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道端の移動式計量機

道端の移動式計量機

Mobil/ESSO/ゼネラル

ESSOなのかENEOSなのか。 貯蔵庫左にはクルクル王子様が見える。

この「向こう側」にはESSOの計量機や可搬式計量機が置いてあった。柵の中なので塗装等を確認できなかったのが残念。



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栄橋(美山川)

栄橋(美山川)

ポニーワーレントラス

国道486号の旧道の橋にあたる。すぐ隣には「新栄橋」が架かり、国道はそちらを通っている。こちらは旧橋と言うことになるが、訪ねたときはピカピカで、ペンキの匂いが立っている気がした。

東詰から。左右のトラスがずれている、スキュートラスだ。やたらと背が低い親柱はあるが、銘板類はない。

西詰。現在は歩行者用橋梁として活用されている。こちらも親柱にはなにもない。

特徴的なのは、垂直材の内側に鋼材で補強していることである。

また、橋の欄干はコンクリート製だ。これもトラスの内側ということを考えると珍しいかもしれない。


ESSOはなぜ消えた

ESSOはなぜ消えた

Mobil/ESSO/ゼネラル

ほどほどの集落の中に、白くまぶしい壁があった。見ると、ESSOとある。

とはいえ周辺は土地には不自由がなさそうな、広い郊外。その中で、このこぢんまりとしたESSOがいささか奇妙だ。敷地は三角形だ。

となると、おそらく、当初はもっときちんとした敷地で営業していたものが、道路の拡幅等で敷地が三角形になってしまい、それが直接か間接かの原因となって給油所をやめた…などというストーリーができてしまう(これは私のあてずっぽうである)。

サービスルームの屋根に残るESSOのマーク。もうほとんど消えかけている。




逆ワーレントラス

逆ワーレントラス

ワーレントラス

水内橋を渡り、県道166号を西へ走る。影谷という谷を詰めると、峠の手前に「奥」という集落がある。そこで目にしたのが、この上路トラスだ。このあたりの県道はとても細くなっていて、この橋は私道のようにも見える。

普通の上路トラスは下弦が兄弟と接しているが、この橋は上弦が橋台と接している。なので「上路」とだけ呼ばずに「逆」と呼んでみることにした。この場合でも部材が受け持つ圧縮と引張の位置関係は変わらないと思うが、なんともお手製のようなこの橋は、さて。


No Image

『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』(竹内正浩著)

(画像は中公新書のサイトより)

同名シリーズの第三弾。カラー新書で256ページもあり、それでいて1050円という驚くべきボリュームの本だ。

既刊の『地図と愉しむ東京歴史散歩』『同 都心の謎篇』は、どちらも1万分の1地形図などを掲載しつつ、地図から見つけられる不思議なことを紹介していくものだった。地図をテーマとした本は数多あるが、たいていの場合、著者が見つけて披露したいことと、読者が興味を持つ場所とは異なる。読者が関心を持っているのはかなり狭いエリアではないかと私は思っている。

本書のように「東京」と絞るのは、一見、本の売り方のセオリーに反するのだが、東京の人口、知識欲のある人の割合の高さ(※個人の印象です)からして東京オンリーというのは十分になりたつ。本書は、内容をこの2年ほど特に世間的な関心が高まっている地形に振ったものだ。地図にも、新たに5mメッシュ標高データをカシミール3Dで重ね合わせたものとなっていて、直感的にわかりやすい地図となった。

* * *

第一部として「東京の不思議な地形を歩く」、第二部は「東京お屋敷山物語」と題して全11章仕立て。本書の特色というか、著者が書きたかったのはこの第二部だろう。

第八章 元老・元勲の山
第九章 宮さまの山
第十章 華族の山
第十一章 富豪の山
都心の「山」のお屋敷リスト

という構成となっている。よくもまあ、これだけの動静をまとめたものだ、と思う。

『「水」が教えてくれる東京の微地形散歩』を制作したとき、五千分一東京図測量原図(いまはカシミール3Dのタイルマッププラグインで簡単にできる)や大正6年の地図に標高データをカシミール3Dで与えたところ、とくに東京の南部は高台の上が真っ白=大邸宅であることが顕在化した。当時の地図において、お屋敷は、どういう基準なのか私にはわからな いが、「閑院宮邸」「三井邸」「山本邸」(権兵衛)等の情報が書いてあった。それらを丹念に拾い、現在の地図ではどうなっている かを見て、そこから考察に進めていく。そのためにはそこに住んでいた人の家系、業績も知っていなければならず、著者が本書のため にした下調べの量を考えると気が遠くなる。

