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座主橋(宮城県)

座主橋(宮城県)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)

20120721_011.JPG宮城県の鳴子温泉から山三つ東側、国道398号が花山湖を渡るところに架かっている座主橋…の旧道。現在は人道橋として利用されている。この日は雨が降っていたということもあり、迂闊にも、遠方からのシチサン写真または真横の写真がない。美しいmポニートラスのカンチレバートラスなのに。

上の写真は北側(左岸)、ここでブヨに7箇所食われて、いまだに足に傷跡がある…。

20120721_010.JPG北から南を見る。西側(画像右)が柵で仕切られ、水道管のようなものが2本、設置されている。そのために歩道は東側(画像左)にオフセットされ、写真を撮るときの平衡感覚がおかしくなって、以下の写真ともうまく撮れていない。

こちらには銘板はない。また、柵は人道橋化してから作ったもののようだ。

20120721_005.JPG振り返る形で吊桁と碇着桁の接合部を見る。ピンが2ヶ所に見える。上弦のピンは碇着桁と吊桁をつなぐもの、垂直材上部のピンは、吊桁の構成要素のひとつ…だろうか。

20120721_006.JPG真横(西側のトラス)。

20120721_008.JPG別角度(西側のトラス)。

20120721_007.JPGピンがある垂直材と下弦、床版の接合部(東側のトラス)。床版の境から左が碇着桁、右が吊桁。

20120721_004.JPG吊桁の中央付近から振り向く。各碇着桁は頂部の吊桁側で3ヶ所、左右のトラスの上弦を横桁が結んでいる。

20120721_002.JPG南側の、碇着桁と吊桁の接合部。北側と違い、垂直材にピンはない。

20120721_003.JPGその下弦部。

20120721_001.JPG南側から北側を。

20120721_000.JPG南側。こうして見ると、左右のトラスを結ぶ横桁が合計6ヶ所あるのがわかる。

20120721_013.jpg南側には銘板がある。

昭和30年(1955)
宮城縣建造
内示 昭和14年二等橋
製作 ●●所

製造所は、現地で読んだ記憶では浅野造船なのだが、この写真では読めない…。ご教示ください…。

***

冒頭の写真に戻る。
20120721_011.JPGこの写真、橋の左側の湖面に橋脚跡のようなものがある。この座主橋が旧橋なので、これは旧旧橋にあたる。

肉眼では、橋脚跡付近に路面が見えたが、ちょっと全体の色味を調整してみると…

20120721_009.JPG橋脚跡かと思った突起は、旧旧橋の親柱だ。親柱から左は路面が残り、写真下に向けてデルタ状に広がっている。そこはもう陸地だったかのようにも見える。





最後に。
20120721_012.JPGこの座主橋、塗色がおかしい。緑と肌色のツートン。こんなツートンは、京都の木津川にかかる笠置橋しか見たことがない。また、垂直材の褪せた肌色の下からは、黄色が見えている。

この座主橋、銀色に塗装したら映えると思うよ!



 
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『JRの本』から考える1987年頃から1993年頃までの空気

『JRの本』から考える1987年頃から1993年頃までの空気

独言・日記

20120720_-r000.JPG山と渓谷社刊『JRの本』(写真 小川金治・井上広和、解説 JRR)を古書で買った。ちょっとカビ臭かった。この本の存在はtwitter上で@team185さんに教えていただいた。国鉄がJRになった当時の駅構内の売店などの写真が多数掲載されているとのことで、興味を持った。

20120720_-r003.JPGなるほど、これは貴重だ。フィルムの時代、撮るとすれば駅舎や駅名標がせいぜいで、このようなものを撮っている人など皆無に近いだろう。本書では、国鉄がJRになった、その違いを記録するために撮り続けたのだろう、それが今では非常に珍しい記録となった。


どの店舗も、いかにも1980年代後半からのテイストである。写っている女性は前髪を立て、眉は太く、唇は赤く、肩パットの入った上着にハイウエストのタイトスカートをはいていたりする。いまではバブル期の「バカ」みたいなニュアンスで語られることが多い。

