忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


[PR]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-1)左沢線最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外2-1)左沢線最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



こちらは左沢線の最上川橋梁である。先の山形鉄道のが1923年開通、こちらは1920年開通とほぼ同時期で、どちらも東海道本線木曽川橋梁(200フィート)を156フィートに短縮し、この地に転用したものである。

1920年とは、既に9600形が大量に増備されて各地に配置されており(製造は1913=大正2年から。D50形の製造開始は1923=大正12年、丹那トンネル開通は1934=昭和9年)、東海道本線も輸送力を強化するために、設計活荷重の小さな古い橋は次々に架け換えを進めていた。しかし、いくつかのトラス橋は幸運にも他路線に転用され、残されることになった。

ここ左沢線が最上川を渡る部分には、その木曽川橋梁から転用されたと推測する156フィートのダブルワーレントラスが5連と、遠く九州の筑豊本線遠賀川橋梁から転用された100フィートのプラットトラスが3連架けられている。

IMG_2713_R.JPG失敗した。プラットトラス部分も、真横から写真を撮っておくべきだった。


さて、またも異常な睡魔が襲ってきたのでso much for today.

PR

 英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

20100511-2.jpg

前回、何を書いて何が消失したのかもう忘れてしまった。いったい何を書こうとしていたのだろう。多分横桁のことだと思うので、横桁について報告する。

IMG_2612_R.JPGこのとおり、横桁は直線状である。そして、横桁のリブを利用して、縦桁が設置されている。

IMG_2604_R.JPG横桁の断面を見ればわかるとおり、エ型のクビの部分にL字型のアングル材を添え、その隙間を鉄板で埋め、さらにそこにL字型アングル材を縦に配置している。

ここに注目したのは、100フィートポニーワーレントラスの横桁に「カバープレート」があるものが初期のものだ、という記述を見かけたからだが、そのカ バープレートとはこのようなものではなく、単なる1枚の板であった。そのため、この、横桁端部の考察は意味のないものになってしまった。勘違いと思い込み で物事を進めようとしていた愚か者である>自分

絵に描いてみるとこんな感じ。

20100511.jpg


IMG_2587_R.JPGこのようにして、横桁はトラスの下弦に乗っかっている。これのどこが特徴的なのかというと、基本的には格点(この橋でいえばピンのある部分)に横桁があるのが通常の形態だからである。


IMG_2603_R.JPGIMG_2605_R.JPGIMG_2600_R.JPG続いて支承。ローラーが見えている。そして、シューが極端に移動しないように両側にL字型のアングル材が添えられている。




IMG_2637_R.JPG上弦のピン。内部までペンキが塗り込められている。

20100511-1.jpg下弦材のピン。残念ながらピンは見えない。下弦材に無数にあいたリベット孔が謎。

IMG_2618_R.JPG真横。とってもきれいです。これに見ほれ、私の中でのダブルワーレントラスの地位があがりました。

20100511-3.jpg東側、県道11号がオーバーパスする跨線橋から西に向かっては、このように見える。美しい。



この桁から言えること:

1886年製のパテントシャフト&アクスルトゥリー製のトラス橋の錬鉄製横桁は直線。



この橋は錬鉄製である。興味をお持ちになったら、「錬鉄ってなんだべ?」ということをお調べいただきたい。きっと、知的好奇心を満たしてくれるはずだ。


眠い。。。
最近、なにをしてても寝落ちしてしまう。この記述もおかしなところがあるかもしれない。


『トーク・ザ・軍艦島』坂本道徳氏のトーク

『トーク・ザ・軍艦島』坂本道徳氏のトーク

独言・日記

P1020860_R.JPGお台場の『東京カルチャーカルチャー』で開催された『トーク・ザ・軍艦島』に行ってきた。親しくさせていただいているオー・プロジェクトの方々のご尽力で、軍艦島出身者にして「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳氏を招いてのトークライブである。今回、ツイッター上で知り合った@Sheela111氏と落ち合い、特等席で拝見した。

坂本道徳氏は筑豊の宮田で生まれ、小学校6年の時に御尊父の仕事の関係(つまり端島に就職したということだ)で端島に転居。以後、高校卒業までを端島で過ごす。その「筑豊生まれ」という経緯があったため、氏は端島を客観視できるようになったという。ご婦人は端島生まれのため、端島の何が「すごい」のかの感覚が異なるという。

