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第二武庫川橋梁(福知山線廃線跡)

第二武庫川橋梁(福知山線廃線跡)

分格ワーレントラス



IMG_4659_R.JPG1986年、福知山線の生瀬-道場間が複線電化の新線に切り替えられた。近年、その廃線跡が遊歩道として整備され、それはそれは賑わいをみせている。私が尋ねたのは「廃道ナイトin大阪」の翌日、5月の日曜だったが、おそらく300人くらいにはすれ違っていると思う。

ここにはいくつかの廃隧道と廃橋がある。また、道中についても、遊歩道であるためにさまざまなレポートがネット上にあるので割愛するが、とても気持ちのいい道であった。

さて、ここを尋ねたのは、上記地図にある武庫川第二橋梁を見に行くためであった。この橋が分格ワーレントラスであることは歴史的鋼橋集覧などで知ってはいたが、例外なく、「分格」であることがほとんどわからない、真正面からの写真ばかりしかない。上の写真を見ればわかるとおり、隧道を出るといきなり武庫川第二橋梁であるため、写真の撮りようがないのだろう。

そんな話をnagajis氏にしたら、こっそり(?)この第二武庫川橋梁を横から撮った写真を見せてくれた。ああ、行こうと思えば行けるのか。それを見て、ここに行こうと決心した。



その、隧道を出たところにドーン! という構図は、こんなである。
IMG_4679.jpg橋梁そのものは枕木も取り外してあり、向かって右の保線用通路が開放されている。向かって左側は、柵はあるのだが施錠などされておらず、ここから橋台づたいに河原に下りることができる。たいてい、こういう場所は下に下りられるように足場が切られているものだ。事実、ある場所には犬釘が2本打ち込まれ、そこに足をかけるようになっていた。

まずは保線通路を通り、対岸へ。途中、分格部分。
IMG_4668_R.JPG
南側。
IMG_4673_R.JPG
ここから先は興味がないので、ここで戻り、河原へ下りる。
IMG_4684_R.JPG
この橋台に向かって右を下りてくる。

河川敷をいくと、これこのとおり、ほぼ横位置を見ることができる。

まずは下流側(地図でいうと右)に行ってみた。地図をご覧いただければわかるとおり、下流側からなら、真横から撮れると思ったのだ。

IMG_4689.jpg橋台が見えない。そして、引けない。この画像は17mm(フルサイズ)で撮影している。

仕方がないので上流側へ行く。その前に裏側を・・・。

IMG_4682_R.JPGそして上流側から。

IMG_4709_R.JPGう~ん、やっぱりあまりそそらない。羽幌線天塩川橋梁を見つけた時みたいな感動がないのは、やはりピントラスじゃないからに違いない。

上流側を対岸に行けば真横から撮れるのだが、飛び越えるには微妙な間隔で岩が並んでおり、運動神経のない自分は自重した。また、いったん上に登り、対岸に渡ってからまた河原に下りる道を探す路言う方法もあったが、それにはちょっと時間が惜しかった。このあと余部まで300km近く運転してしかも陽のあるうちにつかねばならぬという時間的プレッシャーがあった。


・・・と、橋台のほうからバスン! バスン! と、なにかが落下する音がする。しばらくして、四角い何かを背負った男性2名がこっちに歩いてきた。ボートかと思ったら、岩登りのマットだった。ここらへんはそういう地域らしい。

*  *  *

この第二武庫川橋梁は、2代目である。上の写真の橋台を見て不自然を感じ取った方もおられるだろう。いまの橋台はどう見ても後付けのコンクリート製。その奥というか地上側には切石積みの橋台がある。上の写真を拡大してみよう。
IMG_4711-1.jpg黄色い矢印を入れたところで石積みが異なっているので、ここから上数段(2段に見える)が初期の橋台の高さか。

では、ここに架かっていた初代の橋はどんなものだったのかといえば、明治時 代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第4報)米国系トラス桁その1(小西純一、西野保行、淵上龍雄、1988)によれば、250フィートの単線ペンシルベニアトラスだった。そのスケルトンもリンク先にある。支間253フィート5と1/2インチ(77.254m)、格間18フィート1と1/4インチ(5.518m)、高さ41フィート11と31/32インチ(12.801m)という巨大な鉄の塊である。1898年フェニックス・ブリッジ製、開通は1899年。フェニックス・ブリッジはアメリカの製鉄・橋梁会社ながら、アメリカン・ブリッジには統合されたなった会社だ。

