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『夢より短い旅の果て』(柴田よしき/角川書店)

『夢より短い旅の果て』(柴田よしき/角川書店)

鉄道の本

IMG_201207062014.jpgふだん、小説はほとんど読まない。嫌いなわけではまったくなくて、興味を持った分野の解説書を読む以上の時間がないからだ。書店に行けば、なんと魅力的な装丁とストーリーを盛った文芸書がたくさんあることか。私はそれらには目をつぶっている。
 
柴田よしきさんの『夢より短い旅の果て』を手に取ったのは、カバー写真を丸田祥三さんが手がけたこと、柴田さんが鉄道がお好きな作家さんだとうかがっていること、角川書店の『本の旅人』で本書の書評を友人のオオゼキタクさんが書いていること、などで興味を持ったためだ。
 
とにかく面白かった。どう面白いとか書くとネタバレになるので書かない。鉄道が好きだろうとそうでなかろうと、自分が学生時代に戻ったような気持ちになって、かつ「いまの」学生の立ち位置を想像しながら、吸い込まれるように一気に読んだ。丸田さんのカバー写真が内容に即しているかどうかといえば、それはとてもあっていると思った。少女が、年齢がよくわからないくらい小さく写っていることが、いろいろと想像させてくれる。



* * *

ネタバレはしないけれど、もっとも印象に残ったフレーズだけ、書きたい。
 
(一ヶ月間で全路線を乗り尽くす旅を終えたことを思い出しながら)「帰ってきて自分のアパートに入り、すわりこんだ時にね、じわっと思った。ああ、自分は日本中を、日本全土を旅して来たんだ、って。自分が生まれたこの国を、自分の目で見て来たんだ、って。」
 
これは、旅好きな人ならみんなじんわり感じることなんじゃないかな。その手段を問わず。私がそれを感じたのは残念ながら鉄道ではなくて、登山だったり自転車だったりバイクだったり。柴田さんは、旅をわかってる方だ。このフレーズに出会って、私はこの物語により吸い込まれた。柴田さんが好きになった。
 
* * *
 
本書をきっかけに、思ったことがある。ここから先は、本書と直接の関係はない。
 
なぜ、こうした小説に登場する人物は、みな身軽に旅行できる身分ばかりなのだろう?(決して、本書にケチをつけるわけではない) 

読者のどれくらいが、同じ境遇、つまり独身で、時間もお金も自分だけのために使えるのだろうか。世の中の鉄道ファンの何割が結婚して家庭を持っているのかはわからないけれど、そちら側の感覚が、世の中、あまりにほっとかれすぎてないか。それとも、後者はみな前者に憧れてなきゃいけないのか?
 
宮脇俊三氏は、あえてそのあたりをすべて捨象して作品を描いていた。それは、氏以前にそのジャンルがなかったから、一番の王道を考えてそのようにしたものだ。以後、旅行記の類は、ほとんどが「自分が旅で感じたこと」ばかりを描いていて、会社員と家庭内での立場というようなことに触れたものは見たことがない。そこをうまく汲んだのが、『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)だと思う。ごくふつうのサラリーマンの家庭の感覚、金銭感覚、会社の感覚。
 
これを汲んだ小説を待っている。それも、志賀直哉のように、何事も起こらないのにきちんとした物語になっている作品を。


 
もう一つ、舞台が実在か架空か、ということを語りたいのだけれども、うまくまだ本書と関連づけられないので後日。
 
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「モービロイル」という表記(2)

「モービロイル」という表記(2)

Mobil/ESSO/ゼネラル

「モービロイル」という表記(1)の続き。

20120707_001.JPGこの壁の向こうはプロパンガスのボンベ置き場というか捨て場というか、向かって右側の清潔さとは対照的に、雑草に覆われていた。給油所側と同じく「宮下燃料」という名前が掲げられていたので、関連施設なのだろう。

その前が空き地になっていたのでそこにクルマを停めて写真を撮っていたこともあり、こちら側はあまり撮っていない。いま、猛烈に後悔しているが、少しだけ。

20120708_001.JPG「モービル」

20120708_000.JPG「ガス」。

右には赤いペガサス。


ここにクルマを停めていたのだが、帰り際にふと見ると、そこにエロ本の自動販売機があった。道行くクルマは「練馬ナンバーのクルマが国道沿いの自販機でエロ本を買ってるな…」と思って見ていたに違いない。

