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郊外住宅街のワムハチ

郊外住宅街のワムハチ

鉄道車両廃車体

20120529_003.JPG新潟の郊外の県道2号、巻付近を走っていたら、こんなふうに茶色いワム80000が目に飛び込んできた。

20120529_000.JPG普通に街中。ワムハチを撮るためにカメラを出して周囲をうろうろするのにちょっと躊躇してしまう感じ。

20120529_001.JPGワム585○44。

20120529_002.JPG日本車輌/輸送機工業 昭和44年
日本国有鉄道 名古屋工場 昭和49年改造

場所はここ。




 
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榛原川橋(静岡県)

榛原川橋(静岡県)

隧道・廃隧道

20120528_002.JPG来る6月9日(土)にカルカルで開催される『眠る鉄道ナイト』に向けて、出演者の丸田祥三さん(写真家、@malta_shozo)、江上英樹さん(小学館、@TETSUHEN)と、静岡県に出かけた。その道中に目にした道路付け替え跡の廃橋。

画像左が現道で、曲線鈑桁でなめらかに川を横切っているが、かつては画像右の旧橋のように、右岸の道路から直角に曲がる形で榛原川橋(旧橋)を渡り、こちら側に来ていた。

20120528_001.JPG新しい橋は、昭和61年9月竣功。

20120528_006.JPG旧橋へのアプローチを、右岸側から、しかも振り返って。

20120528_005.JPG旧橋を渡り、右岸側から。ほとんど現役のように見える。

20120528_004.JPG左岸側親柱「榛原川橋」。

20120528_003.JPG左岸側親柱「昭和33年8月竣功」。ということは、現道に写るまで、たった28年しか利用されなかった桁。

コンクリート製の橋脚に、コンクリート製の桁。まるで鉄建公団規格の鉄道用桁のようだった。


 

越後交通の廃線跡

越後交通の廃線跡

廃線跡

20120527_013.JPG新潟に育ちながら、ついに現役時代を見ることがなかった越後交通長岡線。小学生だからというわけでもなく、最末期はすでに働いていたが、鉄道趣味から相当に遠ざかっていたので、関心すらないまま、いつのまにかなくなっていた。

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)
越後交通与板駅跡の日通倉庫
の記事でも書いたが、4月末に付近を原付で訪問した際の写真を一部、アップする。もっと多くの写真をFlickrにアップしているので、ぜひそちらもご覧いただきたい。すべて、意図的にコントラストを高め、色調を触っている。

レポートなど、既にすばらしいものが山とあるので、私などが出る幕はない。

20120527_001.JPG20120527_002.JPG20120527_006.JPG

20120527_014.JPG20120527_016.JPG20120527_009.JPG20120527_011.JPG20120527_015.JPG20120527_008.JPG20120527_005.JPG
 

ENEOSへの華麗な変身

ENEOSへの華麗な変身

三菱石油/日石三菱

20120526.jpgなぜこんな場所にあるのだろう。新潟の平島あたりの大きな通りから、ほとんど見えない路地にひっそりとあった。見つけたのはまったくの偶然だ。

サービスルームの上部に品よく、ほどよい大きさのENEOSのロゴ。サインポールも2階建ての屋根くらいの高さしかなく、威圧感がない。正面窓は大きな一枚ガラス、側面は引き違い戸。

計量機はひとつ、ガソリンとハイオクのみに見えるが、見えない位置に灯油のそれがある。こんな規模でも、敷地内は整頓され、お約束として消化器が活躍する場もなく無聊を託っている。…託ったままでいるべきだが。サービルルームの後部、下部が斜めに切り取られた板があるのは防火壁兼用なのか。

まるで、ENEOSのカラーリングにあわせたかのような給油所。しかし。

スタンドラリーのサイトを見て驚いた。JOMOじゃないか。緑一色の防火壁も、緑の計量機も、まったく「ひどい」としか言いようがない。水道のホースが水色であることすら気に障る。コスモだってここまではひどくないのではないか。近隣住民は、ENEOSになってさぞ心安らぐ空間になったことと思う。

ここは、JOMOになる前は、どのブランドだったのだろうか。そのデザインも見てみたい。


 

まるで自家用給油所のような出光

まるで自家用給油所のような出光

出光

20120526_001.JPG新潟県の、とある県道を走っていると、計量機がひとつ、目に飛び込んできた。道路は写真で言うと右の画面外にあり、道路と並行して短い防火壁がひとつ。そして給油所の両側は道、ないし道のようなもの。防火壁の向こうには、平屋の民家。あまりじろじろみなかったのだが、工務店のような印象も持った。

20120526_000.JPGガソリンの計量器がひとつだけある。この給油所のある場所は水平ではないため、防火壁も斜めになっている。

20120526_002.JPG防火壁の、出光のロゴとアポロ。「出」の背後に、二回りくらい大きな文字が消えかけているが、これはなんだろう?