その写真が『日本国有鉄道百年写真史』にある。そこから転載した写真がこちらのサイトにある。あいにく橋台は見えないが、1953年まで使用されたこの初代のトラス桁が、石積み橋台を使用していたのだろう。

このトラス桁は、巨大さと特殊なサイズゆえか、転用はされなかったようだ。同時期に架け替えられた120フィートのプラットトラスである第3武庫川橋梁、第4武庫川橋梁(ともにA&Pロバーツ製)は転用され、後者は短縮改造の上、弥彦線で現役なのは過去にレポートしたとおりである。

かつての姿は国土変遷アーカイブにもかろうじて写ってはいたが(左上)、縮尺が約1.5万分の1であるため、形はまったくわからない。

初代の桁は54年、この2代目は32年。新しいほうが寿命が短いとは、老朽化のため使用停止となったわけではないとはいえ、なんとも皮肉なことである。

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英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



IMG_3759_R.JPG関西本線木津川橋梁である。3連のこの橋は、西側の沈下今日から撮影したもので、画面左が大河原・名古屋、右が笠置・木津方面となる。

全体がミリ60度の斜橋となっており、それは中央径間のワーレントラス桁を見ればわかるが、この橋を特徴付けているのは側径間である。

IMG_3762_R.JPGご覧のように、8パネルのポニーワーレントラスの上に、補強する部材を取り付けている。

このアーチ型の補強剤はランガー桁(アーチには軸力のみ、補剛桁には曲げモーメントとともに軸力がかかる)と同じ作用がある。つまり、荷重がかかったときに桁がしなるが、その力の一部をアーチが受け止め、それに抵抗する形になる。

この木津川橋梁は1897年(明治30年)に架けられており、この補強工事は1925年(大正14年)に行われている。おもしろいのは、日本初のランガー桁が架けられたのは、この補強工事より後の1932年(昭和7年)であるという点である。それは、かの田中豊設計による総武本線隅田川橋梁で、隅田川の記事でも橋梁の記事でも名前のあがる有名な橋である。

なお、ランガー桁とは、オーストリアのジョセフ・ランガー(Josepf Langer、1816-?)が考案し、1881年にフェルディナンズ橋に使用したのが世界初である(『[広さ][高さ][長さ]の工業デザイン』坪井善昭・小堀徹・大泉楯著)。「ランガー桁」が比較的人口に膾炙した用語であるのに対し、ジョセフ・ランガーの名前は検索しても出てこず、wikipediaの英語版にもドイツ語版にも項目がない。ググっても、グーグル・ブックにこの本くらいが関の山であり、没年すらはっきりしない。

その他、このあたりが参考になるかもしれない。私もよく読み込んでいないので、読めば何か新たな発見があるかもしれない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Self-anchored_suspension_bridge
http://gilbert.aq.upm.es/sedhc/biblioteca_digital/Congresos/CIHC1/CIHC1_151.pdfの1621ページ
 

もうひとつの特徴は、横桁にある。愛知川橋梁のポストでも書いたが、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスとは横桁と縦桁の関係が異なる。
IMG_3711_R.JPG愛知川橋梁のポストをご覧いただいた方にはわかるだろうが、パッと見ても気づかないかもしれない。別の角度で寄ってみる。
IMG_3751_R.JPG横桁が2種類ある。

また、「その6」までに見てきたポニーワーレントラスの横桁は各パネル間に均等に2本置かれていたが、こちらは高さの異なる横桁が、それぞれオフセットされている。

背の高い横桁同士を縦桁がつなぎ、背の低い横桁がそれを下から支える、というようになっている。わかりやすくイラスト化してみた。
20100526keta.jpg
パースがおかしい感じがするのは遠近感の処理をしていないため。浮世絵と同じである。また、各横桁の間隔がずれていたりするのはお目こぼし願いたい。

『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行、小西純一、渕上龍雄、1986年6月)では、「その6」までのパターン(9パネル、横桁同一)、を「100ft単線ポニートラス」の一群として捕らえており、この木津川橋梁と先の愛知川橋梁(8パネル、横桁と縦桁の関係がそれぞれ異なる)は「その他の英国系トラス桁」としている。どちらも、白石直治と那波光雄が設計者として記録されている。そしてこの100フィートポニーワーレントラスは1897年、パテントシャフト&アクスルトゥリー製である。