* * *

前回の記事に対してg_stand さんか らいくつか貴重なご指摘をいただいた。「モービロイル」の壁は、よく見ると「ル」のあたりに「es(so)」と見えている。つまり、防火壁は短縮されているうえいに、モービルからessoへ、またはその逆のブランド替えがあったことになる。これに私は気づかなかった。なんというザル。

また、この「ル」から直角に、つまり道路と並行にコンクリートブロックが積まれている。私はそれを「エロ本の自販機隠し」だと思ったのだが(当日にそう思ったことを、いま思い出した)、それはおそらく道路拡幅の際に防火壁にさわったためと思われる。……

いつもながらの貴重なご指摘に感謝いたします。
 

「モービロイル」という表記(1)

「モービロイル」という表記(1)

Mobil/ESSO/ゼネラル

20120707_001.JPG内村川の谷間の国道を東に向かって走っていると、畑の中に「モービロイル」と書かれたブロック塀が現れる。ほとんどは空色(が褪色した色)、下部は小豆色(が褪色した色)で塗られた防火壁。

その向かい、つまり右には本殿がある。

20120707_000.JPG広大な敷地に、荒らされもせずに残るモービル石油の給油所。

20120707_002.JPG防火壁には「軽油89円」とある。いつの水準だろう、2006年には軽油は100円こなっていた気がする。

20120707_003.JPGガソリンスタンド然としたたたずまいのサービスルーム。かつてはこの大きなガラス窓の向こうにドライバーが休むソファがあり、事務机の付近は書類で溢れており…。いまも室内には当時販売されていたままの商品が未開封(多分)のまま残されている。

いわゆる「廃墟趣味」はないので、侵入などはしない。あくまでも「自由に勝手に歩いても(たぶん)怒られない対称」として閉鎖された給油所で観察しているの。

外にはほとんど遺留品はないのだが、ここに目が行った。

20120707_004.JPG20120707_999.jpg(上)
「使后は元の所え
 空気圧力計掛ケ」

(下)
「空気バルプは
 使用后はしめる事」

そして。

20120707_006.JPG20120707_007.JPG「モービロイル」という、Mobil Oilを英語で読むと続いて聞こえてしまうという表記をそのまま採用したこと。そこにあったエアゲージは、イギリスのPCL製だったこと。モービルはアメリカの企業であるし、この二つはまったく関係ないのだけれど、なにか嬉しい気がした。

なお、PCLはいまも存在する。

http://www.pclairtechnology.com/

(続き)


大井川鐵道E103の台車

大井川鐵道E103の台車

鉄道車両の台車

20120706_001.JPG大井川鐵道E10形E103。日立製の自社発注機で、一時的に三岐鉄道に行っていたことがある。いまは、左に見える元西武鉄道のE31に代替されるのを待つばかりで、千頭に留置されてからすくなくとも数年が経過し、雨だれによる汚れも目立つ。検査期限は平成22年4月で切れている。

20120706_002.JPGE103の台車。『電気機関車展望』を手放してしまったため、形式がわからない。wikipediaにも形式名がないので、もしかしたら調べづらいのかもしれない。

台車枠を形鋼で組んだもので、もっとも特徴的なのは、軸箱上部に飛び出た板バネの軸バネだろう。板バネを固定するための棒(なんと言えばいいのだろう)は、両端の2本は台車枠から、内側の2本は台車の中央、台車枠の中に収まっているイコライザー(横長の部品)に結ばれている。

特徴的…と書いたものの、それは2軸台車だからなんとなく違和感を持つだけで、いわゆる旧型電機の棒台枠の台車ではごく普通の構造だ。EF58などの台車を見るとよくわかる。これは、横から見ただけでは理解しづらいが、すてきなサイトがあった。

3DCGの世界

すばらしいね。


20120706_000.JPGこの日もすべて17mmで撮ったのだけれど、記録用にもっと普通に撮ればよかったと後悔している。








日本車輌D-18台車(名鉄3800系→大井川鐵道モハ310?)

日本車輌D-18台車(名鉄3800系→大井川鐵道モハ310?)