20120526_005.JPG防火壁側から道路を見る。

20120526_004.jpgトキコの計量器には、「修理年月日 昭和62年」という打刻があった。その銘板は、東京エンヂニヤー・サービスとトキコのコンビで、型式はSS23とある。

東京エンヂニヤー・サービスはタツノ系、トキコは日立系。このあたりの系譜もおもしろそうだ。


【2012/5/26追記】
@g_standさんより、出光ロゴの後ろに見えているのは出光灯油の炎のマークで、その下に「出光灯油」と書いてあった痕跡が見えるとのこと。さらに、防火壁の下部の薄い水色のラインは出光灯油の塗装パターンであるとも教えていただいた。ありがとうございました。


 

越後交通与板駅跡の日通倉庫

越後交通与板駅跡の日通倉庫

農業倉庫・日通倉庫

20120525_004.JPG与板の街中には、いまだ越後交通の廃線跡が堂々と残っている。ホーム跡も容易にわかる。関係建築物を解体したものと思しき残骸もある。更地化したところは、運送会社の駐車場になっている。

もっとも、駅(跡)は街の中心ではなく、住宅地が尽きてそろそろ他の用途、たとえば田畑や山になろうかというあたりにあるので、残っているのもむべなるかなと思う。西に向かう廃線跡は遊歩道になっている。

さて、上の写真の写っているのは、日通の倉庫である。

20120525_000.JPG倉庫内は無人のようだったので(撮影は祝日の土曜日)、前に停まっているクルマは近所の人のものだろうか。

この建物は、「鉄道の駅舎だ」と言っても信じてもらえそうな形をしている。

20120525_002.JPG角度を変えて。妻面に掲げられている「日本通運」。中央の円形はもう読めないが、「通」のロゴマークと推察できる。

サッシはすべてアルミ(?)化しているが、その外枠は木製のまま。そして、波板(トタン?)や細い凹型が入った板を巻いたこういう外装は、新潟ではよく見るのだけれど、他の地域ではどうなのだろう?

20120525_003.JPG反対側の妻面。道路に面しているためか、3枚の戸。この、おそらく木製フレームに金属板を打ち付けた戸も、新潟ではよく見る。冒頭の写真を見ると、その戸袋がおかしな形で飛び出している。そこに、興亜火災の行灯がある。

いま気づいたのだが、ここに見える鬼瓦の下の瓦は三つ巴だ(反対側は無地)。五十公野の農業倉庫も三つ巴だった。

20120525_001.JPG一周して正面。正面玄関…と思しきところは実は玄関ではなく、その左隣りが玄関なのだが、その「思しきところ」にはこんな標識があった。上から

「電話一一七番」(縦長。時報じゃないのか?)
「電話 44」(楕円/電電公社マーク)
「電話117」)楕円/電電公社マーク)
電話番号2桁ということは、相当に古い建物で、かつ公共性が高い建物だったということだろう。


この日通倉庫は現役で使われている。撮影した日はたまたま休業だったらしいので、近寄ったり撮影したりできたら、もし関係者が仕事中の場合はご配慮を。

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)

大津農業倉庫(越後鉄道 槙原駅跡)

農業倉庫・日通倉庫




1984年(昭和59年)夏、自転車で新潟から柏崎まで走った際、発見して驚いたのが越後交通の廃線跡。そんなものがあるとはまったく知らず、偶然出くわしたその驚きは、いまも記憶している。PCはおろか携帯電話で検索すればすぐに情報が得られる今日、そんな出会いはなかなかなくなった。その越後鉄道長岡線の廃線跡を、この4月の連休にきちんと訪ねた。部分部分はかつて訪ねたこともあるが、多くの区間をたどろうとしたのは初めてだ。

