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TR51形台車(DT22系・キロ26用)

TR51形台車(DT22系・キロ26用)

鉄道車両の台車

20121014_000.JPG三笠鉄道記念館に保存されているキロ26。車体表記はオリジナルの書体ではない。写真左が前位(1位=見えない側・2位=写真側)、右が後位(3位=見えない側・4位=写真側)。前位側が駆動台車のDT22(DT22AまたはC)、後位側がTR51(同)。

詳細な解説はwikipediaにこれでもかというくらい掲載されている。ただし、台車の各部の名称を知らないと理解しづらいかもしれない。


20121014_001.JPG35mmレンズではパースが出るからダメだな…。右の、車体から下りてくる管はトイレからの排水管だろうか(流し管ではない)。

20121014_002.JPG台車の写真は通常、真横からのものばかりなので、ここでは立体的に構造を把握できるようなものを。

Aは、上揺れ枕。車体の荷重をここで受ける。枕バネはコイルバネ、中央のDがその減衰装置(ダンパ)だ。Cが下揺れ枕で、Bの揺れ枕吊りで台車枠に減衰後の荷重を伝えている。

20121014_003.JPG中心ピン。荷重はほとんど負担しないものと記憶しているが、ちょっと確認がとれていない。

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三笠トロッコ鉄道の事務所になったJOMO

三笠トロッコ鉄道の事務所になったJOMO

JOMO/共同石油

20121013_003.JPG三笠鉄道記念館に向かう交差点に「三笠トロッコ鉄道 クロフォード駅」がある。この日も運行していたようだ。三笠市街側のこの駅が事務所のようだが、どう見ても給油所だ。10年ほど前の地図を見ると、ここにはJOMOのロゴが記載されていた。

それほど土地には困らないだろう場所なのに、なんだか窮屈な配置だと感じる。向かって左側の防火壁の形が不自然。なんらかの理由があってのこの形状なのだろうが、この形だからこそサービスルームがこの位置にあるのか。もし、きれいなコの字型を描けたら、サービスルームはどちらかの隅に寄せられたことだろう。

20121013_005.JPGしかし、防火壁といいサービスルームといい、わざわざすべて塗り替えるとも思えない。もしかしたら、JOMOからいったんノーブランドになり、そして廃業したのかもしれない。

20121013_004.JPGここには車両が2両、展示されている。1両は「馬車鉄道」という銘板のつくもので、馬車鉄道用の木造客車にタイヤをとりつけたもの。所有の自動車で牽引するのだろう。

20121013_001.JPG正体未詳の機関車。ディーゼルだろうか。

20121013_002.JPG20121013_000.JPG.

ここは、とてもおもしろいことをやっている。車両群を見ても、仲間に入れて欲しいと思ってしまうほど。遠いから無理な話だが、末永く運行が軌道に乗っていてほしい。

車両の紹介ページ→http://www.karamatsu-train.co.jp/mikasa/mtr-sharyou.html
 

婆娑羅峠

婆娑羅峠

廃道

南伊豆の東西を結ぶ婆娑羅峠は何度となく通っている。代わりに、石廊崎は数えるほどしか通ったことがない。

その婆娑羅峠の旧道には廃隧道がある。すぐ近くに閉鎖されたようなドライブインがあり、その裏手、かつて道路だったところは庭のようになってしまっており、立ち入ることがためらわれるのだが、おそらく放置された道路敷を占有しているもの…と勝手に解釈をして隅っこを迂回しながら旧道に出た。

20121011_003.JPG雨上がりということもあり、障気を感じる雰囲気。これは振り向いて撮ったものだと記憶する。路面は泥。道なりの右カーブを抜けると…。

20121011_004.JPG婆娑羅隧道だ。完全に閉鎖されている。向こう側に光が見えるのに、立ち入ることはできない。

20121011_005.JPG引き返しつつ、旧道をもう一枚。


この婆娑羅隧道は、国土地理院の地形図には描かれなくなってしまっても、なぜかネット地図には東側の坑門の位置が描かれている。Yahoo!でもGoogleでも掲載されている。ネット地図は、廃線跡なども載っていたりするのだが、整備の過程を知りたいものだ。