鉄道車両の台車

鉄道車両の台車の構造はとても興味深い。狭いスペースを立体的に使いつつ、絶対に壊れてはいけない構造物を作り上げている。眺めていて飽きることがない。新たに台車のカテゴリを作った。

●(推定)大井川鐵道モハ310の、日車D-18台車

20120705_000.JPG現在、千頭駅構内に置いてある台車。もはや使う見込みはないだろうに、こうして赤錆びている。見下ろす形でしか撮影できないが、それゆえ、真横からでは見えない部分が手に取るようにわかる。

枕バネは、()という向きに組み合わされた板バネが枕木方向に3列並列2組ある。奥の1組はこちら側に傾いており、手前側の1組は1列のみ残っている。それも()という組み合わせが開放され、(の形となって下に落ちている。

この枕バネ、画像検索するとやはり3列2組なのだが、鉄道模型ではGMとトミーテックから出ているにもかかわらず、板バネが2列2組でモールドされている。なんということだ。
(参考リンク)リトルジャパン 名鉄3800型を組み立て加工する2

この部分以外はほぼ欠品もないように見える。ブレーキのリンクもまだ動きそうだし、それを台車を真上から見ると平行四辺形になっているのもよくわかる。

20120705_001.JPG斜め上から見ると、ブレーキシューを車輪踏面に押しつけるコの字型の部品が見える。

また、写真右端の車輪の左側、小さなコイルバネが4組並んでいるところは、モーターを台車枠に引っかける部分である。これゆえの「釣り掛け式」の名称だ。



イコライザー式台車(釣り合い梁式台車)は、車体の荷重を枕バネを介して台車枠上面に伝え、上面からコイルバネ→イコライザー→車軸端、という方向で荷重が伝わる。こうして上から見ると、イコライザーのコイルバネの位置、イコライザーが軸受けに乗っかっている位置などもわかる。


冒頭に「(推定)大井川鐵道モハ310の、日車D-18台車」と書いたが、元々は名鉄の3800系である。3800系のうち2両1編成が大井川に入り、さらに4両2編成分の「車体」も大井川に入った。後者は大井川にストックのあった下回りと交換したというし、最初の2両のうちの1両はのちにオープンカーとなって、いまも新金谷の側線にある(名鉄ク2805→大井川クハ510→クハ861)。となると、この台車の持ち主は、モ3805→モハ310だろうと推測される。さて、モーターはどこに消えた?






赤谷線 不動橋梁

赤谷線 不動橋梁

鈑桁(プレートガーダー)

20120704_001.JPG赤谷線の廃線跡を訪ね、並行する道路を走っていると、それまでほとんど廃線跡らしいものがなかったところに突然でてくるこのコンクリートの塊に驚くはずだ。この橋を不動橋梁だ。

上の写真では、コンクリートの「こちら側」は築堤だったはずだ。これだけ切り下げられたのだ。

20120704_000.JPG向こう側の橋台に、プレートガーダーから垂れた錆びの色がついている。

20120704_002.JPG反対側。こちらはなんとか登れそうだ。

20120704_004.JPG上部に出た。蔓状の植物がのたくってて、一見、ゴザが敷いてあるかのようにも見える。

20120704_003.jpgそこに銘板があった。

運輸省
昭和22年 ては512-11
汽車製造株式会社製作
----
材料
L. 日本鋼管八幡製鉄所
●川崎重工業八幡製鉄所
●●●●●●(不明)



東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その4(了)

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その4(了)

鈑桁(プレートガーダー)

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3の続き。

20120703_000.JPG東新潟港から南下した線路はやがて通船川を渡る。通船川は、その名の通り、阿賀野川と信濃川(現在は栗の木川)をバイパススル運河で、西側に「山の下閘門」がある。阿賀野川側(東側、下流)は貯木場になっているが、上流側にも貯木されている。

20120703_002.JPGスパンの小さな鈑桁3連である。塗装標記に「通船川橋梁」、塗装年月は「199●年5月」と読める。最末期に塗装したのか。

20120703_005.JPGリベット留めであるし、どこかからの転用桁だろうな。

2d03f764.jpeg橋台にある銘板には、こうある。

通船川橋りょう
設計 新潟支社
施工 株式会社加賀田組
設計荷重 K.S-16
基礎工 井筒工 鉄筋コンクリート造 圣=6m3 根入=3m7
 基礎杭 鋼管杭 圣=318.5mm 厚=6.9mm 長=13m0 20●(←不明)
基礎根入 天端から7m1
着手 昭和42年2月17日
しゅん功 昭和42年12月