この時代の店舗の装飾やファッションは、「いま」見るととても古くさくて垢抜けない。そりゃそうだ、風俗は変化するものだし、新しい風俗は、常に古い風俗を「古い」とバカにすることで成り立つ。でも、ここに、ちょっとちくちくするものを感じるのは私だけではないはずだ。

なにしろ、自分が十代後半の時代である。多感なその時代の自分をいまの視線で眺められているような、自分の厨二時代を暴かれているような、そんなちくちく。

20120720_-r004.JPGこのロゴ、いまなら、たぶん「街観察大好き」な奴らがみたら、嘲笑するに違いない。

でも、待てよ、と。これはこういう時代だったんだ。定規と鉛筆が大切だった時代。いまみたいに、小学生がタダでもらってきたPCですらベジェ曲線でお絵かきと色塗りができてしまうような世界など、夢のまた夢の時代。だからこそ、このロゴには価値があるし、その裏には「なんとかいいものにしよう」「愛されるロゴにしよう」という、作り手の気持ちが見えてくる。見えてくるのは「一所懸命な気持ち」だ。

この時代は、「軽いもの」「表面的なもの」がもてはやされた一方で、こうした地道なものも確かにあった。軽めなものをもてはやす人は、地道なものをばかにした。こんなことは語り尽くされているし、当時でさえ、地道な人の気持ちを描いたストーリーというものはいくつも存在した。

20120720_-r006.JPG不要になった貨車を店舗に使い、輝かしい未来があると信じている中学生や高校生をターゲットにした店舗を作る。なんと一所懸命な気持ちだろう。いまなら企画の提案すらできないかもしれないが、国鉄からJRに変わる時代には、これができた。これをする人がいた。

20120720_-r007.JPG食堂車を改装したレストランもたくさんあった。写真を見ると、なるほどすてきな内装である。その後は、この手の店舗のほとんどはうまくいかなくなって解体されるのだが、もし現代まで営業を続けられていたら、いまこそ花開いたかもしれないと思う。

こうした、車両を改造した店舗の写真もたくさん載っている。

20120720_-r005.JPGこの流れで行くと、当時の私でさえ「ひでえ配色だ」と思った数々の車両意匠も理解ができる。デザインの基本すら知らない人たちが、なんとかいいものにしようともがいた結果がこうした配色なのだとしたら、それを「ひでえ」と思うことは控えたいと思う。

いや、こんなことは私の考えすぎで、もしかしたら当時は「ノリ」でこれらのことすべてをやってしまっていたという可能性もあるのだが、まあそれはそれで。


いわゆるバブル期に、バブルに踊ることなく「国鉄からJRへ」という周囲の期待感と内部の後押し感の中で、さまざまなことにチャレンジした人たち。本書には、その姿と成果が、たくさん記録されている。そのほとんどがほどなく失敗に帰したとしても、これはその記録である。

* * *
 
以上のような思いとは別に、本書には私が貴重だと思う写真がふたつある。

20120720_-r002.JPGひとつめは、JR東海の浜松工場。なんと、911が検査を受けている。要検なのか全検なのかはわからないが、台車は切り離され、車体にはパテが盛られている。

20120720_-r001.JPGもうひとつは、DML61S/Zを使ったJR北海道苗穂工場のコージェネシステムだ。説明文によればDD51とDE10から捻出したエンジンとある。

興味深いのは、さらに「安価に効率よく高エネルギーを得られる」とあることだ。これはどうだろう? コージェネで使うエンジンは、鉄道車両用エンジンのように回転数を制御することが前提のもではなく、最大出力を発揮する回転数で定速を維持し、また熱交換機も相当に高いスペックを要求されるものだ。そう考えると「安価に効率よく」というのが書き手の知識不足ではないかと思う。そもそもDML61シリーズの効率はけっしてよくはない。




No Image

「ソリューション」してどこへ行くのか

独言・日記

ある「ソリューション事業」を見学した。例えて言えば、インターフェースでソリューション、みたいな事業。すべて予想できる内容で、まあこういう機能を持たせたがるだろうな、というものだった。もともと、「ソリューション」という単語に虫酸が走るのは昔からで、電子書籍関係を推進する事業者にも似たような感情を持っている。