 

国道135号 熱川周辺の旧道

国道135号 熱川周辺の旧道

廃道

20121011_000.JPG熱川の湯の沢交差点。こういう、地味な道路改良の痕跡に惹かれる。かつてはここが道路だったのに、いかなる事情か、空きスペースになってしまった。おそらく、線形改良なのだろう。

すぐ近くには、カーブの改良もある。

20121011_001.JPGこれくらいなら、なにも改良しなくても…とも思うし、わざわざデリニエーターを移植しなくても、向かって右の車線だけ幅を広くしたままでもいいじゃないか。

20121011_002.JPGやがて、改良された曲線半径は、これだけ変わる。それにしても、車線、広いままでいいじゃないねえ。
(2010年9月撮影)



 

バイク通勤、バイク通学

バイク通勤、バイク通学

独言・日記

8071088459_2cc10b4703.jpg右足の甲の骨(第4中足骨)を折って3週間が経った。完全に固めるギプスではなく、ギプスシーネという添え木を包帯で巻いている。松葉杖必須なのだが、とても重労働かつ全体重がかかる手のひらが痛くてしょうがないので、自宅から会社の駐車場までまったく歩かずに行ける原付で通勤している。朝と夜、友人からもらったアドレスV100で都内を走る。学生時代、1990年代前半以来だ。左手には松葉杖、写真に少し写っている。

いま、朝も夜も、都内の道路にバイクはほとんどいない。いても原付二種かビッグスクーター、まとまってもせいぜい3台。たまにビッグバイク。赤信号で止まっても、みな自分のバイクの性能をわかっているし、おっさんばかりなので、わきまえながら順々にスタートする。

学生の頃は、赤信号になると多いときは十数台が並んだ。たいていはオフ車で、XLR250Rが多かった。たまに逆輸入のレーサー、XR250Rがいたり。ぼくはTT250R、当時最新のバイクだった。まだ大型バイクは「限定解除」が必要な頃で、それなりに乗ってる人は多かったけれど、通勤や通学で使っている人はほとんど見なかった。見かけたときは、憧れの目で眺めていた。ぼくが限定解除をしたのは学生時代ではなく、もう会社に入ってからだ。この前、リヤタイヤの側面まで使い込まれたアプリリアのRSV4を見た。すばらしいエンジン音だ(排気音ではない)。ビッグバイクは問答無用にかっこいい。


都心や都内をバイクで走ると、ときどき思い出すことがある。あれは、750ccのバイクを盗まれたぼくに、CB750を貸してくれた友人に返しに行く途中のことだ。国道20号の右側車線を西へ向かっていた。750だから、流れをリードしているのだけれど、トラックが1台、左からおかしな割り込みをして、ぼくの前にかぶせてきた。たぶん、ぼくのことは見えていない。

もちろんこちらは動力性能にも相当な余裕があるのでちゃんと減速してかわし、こういうクルマの近くにいると巻き添えを食いかねないので左側追い越し(これは禁止事項だけれど)でトラックを抜いた。バツが悪いことに、赤信号になった。

左側車線に止まっているぼくの右隣りにトラックが並んだ。助手席の窓が開いた。

「危ねー!」などと怒鳴られるかと思った。いや、危ないのはそちらだし…。ところが、若い男性の運転手が少しすまなそうな顔をして、「ごめんね!」

そうだ、彼は、ぼくに気づかずおかしなかぶせ方をしたのをあとから気づいたのだ。ぼくが左から抜いたのを見れば、その行為を愉快に思っているわけがないことはわかるだろう。こちらは当惑し、照れてしまい、なんとか右手を挙げて「どうも」かなんか間抜けな返事をして、青信号になったからダッシュでスタートした。いや、その場から逃げた。