IMG_3754.jpg枕木は縦桁に載るが、「その6」までのパターンでは自由に配置していたのに対し、「その他」である木津川橋梁は、縦桁と剛結された横桁の上には枕木はなく、縦桁を載せている横桁の真上には枕木がある。これで統一されているようだ。

こちらの写真で見た方がわかりやすいかもしれない。
IMG_3686.jpg
「通常の」横桁に寄ってみる。
IMG_3688_R.JPG

ついでに支承。
IMG_3687_R.JPG
これは「その6」までのタイプと同じ、平面支承である。単純に前後する。

そして、アーチ部分。
IMG_3699_R.JPG



中央径間。
IMG_3716_R.JPGIMG_3765_R.JPG

この中央径間は、1926年横川橋梁製の2代目以降である。初代は200フィートの単線下路プラットトラス桁で、しかもピン結合だった。先に見てきた100フィートポニーワーレントラスと同じく白石直治と那波光雄が設計した桁で、製造も同じパテントシャフト&アクスルトゥリーであった。その桁は1926年まで使用され、1929年に京福電鉄永平寺線の十郷用水橋梁(鳴鹿-東古市間)に転用され、1969年に廃止された。国土変遷アーカイブには写っているが、200フィートクラスがふたつあるようであり、どちらが該当するのかはわからない。(→周辺全体を撮影したものはこちら
map.png

































横桁と縦桁の関係を考えると、ますますこの形式にはまってくる。すべてを再訪してすべてを採寸したい。でも、アレしたりコレしたりしないとかなわないよな・・・。




英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(7)近江鉄道愛知川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(7)近江鉄道愛知川橋梁

ポニーワーレントラス


IMG_5348_R.JPG
滋賀県の近江鉄道の愛知川橋梁である。愛知川-五個荘間にある。写真の左が愛知川方。見てわかるとおり、愛知川方のみ100フィートのポニーワーレントラスがかかり、五個荘川はスパン22mの鈑桁9連がかかっている。

冒頭の地図を衛星写真に切り替えていただきたい。なぜここだけポニーワーレンがかかるのか、不思議に感じないだろうか。河川敷というよりも、草の生えた土手。通常、スパンの長い桁は、本流部分にかかる。本流の中に橋脚を建てたくないからだ。いま、このポニーワーレンがかかる部分の真下は、愛知川の本流ではない。

ここで、1946年撮影の写真をご覧いただきたい。
20100525.png見事にポニーワーレン部分に本流がある。ただし、川の流れはよく変化するものであるから、この橋が架設された1897年当時もこの流れ方だったとは必ずしも言えない。

参考までに、周囲まで写っている国土変遷アーカイブのサイトはこちら


さて、橋の詳細に戻る。

IMG_5342_R.JPGすぐ西に並行して国道8号の御幸橋がかかるが、そことの間には木が茂り、全体が見えない。やむを得ず、すぐ近くから撮る。画像に黒い点が見えるが、レンズについた汚れらしい。

御幸橋は、その名の通り天皇に関係する命名であり、明治天皇ご巡幸にあわせて架設された橋をルーツとする。土木学会のアーカイブスに、当時の橋の写真(木製、ハウトラス!)や開通式当日の事故の記事がある。

IMG_5361_R.JPG東側から。もろ逆光なので、トラスの色を出すのがかなり厳しい。

IMG_5343_R.JPG踏切から見るとこんな感じ。トラス桁の外側に、横桁にくっつける形で「ゝ」型の部材がついているのだが、これがなんなのかわからない。

【2013.3.10追記】WEBサイト水辺の土木遺産に「J型スティフナー」といい、ポニートラスが外側に倒れることを防ぐもの…という記述があることを@Einshaltさんからご教示いただいた。感謝。

IMG_5368_R.JPG
さて、気になる横桁である。いや、ここでは縦桁をご覧いただきたい。

通常の英国系ポニーワーレントラスは、トラスの下弦を結ぶ形で、下弦に横桁が載っかり、その上に縦桁が載っている。そのために横桁がは凹型をしており、レール面があまり上にならないように配慮されている。