先日、Googleはどこへ行くのか、というような記事があった。ちょっと記事が見つからないので曖昧な記憶を便りに書くと、Googleが目指す未来は、例えば男が女の部屋に遊びに行ったときにまずするのはスマホをいじること、ふたりでVR眼鏡をかけて映像を見ること、みたいなことだった。そこに人間はいるのか? みたいな内容の記事。インターフェースでソリューション、みたいな事業は、これと同じ臭いがプンプンする。



例えば。

ある通販雑誌にスマホをかざすと、誌面にはバーコードもなにもないのに、通販雑誌のサイトがスマホに表示され、そこにモデルが踊る動画が表示される。……いや、検索画面で通販サイトを表示すればいいじゃん。

クルマのカタログにバーコードを置くと、それをPCのカメラが読み取ってPCの画面にクルマの立体画像を表示する。別のバーコードを読ませると、クルマが回転したりスケルトンになったりする。運転席からの眺めをCGで流せる。……いや、フラッシュで作れるじゃん。運転席からの眺めはCGじゃなくて実写でいいじゃん。



一体、誰がそんな「一手間」かけてソレを見るのだ?
そして、誰がそんな「一手間」を作るのだ?
コンテンツを持たないところは、こうした事項の「編集」もできないのか?
できないのだろうな。「ソリューション」とは解決策を提示する手法であり、コンテンツそのものを提供するシステムではない。
なお、お金になるかどうかはいまは問わないでおく。要するに顧客サービスだから。

時々SONYとappleを比較する発言を見るけれど、SONYはこれ。appleは違った。そういうことだと、私は思う。SONYで言えば、walkmanの時代は逆だった。walkmanは「ユーザーしか見てない造り」だった。しかし、いまの音楽ダウンロードサービスは……。

これは、いまの電子書籍を取り巻く環境と軌を一にしている。「書店」が乱立するけれど、それは読者不在でもあるので売れ行きも見込めず、結局普及していない。iPadが出て何年になる? ナントカソリューションとか言う前に、電書のソリューションをまずやりなさい。「箱は造った、中身はこれから考える」じゃダメなんだよ。先に中身があって「これをどうやって入れようか」を考えるのが、商売だろうよ。きっと、箱を先に造ることは比較的簡単にできて、中身を造ることは容易でない。だって、いまある箱なんて、みんな似たり寄ったりだし、A社の箱の要素をB社に「造って」と頼めば造ってくれるような違いしかないもの。

今回の見学では、私が思っていたことを裏付けることができてホッとした。私の電子書籍の捉え方は間違っていないのだな、と。

寄居駅の木造待合室など

寄居駅の木造待合室など

鉄道

寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)の続き。

20120714_000.JPG寄居駅のJR八高線ホームには、とても好もしい木造待合室がある。これは、秩父鉄道のホームからの撮影。

20120714_008.JPG北口の構外から撮るとこう。瓦屋根の建築で、ほぼ真ん中あたりに臭突(換気扇、通称「王子様」)がある。

20120714_012.JPG先に紹介した跨線橋から降りると、真正面が待合室の妻面である。それを生かす形で、H型鋼を支柱とするホーム上屋が掛けられている。

20120714_014.JPG中(東側)は、思ったより狭い。興味深いのはその骨組みだ。通常の屋根の組み方とは違う。

20120714_013.JPGおなじみ「建物財産標」。ここには「詰所5号 昭和7年 月 日」というタイル状のものがあるのだが、その下にも木製の同じものがある。両側が欠けているが、「(建)物財産標」となっているので、これが更新されたのだろう。

* * *

秩父鉄道のホームの待合室には、なんと立ち食い蕎麦屋がある。

20120714_002.JPG
20120714_003.JPG外観は、プレハブ詰所のようだった。その手前のホーム上屋の支持柱は、カーネギー製、1897年。どこを流転してここに来たのだろう?