槙原駅跡。
20120524_001.JPG「駅だったもの」がひとまとめにされ、虚しく朽ちるのを待っていた。しばらく前までは、ここにホームやレールもあったらしいが、整地されて間もないような雰囲気の砂利敷きになっており、ほぼすべてこの一塊に集約されていた。

ところで、背景の倉庫。いかにも鉄道駅の裏手にあった倉庫だ。

20120524_000.JPG右書きで「(大津)大津農業倉庫」とある。最初の「大津」を左に移したのだろうか。ここは現在「JA越後さんとう大津」との表示がある。合従連衡でいまのJA大津ができあがったが、1978年(昭和53年)まで、ここだけでJA大津を名乗っていた。以後、三度の改組を経て、いまは「JA越後さんとう」である。

こうして見ているのは、裏口。鉄道貨車に積み込むほうだ。なぜか、この農業倉庫の正面(写真で言うと「向こう側」)の写真を撮っていない。なんと迂闊な。

* * *
 
冒頭の写真のガレキの中には。
20120524_002.jpg油入地絡過負荷しゃ断器。
形式 H6-AE7-T
定格電圧 7200V
定格電流 100A
変圧器 6600V/110V
定格しゃ断容量 50MVA
極数 3P
周波数 50.60~
ZCT.NO B2394
はずし電圧 AC110V
引はずし電流 1.0/0.8A
○量 74L
総重量 175kg
製作 昭和44年5月
製番 B108926
○○(たぶん日立)製作所


二枚目の写真、左に見えるのは、吉岡材木店という製材所である。その左、緑の部分が、かつての鉄道の敷地。
20120524_003.jpgそこは、このように木材の乾燥のための場所になっていた。ところどころ、枕木が見えている。

ここから振り返ると…
20120524_004.jpgこんな形で路盤が残っている。


20120524_005.jpg製材所前の地面に突き立てられたレール。まるで、墓碑銘のようだ。



 

五十公野の農業倉庫

五十公野の農業倉庫

農業倉庫・日通倉庫

20120523_03.JPGかつて、駅の周辺には倉庫があった。正面の横には日通の倉庫、裏手には農協の倉庫。いま、駅が無人化され、貨物列車も走らなくなって久しくても、あるいは鉄道路線が廃止されても、倉庫だけ残っている場合がある。それが、とても愛おしい。

上の写真は、1984年3月末に廃止された国鉄赤谷線意義美濃駅跡の農業倉庫。手前の道路はかつての線路跡、五十公野駅跡だ。

20120523_05.JPGなんとすてきな文字。右書きで「農業倉庫五十公野支庫」。「農」の中に「民」があり、「野」の中に星がある。

20120523_04.JPG横(南側)から。倉庫そのものは前後対称なのだが、付帯する屋根およびその下の空間が異なる。

20120523_06.JPG正面側(道路側)。この車寄せのような庇の内側、梁は曲がった木材を加工したもの。

20120523_11.JPGその「向こう側」から。新たに設置された車寄せの屋根。

20120523_09.JPG正面玄関向かって左に掲げられた看板。

(新発田)支第43号
新潟食糧事務所
昭和五十九年三月一日設定
国内農産物(米)検査場所

云々。

向かって右にはこんなものが。
政府指定倉庫
(他の文字は読めない)

20120523_08.JPG正面玄関の鬼瓦。「が」にマル、はなんだろう?

* * *

五十公野駅、現役の姿。wikipediaにある写真と同じなのだけれど、私がアップしたものなのだ。

20120523_01.jpg20120523_02.jpg『赤谷線賛歌』など、他の本も探したが、現役時代の農業倉庫の写真はなかった。




 

新潟市内の不可思議な道路

新潟市内の不可思議な道路

道路全般

かつて、柏崎に住む叔母が「新潟は道がおかしいからクルマで走りにくい」と言っていた。それを聞いたのは小学生の時で、4車線の一方通行である東堀通を走っているときだった。自分が免許を持ってる歳でなし、そんなものなのか、と聞き流していたが、いまでもその言葉を覚えているということは、そのときから「新潟の道路は異様なのだ」と思い始めたに違いない。

●東堀と西堀

もっとも知られていたのは、東堀通が西向き、西堀通が東向きの一方通行だったことだ。どちらの通りも、1964年の新潟国体にあわせて堀が埋められ、片側4車線の一方通行になった。それが、2008年に大転換し、対面通行になった。初めて、対面通行になった西堀通を走ったときは、相当に面食らった。

20120522_005.JPG西堀通。右に見えるクリーム色の建物はイタリア軒。4車線の一方通行だったが、それほどの交通量はなかった。

●信濃川左岸の1本入った道

20120522_010.JPGその道が万代橋の橋詰に突き当たるところ。この道も2車線の一方通行。なぜこうなっているのだろう?