本書でおもしろいのは、単に事実の羅列をひたすら展開するのではなく、例えば宮さまがなぜそこに住んだのか、なぜその土地を手放したのか、その後どこに転居したのか、その後土地を手に入れた人は誰で、どういう考え方をしているのか…等まで考察されているこ とだ。これは、従来の、土地を読み解くだけの本ではなしえないもので、著者の丹念な調査あってのものだろう。しかし、両刃の剣でもあり、そこに出てくる名前や業績を、つい手元の端末で調べながら読んでしまう。だから、なかなか読み進まない。 これは、単なる土地利用だけでなく、土地やその形状は人(ここでは政治家や実業家)の生活とも密接に結びついていることの裏付け でもある。本を読み進むことによって、土地と人との関係を自然に感得できるのが、この本のすばらしい点だ。

とはいえ、まとめた地図と文章だけでは、宮さまや将軍家の幕末~明治時代の動きを知らない私のような者には、いささか頭に入ってきづらい。実業家だって、彼らの閨閥が頭に入っているわけではない。こういう場合に電子地図または電子書籍が活用されるといいなと思う。たとえば宮さまの邸宅は赤、実業家は青、政治家は緑…というように色分けし、それをべきで、明治初期・中期・後期・関東大震災後・戦前・戦後・昭和30年代・40年代の地図にプロットしてアニメーションにすれば、宮さまの邸宅ができ、実業家の手に渡り、やがて庶民のマンションになる、というようなことや、潮が引くように都心から大邸宅がなくなり、そこが公共または商業施設になっていくさまがよく飲み込めると思う。

電子地図会社が音頭を取って、各社の地形本をそのようにする、などという動きがでないものだろうか。といっても、課金がなあ…。



水内橋(高梁川)

水内橋(高梁川)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)


高梁川にかかるカンチレバートラス、水内橋(みのちはし)。2013年5月の訪問時は補修工事中だった。写真は上流側からで、左の洞門は国道180号。写真が傾いているように見えるだろうが、右岸(写真右)に向かって上りになっている。

上流・右岸から。

左岸(国道側)正面。重量制限は12t。左右の上弦に載る標識は「水内橋」と書いてある。親柱はない。

カンチレバートラスたる、吊桁が載る部分。定着桁に載っているだけなのだろうか。接合するピン等があるのかわからない。

欄干、鋳鉄製だろうか。開通当初からあるものだろうか。


塗装標記は端柱に、横に書かれている。高梁川の橋梁群の塗装標記は、位置がおかしなものが散見される。

歴史的鋼橋集覧はこちら







玉川橋(高梁川)

玉川橋(高梁川)

プラットトラス

3径間+側径間の、美しい曲弦プラットトラス。写真は南詰めから。対岸が国道180号、その向こうにJR伯備線が見える。

左側の側径間は後年造られたもので、歴史的鋼橋集覧の図では、この左端の橋脚は橋台として描かれている。

その橋脚を拡大して見ると、本来橋台だったことがよくわかる。これは橋台の裏側。縦の4本の柱は後年の補強だろう。ここがかつては橋詰だったので、親柱もこの位置にある。


南詰の親柱は、左は撤去されている。右は「昭和十一年八月竣功」とある。側径間のガードレールにも律儀に銘板があり、左は「高梁川」、右は「玉川橋」とある。

プラットトラスは中央部のパネルは斜材がX字型となることが多い。中央部のパネルは最も大きな力がかかるので、引っ張りの力がかかる斜材(中央部に向かって\|/型)とは別の対角線(中央部に向かって/|\型)に斜材を入れることで剛性を上げている。

後者の部材は、メインたる前者の部材の部分で分断されているものが多いが、ここでは交差している。これは珍しいと思う。

国道側の端柱裏に塗装標記があった。こんな場所にある塗装標記を見るのは初めて。

国道側正面。親柱が残っている。左は「玉川橋」、右は「昭和十一年八月竣功」。向かって右が原形、左は上部が欠けている。

先に国道の対岸側の正面の写真を上げたが、右側にわずかに写っている親柱はやはり灯籠状の上部が欠損している。

向かって右の親柱をじっくり鑑賞してほしい。

対岸側、実は水門がある。写真中央、ゴミ捨て場箱の背後に見えるのがそれだ。この道路の高さより上まで土手が築かれているので、一部が切り開かれ、このようになっている。使う必要がないことが一番だ。