20120714_001.JPGホーム上屋。古レールがふんだんに使われている。

20120714_005.JPG長野電鉄屋代駅の駅名表示板と同じように、白い部分がほぼすべて脱落し、透明な看板になってしまっている。

20120714_004.JPGこんな洗面台があった。JRなら、とっくに新しいものに更新するだろう。でも、これがいい。
 

寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)

寄居駅の跨線橋(駅舎-八高線)

跨線橋

20120714_007.JPGJR八高線、東武東上線、秩父鉄道の結節点たる寄居駅。管理は秩父鉄道で、3面あるホームのうち、秩父鉄道が発着する中央(3・4番線)のホームに最適なように駅舎がある。

この橋上駅舎から伸びる跨線橋がおもしろい。ネットの地図の衛星写真で見ると、駅の南北をつなぐ自由通路と、それとは別に駅舎部分から南(東上線)北(八高線)のホームに古い跨線橋が延びている。今回は、北側、八高線のホームに延びる跨線橋を見る。

20120714_006.JPG真横から見る。左端、「寄居駅(北口)」とあるのは橋上駅舎の出入口、自由通路。そこではなく、奥の跨線橋の階段を見てほしい。

どう見ても、古い跨線橋の一部を使い、その「上」と「下」に階段を継ぎ足して橋上駅舎の高さに持ち上げている。古い部分の支柱は古レール、新しい部分は当然、鉄骨だ。

「上」の階段を中から見る。
20120714_009.JPG橋上駅舎と同じ高さの新設部分から。中央に見える踊り場が、旧跨線橋の一部。

20120714_010.JPG
新設部分と古い部分の接合部。

20120714_011.JPG古い部分の支柱は古レール。見れば、部材を剥がした跡がある。

20120714_017.JPG「下」の階段(新設部分)を外から。

20120714_016.JPG20120714_015.JPG中央部分を支える古レール。シェフィールド、1884年。奥はウニオン、1887年。125年以上前にアメリカやドイツで造られたレールが、何度か転用されるうちに、最後のお勤めとしてこうして支柱になったのだろう。いまもこうして使われているのが嬉しい。

<関連項目>
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)
小川町駅の跨線橋(東上線-八高線)

全鉱・全日本金属鉱山労働組合連合会

全鉱・全日本金属鉱山労働組合連合会

標章・ロゴ

松尾歴史民俗資料館というところに行ってきた。名称は「歴史民俗」であるが、事実上、松尾鉱山の資料館である。資料館前には松尾鉱山鉄道の電気機関車、ED251まで展示してある。しかし、公式サイトはなく、八幡平市観光案内データベースにも「先人が古くから使ってきた馬ソリや長持などの生活用具、周辺の縄文遺跡から出土した土器、かつて東洋一の硫黄鉱山として栄え「雲上の楽園」と呼ばれた松尾鉱山の関係資料を展示しています。」というような紹介しかなされていない。なんというか、とてもひどいと思う。

大変な資料、それも原本を自由に閲覧できるのだが、なかからふたつ。

20120715_000.JPG松尾工業の社章。

20120715_001.JPGそれと対峙する、労働組合旗。「FML 全鉱 松尾鉱業本社労働組合」。

全鉱とは「全日本金属鉱山労働組合連合会」のこと。全鉱連ともいうようで、どちらの言い方がメジャーなのかはわからない。検索してもほとんどヒットしない。しかし、一時は総評議長をも輩出した労組の連合である。


この資料館はすごい。生の資料を直に閲覧できるだけでなく、末鉱山の経営史、労働者史が併存している。もちろん、わたしなどには労働者史がどれだけの重さ(軽さ)で扱われているのかすらわからないのだが、こうして露組合旗が飾ってあるということで、ある程度は目安となるだろう。


なお、屋外のED251についての資料も多々ある。ぜひ。


小川町駅の跨線橋(東上線-八高線)

小川町駅の跨線橋(東上線-八高線)

跨線橋

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋
小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)の続き。

20120712_008.JPGこの写真の、左側に少しだけ見えている跨線橋。右の白い3主桁の跨線橋とは明らかに様子が異なる。

20120713_001.JPG東上線3・4番線から八高線5・6番線を見る。階段部分、踊り場より下は改良されたことが見て取れる。

20120713_002.JPG5・6番線から見る。

20120713_003.JPG反対側。

トラスはなかなか複雑に組まれていて、上弦と脚が古レールで下弦と斜材はアングル材。しかし…

20120713_004.JPG桁の下部には3本の古レールが縦桁として使われている。下弦同士を結ぶ横桁も古レールだ。床版は木製。

20120713_000.JPG跨線橋内部。狭い。屋根の△もアングル材で組まれている。

さて、脚。

20120713_006.JPGなんとか細い! これで大丈夫なのかと心配になってしまう。脚の間を対角線状につなぐ部材は、上は古レール、下はナシ。古レールは小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)で触れたのと同じように突き合わせて溶接されている。下部がないのは、3・4番線のものは後年の補強が入っていることを考えると、利用者の数の差だろう。