坂本氏の話が続く。元島民でなければ持ち得ない感情を、端的に語っていく。印象深かったのは、
私にとって、軍艦島=端島、ではないんです
といったくだりだ。住人にとってはあくまで「端島」であり、「軍艦島」などとは呼称しなかった。なぜならば、「軍艦島」は九州本土から見た形であり、その島にいる人たちにとっては島を外から見た姿など関係がないからだ。また、
長崎の人たちは端島を知らない。一方、関東、関西から来る人のほうが、よほど端島のことを知っている。
というお話も印象に残った。これもそうだ、海上に浮かぶ炭鉱で働く人たちは、みな外から来た人たちである。一般に、炭鉱夫というのは炭鉱から炭鉱へと移る。つまり長崎市内の人が有力な就職先として端島を選ぶ、というようなものではないので、長崎市内の人たちにとって、軍艦島は「よくわからないけれど、県外の人たちが働きに来るところ」的な意識となる。軍艦島が自分たちの郷土の一部だ、という感覚にはならないのである。

そのほか、工夫の入る風呂には子供たちは入らない、とか台風の時の高さ50mにならんとする波しぶきの話、とか端島は意外に青春の活動が活発で、デートコースも初級、中級、上級みたいな感じでいくつもあった、などという話がぽんぽん飛び出してきた。



P1020875_R.JPG約3時間のトークライブの後、有志、といっても30名ほどで新宿へ移動し、写真展へ。私は初日に見ていたが、坂本氏の解説がつくというのでもちろん同行。会場はそのとき10名ほどの方々がいらっしゃったが、そこに我々が入ると相当に狭くなってしまった。そんななかで坂本氏の解説や質疑応答が始まる。一般の方々もその説明に聞き入っていた。当たり前だ、こんなに重みのある声はない。


約1時間後、懇親会へ。ここから参加された方も多く、軍艦島の写真集を出されている大橋弘氏もいらした。ここで約3時間、ほとんど初対面の方々ばかりだったが、あっというまに時間が過ぎた。



P1020882_R.JPG坂本氏が中心となって制作した『軍艦島 住み方の記憶』
も購入。


坂本氏にとって、端島とは? 世界遺産とは?
世界遺産とは、「いまここにある建物を保存するもの」ではなく、「未来のためのもの」である。
広島の原爆ドームを例に、「原爆ドームは、これを見た人が平和を願うようになるという役割を持っている。もし世界が完全平和になったら、戦争の象徴たる原爆ドームは不要になる。それと同じく、端島も、かつてここに日本にエネルギーを供給するための石炭産業があり、やがて輸入の化石燃料に頼るようになり、当時の組合の条件闘争により黒字のうちに閉鎖したという経緯が広く人に知れ渡ればいいのであって、建物を見ることを目的とするのではない。坂本氏は長年の自問自答の末、いま、このような見解を披瀝されている。

No Image

英国(ry  coffee brake

独言・日記

書いたデータが吹っ飛んだ。やーめた、オワタ\(^o^)/

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-1)山形鉄道最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-1)山形鉄道最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)



IMG_2675_R.jpg
英国系ダブルワーレントラスのひとつ、山形鉄道フラワー長井線(旧国鉄・JR長井線)の最上川橋梁である。終点の荒砥駅のすぐ手前にかかる、3連のトラス桁と12連(多分。ここらへんの調査漏れが情けない)の鈑桁からなる、長大な橋である。このトラス橋も、横桁が下弦に載るというものなので、参考までに書く。

製造はパテントシャフト&アクスルトゥリー、現設計はチャールズ・ポーナル(建築師長)である。1885年頃にこのダブルワーレントラスが登場するまでは、国内で使用される鉄道用鉄橋は100フィートが最大で、それはこの考察の原点であるポニーワーレントラス(設計はジョン・イングランド/技師長;どの部局での称号なのかは不明だが、工部省か)であった。以後、約20年の間にダブルワーレントラスは112連が架設され、初期の錬鉄製が22連4橋あった。製造の経緯からして、おそらくすべてがパテントシャフト製である。

・利根川橋梁 錬鉄3連 1919年撤去→水戸線鬼怒川橋梁に1連を、稲沢操車場の跨線橋に2連を転用
・揖斐川橋梁 錬鉄5連 1913年用途廃止(道路橋として現存)
・長良川橋梁 錬鉄5連 1914年撤去
・木曽川橋梁 錬鉄9連 1914年2連、1919年7連撤去