しかし、この愛知川橋梁は、横桁の位置こそ同じものの、形状は直線。そして、縦桁が横桁と同じ高さにある。ここが最大の特徴であろう。

20100525-2.jpg愛知川橋梁は、『明治 時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行、小西純一、渕上龍雄、1986年6月)によれば、いままで見てきたポニーワーレントラスとは別に「その他の英国系トラス桁」として、左写真の関西本線の木津川橋梁(ランガー桁に改造されたもの。いずれ)と同系に分類されている。両者ともに架設時から現在まで、転用されることなく現地にありつづけている。設計は、ともに白石直治、那波光雄の両名による。

「その他」となっているのは、いままで紹介してきた100フィートポニーワーレントラスは9パネルかつ横桁の上を縦桁が通る構造になっているのに対し、本橋梁は8パネルかつ横桁と縦桁の位置関係が少し異なるためである。木津川橋梁は、各パネル間に凹型と直線型の横桁を交互に配置し、直線型横桁と縦桁を突き合わせ、凹型に載せるような感じになっている。愛知川橋梁は凹型横桁を省略し(あるいは後天的改造で撤去し)、直線型の横桁と縦桁しかない。よって、本来は「その他1」「その他2」とすべきものではないだろうか。

なお、愛知川橋梁はハンディサイド製、木津川橋梁はパテントシャフト&アクスルトゥリー製である。上記論文には、愛知川橋梁にはハンディサイドの銘板があるとされ、写真も紹介されていたが、私が見る限り、存在しないようであった。

IMG_5371_R.JPG橋台部分。通常、両端のパネルにも2本の横桁を配置するが、ここでは1本もない。縦桁が橋梁内で完結せず、橋台に載っかっているのが興味深い。

IMG_5356_R.JPG横桁の端部は、一枚の鉄板があてがわれ、内側からアングルとともにリベット留めされている。

IMG_5353_R.JPGIMG_5352_R.JPG上下のピン部分。


ディテールの紹介は以上である。データ的なものは歴史的鋼橋集覧へ。



なお、この橋の下はひざくらいまでの藪である。この日、裏側を撮った直後、落とし穴的に存在していた「藪に隠れた溝」に足を落としてしまい、スネを思い切りすりむいた。あいにく溝にはドブ状の水が多少あったようで、汚そうな土が傷付近に付着していた。

あわてて唾をふきかけつつ、幸いにも近くにあった水飲み場で洗浄し、すぐ薬局で消毒薬を入手して塗布した。よって、裏側をじっくりと観察する余裕がなかった。もしかしたら、もっと見ていればもっとなにかが見えてきたかもしれない。少し残念。

(2010.5.26 23:40一物行きもとい一部追記)




英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その6)和歌山県新興橋

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その6)和歌山県新興橋

ポニーワーレントラス


IMG_4058_R.JPG
和歌山県和歌山市の大門川にかかる新興橋。英国製の鉄道用ポニーワーレントラスを転用した道路橋である。100フィートポニートラスは9パネルであるが、この新興橋は8パネル。では、どこで短縮したのだろうか。実は、この日は和歌山に行く予定など毛頭なく、「歴史的鋼橋集覧」を見てちょいと行っただけなので、いまにして思えばもっとちゃんと調べるべきであった。

IMG_4059_R.JPGこんな感じで街中に唐突にある。いままで見てきたものは鉄道橋だったり、元鉄道橋だったりしたので、「橋がここにあって当然」というシチュエーションであり、ここまでの唐突感はなかった。住宅街の中にあるので、電車が住宅街の軒先に保存してあるような感じ、といえば近いだろうか。

IMG_4079_R.JPG道路橋に転用した際に拡幅したとのことで、下弦材の上に乗っかっていた本来の横桁は失われている。その跡が、このようになっている。横桁があった場所に、適当な(そう見える)鉄板があてがってあるように見える。適当に見えるのは、この鉄板が歪曲していることから来る印象だろうか。しかもリベット留めなので、もともとあったものなのか、後付けなのかは不明だが、リベット留めしてあれば、その上に横桁が載る訳もなし、その理由が理解できない。