20120713_007.JPG振り向いて階段を向く。踊り場の下に新しい橋脚。

20120713_008.JPG階段部分の下部、横桁に古レール。その古レールは、階段部分の縦桁(というのか?)に突き合わせて溶接されている。

20120713_005.JPG脚、他の部分もこんな溶接。ほんとうに大丈夫なのか、と思ってしまう。

* * *

小川町駅は会社の上司が利用しているのだが、3主桁の跨線橋についても中央の手すりのようなものが古レールであることすら知らなかったそうだ。まあ、普通の人はそうだよな…。





小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋(再訪)

跨線橋

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋の続き。再訪した。

20120712_000.JPGどうですか、この3・4番線の跨線橋の脚。

ここ東上線小川町駅の跨線橋は、1・2番線から3・4番線に渡るものが古レールで組まれたプラットトラスで、なんと3主桁なのである。3・4番線から5・6番線への跨線橋はまた別の機会に紹介する。

さて、その3主桁。今回はたくさん写真を撮ってきた。

20120712_001.JPG1・2番線から裏側を見る。トラスの下弦にあたる古レールは横倒しに使われている。即ち底面と頭頂部がレール方向、側面が天地方向になっている。見た目だけで書くと、割と適当にガセット当ててリベット留めしてあるように見える…。床版はコンクリート。

3主桁になった理由は現時点ではまったく不明だが、おそらく右側(東=池袋方)の幅で造られた跨線橋に、左側(西=寄居方)を添接したのだと推測する。よく見ると、横桁(画像で横方向=線路方向の部材)と下弦(写真で手前→奥行き方向=枕木方向の部材)の付け方が、明らかに右と左と出異なっているからだ。

下記に掲載するが、当初の姿をそのように推測すると、「1・2番線ホームから5・6番線ホームまでの跨線橋が一直線になる。脚も、中央右のもののほうがより古く見える。また、中央の下弦のレールと右の下弦のレールが底面同士で向き合っている。なお、右の箱状の脚はエレベーターである。

20120712_002.JPG角度を変えて。ホームの屋根を切り欠いている。3・4番線のホーム上屋(向こう側)は古レール支柱だが、こちら1・2番線のものは鉄骨を使った新しいもの。

20120712_003.JPG中。1・2番線側から3・4番線側を見る。画像右側の通路が「最初に造られた跨線橋」、左側は添接されたものと推測する。屋根を後から掛けたものとすると、頭上の横桁は、右側の通路の上で基本的に完結していて、トラス桁との接合部も対照的になっている。左側の頭上の横桁は、いかにも継ぎましたという感じで、事実、中央のトラス桁の上ですべて継ぎ目板を当てて接合されている。当初から3主桁で造られたのであれば、頭上の横桁は1本のレールにしたほうが手間が少なく強度としてもあるはずだ。

20120712_004.JPG添接されたと推測する側。中央のトラス桁の上弦と頭上の横桁との関係が、おかしい。

20120712_007.JPG3・4番線に降りる階段。こちらは鉄骨で組まれている。

20120712_009.JPG3・4番線の脚。東から西を見る。なんというバラバラ加減。

20120712_013.JPG西から東を見る。

奥の脚、対角線を結ぶ部材は…
20120712_010.JPGなんだか不安定だなあ…。
いや、曲がらなければ理にかなってはいるとおもう。

20120712_011.JPG横から見るとこんな。奥が4・5・6番線。脚は3本のレールから成っているが、1本、太さが異なるレールが使われている。

説明しづらいが、線路方向の面の上部の「□の中に×」と下部のソレ、部材が異なる。上は前日したとおり、一つの対角線を1本のレールが、もう一つの対角線は中央で切断された2本のレールが使われている。一方、下部の「□の中に×」の部材は、I型鋼やL字アングルである。下部のほうはあとから補強したのだろう。