最上川橋梁はどの橋梁の転用かというと、歴史的鋼橋集覧では木曽川橋梁の転用と断定している。しかし、その断定のたる『日本鉄道請負業史』を参考とした論文『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として』(小西純一、西野保行、渕上龍雄、1985年)には「木曽川または長良川より」とある。どちらが正しいかはまったく不明である。


いろいろ時間が押しているので、これにて一時中断。写真でお茶を濁す。

IMG_2648_R.JPGIMG_2633_R.JPGIMG_2625_R.JPG


No Image

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その5)愛知川橋梁

ポニーワーレントラス

写真で確認。1897年ハンディサイド製の近江鉄道愛知川橋梁の横桁は直線。十条と同じような形らしい。5月に確認してくる。

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その4)十条跨線橋

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その4)十条跨線橋

ポニーワーレントラス

今回は、有名な東京都北区の十条跨線橋だ。何度も歩いてはいるが、カメラを持って行ったのは初めてである。(4/28大きな誤記があったので修正)


20100428-1.jpgもういきなり横桁の写真でいい。

緩やかなRを持ち、中央部が幅広になっているこの横桁が並ぶと、三葉虫の背面部のようにも見える。この部分は車道で、左右の三葉虫の足みたいな部分が歩道のための別桁である。
20100428-11.jpg


で、この十条跨線橋の横桁の形は、今回の英国系ポニーワーレントラスの横桁に関心を持つきっかけとなった伊達橋(木曜に見に行くぜ)の横桁とは異なる。異なるのはRの形状と、縦リブの数、位置である。
<参考>(『日本の廃道』47号「伊達橋」by TUKA氏)
20100422-1.jpg























横桁の側面を見てみよう。I字形の断面に、長方形の鉄板をつけている。これは、全製造期間内で、相対的に後期のものである(支障の部分も参照)。

また、横桁の間にさらに1本横桁を通し、北側の歩道の支えにしている。南側の歩道はひとつの独立した桁だ。
20100428-2.jpg
20100428-8.jpgついでにピンを見る。下側の格点から。


20100428-7.jpg20100428-9.jpg次いで上側。


20100428-10.jpg支承。
橋梁名が「東十条地蔵坂Bo」とある。また、塗装は1984年6月、すなわちまだ国鉄の時代である。塗料は関西ペイント、施工は株式会社河野塗装店。たぶんこの会社

ここで見えている横桁で、横桁の構造がわかる。I形鋼のウェブ(Iの縦棒部分)に、鉤状(「型)チャンネルを4本リベット留めし、ウエブに沿ってできたスペースには同じ厚さの鉄板を挟んでいる。


20100428-13.jpg20100428A.jpg赤い部分がレーシングのない斜材。この部分には引っ張り力がかかる。通常、引っ張り力がかかる部分の斜材は簡易だ。対して圧縮力がかかる部分(ハの字型部分)にはレーシングが施される。中央部3パネル間は、引っ張り力がかかる部分にもレーシングがある。


20100428-5.jpg
銘板。コクレーンのものが、北西側(交番前)と南東側にそれぞれついている。

この橋の素性を書く。1895年に製造されたトラス桁であって、実は何線のどこのものであるのかはわからない。わからないが、例の論文に記されているもののうち、1895年以降開通の路線を抜粋する。

●1896年に開通した路線
・日本鉄道(金町-松戸)1912年撤去
・東海道本線(摂津富田-茨木) 1912年撤去


●1898年
・東海道本線(西大路-向日町)1912年撤去

ということは、このどちらかの転用の可能性があるといえる。



最後に全景。
20100428-4.jpg20100428-12.jpg

なかなか横桁について「これはこうだ。いつからはこうだ」みたいに定義づけることができない。適当だったわけはないと思うのだが。

No Image

軍艦島全景

独言・日記

コニカミノルタプラザで開催されている写真展『軍艦島全景』に行ってきた。

大きなパネルが3点。上記リンク先の案内図にある「Large Panel」の3点である。黒沢氏、大西氏、西田氏それぞれの作品で、順に、幾何的な模様の繰り返しである鉄筋コンクリートの建物、かつて人が住んでいた部屋と当時は時代の最先端だったものが取り残されてタイムカプセル化した部屋、廃墟の中、陽光が当たる部分に新たに芽生え、天に向かって伸びゆく生命。おそらく、各氏の軍艦島における原点といおうか、各氏が軍艦島に託して何を見ているのかの表現というような意味合いでそれらは選ばれたに違いない。

digital poto flameもよかった。明るい液晶で、適度な大きさでスライドショーとなる写真は、明るかった。人が住んでいた当時のものを繰り返すものもあった。