男性も、バイク乗りだったのかもしれない。
Mr.バイクの「隠れ家信哉直送便」に吹き込みたくなるような話だったが、そういうのもなんか照れるので、ずっとしまっておいた。書いたのは、いまが初めてだ。


15日にはギプスがとれる。どこかに行きたい。





 

国道135号 宇佐見隧道

国道135号 宇佐見隧道

隧道・廃隧道

伊豆半島の道路は多くの改良を重ねられているので、そこかしこに旧道や廃隧道がある。廃道についてはよっきれん氏のレポート以上のものはできないので、写真だけ。

20121009_000.JPG北側。国道の御石ヶ沢トンネルと新宇佐見トンネルの間、すぐ脇に旧道が見えるので、アプローチはたやすい。クルマを置く場所もある。ここから北に向かう。

20121009_001.JPG片一号洞門。

20121009_002.JPGこれだけの設備が放棄されている。向こうに見えるのは片二号洞門。

20121009_003.JPG坑門…と称していいのだろうか、洞門の入口も。コンクリートで作られたこの意匠、あまり嫌みがない。

20121009_004.JPG片二号洞門を出て振り返る。蛍光色の「危険」、表情が険しい。

ここで道路の上に土砂が崩落している。これ以上先に進むには、藪をかき分けながら土砂を乗り越えなければならない。この日は天気がイマイチであり、また行程がギュウギュウだったので、ここで引き返す。

20121009_005.JPG帰り道、振り返ったところ。


一度、出発地点まで戻り、今度は南に向かう。

20121009_006.JPG宇佐見隧道が静かに佇む。

20121009_007.JPG入口から振り返ると、海のほうへ空が抜けていた。雨が上がり、雲もどんどん上がっていく。廃道は、雨上がりが美しい。


この日は、写真集『廃道 棄てられし道』の取材で、丸田祥三さん、平沼義之さんと伊豆の廃道を訪ねたときのもの。この隧道や洞門は写真集にも収録されている。丸田さんの作品をこそ、ご覧いただきたい。

(2010年9月撮影。2012年6月再訪、ほとんど状況変わらず)

 

平永橋架道橋(靖国通り)

平永橋架道橋(靖国通り)

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

20121004a_000.JPG靖国通りが山手線と交差する地点の架道橋。中央分離帯、歩道と車道の境界に計3基の橋脚が立つ。山手線の内側から撮影。向こうに見える箱桁は東北新幹線で、橋脚はなくひとまたぎ。

20121004a_003.JPG山手線の外側反対側から。上を覆っているのは新幹線。この地点では、線路と道路がほぼ直交しているので、ガード下といえどもスッキリしている。

20121004a_001.JPGガードの幅が狭く、明かりが差すためだろうか。とはいえ、ションベンくさいという印象はもちろんある。

20121004a_005.JPG桁は、4主桁の複線橋にも見えるが、2主桁の単線橋の一部分を剛結した、というものだろうか。4本並行する主桁の下部にブレースはあるが、対傾構はない。写真では見えないだけで、2本の(?)鈑桁の間にある覆いの向こう(上)に、きちんと剛結している部材があるのだろうか。

20121004a_002.JPG橋脚は4本1組。4本というのは4つの主桁に対応している。少しだけ道路と角度をつけて交差している斜橋である。

20121004a_006.JPG橋脚下部。鋳物だろう。

20121004a_004.jpg橋台にあったプレート。都営新宿線のシールドが描かれている。



 

岩見沢市 万字

岩見沢市 万字

道路全般

20121007_002.JPG廃鉄塔の続き。そのまま東に向かうと、やがて道路は狭くなった。そして、路面に「40高中」のペイントが現れた。

もう20年ほど前に廃止された表示で、ということは、この路面は20年以上前からそのままだということだ。舗装というもの、そして路面のペイントというものが、どれだけもつのかは知らないが、交通量は僅少であろうこの山間部では、これくらいのもちはあるのだということがわかる。