ながくなるので続く。

日鉄赤谷鉱業所専用軌道跡に残るプレートガーダー

日鉄赤谷鉱業所専用軌道跡に残るプレートガーダー

鈑桁(プレートガーダー)

昭和59年(1984年)3月末に廃止された国鉄赤谷線の、東赤谷駅の先に日鉄赤谷鉱業所の専用軌道があったのは広く知られている。平成10年(1998年)に廃止になった…はず。いま思えば、クルマやバイクなら自宅から1時間ちょっとで行ける場所にこんな鉄道があったなんてにわかには信じ難いが、自転車で30分の距離にあった専用線すら行ってないのだから灯台もと暗しというかなんというか。

周辺にはひとつ有名なプラットトラスがあるのだが、今回はこちらの鈑桁。

20120711_003.JPGけっこうな高さがある。スパンは十数メートル程度か。このプレートガーダーは、まるでターンテーブルの桁のような魚腹型をしている。この手の桁は、ターンテーブルとかクレーンのビームでしか見ない気がする。桁の中央部がもっとも力がかかるので理にかなってはいるのだけれど、不自然さは残る。

桁の向こう側には旧橋の橋台が残る。

20120711_001.JPG向かって右の柵ごしに。

20120711_000.JPGその柵の手前には駒止つきの路盤跡。画面左下方向には比較的新しいコンクリート製の隧道があり、数メートル奥でコンクリートで封鎖されている。

20120711_002.JPG対岸から桁の上面。こうしてみると、軌道幅610mmというものの「狭さ」がよくわかる。同時に、ここまで幅広いフランジ(桁上面。I型の桁の上面)が必要なのかとも思ってしまう。もっとフランジ幅を狭くしてもいいのでは?



なかなか厳しい場所にあり、桁を接近しづらい。この桁の出自がわかると面白いのだけれど。


三菱灯油の太陽のマーク(三菱石油)

三菱灯油の太陽のマーク(三菱石油)

三菱石油/日石三菱

20120709_000.JPGハイキングというか、そういう感じの人たちがたくさんくつろいでいる聖湖のすぐ近くに、三菱石油がある。勾配の途中にあるので、真正面から撮ろうとすると、迷う。偶然、ネットでこの給油所を見つけて行ってみたのだけれど、そこに掲載されていた状態からずいぶんと劣化してしまったようだ。数年前まではきれいだったようだ。

20120709_005.JPGサービスルームの真正面にはガソリンの計量器。右のメーターの上には「ダイヤモンド」。メーターの下には、ほとんど読めないけれど「有鉛」。左のメータの下には「無鉛」。この計量器は昭和47年10月タツノ製、型式はSW-722、使用期限は昭和52年10月。

ということは、閉鎖されてから25年以上たっているというのか。

サービスルームの庇に書かれた「三菱石油聖高原給油所」、こういう直線的な字体は大好きだ。1990年代後半からずっと人気が高い、なんというのだろう、カタカナにマッチするフォントに通じるものがある。右の破れた窓に描かれた文字は「マスヤ石油」と読める。計量器の左に転がっているのは、タイヤ保管庫だろうか。

20120709_001.JPG北側の防火壁。南に面している。

20120709_004.JPG南側の防火壁。北に面しているからか、こちらは色が残っている。オレンジの上に小豆色、そのさらに上にスリーダイヤを貼り付けたように見える。

20120709_003.JPGVeedol MOTOR OIL。Hi DIAMOND HI-DELUXE。これは正面奥、東を向いている。

20120709_009.JPGNO SMOKING。

20120709_008.JPGサービスルームに向かって右にあるこの計量器は、ガソリン? 銘板から文字は消えているが、刻印が「SPM-605」「43年10月」とある。

そして。
20120709_002.JPG三菱灯油。子どもの頃、空き地によく一斗缶が転がっていた。そこにはたいてい、この太陽のマークが描かれていた。この計量器のものは手書き。ここで働いていた人の動きが見えるようだ。

太陽マークに出会えないかちょっと気にかけていたのだけれど、やっと出会えた。…どこかに一斗缶が転がっていないだろうか?

 

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