20120703_001.JPG上に上がると、現役の線路のようだ。

20120703_006.JPG線路沿いにさらに南下すると、ザイエンスへの踏切があり、踏切を渡ったところで工場の敷地となる。この踏切は警報機も遮断機もある。現役かどうかはわからない。

(了)

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その3

廃線跡

東新潟港駅付近の廃線跡(夜)
東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2の続き。

「その2」からさらに南へ。
201207021_000.JPGいかにも、工業地帯の線路の雰囲気が漂っている。工業地帯まで宅地化が及んでいるのが見えるというか。もし左の宅地がなかったら、それはそれでとても荒涼として見えるのかもしれない。

201207021_002.JPG「国有鉄道」。境界標だろうか。

線路に沿って、いくつもこれがある。こちら側は広大な空き地を持てあましているのに、向こうに見える住宅地は、建物が密集している。なんと不均衡な土地の利用の仕方だろう。住宅地の人々は、この、利用されていない敷地をどう見ているのか。















201207021_003.JPGさらに行くと、踏切がある。もちろん、警報機や遮断機は撤去されているが、柵には「大山…」と書かれていた。

201207021_007.JPG踏切をはさんで、さらに奥(南)を見る。

201207021_012.JPG201207021_013.JPG201207021_004.JPGもう少しだけ、続く。
 

鹿島鉄道のレール撤去作業

鹿島鉄道のレール撤去作業

廃線跡

20120701_001.JPG2012年6月30日、日立電鉄の廃車体を見るついでに、鹿島鉄道の廃線跡も見ておこう…くらいの気持ちでいくつかの踏切跡などを写真に撮っていた。ここは坂戸駅の西に二つ目の踏切である。すると、なにやら重機の音がする。





20120701_000.JPG




これは!


坂戸駅の東側には取り外されたレールが山になっているのを見ていたので、これはなにかの作業をするに違いないと思い、先回りして西側一つ目の踏切で待った。














果たして。

20120701_002.JPGきた!


歩くより遅いスピードで、茂みの影から現れた。そして、道路の手前で一時停止し、頃合いを見て横切っていく。見れば、レールを引きずっている!

重機がひとりで動いている姿というのはとても怖いというか不気味というか(失礼!)。かつて、西表島の縦走コースを一人で歩いていたとき、道幅いっぱいに走る重機に追いついてしまい、やむなく走って追い越し、その後しばらく追いかけられた…いや、歩くより少し遅いくらいのスピードなのでしょうがないのだが、あれは恐ろしかった。


閑話休題。
この部分はスマホで動画を撮った。

こういう感じでズリズリと引きずっている。そして、またしても先回りして出迎える。

20120701_003.JPG20120701_004.JPGこのように、レールをまたぎつつ、引きずってきたレールをそこに安置した。

20120701_005.JPG

ひと作業終えたところで、作業していた方が降りてきたので挨拶した。次いで、「相方さん」が軽トラでやってきて、いろいろと教えてくれた。その間に、重機の方は戻っていった。

-この撤去作業は4月23日から始めた。
-事前に一人がレールの継ぎ目プレートの片方だけをはずしておく。
-もう一人が、重機でレールを枕木からはがす。それは、軌匡の下にレールを突っ込み、それを重機で持ち上げるようにして、かつ重機で枕木を踏んずけたままバックすると、レールが外れる。
-レールは8本まとめて移動する。つぎめプレートに特製のチェーンを巻き、それを重機で引っ張る。
-このやり方は自分たちで考えた。特許だ。(注:それは冗談で、動画の公開もokをいただきました)
-レールをはがすだけなら、1日1kmくらいできる。
-踏切部分は作業しない。
-撤去作業はほぼすべてその方たち(地元の方、2人? 3人?)が請け負った…

どうやら今日はここまでで終了のようなので、いったんクルマに戻って休んでいたら、また重機が来た! そして、レール撤去の準備をしている!