20121007_003.JPGすぐ近くには、バス待合所があった。

20121007_004.JPG1980年頃の公園のトイレのようだ。しかし、外装のタイルはそれほど汚れてもいない。周囲の草もなかなかであり、水道もないためここで野宿するのは気が引けるが、十分な施設だ。

岩見沢市のサイト(PDF)を見ると、ここは「巴公団前」という市営万字線のバス停のようだ。


20121007_005.JPG少し行くと、万字交通センターが現れた。一見、万字線の駅舎の転用かと思ってしまうが、違う。万字線はこの道路よりも北、一段低いところを走っていた。建物の中には市の職員らしき人がいた。

20121007_008.JPG建物脇には踏切の警報機。

20121007_006.JPG倒れている廃線の碑。表側が下になっているため、裏面しかわからない。地震で倒れたのだろうか。

20121007_007.JPG警報機の間から建物裏手に続く階段があり、登っていくと、駅構内かと思うような原っぱがあった。ここは駅の跡地ではないのだが、十分に誤解を招く造りになっている。


万字の集落には入らなかったので、いずれ再訪したい。


 

廃鉄塔

廃鉄塔

土木一般

20121007_001.JPG北海道・岩見沢の志文から、かつての国鉄万字線跡に沿って幌向川を遡る。ふと右手に送電鉄塔…の骸。

送電線が張られているように見えるが、道路を挟んで位置する下記の鉄塔で終わっている。

すぐ北側には幌向川ダムがあるのでその発電…などと思ったが、幌向川ダムは灌漑用とのこと。では、この鉄塔はどこからどこへ…? 1975年頃の空中写真を見ても、その頃にはすでに送電線は張られていないように見えた。

20121007_000.JPG道路北側の鉄塔。ハンガーは5個ある。鉄塔は門外漢だが、このような形状は見たことがない。

積雪のせいか、いくつかのトラス構造は崩れ、部材がひしゃげている。放置された年月を物語っている。
 

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(13) 伊達橋(福島県)

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(13) 伊達橋(福島県)

ポニーワーレントラス

<ご参考>
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ

==
20121006_000.JPG国道399号の旧道にある伊達橋。英国系100フィートポニーワーレントラスが3連+200フィートワーレン2連+100フィートポニーワーレントラス1連+鈑桁1連となっているのだが、こちら側の200フィート桁は100フィート桁2連をバラし、200フィートに作り替えたものだ。いまは歩道橋となっている。

20121006_005.JPG早速だが横桁。魚腹形だ。秩父鉄道の見沼代用水橋梁と同じか。

20121006_001.JPG西側。

20121006_002.JPG西側の銘板、左側。「伊達橋」。

20121006_003.JPG西側の銘板、右側。「阿武隈川」。

20121006_004.JPG横から。他の英国系100フィートポニーワーレントラスともちろん同じシルエット。

いったん、東側へ。
20121006_008.JPG東側、左の銘板。「だてはし」。

20121006_007.JPG東側、右の銘板。「昭和五十四年三月竣功」。これは、歩道橋へと改装した時点での銘板だ。歴史的鋼橋集覧によれば、この橋が架けられたのは1921年(大正10年)である。

さて、少し戻る。



20121006_006.JPG改造された200フィート桁。

20121006_009.jpg部材をつないでいるのがわかる。こちらは圧縮力がかかる部分。

20121006_010.jpgこちらは引張力がかかる部分。


この伊達橋は、かつては信達軌道が通っていた橋である。興味を引かれた方は下記を是非ご覧いただきたいのだが、とくに『日本の廃道』には、この伊達橋に軌道が通っていたときの写真もふんだんに掲載されている。ぜひぜひ。

『日本の廃道』47号「旧橋紀行 伊達橋」(TUKA氏)
wikipedia 伊達橋
wikipedia 福島交通飯坂東線



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