では、新たな横桁はどうなっているのか。下に潜ってみた。

IMG_4064_R.JPGこの新興橋がかかるのは、大門川である。地元の方には申し訳ない感想だが、ドブ川である。余談になるが、ドブ川を漢字表記すると「溝川」になることを今知った。ドブ川と言っていいと思ったのは、水質調査で「2級河川ワースト5」の常連だからである(→参考資料)。で、そんな生温かい、かつ高さが確保できない環境ではこれくらいしか撮れなかった。まさか水に入ってまでは撮らない。

IMG_4060_R.JPGそんな環境なので、全貌を把握できなかったのだが、どうやら新たな横桁は、旧横桁のあった位置の真下に位置するようだ。旧横桁は下弦の上に載っていたが、新横桁はその同じ位置の、下弦材の内側の部材にリベット留めされている。






















二つ上の写真のとおり、縦桁は横桁の間にある。いままでに見てきた英国系100フィートポニーワーレントラスはみな横桁の上に縦桁があったが、愛知川橋梁(いずれ)などは横桁の間に縦桁があるものがある。


shinko3.jpgshinko4.jpg(上の青い橋が福島県伊達橋、下の赤い橋が滋賀県愛知川橋梁)
もし、この新興橋の転用元が愛知川橋梁タイプの横桁と縦桁を持つものだったのであれば、ポニーワーレントラスの左右の主桁を結ぶ床の部分を横桁ごとバキッと取りはずし、そのまま取り付け位置だけを変更すると、この新興橋のようになるのではないか。寸法も測らずに乱暴なあてずっぽうだとは思うが、この新興橋の横桁がどうにも転用された1954年頃に作られたようには思えないのだ。これは一つの謎である。

また、どこで短縮されたのだろうか。真横から見るとこうだ(適当な合成で見づらくてすみません)
sinko.jpg黄色く囲んだ部分に、継ぎ板が当ててある。これを見る限り、左から2パネル目と3パネル目の間の上弦部分と、左から3パネル目の下弦部分で接合しているのかもしれない。こうした接合部の考証も、少しずつ進めている。


IMG_4075_R.JPG参考までに、上弦のピンの写真を。


和歌山市内の100フィートポニーワーレントラスについては、さらにもう一つ、疑問がある。和歌山市内に架設された数だ。

和歌山市内のは計3連が転用されたと、サイト「橋の散歩道」に書いてあるが、『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行、小西純一、渕上龍雄、1986年6月)にはこの新興橋の記述はなく(「歴史的鋼橋集覧」は小西氏の記述、ただし1996年)、もうひとつ現存する中橋のみである。「歴史的鋼橋集覧」にはこの新興橋と中橋のふたつ。もうひとつの行方を知りたいのだ。

今回の訪問では、中橋を見るのを忘れていた。いつかまた行ってみなければならない。同時に、縦桁や横桁の寸法も測ってこようと思う。三つの疑問は、なんとか解決してみたいと思っている。


No Image

万世橋架道橋への期待

鈑桁(プレートガーダー)+鉄製橋脚

4月9日の記事『万世橋架道橋』を書いたときに気づいた、開通時と桁架設時の時期の違いの理由はいまだに不明だが、『鉄道ファン』の不定期連載「東京鉄道遺産をめぐる」が東京-万世橋間市街高架線を採り上げ始めたので、きっと明らかになるに違いない。wktkして待つ。

関西本線木津駅に復元保存された煉瓦構造物

関西本線木津駅に復元保存された煉瓦構造物

隧道・廃隧道




IMG_3893_R.JPG
関西本線は、開通時からの施設が多数残されていることで知られている。そのなかのひとつ、木津駅の東西自由通路に行ってきた。たまたまそこらへんに行っていたときに、小倉沙耶さんに「ここにこんなものがあるよ」と教えていただいたので立ち寄ったが、なかなかに感銘を受けた。写真は西口、Yahoo!地図の航空写真では、橋上駅舎化工事中のため、この写真のようにはなっていない。

木津駅において、線路は築堤上にある。写真ではわかりづらいが、バスからバス1台ちょっと分左側に、ぽっかり口を開けている部分がある。これが、東西自由通路である。もともとは、駅改札内の通路として利用されていたものを、橋上駅舎化するにあたって東西自由通路にして(もちろん橋上駅舎内を通り抜けることもできる)、保存したものである。