私が目を留めたのは、人が住んでいた時代に撮られた写真と同じ場所の現在を撮った、定点観測的な写真展示である。かつてそこに響いていた人声や足音は二度と戻ってこない、直接的にはその儚さを、間接的には時間軸が持つダイナミズムを見る。三才ブックス刊『軍艦島全景』でも一部その試みがあるが、ここではほぼ同じ場所で、40年(推測)を隔てて撮影された写真を並べることで、よりそのダイナミズムが際立つ。なぜか思い出すのは、手塚治虫の『火の鳥 未来編』である。


大きなパネルそれぞれに、三氏の軍艦島や廃墟への思いが書いてある。もちろん、三才ブックスの本にも同様のものがあるのだが、私は黒沢氏のそれに感じるものがある。引用する。
軍艦島のことを想う時に、その都度いつも感じるのは、東京生まれの自分にとって軍艦島が本当の故郷になることはない、ということだった。では自分の故郷は? と想った時に、それまで意識することもなかった生まれ故郷のことを知りたくなった。
これを読んだとき、涙が浮かんできた。私が廃道について感じている気持ちそのままである。鉄道も廃線も道路構造物も鉄道構造物もちろん好きなのではあるが、人の情念が入るのは廃道だと思っている。それも、集落を結ぶなど、生活に直結する廃道であって、高速道路やバイパスの廃道ではない。いわゆる「廃モノ」のなかでも、こうした廃道こそが、名もない人々の生活に直結しているのであり、意識することなく使われ、やがて忘れられていく。一方、鉄道は請願はするけれども結局は「会社」あるいは公共企業体が運営するものである。廃墟は、複数の人ではなく特定の個人の思いだけが宿る。

黒沢氏と同じ方向性のことを、西田氏も書いておられる。

軍艦島はあくまでひとつのシンボルだ。あなたの町の身近な場所にも知られざる歴史を持つ場所が眠っているに違いない。本書がその扉を開く一助になれば幸いだ。(改行・1行アキ)この活動をはじめてから、両親に昔のことや生まれ故郷の話を聞く機会が増えた。(後略)

この写真展を見た人が、たとえ故郷が東京都心部であっても、故郷を振り返り、ああ、実は自分は故郷のことをまったくわかっていなかったのだ、もうちょっとよく知ってみようか、と思うようになればいいと思う。

帰りがけ、写真好きらしいオバチャンが「廃墟も素敵よね。ぴかぴかのビルと違ってさ」と連れ合いに話していた。まあそういう見方もあるのだろうけれども、そうではなく、この写真展に込められた思いをもっと感じ取ってくれよ、と少し寂しい気持ちになって会場を後にした。



これだけの撮影をするのに、どれだけの回数軍艦島に渡ったのか、ちょっと想像がつかない。その労力と、三才ブックスの写真集『軍艦島全景』を考えたとき、写真展が無料で、写真集は2415円であることは、驚異的な安さだと思う。この写真集は、その2倍、3倍の価格でもおかしくないできばえだと思う。それは、ひとえにオープロジェクトの三氏の気持ちと、力と、三才ブックスの理解によるものだと思う。自分もこうした本を世に送り出すことができればと思っている。


デジカメ解体日記

デジカメ解体日記

独言・日記

ゴミ捨て場で拾ったoptio M60を解体してみた。興味があったのは「見えない部分がどれだけチープか」ということと、「本体の1/3を電池とSDカードスロットが占める内部で、カメラたる部分はどれだけあるのか」ということである。

IMG_1550_R.JPGIMG_1554_R.JPGIMG_1553_R.JPG表面に見えているビスは、底面にひとつだけ。ストラップ取り付け部にも2本あるが、これは本体とは関係ない。

本体背面四隅にメクラ蓋があり、これをめくるとビスが4本現れる。

IMG_1555_R.JPGそれら5本のビスをはずすと、このように背面と前面に別れる。その間にはOリングが挟まっていて、防水機能を果たしている。しかし、両者を3本の多芯コードが結んでいる。コネクターではなさそうだが、ばらせないわけがないと思い、軽くひっぱたらすべてはずれた。極小のコネクターで連結されていたのである。