親子国道標識

親子国道標識

道路全般

方谷橋の東詰の交差点から見た、国道180号・313号の歩道橋。両者は高梁市街地のみ重複しているが、「親」たる180号が小さく、313号は大きい。到達の表示は180号しかなく、あとから313号を表示したことと推測する。

しかし。
その少し南には、逆に180号が大きく、313号が小さい標識がある。こちらの180号はいささか古びている。

大きさを比較すると、下写真の180号>下写真の313号=中写真の313号>中写真の180号、と思う。

さしづめ、下の写真は「まだ子供(313号)」、上の写真は「思春期過ぎてお母さん(180号)より背が高くなった息子(313号)」といったところか。





方谷橋(高梁川)

方谷橋(高梁川)

ランガー橋

方谷(ほうこく)駅そばにあるのは中井橋だが、この方谷橋は高梁市街地にある。どちらも幕末の儒家・陽明学者である山田方谷の生誕地にちなむもので、駅は生誕地、橋は方谷が使えた備中松山藩(高梁)ゆえか。

3径間の橋で、一見、中央径間だけがランガー桁であるかのように見える。現状、写真左からスパン11.5m、56m、32.4m。ランガーの桁部分と前後のプレートガーダーを見ると、プレートガーダーは側面の意匠が違い、ランガーの桁がプレートガーダーに食い込んでいる。カンチレバーである。側面の意匠が違うのは、側径間が更新されているからであり、当初よりあるのはランガー桁のみだ。

歴史的鋼橋集覧によれば、1972年に橋長の変更と側径間(吊り桁)の交換が行われている。それ以前は、図面を見る限り、側径間の側面もランガー桁の桁側面と同じくウェブが入ったもののようだ。

側径間のプレート。左は

  • 方谷橋
  • 1972年3月
  • 岡山県建造
  • 鋼示(1964)二等橋
  • 製作 住友重機械工業株式会社
  • 材質 SS41、SM50A、SM50B
右は
  • 方谷橋
  • 平成12年6月竣工
  • 高梁市
  • 仕様鋼材:SM400A・B・SS400
  • 施工:三井造船株式会社

左側、銘板に橋名まで入っているのは珍しい。

平行する歩道橋から、接合部を見る。これは西詰めの北側。通常、吊り桁は上に乗っかるだけだが、ここでは下に支えがある。ボルト等を見ると後付けであることがわかる。この耐震工事は2000年に行われたもののようだ。

東詰(国道側)。親柱左は「高梁川」、右は上が「方谷橋」、下が土木学会選奨土木遺産の銘板。


うっかり西詰の正面を撮っていないが、左の親柱のみ掲載する。「昭和12年3月架橋 昭和47年3月補修」という複合のもの。右は「ほうこくばし」。様子からするに、銘板類はすべてこの時期に同時に製作されたもののようだ。



田井橋(高梁川)

田井橋(高梁川)

ランガートラス橋

田井橋。ランガートラス。スパンはなんと88.2m(歴史的鋼橋集覧による)。

おもしろいのは立地で、高梁川がもっとも狭まるこの部分を最短距離で渡ろうとしているのだろう、アプローチの道からカクッと角度をつけて川を渡っている。そして渡った先では直角に右カーブとなる。

上の写真は南側。手前の鈑桁については後述する。親橋が残り、左は「田井橋」、右は「昭和二十九年竣工」。この橋の開通は昭和12年だが親柱にこうあるのは、手前の鈑桁は増設桁であるためだ。

対岸の北側、左の親柱は土木学会の選奨土木遺産のプレートと、その下に「田井橋」。右の親柱にはなにもない。選奨土木遺産は「室戸台風の災害復旧橋梁群」のひとつとして選ばれている。室戸台風といっても昭和36年の「第2」ではなく(こちらのほうが有名である気がする)、昭和9年のものだ。

北側の銘板(南側にもある)。

  • 東京
  • 株式会社
  • 桜田機械製作所
  • 昭和十一年製作

ランガートラスのアングル。直上の写真は吊り材に補強が入った部分で、ボルト留めとなっている。

追加された鈑桁。25.5m。加設されたものだ。当初は高梁川の「イン側」がこんなになっているとは思わなかったのではないだろうか。




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