IMG_3885_R.JPG木津駅のレール面は地平ではなく築堤の上にある(水害対策らしい)ので、この通路はその築堤に穿たれている。レールの真下は煉瓦で組まれた隧道状になっており、それはたしか4線分(確証なし、違っているかも)、つまり煉瓦隧道が四つある。それぞれの間(写真では白い壁の部分)は別の方法で埋められている。この白い部分の真上はホームだろうし、塗り込められた壁の向こうには、ホームへの階段があったのだろう。

IMG_3891_R.JPG駅舎が新しいこと、この通路も清潔に保たれていることもあり、「古い隧道的な通路」であるわりに、不潔感はまったくない。路床がきれいなことや、異臭がしないこともそういう印象に結びつくのだろう。

なお、上から2枚目に見るとおり、断面は欠円アーチだ。

先に「以前は改札内の通路だった」と書いたが、こちらの『大仏鉄道研究会』内の「JR木津駅橋上駅舎化工事の経緯」ページに当時の写真があった。「大仏鉄道」って最近なにかで聞いたな、と思ったら、昨日kinias・近畿産業考古学会で見学会に行っていたやつだった。まったくの偶然で大仏鉄道の名がここでリンクした。

これがいつできたのかはわからない。朝日新聞によると「大正時代ではないか」とある。『とれいん工房の汽車旅12ヶ月』(JTBキャンブックス『鉄道未成線をあるく』の著者、森口誠之氏のサイト)は、資料は見つからなかったとしながらも根拠を推測しながら明治時代と推測している。木津駅の開業は1896年(明治29年)。そのころ、わざわざ金のかかる地下通路などを設けたのかどうか、気になるところではある。

もののついでに、昭和49年の航空写真へのリンクを貼り付けておく。→こちら
左上(北西)、国道24号泉大橋のカンチレバーっぷりについては後日。


デジタル写真の功罪

デジタル写真の功罪

独言・日記

工場や団地の写真集などに見る、フェースが直立した、完璧な建築写真といいましょうか、そういうものに目が慣れすぎてしまった。そういうものが美しいという眼になってしまったのか、「そこまで手をかけなければならない」という意識になってしまったのか。

通常、背の高い建物の写真を撮影すると、遠近感で上すぼまりになる(左)。しかし、建築写真はそうなっていない(右)。ホテルのパンフレットの外観写真などを想定して欲しい。身近な例では、トンネルの坑口を撮影するときには(左)のようになってしまう方も多いはずだ。
20100522-2.png20100522-1.PNG

フィルムの時代、それを解決するにはふたつの方法があった。

(1)アオリ(ティルト)を使った撮影
…簡単にいえば「それができる」特殊な機材を使う。
(2)なるべく望遠で撮る…根本的解決ではないが、焦点距離が長いほど遠近感が消える。

これを応用すると、人物を撮影する際、地面の高さから望遠で撮ると、気づかない程度に上すぼまりになって、つまり足が長く顔が小さく写る。

ところが、現在では次の手段がある。

(3)デジタル画像を加工する

上に例示した2図は、逆の手順にはなるが、右を作製後にわずか2つのドラッグ操作で左を作った。まあ、手順だけでいえばそれくらい簡単なことだ。いま出版されている工場や団地の写真集などは、著者がシノゴを使っているとどこかで読んだ気もするが、デジタルで撮影したものを、こうしたパースをなくす処理をしているものもあるだろうと思う。



さて、ここで困ったことが起きた。

先日、非常に美しい、ウズベキスタンの写真集を見た。しかし、しかしだ。美しいものはともかく、寺院(?)の入り口などの説明的なカットは、撮影の都合上、広角レンズを使用するものが多く、そのほとんどが少し極端な上すぼまりなのである。それを見てしまった私は、もしこれがこのままなら、美しくないと思ってしまったのだ。この感覚に困っている。おそらく読者のだれもが、そして制作サイドの誰もがそんなことにすら気がつかないだろうと思うが、私はそれに満足がいかない。つまり、他人が制作するものに対して、文句を言いたくなる。この気持ちそのものと、その悩みを理解してくれる人が身近にひとりもいないことに困っている。

港大橋

港大橋

カンチレバートラス(ゲルバートラス)