その前に、坂戸から鉾田方面を見たレールの現状、というか最後の姿。
20120701_006.JPGうねっているのは震災や大雨の影響か。まだこの区間には重機が入ったことはないようだ。

























20120701_007.JPGまず、枕木を1本抜く。

20120701_008.JPGそこに、短いレールを差し込み、引き上げながらバックする。

20120701_009.JPGレールはぐねぐねと躍る。

20120701_010.JPGレールを外したら、ひとまずまとめる。

これを繰り返す。

動画で。

2回目、さらに奥の2本の作業。
20120701_011.JPG…を終えて、

20120701_013.JPGレールを、「はがし用レール」とともに持ち帰ってくる図。

20120701_012.JPGレールをはがした枕木はこのようになる。

20120701_014.JPGレールはこうして引っ張ってくる。継ぎ目板の使い方がうまい。

20120701_015.JPGチェーンと板をつないだこれは自作。

このあと、犬釘は拾えるものは拾い、枕木に刺さっているものは引っこ抜いてすべて回収する。レールも含めて、すべてくず鉄として再利用される。いまはトンあたり(40kgレールなので、イコール1本あたり)2万数千円程度とのこと。北京オリンピックの頃はその倍以上だったらしい。くず鉄の相場は高下が激しい。

枕木は全部で3万7000本ほどあるらしく、木枕木は産廃として処分する。燃料として使う施設があるとのこと。割れ留め(枕木の両端にある輪っか)ははずす。鹿島鉄道の枕木は栗で、防腐剤を施していない。一部にPC枕木があり、その区間は線路がボルトで固定されているため、手作業でレールをはずすとのこと。ここに紹介した便利な方法は使えないらしい。

別の業者が少しだけ作業したところは、犬釘は手作業ではずしたそう。保線経験者が関係すると、レールを切断することすら嫌がるので、作業はとても丁寧になってしまうそうだ。

また、石岡駅では、軌匡を10mごとに切断した上で軌匡ごと重機で持ち上げ、揺さぶって枕木を落としたとのこと。いろいろなやり方があるものだ。繰り返すが、ここで紹介した方法は、作業しているお二人が考案したものである。



鹿島鉄道の廃止から5年。放置が長かったので、継ぎ目板のボルトを外すのも骨が折れたとか。

その5年間に、配線類、レールボンドのような純度の高い銅は盗難に遭い、踏切関係の部品や駅の部品、はては信号機まで盗難があったそうだ。銅はそのスジだろうが、ほかは鉄道マニアだったりするのだろうか。するのだろうな。作業を見ていた私は「レール持って帰るか?」などと冗談で言われたが、それはもちろん冗談で、記念に、比較的形がきれいな犬釘を持たせてくれた。


あと数日で、レールはほぼすべてなくなる。明日(もう今日)の朝イチで現地に行けば、撤去作業は見られるはずだ。作業している方お二人とその仲間は、しきりに「80年も走っていたんだもんなあ」と言っていた。作業していると、沿線のいろいろな人に声をかけられ、50年前のエピソードなどを聞かされるとか。沿線の人々には、かしてつの歴史が染みこんでいる。作業していたおふたるも「鹿島鉄道」とは言わず「カンテツ」(関東鉄道)と言っていた。

貴重な瞬間に立ち会えて、幸運だった。
偶然出くわした私に作業を見学させていただいたMさんKさん、ありがとうございました。




 

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その2

廃線跡

東新潟港駅付近の廃線跡(昼)その1 の続き。

20120630_001.JPG東新潟港駅から南へ行くと、国道113号があり、そこに踏切跡がある。そこから逃がし新潟公益側を見ると、こんな木が育っていた。



20120630_004.JPG冒頭の写真右側の敷地内は、近所の家の物置になっていた。…と、おばちゃんが線路を横切っていった。

20120630_000.JPG冒頭の写真の左側は、このようにレールが途絶していた。なんとも中途半端な撤去状況。

20120630_006.JPGたぶん出発信号機。

国道を挟んで反対側を見る。
20120630_099.jpg右に詰所。国道を渡った2組の線路は、ここでひとつに重なる。…と、左のポイント、トングレールがない。撤去されたか盗難か。

20120630_010.JPG詰所手前には勾配標。

20120630_008.JPG詰所の中。平成10年(1998年)12月8日改訂の時刻表、1999年1月のカレンダー。右奥には昭和50年代半ばっぽい木目調のクーラーが見えている。時が止まった。

20120630_012.JPG詰所の横あたりから北を見て、国道113号。

20120630_003.JPGポイント付近のケーブル。このように溝をきちんと作り、そこに収めたいる。全国の線路脇には、恐ろしい数の、こうした細かい函がある。

20120630_007.JPGあわれ、警報機。身をすべて取られ、頭と背骨だけになった魚のようだ。


(続く)

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