IMG_1556_R.JPG分離するとこんな感じ。さらに基盤を前面ボディからはずす。2本のビスをゆるめる。

d19f5158.JPGこんな感じに「プツッ」といった感触で外れる。

IMG_1564_R.JPG見えている2本のビスをゆるめても基盤は外れない。絶縁シートをはぐってみたら、そこにもう1本発見。

IMG_1565_R.JPG基盤がとれた。こっち側の面だけが、おそらくカメラの制御部のすべて。ここでモードにしたがって現像しているわけだ。

IMG_1566_R.JPG逆側はこんな。電池ボックスがいかに大きいか、わかろう。

IMG_1567_R.JPG次に、レンズ・シャッターユニットを取り外す。四角い塊の中に可動のレンズが3組とシャッターがある。シャッターは、、1枚のレンズと2枚のレンズの間に置いてあり、不動。

50fe27a9.JPGユニット。銀色に見えるのはレンズを駆動するモーターだ。合計3つついている。

IMG_1575_R.JPGこれが、私にとっての驚愕写真。なんと、レンズ・シャッターユニットは、内部で90度屈曲していたのだ!

IMG_1579_R2.jpg赤枠部分が動く。黄色部分はシャッター。

IMG_1585_R.JPG力業で外したシャッターとレンズ。そして撮像素子(CCD)。

IMG_1586_R.JPGこの電池はストロボ用。

IMG_1587_R.JPG本体前面のアルミパネル(?)は、接着剤で本体に留めてあった。

IMG_1593_R.JPGほぼ全バラの状態です。


ああああ、眠いので文章が書けない。これにて終了。


英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その3)港三号橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(その3)港三号橋梁

ポニーワーレントラス

横浜のみなとみらい21に保存されている「港一号橋梁」「港二号橋梁」「港三号橋梁」のうち、「港三号橋梁」が英国系ポニーワーレントラスである。これらの橋がかかるルートは、下記の地図から分かるとおり、実際に貨物線が通っていたルートである。かつて、そのまま赤煉瓦倉庫の前に通じていたこのルートは、いま、「汽車道」という名称の遊歩道というか公園というか、開放的な空間になっている。線路も改めて(だったと思う)埋め込まれている。


しかし、実際にこの場所で鉄道橋として使われていたのは「港一号橋梁」「港二号橋梁」だけで、「港三号橋梁」は別の地から移設されたもの。そのため、埋め込まれている線路のルートに並行して架けられているのが、上記航空写真を拡大すればおわかりだろう。

20100426-1.jpg20100426-8.jpg

港三号橋梁は、ここに据えられるまでに2ヶ所で使用された。

まず、北海道の夕張線夕張川橋梁(紅葉山=現・新夕張-楓間。なお、どちらも後年、移設されている)として1906年に架設され、それが1928年に横浜港の生糸検査所専用線の大岡川橋梁(現在、当時の航空写真が閲覧できないため、場所を示せず)に転用され、1970年にお役ご免になっていた。これを短縮の上、1997年に転用したものが、港三号橋梁である。実際には、この地に来てから、この橋梁を列車が渡ったことはない。

現在は7スパン63フィートだが、大岡川橋梁時代は100フィートであった。そして、大岡川橋梁は、この桁のほか、総武鉄道江戸川橋梁(1907年架設)の2連とあわせた3連であった。先から引用し続けている『明治時代に製作された鉄道用トラス橋の歴史と現状 第2報』(淵上龍雄、小西純一、西野保行)によれば、「1907年製作、製造はブライスウエイト・アンド・カークBraithwaite&Kirk)となっているが、これは総武鉄道の2連(1894年開通、1926年撤去)を指すので、歴史的鋼橋集覧の製造年と異なったり、製作者が書いてなかったりしても矛盾しない。

現在地に移設する際の図面はここにある。


さて、本題の横桁である。こうだ。
20100426-2.jpg20100426-3.jpg20100426-4.jpg直線である。そして、端部にカバープレートがない。下弦材の各パネル間に2本載るというスタイルは変わりがない。

トラス桁の高さは、図面では上下現在中心間で2800mm。ということはもう少し大きいが、9フィート+4~5インチといったところか。また新たなパターンの登場である。歴史的鋼橋集覧には、設計は1874年頃イングランドによる、となっている。

ここは、ピンがよく見える。そして、奇麗に整備されている。
20100426-6.jpg20100426-5.jpg

ついでに、レーシング部分を。ボルト止めではあるが、ネジ側はリベットのような丸鍋である。もちろん、プラスマイナスなぞ切っていない。20100426-7.jpgこういうものは、どうやってねじ込むのだろうか。



さて、謎をまたひとつ増やしてしまった。本当にパターン化できない。


[PR]