20100521.jpg

廃道ナイトin大阪

廃道ナイトin大阪

廃道

515日土曜日、大阪の日本橋JUNGLEで『廃道ナイトin大阪』が開催された。前の2回はカルカルでの開催だったが、今回はイカロス出版『廃道をゆ 2』出版記念として、手作りのイベントとなった。

私は14日(金)と17日(月)に休暇をとり、13日(木)深夜にクルマで東京を出発 し、各地の橋を見ながら15日午後にミナミ入り。名羽線や羽幌炭礦が縁で(実質)ツイッター上で知り合ったLEVEL7Gと落ち合い、ともに会場に入った。開場は16 30分。私はうっかり「15時に待ち合わせ」とお伝えしたつもりが「16時に」と送信しており、当然のごとく7Gさんは16時に登場。お互い話したいこ とが山ほどあるのに、瞬く間に30分が過ぎ、会場入りの時間になってしまった。会場には、前の週に東京のカルカルで開催された『トーク・ザ・軍艦島』 ご一緒した@Seela111もいらっしゃるはずだ。

さて、 日本橋JUNGLEの中に入ると、会場は試写会会場というような雰囲気。イカロスの担当編集者、大野さんがおひとりで準備をなさったはずだ。会場の交渉か らチケット発券契約、会場でのPA操作など、イベントに関わるすべてのことをアウェイの地で一手に行うのは相当なご苦労があったのではないだろうか。無事 にイベントが終了したいま、まず感謝の気持ちをお伝えしたい。

さて、会場は、スクリーンをバックによっきれん氏とnagajis氏が両端に陣取 り、進行する形となる。パイプ椅子が並べられた7080人入りの会場が満席となったところで時間になった。おふたりの入場だ。

<第一部>

IMG_4466_R.JPG
まずはnagajis氏による「『廃道をゆく2』ができるまで」である。

IMG_4470_R.JPG

前作となる『廃道をゆく』は2008年10月末の刊で(その1週間後に私が編集した『廃道本』発売)、2009年夏頃には『~2』の構想があったようだ。そして、『~2』では、nagajis氏の名前の由来でもある旧JISマークに眼を描いたものをさらに棒人間にしたJIS男(じすお)をフィーチャーしたものにしたいという意向があった。そのあたりの話が異常におもしろい。私もJIS男が大好きで、『廃道本』の最後の校正紙に貼り付けてあったJIS男の付箋は大事にとってある。ビシッ!

IMG_4473_R.JPG・・・こういうものを、マウスだけでシコシコ描いているnagajis氏は素敵だ。photoshop上で描いていることもあるようだが、こちらはillustratorか。

IMG_4474_R.JPGそして実際に「オブ道場」のコンテとゲラ、赤字を入れたものが画面に表示され、どのような過程で本ができあがっていくかの解説がある。私にとっては日常の流れでも、ふつうの人は、たぶんすごく興味をもつ部分なんじゃないかな。


続いて「廃道YES/NOクイズ」。カルカルで開催されたときと構成や設問が変わっていた。カルカルのときは、私は手を挙げなかったが、今回は観客のひとりなので手を挙げてみた。「アドレナリンジャンキー度」ではチェック項目が8個あり、私は1個だった。しかし、7G氏は6個・・・。

<第二部>


第二部は、『山さ行がねが』等で告知されていた「新しい廃道の表現」の発表。水墨画、楽曲、動画など全11編が披露された。そのすべては『日本の廃道』次号にてきっと添付されるだろうからそちらをご覧いただくとして、3編あった動画について書きたい。

IMG_4494_R.JPG謎の元自衛官氏の「構想3時間、制作6時間」の動画『日本の道』。なぜ我々は道に関心を持つのか、ということを端的に、リズミカルに表現した作品。ごくごく一般の人に「道路って、こんな見方をすると、いろいろ別のものが見えてくるよ」とか言いながら見せたい。