左岸ギリギリの道は対面通行。

●東港線バイパス

これはかなり驚く。やはり4車線の一方通行なのだが、中央分離帯のように見えるものがあり、なおかつ陸橋なのである。

20120522_001.JPG信号待ち。

20120522_002.JPG右側の2車線に入る。

20120522_003.JPG陸橋の上。

20120522_004.JPG2車線が1車線に収斂するが、あわせて断絶している車線もある。(撮影時に立っている場所は安全地帯の中)

場所はここ。



カーナビでここを案内されたら、初めての人は絶対に戸惑うはずだ。

●バスセンター南口から流作場(りゅうさくば)交差点

20120522_007.JPG対面通行可と思いきや…

20120522_008.JPGバスも通る、2車線の一方通行。

ここがおもしろいのは、流作場交差点の自転車用横断歩道。

20120522_009.JPG大きな交差点を、まるでクルマのように横断することができる。専用の信号機もある。ここを渡るのが好きだった。

●インターチェンジ出口の車線交錯

場所はここ。

大きな地図で見る


80~90で流れているR49亀田バイパスを新潟方向(北)に向かい、姥ヶ山ICで降りると面食らう。まるで高速道路のようなバイパスを降りると、正面衝突しかねない位置を対向車が走ってくるのだ。

こうなる。
20120522_011.JPGふつう、このようにICから降りてきたら、そこは一方通行で、右(対向車線)は右折レーンだよね? ここで対向車と交錯するので、うっかりすると対向車線を塞ぐことになる。

●饒舌な道路

最後に、饒舌な標識。

20120522_000.JPGマリンピア日本海の近く。じっくりとご覧いただきたい。


昭和石油

昭和石油

昭和シェル石油/昭和石油/シェル石油

とくに「閉鎖された給油所」ばかりを探したり眺めたりしているわけではないのだが、比較的目につく上に写真を自由に撮れるので、自然とそういうものが多くなる。たいていは、キャノピーのない「露天」給油所で、壁は一面白く塗られてブランドが消されている。そして、おもしろいことに、比較的整頓されていて、ゴミ捨て場みたいになっていることはあまりない。この昭和シェル石油の給油所もそのひとつ。新潟市街北部の旧街道沿いにある。

20120519_000.JPGまず目に飛び込んでくるのは、給油所ではなくゼブラパターンの安全地帯…というか防護壁。よく見たら給油所跡だった。

20120519_010.JPGきれいだ。別の用途に転用されていたのかのようだ。

20120519_002.JPGかなり広い。大型車でも余裕で入れる。三角形の敷地の2辺が道路なので、残る1辺にのみ防火壁がある。

20120519_012.JPG防火壁を見ると、昭和シェル石油の色。「Showa Shell」のロゴを白く塗りつぶしてあるので、ロゴが剥げると逆に抜き文字になって現れる。

20120519_004.JPG20120519_003.JPG.

20120519_007.JPGサービスルーム前に立つと、このように見える。ポンプアイランドひとつに計量機ふたつだけ?

20120519_008.JPG拡大。

20120519_005.JPG防火壁とサービスルームのコーナーにあった台。なにがあったのだろう。灯油用?

20120519_006.JPGサービスルーム前に残っていた重し。「昭和石油」とある。ロゴも健在。

20120519_011.JPGあまり見ることもない裏手。


写真は掲載市内が、サービスルームの室内には、まだ先週まで営業していたかのようにジャケットがかけてあり、部品が置いてある。しかし、そこにある日付は10年前のものだ。それだけ長い時間が経っているにも関わらず、敷地内ともどもきれいなことが、なんとなくうれしい。


 

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