渡った先にも、あるいは渡る手前も、かつては多くの炭住があった。


●関連項目
我路と、中路プラットトラス
三菱美唄2号(4110同型機)のブレーキロッド













 
初めてバイクで関門海峡をバイクで渡ったのは1997年だったか。そのときは、関門道を九州から入り、めかりPAに銀マット+シュラフで寝て翌朝下関で降りたと思う。1区間なのに8~9時間もかかっているので、当然、係員に聞かれたけれど、「めかりで寝てました」と答えて、すんなりOK。そういう見た目だしね。

 
その後のバイクツーリング等では、基本的に福岡エリアには立ち入らないので(どうしても中南部になる)、人道トンネルを行く機会はなかった。2019年9月に下関を回ったときは、市内のクルマの多さと暑さに辟易して、とっとと東に向かってしまった。

 
2023年5月、ようやく機会が訪れたので、文字から入った。門司港レトロ観光線に乗って終点下車、そこから徒歩。門司港レトロ観光線は、そのとき使っていた「旅名人の九州満喫きっぷ」でも乗れるのに、ちゃんと説明を読んでいなかったので、別にきっぷを買ってしまった。

 
入口からエレベーターで降りると、広い空間の向こうに、国鉄の駅の地下通路みたいな雰囲気のトンネルがある。これが人道トンネルだ。

 
これを見に来た。

 
海底部分は780mで突っ込み勾配。そこそこの数の人が歩いている。多すぎず、少なすぎず。立ち止まって写真を撮っている人も多い。関門トンネルを通れない原付は、ここを手押しで進むしかない。

 
県界部分。

 
逆から。

 
 
下関側。「みもすそ川町」と平仮名が正式。漢字では「御裳川」と書く。本当は「御裳濯川」のようになると思うのだが、脱落したのか。

 
エレベーターで地上へ。この料金箱が、原付用だ。

 
下関側。

 
出た目の前が、みもすそ川公園。いろいろなものがあり、観光客も多い。目の前には関門橋。







 
門司港にある、歩行者用の跳開橋(可動橋)。写真左に見えるのは関門橋。手前(南)が親橋、対岸(北)が子橋で、持ち上がる仕組みは異なる。

 
親橋の桁は片持ちで、主塔から吊っている。主塔の根本をピボットとして、ケーブルを巻くと主塔ごと傾き、桁を持ち上げる。門司港のクルーズ船が出入りすることがあるようだが、この橋がなくても船溜まりを数百メートルほど迂回すればいいだけなので、役割としては観光用、現地のシンボルだろう。

 
写真左が、陸地側(ウインチ側)で、2本のケーブルは主塔内の動滑車に繋がる。右が桁側で、こちらのケーブルは桁を吊っている。

対岸に渡る。
 
こちらは子橋(降りている状態)の可動部分。桁下を油圧で押し上げる。

 
青焼きにも見える色使いの説明板があるが、けっこう褪せている。


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