IMG_4518_R.JPG続いてなるせ氏の『The obsolete road and GIRLS』。自作の写真を使った力作で、いろいろツイートしていたのはこれのことだったのかと合点。基本的に写真がうまい。コンデジも、撮り方使い方次第でこれだけ撮れるのだ。観客もどんどん引き込まれていくのがわかる。これを見て、フィギュアっていいな、とか、こうした写真の撮り方をしてみよう、と思った方もいたはずだ。カンチレバートラスを背景に入れた写真を自分は見逃さなかったが、これはクレジットに入れ忘れた大石田の大橋らしい。廃道ナイトと関係ないが、これだ。鈍いアルミ色に輝く小さな蛇のような橋で、脇に三弦橋の水道橋を抱える。
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IMG_4524_R.JPGそして、うしこし氏(各所に「うしじま」氏と書いてあったが、動画内には「牛越」とあったのでこちらで書く)の『天王峠をゆく』。大阪・兵庫府県境の天王峠の隧道南側坑口にバイクでたどりつき、一度左へ降ってから右折する形で旧道に入る。バイクはアメリカンだろうか。ここは、少しだけ登るとあとはずっと兵庫県に向かって下り坂となる。そこでエンジンを切り、ひたすらタイヤが土を噛む音、風を切る音とともに、モノローグが続く。私も時々、林道の下り坂でバイクのエンジンを切り、同じことをすることがある。最近は、自転車程度がちょうどいい速さなんだろうなと思いつつある。

動画の応募は、それなりにあると思っていた。3作を多いと見るか少ないと見るか。ただ、告知から締め切りまでそれほど時間はない。その間に3作があがった。そして、もし、動画が10本くらいにもなっていたら、観客はきっと飽きる。この3作という数は絶妙であった。


<第三部>


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時間の都合もあり、ぶっつづけで第三部
に入る。よっきれん氏による千頭森林鉄道の話「夢想の吊り橋」の動画の発表と、夢想の吊り橋についての(ry。

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動画は、本当に迫力があった。いままで見たよっきれん氏の動画の中で、もっとも臨場感があったと思う。見ているだけで心臓の鼓動が早くなる。ここを一度ならず後日出直して二度も渡るなど、歳とともに高いところが苦手になってきている私には考えられない。とにかく、これは大画面で見る価値のある動画だった。

IMG_4606_R.JPGそして終了。右側、nagajis氏の座っていた椅子は何度も舞台から転げ落ちたためか、立ち膝だ。

終了時は、予定の時刻を大幅に超え、終了後に雑誌やTシャツの販売があった。カルカルでは開演前や休憩時に購入することができるが、ここでは会場の狭さの都合もあり、終了後のみとなった。そしてjungleの店員さんたちの厳しい目の中、20時30分ころに撤収。


つづいて二次会。マフラー巻き氏のセッティングで、実は事前申し込みが必要だったのだが、実際には申し込んでいない人も含めて30人以上が行ったようだ。なんばのお店を貸し切り、あっというまの2時間、3時間。まだまだ話したりないけれども私も体力的に相当きつくなり、0時をまわったあたりでおいとまさせていただいた。残っていた方々は、それぞれ3次会に移動したらしい。私は某所に泊めていただき、翌日からまた第二武庫川橋梁の分格ワーレントラスや余部橋梁を見に行った。それらのことはまた後日。


英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-2)左沢線最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-2)左沢線最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

(続き)
20100512-1.jpgさて、肝心の横桁である。撮影は午後6時前後のため、かなり慌てている。フレームが傾いているのが恥ずかしい。

横桁は直線状である。この写真では、横桁と縦桁の関係がわかる。この橋梁においては、縦桁は長い部材ではなく、短い部材が横桁のフランジ(I形材の「=」という位置にある部分)の上にはさまるような形式になっている。正確に言うと、横桁のフランジの上にスペーサー的に鉄材を挟み、その上に乗っかっている。

縦桁はI形材ではないかもしれない。上の写真で見ると、フランジの長手方向センターに溝がある。これをみるに、縦桁は|状の部材に、L字型の部材を4つリベット結合しているのではないか。

で、これが横桁の寸法である。
IMG_2747_R.JPGI形材のウエブ(|部分)の高さは48センチ。この横桁がどういう断面になっているかは、こちらと同じ構造だ。





IMG_2743_R.JPG沓。トラス下弦が橋台に重量を伝えているとして、橋門構下横材をもコンクリートの台が支えている。しかも、レールを間にカマして。

IMG_2741_R.JPGその、橋門構下部の横材。ごく短いレールが並列して置かれている。

IMG_2721_R.JPG沓の下にはローラーが隠れている。


IMG_2725_R.JPGこんな看板があった。長井線にはなかったのに・・・。


さて、ぼちぼち寝ますかね。またまた眠すぎるです。



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